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『君は永遠にそいつらより若い』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「わたしはそのことに、暗い救いを覚えた。君を侵害する連中は年をとって弱っていくが、君は永遠にそいつらより若い」(Kindle版No.2394)

 大学卒業を間近にひかえた「童貞の女」のだらだら日常生活。そこに影を落とす、弱い者への理不尽な暴力。津村記久子さんのデビュー作の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(筑摩書房)出版は2005年11月、文庫版出版は2009年5月、Kindle版配信は2013年11月です。

 「わたしは、イノギさんが十年ほど前にここでなくした自転車の鍵を探していた。イノギさんがわたしに探してくれとたのんだわけではなかった。探し当てたからといってどうなるというものでもなかった。今それを見つけるのを望んでいるのは、世界でわたし一人であると言ってもいいかもしれない。でもわたしにはそうすることが必要だった」(Kindle版No.25)

 雨の中、傘もささずに必死に地面を掘っている、どうやら若い女性らしき語り手。何が彼女を突き動かしているのか。自転車の鍵はどのような事情で失われたのか。というか、イノギさんって誰。ぐっと引きつけられるオープニングです。

 さて、語り手の名前はホリガイ。大学四年生、就職先は決まっており、卒論も何とか見込みが立っているため、焦りもなくだらだらと日常生活を送っています。このホリガイさんという人が、あまりに素敵なのです。

 「わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに」(Kindle版No.121) 

 「だいたいの男の子はわたしに対してこういう腰の退けた態度をとる。その理由のひとつとしては175センチもあるわたしの背の高さもあっただろう」(Kindle版No.182)

 「友人オカノに「地獄」と評されたとっちらかった下宿」(Kindle版No.210)に住み、「落ちてるブラジャーの金具踏んでかかとから出血したり」(Kindle版No.1096)、「ネットで集めたグラビアアイドルの画像のプリントを切り抜いて、枕元の襖に貼り付けたり」(Kindle版No.70)、「痴漢を傘でめった打ちにして、おまけに回し蹴りも当ててしまったり」(Kindle版No.230)、「ミスドの百円セールのイートインで千円以上払う」(Kindle版No.521)、豪気なホリガイさん。

 引っ越しのために部屋を整理したら「ピカチュウ万歩計の攻略本が三冊も見つかった」(Kindle版No.2159)、ホリガイさん。

 酔っぱらって、「漫画専門店の横の壁に貼ってあるきわどい衣装の巨乳の女の子が描かれているギャルゲーだかエロゲーだかのポスターに向かって、乳首が出るだろう普通! と毒づいていた」(Kindle版No.1077)、そんなホリガイさん。

 しかし、本人は自分を必ずしも高くは評価しておらず、野心も持ってないようです。

 「とても哀しかったのだ。また変わった女の子だと思われてしまった、とつらくなった。そんなふうには思われたくないのだった。個性には執着しないのだ。執着しないどころか、積極的になくしてしまいたいと思っている。けれどやっぱりわたしは、変なふうに思われてしまうようなことを言ってしまう」(Kindle版No.116)

 「知り合った年下の人の約八割は三日目からわたしに敬語を使うことを忘れる」(Kindle版No.833)

 「わたしの言うことは七割でまかせ」(Kindle版No.1007)

 「地下鉄がやってくるたびに電車とホームの隙間に爪先を突っ込んでしまうシミュレーションをし、自動ドアをくぐる時はまさに自動的にドアに挟まれる自分を思い浮かべる」(Kindle版No.988)

 「なんにしろ、わたしが並外れて不器用なのは、わたしの趣味のせいではなくわたしの魂のせいだ」(Kindle版No.138)

 「わたしの「成功」のイメージは、中学のときから一貫していい老人ホームに入ることだ」(Kindle版No.303)

 もう、読み進めるにつれてホリガイさんにどんどん感情移入するのを止められません。何だか変な失恋を繰り返すホリガイさんの滑稽としか思えない姿にまで、がんばれホリガイさん、とか心の中で激励しはじめたり。

 「オマー・シャリフのような人に出会えるとしたら一世紀くらいなら待てる、とまで思いつめていた。硬派だったのだ。硬派っていうのも違うか」(Kindle版No.956)

 「人生は妥協が大切なのだ、と急速に軟化し、まず容姿が軟化し、男の趣味も軟化し、人間性も軟化していった。が、さらに今になって考えてみると、転換以前と以後の生活に何ら大きな変化が見られないことが判明し、所詮わたしはわたしなのだとがっくりきて、そしてすぐにどうでもよくなった」(Kindle版No.959)

 「勝手に、初めてやるならこの人がいいなリストなるものを作り、八木君をその筆頭に挙げていた。(中略)精神的に暇を持て余していたわたしは、よく機械の音にあわせて八木君の立派な尻をたたえる歌を歌っていた」(Kindle版No.814)

 「せめてもの自分へのはなむけに、頭の中で、わたしが八木君を思って作った歌を数え、これぞというものを口ずさんで、八木君への気持ちにお別れをすることにした。「おーとこだがー、ちちらしきー、ものがーあるー、たとえるならー、駄菓子屋にー、売っていーるあましょくぱーん」(中略)あまりに哀しくて、それ以上は歌うこともままならず机にふせって唸っていると、休憩室の戸が「あましょくぱーん」という歌声と共にがらりと開いた。八木君の声だった」(Kindle版No.1408)

 しっかりしろっ、ホリガイ!(ため口)。

 と、こんな感じで前半はホリガイさんとその知人たちの会話を中心に、だらだらとした日常生活が面白おかしく語られます。しかし、冒頭で予告されたイノギさんと出会うあたりから、次第に小説のトーンはシリアスになってゆき、言いようのない緊迫感が漂うように。

 やがて、「幼い者、弱い者に対してふるわれる理不尽な暴力」への痛み、怒り、そういうテーマが浮上してきます。自殺、児童虐待、強姦、といった目を背けたくなるようなことも語られます。

 驚くべきことは、それでもホリガイさんはホリガイさんだし、どこかとぼけたユーモラスな雰囲気も残されている、という点。実に巧みなバランス感覚のおかげで、必要以上に辛気臭くならず、青年の主張っぽくもならず、ホリガイさんの心理を丹念に追った読者を感動させます。

 「他人が要ることは難しい」(Kindle版No.2024)とつぶやくホリガイさんが、冒頭に書かれた行動に出るまでの心の軌跡を、ぎりぎりのところで詳しく書かず読者に読み取らせる手際が素晴らしい。最後はけっこうマジ泣きしそうに。

 というわけで、様々な要素を盛り込んだ全力投球という、いかにもデビュー作らしい長編です。会話の妙、ちょっとした心理描写の巧みさ、心地よい文章のリズムなど、最初から完成度が高く、感嘆するしかありません。うまい作家は、最初から凄いものを書くなあ。

 「わたしは、あの男のことがわかるって思うたびに、でも自分には背中を撫でてくれる女の子はいないんだなって思い出すんだよ。じゃあ、わたしはいつかやっていけなくなるんじゃないかって。でもそれでもやってくんだろうな結局。そういうもんだと思う。でも、ときどき無性に、そういう子がいたらなって思う。やっていけるとかいけないとかって、そういうのとは関係なしに」(Kindle版No.2095)


タグ:津村記久子
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『砂の降る教室』(石川美南) [読書(小説・詩)]

  「胡麻豆腐ちびちび食べて好きなものばかり歌つてしまふ寂しさ」

 『怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう』で選者の一人をつとめた石川美南さんの第一歌集。単行本(風媒社)出版は2003年11月です。

 現実感覚を少しだけ揺るがせる奇妙な忘れがたい短歌が詰まった『裏島』と『離れ島』の二冊が大いに気に入ったので、石川美南さんの第一歌集を読んでみました。大学を卒業した年に出版された一冊で、高校生の頃に作った作品なども収録されています。

  「スプライトで冷やす首筋 好きな子はゐないゐないと言ひ張りながら」

  「「怒つた時カレーを頼むやうな奴」と評されてまたふくれてゐたり」

  「グリンピースの缶づめ好きで何が悪い 小石のやうな意地を張りをり」

  「「助さんと格さんならば格さんが可愛いと思ふ」「私も思ふ」」

  「男の子は馬鹿ばつかりで強いて言へばキリンに似てる子が一人だけ」

  「「先生今飼つてる犬を叱るやうに私のことを叱つたでせう」」

 あっ、若い。ああっ、女子高生の歌だ。ういういしい。

 年譜を見ると今なお若い方で、『裏島』と『離れ島』を読んだとき、この歌人は精霊か狐狸妖怪の類なのだろうかと、失礼ながらそういう年齢不詳な印象を受けたのですが、これは大間違いでした。

  「ゴールラインに近づきながら手も足ももう言ひ訳を考へてをり」

  「満員の山手線に揺られつつ次の偽名を考へてをり」

  「成分のことは語らぬ約束で花火見てゐる理科部一行」

  「「二、三年寝てゐた方が良いでせう」春ゆるみゆく内科医の声」

  「嬉しさうに報告されてゐたりけり「薔薇(ROSE)とエロス(EROS)はアナグラムです」」

  「人多きところへ急ぐ ベジャールに振り付けられし木立を抜けて」

 楽しそうな学生時代をほうふつとさせる短歌の数々が新鮮です。

 上に引用した最後の作品、ざわざわと揺れる木立の不気味さをベジャール作品の群舞に見立てているわけですが、こういう見立てがさらりと出てくるところを見ると、どうやらダンスに詳しいようです。

  「世界中の紙ざわざわと鳴り出だす予感溜めつつ開演を持つ」

  「ああ鬼がもうすぐここに来るここに来る地底、脚、腸、胃を抜けて」

  「加速してゆく靴音の鋭さにああ鬼嬉しくてたまらない」

  「ステップを踏み間違へて私だけ魔術を解いてしまふ寂しさ」

 舞台でフラメンコを踊った経験(大学の学園祭らしい)を扱ったシリーズから抜粋してみましたが、こういう躍動感と身体感覚に満ちたストレートな作品を詠んでいたのかと思うと、これまた意外。こういうのもいいですね。

  「今日までにくぐり抜けたるトンネルの数競ひ合ひ僅差で負けぬ」

  「校門に朱きペンキを塗りたくり、そしてある日の暮れ方の事」

  「白い僧が雨の奥より現れて朝から待つてゐましたといふ」

  「茸たちの月見の宴に招かれぬほのかに毒を持つものとして」

 こういう作品を読むと、まだ若いというのに、将来『裏島』『離れ島』に流れ着くことになる歌人だよなあ、としみじみ感じ入って。「ほのかに毒を持つ」という一節が妙にしっくりくる。猛毒でも劇薬でもなく、ほのかに、じわりと、感覚を微妙に麻痺させ、平衡感覚を少しだけ揺るがせる。そんな作品をこれからも詠み続けてほしいものです。好きです。


タグ:石川美南
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『知って感じるフィギュアスケート観戦術』(荒川静香) [読書(教養)]

 「本書は私の5冊目の著書になりますが、今回ほど選手にフォーカスを当て技術的なことを詳しく説明した本はありませんでした」(新書版p.209)

 スピンとジャンプの種類、採点システムなどの解説から、目前に迫った全日本選手権の見どころまで。トリノオリンピック女子シングル金メダリスト、荒川静香さんによる、ソチ五輪フィギュアスケート競技鑑賞のための手引き書。新書版(朝日新聞出版)出版は、2013年12月です。

 いきなり私事で恐縮ですが、フィギュアスケートそのものに興味があるかと問われると、ちょっと困ってしまいます。TVでアイスダンスを観るのは好きなのですが、しかし、日本ではアイスダンスが放映される機会が少ないのです。例えば、今シーズンのグランプリシリーズにおいてアイスダンスが日本で放映されたのは、NHK杯とファイナルだけでした。そこで、仕方なく(というと語弊がありますが)シングル競技も観ている、というのが本音かも知れません。

 とはいえ、今シーズンはこれから、全米選手権、欧州選手権、カナダ選手権、四大陸選手権、世界ジュニア選手権、世界選手権、そしてもちろんソチ五輪と、アイスダンス競技の映像がすべてノーカットで衛星放送されるとのことで、もう、これは嬉しいこと限りなし。

 各国のアイスダンサーたちもソチ五輪に向けてものすごく気合が入っており、こちらとしては点数のことは忘れてダンスパフォーマンスを純粋に楽しもうと思ってはいても、そこはやっぱり評価が、点数が、そしてソチ五輪で銅メダルを獲得するのはどの組か、どうしても気になってしまいます。

 今のところ手が届く可能性があるペアが5、6組はいるし、それぞれに個性的でひたむきで情熱的。毎シーズン観ているうちに各組への思い入れも強まっているのですが、何しろアイスダンスで銅メダルを取れるのはただ一組だけ。その厳しさに溜め息が出ます。

 さて、前置きが長くなってしまいましたが、本書は荒川静香さんによるフィギュアスケート鑑賞のガイドブック。アイスダンスやペア競技のことはほとんど書かれておらず、シングル競技に絞っていますが、その分、技術面から注目選手の評価まで、詳しく書かれています。

 全体は7つの章に分かれています。

 最初の「第1章 ルールと採点基準」および「第2章 ワンランク上のシングル競技観戦」では、スピンやジャンプの種類、現在の採点システムと主な変更点、ジャッジの判定、そしてパトリック・チャン選手が高得点を取る理由、といった技術面を解説。

 もちろん教科書的な記述ではなく、個人的なエピソードなども織りまぜながら、読み物として楽しめるように工夫されています。例えば、6分間ウォームアップのとき選手は何に気をつけているのか。

 「よく観察している人は、選手がウォームアップの最中に跳ぶジャンプの場所と、本番で跳ぶジャンプの場所が違うことに気がついているかもしれません」(新書版p.62)

 なぜ競技とはあえて違う場所でジャンプ練習するのか。理由は本書でお確かめください。

 他にも、選手が口にする「楽しみたい」という言葉の意味、シーズン全体を見たピーク調整の難しさ、羽生選手のトリプルアクセルに加点がつく理由、など様々な話題が含まれています。個人的に面白いと思ったのは、トリノオリンピックに向けて評価点を上げるために、荒川さんがビールマンスピンをどうしても取り入れざるを得なくなったときのこと。

 「私も、まさか現役の最後の年になって、ビールマンスピンをやることになるとは思ってもいませんでした。(中略)今、私のトリノオリンピックの演技を見ても、自分のビールマンスピンは観客の皆様にお見せすることができるギリギリのところだったな、と思います」(新書版p.29、30)

 「ルール上、必要である技を行うことで長期的には負傷につながる……その問題にどう対処するかというのは、これからのISUの課題の一つだと思います」(新書版p.33)

 課題を指摘しつつも、現在の採点システムを荒川さんは次のように評価します。

 「ISUが少しずつ改良していこうとして、技術と芸術が融合したフィギュアスケート本来の戦いに戻ってきたのだと思います。 その意味では、現在のフィギュアスケートはとても健全な、良い方向に発展していっていると言って良いと思うのです」(新書版p.41)

 ちなみに、ジャッジは公平なのでしょうか。これについても、荒川さんは次のように語ります。

 「時々、理解不十分な結果に対して「不正だ」「八百長だ」という言葉を使って、感情的にブログなどに書き込む人を見かけますが、このスポーツを愛する者の一人として、とても残念に思います」(新書版p.76)

 「細かく分析して数字を見ていけば、大抵の場合、なぜそういう順位になったのかその理由がわかります。(中略)すべての採点に納得する必要はありませんが、基本的に世界中の関係者たちが力を会わせてこのスポーツを大切に思い、守ってきたことを忘れないでほしいなと思います」(新書版p.76)

 「第3章 選手たちの舞台裏」と「第4章 振付師とコーチたちの役割」では、選手、振付師、コーチの関係をめぐるあれこれ。

 「フィギュアスケーターにとって、靴の問題は避けて通ることができません。スケーターの中で、靴の問題で苦労していない選手は一人もいないと断言できます」(新書版p.84)

 「音楽というのは本当に実際に滑ってみないとわかりません。実際に試合の現場に出てみて、ようやく見えてくることもあります。これはもう本当に賭けと言えます」(新書版p.118)

 他にも、氷の状態とは、選手は控え室で何をしているのか、滑走順はどれが有利なのか、振付師とコーチの相性問題、コーチを変更する理由、など。荒川さん個人のエピソードも面白い。

 「あるとき、「結果が良かったら焼き肉をおごってあげる!」と試合前にある親しい人から言われて、焼き肉に想いを囚われすぎてしまったことです。調子が良かったにもかかわらず、「勝ったら焼き肉。絶対に焼き肉」と力んでしまってうまくいかなかったことがありました。今考えてみると、「焼き肉」は、試合をゆるがすほど、私にとってそんなに大事だったのか」(新書版p.98)

 「今考えてみると」、というのが妙におかしい。

 そして「第5章 私のオリンピック体験」ではトリノ五輪の思い出を語り、「第6章 ソチオリンピックでの戦いはここに注目」および「第7章 メダル候補たちのここに注目」では主要選手についての紹介、評価、観戦のポイントなどが書かれています。

 「ニコライが「金メダリストは、代々青のコスチュームを着ていたのだから」と言い出したとき、彼が「メダル」ではなく「金メダル」に狙いを定めているのだと悟りましたが、私はというと、「金メダルはスルツカヤが取るんじゃないの」ぐらいに思っていたのです」(新書版p.150)

 「ニコライが熱心にそう言うので、任せていました。 彼が強烈な勝負師だったおかげで、私は順位のことはまったく考えずに、目の前の演技だけに集中することができたのです」(新書版p.150)

 「強烈な勝負師」という率直な評価には、思わず頷いてしまいますね。他にも、特に女子シングル選手については、様々なことがストレートに語られています。

 「当時の安藤選手はまだ女子高校生で、スケート以外のところの注目度が独り歩きしてしまったことが多かったように思います。(中略)彼女がマスコミの報道などに一番影響を受けたような気がします。集中力を保つのは大変だったでしょう」(新書版p.143)

 「一般的には浅田選手はジャンプ技術が持ち味で、ヨナは表現力で勝負をしていると思われがちですが、私から見るとむしろ逆なのです」(新書版p.166)

 「カロリーナ・コストナー選手も、すっかりベテラン選手らしい風格が身につきました。(中略)ジャンプに関しては、ルッツもフリップも本来上手なのに、跳ぶ前にすごく慎重になりすぎている感じがします。跳び上がってから「あ、良かった。次に3回転をつけよう」という感じがします(笑)」(新書版p.203)

 「トゥクタミシェワは、なかなか体が締まらずに苦労しているように見えました」(新書版p.206)

 「そうそう」と共感する記述が多いです。

 ところで、目前に迫った全日本選手権の見どころは。

 「高橋選手や小塚選手、織田選手のようなベテラン勢はオリンピックでメダルを狙える立場にいますから、必ずオリンピックでピークが来るように、全日本選手権では全力を出し切ってしまわないような調整をしてくるでしょう」(新書版p.174)

 「町田選手、無良選手のような立場の選手は、全日本選手権で勝ち残らなければオリンピックへ後がなくなるので、ピークは必ずそこに持ってくるだろうと思います。 ですからピーク前の選手と、ピークに達した選手が同じ土俵で戦うことになる。4回転が大きな比重を持つ男子シングルでは、もしかするとどんでん返しが起きる可能性もあります」(新書版p.175)

 というわけで、これから全日本選手権、さらにソチ五輪と、フィギュアスケート競技を鑑賞しようとするときに、役に立つ、読んで楽しいガイドブックとしてお勧めします。個人的には、荒川さんもおっしゃるように、日本でもアイスダンスとペア競技がもっと注目されるといいなあ、と思います。

 「日本は練習環境の事情もあり、男女シングルの強さが際立っていますが、国内でのペア、アイスダンスの強化にはなかなか苦戦しています。団体戦がオリンピック競技に加わったことをきっかけとして、ペアとアイスダンスへの注目度や必要性が上がり、強化がもっと進むことに期待をしています」(新書版p.176)


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『あまからカルテット』(柚木麻子) [読書(小説・詩)]

 「うらやましいわ……。ピンチの時に助けてくれる仲間がいるなんて。助けて、と言えるあなたの素直さも」(Kindle版No.2394)

 恋に仕事にとそれぞれ悩みは尽きないものの、互いに助け合いながら乗り切ってゆく四人の仲間たち。女性の友情を描いた連作短篇集の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(文藝春秋)出版は2011年10月、文庫版出版は2013年11月、Kindle版配信は2013年12月です。

 二十代後半の女性たち四人の友情を描いた連作短篇集です。最初の四篇で登場人物を一人ずつ紹介し、最後に置かれた中篇は各自がそれぞれ自分の物語を完結させる群像劇、という構成になっています。

『恋する稲荷寿司』

 「なにそれ、ありえない。何やってんの? 超もったいない! あと二年で三十歳なんだよ? 出会いの大切さ、わかってんの?」(Kindle版No.66)

 花火大会の場で手作り稲荷寿司パックをくれた初対面の男性に一目惚れしてしまったピアノ教師の咲子。だが混雑に紛れて相手の名前も連絡先も聞き出せないままはぐれてしまう。話を聞いた友人たちは、手がかりとなる稲荷寿司(冷凍した)を手に、謎の男を手分けして見つけ出そうとするのだが・・・。シンデレラと三人の魔女が稲荷寿司にぴったり合う手を持つ王子様を捜す物語。

『はにかむ甘食』

 「一週間前、何気なく自分の名前を検索し、このスレッドを見つけて以来、由香子は料理が作れなくなった」(Kindle版No.470)

 ネットでの誹謗中傷にショックを受けて引きこもり状態になってしまった料理研究家の由香子。立ち直らせるべく、友人たちは彼女が子供だった頃の親友を捜し出そうとする。ヒントは由香子の思い出に出てくる甘食だけ。果たして、幻の甘食はどこに。

『胸さわぎのハイボール』

 「いやらしく疑っちゃうのは、あなた自身の問題だよ。いつも自分が一番じゃないと気が済まない、満里子自身の問題だよ」(Kindle版No.1103)

 大手化粧品ブランドショップに勤める美人の満里子は、恋人の浮気を疑っている。彼に特製ハイボールを飲ませている女は、どこの誰なのか。友人たちは満里子の疑いを晴らすべく、謎の女を捜すが・・・。

『てんてこ舞いにラー油』

 「今まで、できない人の気持ちなんてわからなかった。正直、皆のことも、甘えているとか努力が足りない、と思ったことも何度もあるよ。本当に嫌なやつだよね。でもね、今初めてわかったよ。私こそが駄目な人間だし、弱いんだって」(Kindle版No.1599)

 仲間のリーダー格である編集者の薫子は、仕事に忙殺されて家庭のことを顧みる余裕をなくしていた。何もかもが空回りして疲れ果てた彼女は、仕事を辞めようとまで思い詰める。そんなとき、彼女に送り届けられた謎のラー油。誰が、何のために。例によって友人たちの詮索、じゃなかった探索が始まった。

『おせちでカルテット』

 「それぞれ、きっと大変な夜を過ごしたのだろう。でも、きっと自分にとってベストなやり方で、切り抜けたのだ。三人の充実した表情を見れば、確かめなくてもそれがわかる。長い付き合いのたまものだ」(Kindle版No.2662)
 
 おせち料理をそれぞれ分担して用意し、大晦日に集まって四段組重の豪華おせちを完成させる約束をした四人。しかし当日は大雪に見舞われ交通機関が大混乱。しかも各自がそれぞれ窮地に陥ってしまう。「四人で一人」と誓い合った仲間と離ればなれになったまま、それぞれの難題に立ち向かってゆく四人。果たして全員が揃い、四段重おせちを完成させることが出来るだろうか。

 正直、最初の四話は展開が強引な上に登場人物も類型的に感じられ、さほど印象に残らないのですが、さすがに最終話は盛り上がります。

 何の準備もしてないところに義母が訪ねてきた、セキュリティシステムのせいで倉庫に閉じ込められた、再会した昔の恋人に旅館に連れ込まれた、元旦特別番組収録の準備が台無しになった。微妙な絶体絶命感が妙におかしく、それを各人各様のやり方と個性で切り抜けてゆく展開は、まるで海外ドラマのよう。大いに楽しめます。

 思春期の激しく揺れ動く心理を丁寧にえがいた『終点のあの子』の作風とは違いますが、こういう大味で軽い感触の作品も悪くないなー、と思います。


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『トロカデロのドン・キホーテ』(振付:ジョゼ・モンタルヴォ) [ダンス]

 2013年12月15日(日)は、夫婦で東京芸術劇場に行って、パリ国立シャイヨー劇場公演『トロカデロのドン・キホーテ』を鑑賞しました。ジョゼ・モンタルヴォ振付による、映像とダンスを組み合わせた人気作です。

 古典バレエ『ドン・キホーテ』をベースにしており、音楽はミンクスのものがそのまま使われます。しかし、舞台設定は現代、場所はパリの地下鉄。

 舞台背景に投影される映像の中で、まるで退屈な日常(あるいは人生そのもの)に倦み疲れたような老人が、地下鉄ホームの薄暗い片隅にあるベンチに座り込んでいます。老人は次第に幻想に飲み込まれてゆき、やがて目に入る全てのものが輝いていた幼少期のことを思い出すと共に、周囲にいる普通の人々の様子が、愉快な男たちや艶やかな美女たちが浮かれ騒ぐ楽しい世界に見えてくるのです。

 舞台上では、中年太りのドン・キホーテ、軽快にヒップホップダンスをキメてみせるサンチョ・パンサ、スパニッシュダンスで力強く床を踏みしめ、あるいは激しいタップダンスで興奮を盛り上げる男たち、バレエやアクロバットで美しく舞い踊る女たちといった、総勢14名の出演者たちが華麗なパフォーマンスを披露します。

 バレエ、ヒップホップ、タップ、スパニッシュ、アフリカン、そしてコメディマイム。次から次へと息をつく暇もなく、拍手するタイミングがつかめないくらいの密度で愉快なダンスが繰り広げられ、思わず吹き出すような可笑しいパントマイムが披露され、ときにプティパの元振付が美しく踊られたり(そしてドン・キホーテが「ウィ、プティパ! プティパ!」と騒いだり)、ひたすら楽しい75分。

 私たちの人生の退屈さくだらなさをダンコフンサイすべく無謀にも突進してゆくドン・キホーテ(この作品では彼が主役)の姿に、心から拍手を送りたくなる舞台です。映像のラストでは老人の正体が暗示され、原作小説と古典バレエと現代ダンスが手を取り合って観客に力強いメッセージを送ってくれます。思い出せ、人生のすべてが退屈でくだらないわけじゃない、と。

 様々な種類のダンスをごった煮にしつつ、統一感が崩れないというのが素晴らしい。映像とライブアクションの組み合わせも効果的で、ドン・キホーテ役を演じたパトリス・ティボーのパフォーマンスも忘れがたいものがあります。

 というわけで、実はこれで今年のダンス公演は見納めなのですが、最後に有無を言わさぬ楽しい舞台を観ることが出来て嬉しい。来年もまた沢山の良いダンスとの出会いがありますように。


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