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『幽界森娘異聞(講談社文芸文庫版)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「彼女は私よりずっと愛される作家、私は愛されるよりも必要とされる作家、でも同じ世間に向かい合って、似たような風を今も受けているよ。幽明境を異にしても内面から肉声を放つ作家同士、趣こそちがっても騒音に消されがち」(文芸文庫版p.309)

 「論争歴も不発分まで入れれば既に二十年を越え、あちこちから追われ出入りしにくい場所も増えている昨今。それでも平成を纏める、文学史を編むという時に私はまだ入っている。売れてないし権威もない。ただ取り替えが利かない」(文芸文庫版p.307)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第82回。

 森茉莉を取り上げた代表作の一つが、講談社文芸文庫に入りました。単行本(講談社)出版は2001年07月、文庫版出版は2006年12月、Kindle版配信は2013年10月、講談社文芸文庫版出版は2013年12月です。

 『幽界森娘異聞』については、先日Kindle版を紹介したばかりなので、そちらを参照ください。

  2013年11月08日の日記:
  『幽界森娘異聞(電子書籍版)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-11-08

 今回の講談社文芸文庫版では、電子書籍版に加えて、著者自身による「あとがき」、さらに「解説」(金井美恵子)と「年譜」「著書目録」(山崎眞紀子編)が含まれていますので、これから購入するのであれば講談社文芸文庫版の方が良いかも知れません。でも電子書籍の利便性も捨てがたいという方は、この際、両方買っちゃいましょう。

 さて、今回の「あとがき」、タイトルは『「殿堂」入りにも近況報告/年表代わりのさらなる後書き』ということで、文芸文庫版でもしっかり近況(2013年10月18日現在)を書いてくれました。読者としてはこの上なく嬉しい。

 というのも、最新作『日日漠弾トンコトン子(新潮2013年5月号掲載)』に、「入院しないと駄目な」「十万人に三人以下の病」が発覚した、などと書いてあり、おそらくそれはフィクションではないだろうと思いつつも、詳しい状況が分からず、半年以上もおろおろしていたのです。

 「今難病治療中なんですよ私、まあ病気自体は割りと早く寛解に持ち込めたんだけど、なんたって劇薬服用と血液検査はずーっと付いて回る」(文芸文庫版p.307)

 「難病の的確な治療で回復した私は、不調を残しつつも家事等劇的に出来るようになっている。(中略)今までの痛み疲れやすさ怪我の多さの理由が判って、そしてその多くが回避出来るようになって、皮肉でもなくなんだかほっとしている」(文芸文庫版p.310)

 「何があっても、彼らを、猫と共にいる事を私は選んだ。その結果荒れた家の中でさえこの世に稀な幸福を得る事になった。人間が先に死んではいけない、それをモットーに今は生きているそれにしても」(文芸文庫版p.311)

 などという記述があり、どうやら一安心、していいのか。

 また、電子書籍版『水晶内制度』における「電書版後書き」には、「2012年12月25日 (春に出す電書版後書きを他社のも含め全十冊分、イブから始めてどうにか、仕上げた夜明けに)」(Kindle版No.3651)という記述があり、楽しみにしていたのですが、その後に続々と配信された電書版にはどれも新しい「後書き」が含まれていなかったので、一体どうなったのか気にしていたのですが、その謎も解明されました。

 「電子書籍が纏めて出るので十冊分だか自分で解説書いて、結局編集の都合で載らなくなって(ていうか電子ってどこで何起ってるのか誰にも判らない)、ああ、だったらば宙に浮いたこの電書用の文をここに流用したら「楽っ」てことよ、ふふふふふ、と三週間だか前に思っていた。ところがあれあれれれ? 気が付くと私は結局新しいの書いちゃってる」(文芸文庫版p.306)

 とのことで、うわーっ、その十冊分だかの著者自身による「解説」を読みたい。それこそ電子書籍で軽ーく、安ーく、配信してくれないものでしょうか。

 「ふいに群像のための長編も書く事になったり」(文芸文庫版p.307)

 という嬉しい記述もあるのですが、では荒神様のシリーズはどうなるのか、結局『猫キャンパス荒神』の出版はどうなのか、読者としては不安が尽きません。

 金井美恵子さんによる解説は、『なぜ、「これなら私にも書けると思った」と、二人の女性作家(私の知るかぎり)は『幽界森娘異聞』を読んで考えたのだろうか、』というタイトル。(本書の授賞式の場で)笙野頼子さんとはじめて出会ったときのエピソードを紹介しつつ、解説へと進んでゆきます。

 「年譜」ですが、『現代女性作家読本4 笙野頼子』(清水良典 編)の巻末に、『笙野頼子 年譜』(山崎眞紀子)として掲載されていた年譜の更新版と思われます。旧版に比べて大幅に情報が追加され、もちろん2006年以降のことも載っており、現時点での決定版といってよい充実した内容。

 この「年譜」および「著書目録」を保存しておくために、本書をもう一冊購入しようかとさえ思いました。あ、でも、この講談社文芸文庫版もまた電子書籍化されるのでしょうか。そしたら検索も出来るし、そちらを待つのも手かなと。


タグ:笙野頼子
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『火の鳥』『ヌアージュ』『ボレロ』(イリ・キリアン、ベジャール、パリ・オペラ座) [ダンス]

 2013年12月09日のNHK-BS 「プレミアムシアター」では、2008年12月にパリ・オペラ座バスチーユで行われた『ベジャール&キリアン プログラム』の舞台映像を放映してくれました。

 まずは、モーリス・ベジャール振付『火の鳥』。

 古典バレエ『火の鳥』を大胆にアレンジして、第二次大戦中のパリを舞台としたパルチザン兵士たちの物語にした作品です。意気消沈したゲリラ兵たちの前に真紅のヒーローが現れ、彼らを鳥ダンスで鼓舞。志気は上がるものの、自身は倒されてしまう。しかし、民衆の不屈の精神によって文字通り不死鳥のごとく蘇り・・・。

 というか、コスチュームのせいもあって、ウルトラマンにしか見えないのは私だけでしょうか。怪獣に蹂躙される人々の前にウルトラマン(バンジャマン・ペッシュ)が現れ大活躍。しかし、ついにゼットンによって倒されてしまう。もはや地球の命運もここまでか。そこでやってきたゾフィー(カール・パケット)によって新たな命を授けられ、ウルトラマン大復活。さらに舞台奥からは同じコスチュームを着たウルトラ兄弟たちが続々と現れ、みんなで勝利の踊りを・・・。

 ベジャール作品が持っているいわゆる祝祭的な側面が強く出た作品で、バンジャマン・ペッシュの鳥の動きを模したダンスはきびきびしていてかっこいい。両手を翼のように構えるポーズがびしっと決まったりすると、駆け抜けるような爽快感があります。祝祭的というより、ヒーローショーのノリで、観ていて気持ちいい舞台でした。

 二本目は、イリ・キリアン振付『ヌアージュ』。

 キリアンの初期作品で、完全な抽象ダンス。ドロテ・ジルベールとマニュエル・ルグリが見事に踊ってみせます。全体に漂う荘厳さと緊張感のなかで、息をのむようなリフトが次々と登場し、美しい動きに心がしびれます。キリアン作品はどれも素晴らしい。

 ルグリのサポートが、これまた実に見事。というか、2008年末、現役最後の頃のルグリが見られるという点でも、これ貴重な映像かも。

 最後は、モーリス・ベジャール振付『ボレロ』。

 ベジャールの代表作の一つ。有名な『ボレロ』の繰り返す旋律に乗せて、メロディ(ニコラ・ル・リッシュ)が気迫のこもったダンスを踊り、終幕に向けて盛り上がってゆきます。

 呪術儀式か降霊術かと思うほどシャーマニズム的に踊ったジョルジュ・ドン、格闘技か武術演舞かと思うほど力強くみせびらかし風に踊ったシルヴィ・ギエムなど、有名どころのメロディと比べて、意外にもスポーティで爽やかに踊ってみせるル・リッシュ。

 ル・リッシュなんで、もっとこう、情念こもった、あるいは強迫神経的な、ちょっとやばいなー的なボレロになるか。変な期待をしていたのですが、軽やかに、むしろ楽しげに踊るル・リッシュが意外で、ちょっと好青年に見えたり。


パリ・オペラ座バレエ
ベジャール&キリアン プログラム
『火の鳥』『ヌアージュ』『ボレロ』

2008年12月 パリ・オペラ座バスチーユ
2013年12月09日 NHK-BS 「プレミアムシアター」で放映。

[キャスト]

『火の鳥』
 振付: モーリス・ベジャール
 出演: バンジャマン・ペッシュ、カール・パケット、パリ・オペラ座バレエ団

『ヌアージュ』
 振付: イリ・キリアン
 出演: ドロテ・ジルベール、マニュエル・ルグリ

『ボレロ』
 振付: モーリス・ベジャール
 出演: ニコラ・ル・リッシュ、パリ・オペラ座バレエ団


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『草魚バスターズ もじゃもじゃ先生、京都大覚寺大沢池を再生する』(真板昭夫) [読書(サイエンス)]

 「私は酔いも回っていたせいか調子に乗って、「やってみましょう! 10年計画ですよ」と気安く引き受けてしまったのです。この安易な引き受けが、後に本当に10年以上、述べ3000人以上が動員される大作業になろうとは、このときは予想もしていませんでした」(単行本p.14)

 1200年のあいだ受け継がれてきた庭池、大覚寺大沢池。そこに放たれた草魚のために破壊されつつある生態系。草魚駆除のために結成された「草魚バスターズ」だったが、その仕事は一筋縄ではいかなかった。ケーススタディを通じて生物多様性保護を問う感動の一冊。単行本(飛鳥新社)出版は2013年09月です。

 「実はお願いがあるのです。いまこの池は水漏れが激しく杭の補修をしております。十数年前、池に繁茂する水草除去のため、水草を食べる『ソウギョ』を入れたのですが、ソウギョはすべての水草を二年で食べ尽くすと同時に、杭も食べ始めているのです。なんとか退治して昔の池の風景を取り戻してくださいませんか」(単行本p.12)

 大覚寺執行長からそう依頼された「エコツーリズム」研究者、もじゃもじゃ先生。今こそ、「大切な自然や文化資源に手をつけずそのままにしておいて守ろうというのではなく、むしろ観光を導入して大切な資源を利用しながら守っていく仕組みを考える」(単行本p.10)というエコツーリズムの研究が真価を発揮するときだ!

 もじゃもじゃ先生の呼びかけに応じて参集した、環境デザイン、造園設計、動物生態学、環境プランナー、観光資源管理など、様々な分野の研究者たち。そして40名ちかい学生と市民。いよいよ、「ソウギョバスターズ・プロジェクト」始動。

 そもそも大沢池にソウギョが放流されたのはなぜか。池は今どういう状況にあるのか。環境調査を開始します。

 「繁茂しすぎた水草を食べてもらうという、非常に実利的な役割を持たせて導入したのです。 それが、人間が想定していた以上に効果を発揮してしまったのです。(中略)水草が全部食べられた後、急速に水質が悪化してメタンガスが発生し、池の周りを彩っていたサクラなどの樹木が枯死し始めました。(中略)ソウギョの食害によって天神島は崩れ始め、漏水も起きかけています」(単行本p.46、55)

 「ソウギョによって激変した池の中の環境は、汚泥の堆積、アオコの発生、水質の悪化、メタンガスの発生などによって大沢池の他の生き物の生存や下流に位置する池の水環境にも影響を与えつつあることが予測されました。(中略)大沢池周辺の樹木はその約40パーセントが悪い生育状態にあるという驚くべき現状が明らかとなりました。(中略)大沢池の環境調査の結果が語ってくれたことは、もはや一刻の猶予もないということでした」(単行本p.79、p.83、p.100)

 繁茂している水草を減らしたいという理由で放流したソウギョが、池とその周囲の樹木までも死に至らしめようとしている。生態系の複雑さ緻密さ、そしてそれをコントロールすることの困難さがよく分かる話です。

 とはいえ、人間の都合で放流したソウギョを、また人間の都合で勝手に駆除するなど、倫理的に許されることなのか。そもそも大覚寺で殺生していいのか。悩み迷いながらも、もじゃもじゃ先生は決断を下します。

 「生き物をある環境に放す者は、放した生き物の「執事」として、その生き物の個体数が健全に維持されること、また、もともとそこに生息している生き物たちとバランスのとれた環境にすることについての責務がある」(単行本p.50)

 こうして、長期に渡る環境調査を経て、ついにソウギョ捕獲大作戦が敢行されます。

 「呼びかけに応じて、京都嵯峨芸術大学、滋賀県立大学、阪南大学の学生が続々と集結してきました。また、大覚寺の職員も休日を返上して参加します。(中略)参加者の合計は、なんと120名を超えました。 今回の大作戦が事前に京都新聞などで報道されていたせいか、京都市民も多数見学に訪れ、桜堤にはカメラを持った人だかりができています」(単行本p.125)

 維持可能な頭数を残してソウギョの個体数を調整した後も、水草の食栽、樹木活性化など仕事は続きます。1200年の歴史を背負っている大沢池、その「戻す」べき景観とはどのようなものなのか。

 文献を探し回ったあげく、ついに発見したその答えは、華道「嵯峨御流」が伝えてきた「庭湖の景」のなかに、大沢池の生態系そのものの情報が保全されていた、という衝撃の事実でした。

 歴史学、生態学、エコツーリズム、華道、造園学、そして写真家。様々な人々の努力により、ついに完成した「大沢池の周辺植栽基本計画及び水草植栽基本復元計画」(単行本p.149)。果たして、1200年前の大沢池の景観と生態系を復元させるという仕事は実を結ぶのか。

 「ソウギョバスターズ開始から八年目の2008年8月。大沢池に4000本の赤いハスが水面を飾りました。あの何もなかった水面の半分以上がハスの立ち葉に覆われ、その上からさらに赤いハスの花が一面に咲き乱れているのです。(中略)大沢池の泥の中で数十年もの間じっと耐えていた赤いハスの種が、ソウギョの捕食が弱くなったので発芽したのです」(単行本p.166)

 死にかけていた大沢池の水面に咲き誇る4000本の赤いハス。極楽浄土のようなその風景の周りでは、在来種水草であるマツモが復活し、ギンヤンマやハラビロトンボが飛び交う。やってくるカルガモ、カイツブリ、コガモ、コサギ、アオサギ、そしてカワセミ。

 「ハスの繁殖で水がきれいになったことにより、マツモが回復し、そのことによってハグロトンボが繁殖できる環境になって飛ぶ姿を見られるようになったのです。ハスの回復は、次々と生き物のつながりを復活させ、いろんな生き物が飛びかう風景を作り出しているのです。そして、風景が出来上がっていくにつれて、池に漂っていた悪臭も嘘のように消えました」(単行本p.172)

 こうして、奇跡は起きました。景観と共に、生物多様性が復活したのです。

 とはいえ、生態系の保全に終わりはありません。その後も、ヒシが繁茂したせいでヒシハムシが大発生したり、池が外来種ブルーギルの稚魚でいっぱいになったり、そのブルーギル稚魚を捕食するためにカワウの群れが押しかけてきたり、そのカワウが落とす大量の糞のせいでスギの木の枯死が危惧されたり、ついにはイノシシまでやってきて。

 人知を超えた生態系のダイナミクスが存分に発揮され、もじゃもじゃ先生、その度に右往左往するはめに。「生物多様性は無事に復元されました。めでたし、めでたし」では決して終わらない、生態系というものの奥深さ。そしてそのことをおぼろげながら理解し始めた人間。その関わり合いは感動的です。

 「ソウギョの個体数コントロールに始まった池水の景の代表とも言える大沢池の景観修復と生物多様性回復の作業を通じて見えてきたことがあります。それは、今後大沢池の生物多様性を維持していくために、回復した生態系を今度は一定の環境に維持していく持続的な人々の関わりが求められるということです」(単行本p.227)

 大沢池のケースは、人間が手を出さず自然に任せておけば生態系や生物多様性はうまく維持されるに違いない、などという素朴な「自然保護」観が的外れであることを厳しくいさめてくれます。少なくとも、人里で人間と共存している自然環境を守るためには、「持続的な人々の関わりが求められる」ということがしみじみと伝わってきます。

 というわけで、環境保護や生物多様性保護、エコツーリズムに関心がある方にはぜひ読んでほしい一冊です。文章は平易に書かれており、中学生でも頑張れば読めると思います。自然環境保護活動を推進するときの参考書としてもお勧めの好著。

 なお、ラスト1ページ。これがまた、生態系のバランスというものがいかに微妙で難しいものであるかをよく教えてくれます。

 「追記  ここで、この奮戦記は終わる予定でした。ところがです。世の中そんな美談で終わるほど、生き物との関わりは甘くはなかったようです。 ハプニングが起っているのです。急激に大沢池のハスが減りはじめているのです。ソウギョに代わって我が物顔のようにハスの新芽やレンコンを食べ尽くすほどの勢いを持った生き物が、またまた台頭してきたのです」(単行本p.233)

 その正体については、本書でお確かめください。


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『自分では気づかない、ココロの盲点』(池谷裕二) [読書(サイエンス)]

 「脳は理由を問われると「作話」します。しかも、でっちあげたその理由を、本人は心底から「本当の理由」だと勘違いしています。(中略)人は、他人が下した評価を無意識のうちに吸収して、あたかも「自分の意見」であるかのように振舞います。私たちの知性は傀儡です」(単行本p.71、83)

 私たちの脳が持っている大きな歪み、奇妙な偏り、勝手なすり替えや意味づけ。認知心理学が明らかにしてきた「認知バイアス」の代表例を30個とりあげて、一問一答の設問形式で紹介した本。単行本(朝日出版社)出版は、2013年12月です。

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第1問 愛をとるか、金をとるか

 街頭でアンケートをとりました。過半数から「そう思う」と同意を得たのは次のどちらでしょうか。

 1.古くから「愛の力は金に勝る」と言われますが、そう思いますか
 2.古くから「金の力は愛に勝る」と言われますが、そう思いますか

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 帯に「あなたが正しいと思うことが間違っている理由30」とありますが、上に引用したような、一見してクイズか心理テストみたいな設問が30個並んでいます。

 実は、これらの設問一つ一つが代表的な「認知バイアス」の効果を説明するために用意されているのです。まず設問について考え、次に答えを見て認知バイアスの効果に驚き、さらに解説で次々と提示されるその実例や研究成果に感心する。

 「魚料理は頭を左に置いたほうが食欲をそそりますし、本やポスターは左側にイラストを描いたほうが自然に頭に入ります。スーパーの目玉商品は左側の棚に並べたほうが売れます」(疑似的空間無視、単行本p.14)

 「ボクシングやレスリングでは、赤コーナーのほうが勝率が高いことが知られています。サッカーのペナルティキックでは、キーパーが赤色のユニフォームを着用しているとゴールの成功率が下がります」(色彩心理効果、p.39)

 「バスケットボールを観戦していると、試合には「流れ」があって、シュートが決まりやすい「ノっている時間帯」と、そうでない「我慢の時間帯」があるような気がします。しかし、実際の試合データを統計的に解析した結果、シュートの成功と失敗の順列は、ランダムと区別がつかないことがわかっています」(クラスター効果、単行本p.86)

 「美人が窃盗罪を犯したときには刑が軽くなる傾向があるのに対し、同じ美人が詐欺罪を犯したときには刑が重くなります」(ハロー効果、単行本p.42)

 「車の運転手の69パーセントが自分を「平均よりも運転がうまい」と評価しています。高校生の70パーセントが「自分の指導力は同級生たちに比べて平均以上だ」と答えます。大学教授の94パーセントが「自分は同僚の教授たちよりも優れている」と考えています」(平均以上効果、単行本p.78)

 人間は世界をありのまま客観的に見たり公平に評価したりしているのではなく、そこにはかなり大きな歪み、偏り、勝手なフィルターや意味づけなどが加わっている。認知心理学が明らかにしてきたこれら脳のクセ、それが認知バイアスです。

 前述の例を見ただけでも、ビジネス、スポーツ、犯罪、教育、あらゆる分野でこの認知バイアスが人間の印象や世界観に大きな影響を与えていることがよく分かるでしょう。さらに、認知バイアスは記憶や判断や信念にも甚大な影響を与えます。

 「平均すれば中庸だった意見が、グループで討論すると賛成か反対のどちらかに偏るという、いわゆる「集団両極限化現象」も同調圧力から生じます。(中略)「みんな」とは具体的に何人でしょうか。調べてみるとわかります。答えは三人以上です」(バンドワゴン効果、p.26)

 「脳は数少ない経験でも法則化しがちです。偶然の出来事が二、三回重なったら、「次もきっと・・・」と一般化したい感情を抑えるのは難しいものです。(中略)慣例はなかなか消えにくいものです。これを消去抵抗と言います。この傾向が確証バイアスによって促進されると、さらに強い信念へと発展します」(少数の法則、単行本p.50)

 個人的に興味深いと思ったのは、「選択盲」の実験です。被験者に異性の写真を二枚示して「好みのタイプ」の方の写真を選んでもらい、それを被験者に渡します。このとき、写真のすり替えが行われ、被験者には「好みのタイプではない」方の写真が渡されるのです。そして・・・。

 「なんと8割以上の人が写真の入れ替わりに気づきません。自分で選んだのに気づかないのですから、「変化盲」ではなく、「選択盲」と呼ばれます」(単行本p.70)

 「選択盲の実験には奥深いものがあります。「なぜその人がタイプなのですか?」と理由を訊ねると、しばしば、手元にある(つまり好みではなかったほうの)写真を眺めながら、(中略)そこに写った人(つまり好みではなかったほう)の特徴を挙げながら、好きな理由として答えます」(単行本p.70)

 「脳は理由を問われると「作話」します。しかも、でっちあげたその理由を、本人は心底から「本当の理由」だと勘違いしています」(単行本p.71)

 何だか不安になってきます。世界観やアイデンティティの一貫性を保つためなら、脳は自分自身を平気で騙してしまうというのです。

 さらに、「アドバイス効果」の項目を読むと、不安は増大します。この実験では、ある評価テストについて、まず被験者に「自分がつけるであろう評価」を予測してもらい、次に他人がつけた評価点をわざと教えて、それから実際に自分の判断で評価点をつけてもらいます。すると・・・。

 「自分が実際につけた点数と他人がつけた点数の差は平均11点でしたが、自分の予想との差は平均22点もありました」(単行本p.82)

 「事前に「自分の予測と他人の判断は、どちらが自分の点数と近くなると思いますか」と訊ねると、89パーセントもの人が「自分の予測」と答えるのです。つまり、「自分は他人の意見には流されない」と自信をもっているわけです」(単行本p.82)

 「これで驚いてはいけません。実験後に「自分の予想と他人の評価は結局どちらが当たっていましたか」と訊ねても、なんと、75パーセントが「自分の予想のほうが正確だった」と答えるのです。つまり、他人の評価に引きずられていることに気づいていないのです」(単行本p.82)

 「人は、他人が下した評価を無意識のうちに吸収して、あたかも「自分の意見」であるかのように振舞います。私たちの知性は傀儡です」(単行本p.83)

 こうなると、「世論」とか、「自分の意見」とか、「信念」とか、「主義主張」とか、何も信じられなくなります。それに、幽霊を見たとか、自分には超能力があるとか、本人がどんなに自分の体験に自信や信念を持っていようとも、軽々しく信じるわけにはいかないこともよく分かります。

 明るい気持ちになる効果もあります。例えば、若者のグループと高齢者のグループに対して、まったく同じテストを行う実験。ただし高齢者は「自分の記憶力は衰えている」と信じているために・・・。

 「「暗記テストです」と説明すると、それだけで点数が半分近くに落ち込んでしまいます。若者ではこの効果は現れません。(中略)心理テストと説明した場合は、若者も年輩者も高得点を示します。つまり「記憶力は歳をとっても衰えない」ということです。衰えたように感じるのは、自分に向けて「衰えた」と暗示しているからに他なりません」(プライミング効果、単行本p.94)

 私も、歳をとってめっきり記憶力が衰えたと実感していたのですが、実際にはそれはただの自己暗示だと知って、すごく気が楽になりました。

 こんな効果が本書だけで30個載っているわけですが、認知心理学では全部でどのくらいの認知バイアスが知られているのでしょうか。何と、代表的なものだけでも200項目以上というのです。

 「認知バイアスにはたくさんの項目があります。本書では古典例から最新例まで慎重に30個選定しました。残念ながら取り上げられなかったものについては、代表手な183項目を巻末にリストしています。すべて科学的に実証されたものです」(単行本p.125)

 「胸に手を当てながら、素直にこのリストを眺めると、図星を指される項目も多く、自戒に胸が疼きます。でも、落ち込む必要も、恥ずかしがる必要もありません。それが脳の仕様なのですから」(単行本p.125)

 というわけで、人間の脳というものが、正確な認知や、合理的な判断を下す能力ではなく、ひたすら「生き延びる上で有利な特性」を進化させてきた器官だということがよく分かる一冊です。一読すれば、人間観、社会観が変わるに違いありません。

 実はいくつかの項目については他の認知心理学まわりの書籍で読んで知ってはいたのですが、本書で初めて知った項目も多く、新鮮でした。

 なお、冒頭に挙げた設問1の正解ですが、「1も2も過半数を得る」のだそうです。(利用可能性ヒューリスティック、単行本p.6)


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『デジタル・メタファー ことばはコンピューターとどのように向きあってきたか』(荒川洋平) [読書(教養)]

 「わたしたちの生活は、延々と揺れ続ける技術革新のブランコに乗せられているようなものですから、新奇な物品や機械を前にして、とりあえず分かった気にさせてくれるための言語的な道具がどうしても必要です。メタファーというその道具によってのみ、わたしたちは目に見えにくく、理解も難しいこの領域から、言葉によって自分自身を守ることができるのでしょう」(単行本p.182)

 質量がないのに「重い」データ、髪の毛のように細いのに「太い」回線、ただの箱なのに「タワー」型PC。そこには、メタファーによって新しいテクノロジーを何とか理解しようとする私たちの認知言語的なロジックがある。コンピューター用語に含まれるメタファーについて分析した一冊。単行本(東京外国語大学出版会)出版は、2013年11月です。

 「日本語は、新奇なカタカナ語を次々に入れる一方、さまざまな喩えを行なうことで、いわば言語的に戦うこともしてきたのです。それはわたしたちが手持ちの言葉をやりくりして、自分たちのよりよい理解のために、コンピューターという機械とそれが作り出した世界に対して、挑み続けた過程です」(単行本p.18)

 既にある言葉や概念をメタファーとして用いることで、よく分からない新しいものを何とか理解しようとする必死の取り組み。本書は、特にコンピューターの世界で使われているメタファーおよびメトニミー を50種近く取り上げ、その背後にあるロジックを認知言語学から探ってゆきます。解説されているメタファーは次のようなもの。

 「賢い」パソコン、「タワー型」PC、CPUの「回転速度」、ファイルを「ごみ箱」に捨てる、データが「重い」、回線が「太い」、網が「輻輳」する、ウイルスを「駆除」する・・・・・・。

 そもそも「コンピューター」(計算者)という言葉からしてメタファー。この言葉も、決して自然に普及したのではなく、そこには激しい戦いがあったのだといいます。

 「一つの物品や概念が複数の名前で呼ばれるとき、それらは人々の認識という領土を取り合います。単語戦争とでも呼ぶべきこの争いでは、双方が共存共栄という結果はありません。必ず一方が優勢に、もう一方は劣勢になります。(中略)computerの呼び名に関するこの争いでは、新参の「コンピューター」が、旧来の「電子計算機」に勝ちました」(単行本p.53)

 では、あるメタファーが言葉として普及するのか消えてゆくのかは、偶然によるのでしょうか。実は、その背後には認知言語学的なロジックが働いているといいます。例えば、「タワー型」パソコン。

 「パソコンの本体を高層ビルディングに例えるメタファーは形が似ているだけでなく、仕事に役立てるという機能、ユーザーがそこへ向かうという特性と、3点すべてに成立基盤を持っています。つまりこのメタファーは、単なる形の喩えでしかないピザボックス型などよりも、はるかに説得力があり、人々の理解に役立ちます」(単行本p.77)

 「開閉によって開始と終了を示すウインドウは、ユーザーが認識している他のメタファーともさほど矛盾せずになじんでいます。専門的に言えば、ユーザーのメンテル・モデル構築の上で、ウインドウのメタファーと高層ビルディングなど他のメタファーは、整合性が取れていることになります」(単行本p.107)

 偶然で決まったように思えるメタファーにも、実は成立基盤や、メンタル・モデル上の整合性といった、生存競争に打ち勝つだけの理由があるというわけです。職場がある高層ビルには窓がついている、だから「タワー型」パソコンの画面には「ウインドウ」が開くのが自然に感じられる。どこか夢の論理と根っこが同じようにも感じられます。

 同様にして、ノート型パソコンの宣伝でスポーツカーのイメージが多用される理由、ビジネス用パソコンの宣伝で軍事用語(装備、搭載、格納など)が多用される理由、などが理路整然と説明されます。認知言語学って、何だか、かっこいいかも。

 他にも、例えば「切り取り」を示すアイコンがハサミの形をしているのは、「道具でプロセスを示すというメトニミーに加えて、機能上の類似に基づくメタファーも採用されている」(単行本p.115)という分析、ウイルスというメタファーが普及したのは「コンピューターの登場以前から、機械の不具合はエンジニアの間でbugと呼ばれていた(中略)虫に対して歴史的に醸造されてきた人々の意識に、それが呼応した」(単行本p.155)という説明。

 そんなこと考えたこともなかったなあ。

 クライマックスは「太い」回線というメタファーの分析。著者はこう評するのです。

 「現実に細いものを「太い」と形容することは、コンピューター用語の描写に困ったわたしたちが、現実との折り合いをつけるために踏み込んだ言語的な冒険であり、デジタル・メタファーの白眉とも言うべきものです」(単行本p.149)

 といっても認知言語学の応用研究、といった固い印象はなく、メタファーの背後に見え隠れするものを明らかにしてゆく興味深いエピソードの数々を、気楽に読んで楽しむことが出来ます。

 例えば、ウイルスに対するメタファーの背景分析。

 「コンピューター・ウイルスの感染においては、わたしたちは医者も病院もない世界に住んでいることになります。あるのは製薬会社に相当するソフトウェアを開発する会社と、予防薬・治療薬に相当するウイルス対策ソフトだけです。いわばアメリカの医療事情にも似た、自己責任の原則だけが貫かれる世界に、わたしたちユーザーは置かれていることになります」(単行本p.159)

 「情報工学がもたらした現象とはいえ、ウイルスに対するメディカル・メタファーが作られたのがアメリカであることを考えると、この状況はアメリカ的な医療観、ひいては世界観の反映なのかも知れません」(単行本p.159)

 あるいは、インテル社が日本語でもUltrabookと表記する理由の推測。

 「多くの日本人にとって、この音重視の外来語「ウルトラブック」は、ウルトラマンのことを何か描いた本なのだろうか、という誤解の可能性を含んでいます。(中略)インテルでは自社の日本語ウェブサイトにおいて(中略)カタカナの「ウルトラブック」を、頑ななまでに用いません。(中略)英単語はすべてそのままにする、という表記基準を同社が持っているわけではないようです。Ultrabookという1語のみ、カタカナ表記を拒んでいることになります」(単行本p.171、172)

 「これが円谷プロのウルトラシリーズとの差別化を図るためかどうかはわかりません。ただし、同社ではUltrabookのキャラクターに虎を使っていますので、ultraの一部であるtraが日本語で「虎」に近くなることは認識していると思われます。(このキャラクターがコンピューターを「売る虎」なのかどうかまでは分かりかねます)」(単行本p.172)

 こうなると雑談に近いわけですが、こういう、もはやそれ認知言語学とちゃうやん、という怪しい話がまた面白いのです。

 というわけで、コンピューター用語に関する雑学本として気楽に楽しむもよいですし、巻末にブックガイドや参考文献一覧も付いていますので、認知言語学の入門書として活用することも出来る本です。軽く(メタファー)感じられる一冊ですが、本書にどれだけの労力が注ぎ込まれているか知って驚きました。

 「この研究を30代のライフワークと位置付けましたが完成することはなく、40代のライフワークとしてもできあがらず、(中略)ライフワークである以上、世に出さねば意味がないと思い、2010年秋から半年の特別研修をいただいて研究の詰めに入り、最後の原稿を書き終えたのは2013年の6月でした。こうして、完成には18年を要しました」(単行本p.199)


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