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『宇宙が始まる前には何があったのか?』(ローレンス・クラウス、翻訳:青木薫) [読書(サイエンス)]

 「『種の起源』を、生物学が超自然主義に与えた致命的な一撃だったとすれば、本書『宇宙が始まる前には何があったのか?』は、宇宙論の分野でそれに相当する仕事とみなされるだろう。本書には、宇宙は無から生じるということが示されている。そしてそれは、超自然主義への痛烈な一撃なのである」
  (リチャード・ドーキンスによる「あとがき」より。単行本p.268)

 現代科学が明らかにした宇宙の始まり、それは「無からの創成」だった。最先端の宇宙論を平易に紹介した一般向けサイエンス本。単行本(文藝春秋)出版は、2013年11月です。

 宇宙は「無」から生じた。現代宇宙論が到達したこの驚くべき結論について、第一線で活躍する宇宙物理学者が詳しく解説してくれます。

 本書の前半、第一章から第六章までは、ビッグバン、インフレーション、宇宙の加速膨張、ダークマター、ダークエネルギー、宇宙定数、宇宙の曲率、といったおなじみの話題がざっと解説されます。

 ここまでは他の宇宙論の解説書と同じような内容ですが、本書が俄然面白くなるのは「第七章 二兆年後には銀河系以外は見えなくなる」からです。現在科学が明らかにした宇宙の終わり、というか「天文学の終わり」についての解説です。

 「わたしが宇宙論をやることになったのは、宇宙がどんな終末を迎えるのかを知る、最初の人間になりたかったからなのだ。 当時はそれが良い考えに思われたのである」(単行本p.64)

 「星や銀河など、目に見える構造のすべてが、量子ゆらぎのために無(真空)から生じ、宇宙の中の個々の天体のニュートン的な全エネルギーは(重力場の運動エネルギーとポテンシャル・エネルギー)、平均すれば無(ゼロ)だというのだから。こういったことを考えるのが好きな人は、考えられるうちに考えておくとよい。なぜなら、もしもそれが事実なら、少なくとも生命の未来に関する限り、おそらくわれわれは最悪の宇宙に住んでいるからだ」(単行本p.162)

 「これから二兆年ほどで、局部銀河団に含まれる銀河を別にすれば、すべての天体が、文字通り姿を消すことになるのである。(中略)天文学者たちが宇宙に望遠鏡を向けたとしても、見えるものはほとんど何もないだろう。(中略)この宇宙はビッグバンで始まった膨張する宇宙であることを教えてくれる証拠の大半も、何もかもが消えていく原因である暗黒エネルギー----空っぽの空間に含まれるエネルギー----の存在に気づくための手がかりも、すべて失われているだろう」(単行本p.164、165)

 空間の膨張により銀河同士はどんどん離れてゆき、やがて互いの相対速度が光速に達して観測不能に陥る。観測可能な事象地平面の内部に、天文学者が観測できるものは(自銀河しか)存在しなくなる。宇宙論を検証する機会も永遠に失われてしまう、というのです。

 この話題については、つい先日、SFマガジンに掲載された『パリンプセスト〈後篇〉』(チャールズ・ストロス)にもネタとして登場しました。こんな感じです。

 「宇宙自体の温度は、もう絶対零度より千分の一度高いだけだ。背景の波紋はもう検出不能だし、彼方のクエーサーは赤方偏移して見えなくなっている。ぎりぎりで観測できていた銀河星団は宇宙の事象地平面の向こうへ去ってしまっている。(中略)空虚の果ては見えない。いまでは、あらゆる方向が虚空(ボイド)だ。<ステイシス>と彼らのクライアントは天文学の実践をあきらめている」(SFマガジン2013年12月号p.245、246)

  2013年10月29日の日記:
  『SFマガジン2013年12月号 ジャック・ヴァンス追悼特集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-29

 宇宙は終わらないが、天文学には原理的な終末がある。ちょっぴり感傷的な気持ちになった読者の前に、ここで別の視点が提示されます。

 「なんとも不思議な巡り合わせにより、われわれが生きているこの時代は、空っぽの空間に満ちている暗黒エネルギーを検出することのできる、宇宙の歴史の中で唯一の時代なのである。時代といっても、数千億年という長い期間ではあるが、永遠に膨張を続ける宇宙の観点からすれば、それぐらいはほんの一瞬にすぎない」(単行本p.166)

 「真空エネルギーは、それ自身が本来的に持つ性質のために、ある限られた時期にしか観測できないのである。驚くべきは、宇宙にとって特別な意味をもつまさにその時期に、われわれが生きているということだ」(単行本p.167)

 それは偶然なのか、それとも必然なのでしょうか。

 この問題は「第八章 その偶然は人間が存在するから?」でさらに深く検討されることになります。すなわち人間原理とマルチバースの話題です。

 「測定されている宇宙定数の値が、われわれ人間が現に存在しているという事実と矛盾しないようになっているなら、偶然の一致と見えたものに説明がつくということだ。(中略)とはいえ、この論法が数学的に意味を持つのは、宇宙がたくさん生じる可能性がある場合だけだ」(単行本p.184、185)

 「いくつかの領域----じっさいには、ほとんどすべての領域----は、永遠にインフレーションを続ける。そしてインフレーションを終えた領域は、互いに切り離された多数の宇宙になるのである。注目すべきは、もしもインフレーションが永遠に続くなら、必然的にたくさんの宇宙が生じるということだ。この永遠インフレーション・シナリオは、すべてとは言わないまでもほとんどすべてのインフレーション・シナリオの中で、もっとも信頼性が高いモデルなのである」(単行本p.189)

 「インフレーションを起こしている領域が、いずれはエネルギーの低い宇宙の量子状態に落ち着くとして、そんな状態が自然界に多数存在していても不思議はないということだ。むしろ、それらの場の量子状態は、互いに切り離された領域(つまり宇宙)ごとに異なるだろう。つまり、宇宙ごとに物理学の基本法則が違って見えてもかまわないということだ」(単行本p.190)

 「マルチバースの観点からすれば、科学者がこれまで明らかにしてきたような法則を持つ宇宙----つまり、われわれのこの宇宙----も、当然生じるはずだということになる。宇宙の法則を、今日見られるようなものにするためには、いかなるメカニズムも、いかなる存在者も不要になるのだ。自然法則は、ほとんどどんなものでもよかったのだろう」(単行本p.251)

 こうして、インフレーション宇宙論から導き出されたマルチバース(多宇宙)という考えは、「様々に異なる物理法則を持つ宇宙が無数に存在する」というビジョンに到達し、それと人間原理が結びつくことで、この宇宙の物理定数値を含む物理法則がすべて説明できてしまう、というか、説明不要であることが明らかになります。

 しかし、インフレーション理論の他に、マルチバースの実在を支持する議論はあるのでしょうか。

 「現在の素粒子論研究を牽引する重要な説はすべて、マルチバースを必要としているように見えるのである。(中略)小さいスケールで正しいことがわかっている物理法則を拡張して、より完全な理論を作るというアプローチで進められている研究について言えば、論理的に導かれた理論はどれもみな、大きなスケールで見れば、宇宙はわれわれの宇宙だけではないらしいことを示唆しているのである」(単行本p.186)

 「理論的に可能な四次元宇宙が多すぎることは、かつてひも理論家にとって困った事態だった。ところが今や、それはひも理論の長所となっている。というのは、ひとつの十次元「マルチバース(多宇宙)」の中に、さまざまな四次元宇宙を埋め込むことができて(四次元だけでなく、五次元、六次元、さらにもっと高い次元の宇宙さえ埋め込むことができる)、どの宇宙も異なる物理法則を持ち、真空のエネルギーも異なる値であるようなものを考えることができるからだ」(単行本p.196)

 こういうわけで、マルチバースと人間原理の組み合わせは、今や主流派といってよいでしょう。これはつまり、物理法則を(物理定数値も含めて)すべて説明する、という万物理論の夢にトドメが刺されたことになります。著者は、これが「不愉快」だという立場をとっています。

 「マルチバースの宇宙像から導き出されることの中で、もっとも不愉快な、しかしもしかすると真実かもしれないことのひとつは、何らかの基本的なレベルで、物理学は環境科学にすぎないのかもしれないということだ(中略)既知の物理法則は、われわれの存在と結びついた単なる偶然の結果だというなら、これまでの科学の目標は的外れだったことになる。だが、もしも宇宙がこのような宇宙なのは単なる偶然だという考えの正しさが示されたなら、わたしはこの根拠のない嫌悪感を克服するつもりである」(単行本p.250)

 この問題については、翻訳者である青木薫さんが、訳者解説のなかで「わたし自身についていえば、環境科学でもいいではないかという立場から、最近、本を一冊書いたばかり」(単行本p.284)とおっしゃっています。その本というのはおそらく『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』のことでしょう。これはマルチバースと人間原理について非常に分かりやすく解説している一冊で、お勧めです。

  2013年07月25日の日記:
  『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(青木薫)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-07-25

 これだけの準備を積み重ねた上で、いよいよ「第九章 量子のゆらぎ」から先、「無」からの宇宙創成について語られます。

 「宇宙は平坦であり、局所的なニュートンの全エネルギーは今日ほぼゼロであるという観測結果は、われわれの宇宙はインフレーションのようなプロセスと同様、「何もない」空っぽの空間のエネルギーが、「何か」に転換されることによって生じ、その時期に、観測可能なあらゆるスケールでどんどん平坦になったということを強く示唆しているのである」(単行本p.217)

 「量子重力は、宇宙は無から生じてもよいということを教えてくれるだけでなく(この場合の「無」は、空間も時間もないという意味であることを強調しておこう)、むしろ宇宙が生じずにはすまないということを示しているように見えるのである。「何もない」(時間も空間もない)状態は、不安定なのだ」(単行本p.241)

 「無」の状態が量子論的に不安定であり、否応もなくインフレーションが起きてしまう。インフレーションにより様々な物理法則を持つ無数の宇宙が創成される。それらのマルチバースのなかには観測者(例えば人間)を含むという(厳しい)条件を満たすものも含まれ、それが「観測可能な宇宙」である。だから観測可能な宇宙は、必ず観測者の存在を許容するような物理法則(物理定数値)を持っている。

 そして、われわれの宇宙は、厳密な平坦性(曲率ゼロ)を持っていること、ニュートン的なエネルギー総和がゼロになっていること、など観測によって明らかになった証拠から判断する限り、上で示された「観測可能な宇宙」であることが強く示唆され、よって「無」から創成されたマルチバースの一つだと考えるのが妥当である。

 これらは、とてつもなく驚異的な、しかし観測と理論に裏付けられた、強力なビジョンです。それは宇宙論や天文学にとってだけでなく、神学にとっても大きなインパクトがあるといいます。なぜなら、これら一連のプロセスは、外部からの超自然的な存在(つまり神)の介在を必要としないからです。

 「得られる限りの手がかりから判断して、われわれの宇宙は、より深い無(空間そのものが存在しないようなもの)から生じた可能性があること、むしろその可能性が高そうであることや、宇宙はいずれふたたび無に帰ること----それも、われわれに理解できる、外的なものの支配や指図のいらないプロセスによって無に帰ること----もわかってきた。その意味において、物理学者スティーヴン・ワインバーグが力説したように、科学は、神を信じることを不可能にするのではなく、神を信じないことを可能にするのである」(単行本p.258)

 翻訳者である青木薫さんも、訳者解説のなかで次のように書いておられます。

 「科学は神を信じないことを可能にするのである、と。このクラウスの言葉は、わたしの胸にストンと落ちるものがある」(単行本p.282)

 というわけで、最新の宇宙論の発見をひとつひとつ積み重ねてゆくことで、「宇宙の創成」や「万物の存在」を説明するために神の介在を前提とする必要はない、ということを、反証可能な形で明らかにしてのけた現代科学の成果を、分かりやすく紹介してくれる本です。最新の宇宙論に興味がある方はもちろんのこと、世界の存在理由という哲学/神学の問題を考える際にも必読となるであろう一冊です。

 「今日の科学は、「なぜ何もないのではなく何かがあるのか」という問題に、さまざまな角度から取り組めるようになっているし、現に取り組みが進んでいるということを知ってほしいのである。そうして得られた答えはどれも(中略)何もないところから何かが生じてもかまわないということをほのめかしている。かまわないどころか、宇宙が誕生するためには、何もないところから何かが生まれる必要がありそうなのだ。さらには、得られている限りの証拠から考えて、この宇宙はまさしく、そうやって生じたらしいのである」(単行本p.22)