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『ぶたぶたのお医者さん』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

 「病院の名前は----『山崎動物病院』。ごく普通だ。今どきだとそっけないくらい。しかし、院長の名前は目を引く。『山崎ぶたぶた』 とは、なんと獣医らしい名前だろう」(文庫版p.20)

 極端に怖がりで病院に連れてゆけない子猫のために、「人間を怖がる子でも、当院の院長ならほぼ大丈夫です」という動物病院の宣伝を信じて往診を頼んだところ、やってきた院長先生は、確かにほぼ大丈夫な感じだった。「ぶたぶた」シリーズ最新作、今回の山崎ぶたぶたは獣医さん。文庫版(光文社)出版は、2014年01月です。

 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。山崎さんの職業は作品ごとに異なりますが、今回は獣医。全三話を収録した短篇集となっています。

『びびり猫モカ』

 「それくらい、モカの怯えに傷ついていると言える。何しろかわいいから、好かれたいのだ! 甘やかし倒したいのに、このままではそれもできない」(文庫版p.45)

 病院に連れてゆこうとすると「助けて~、殺される~、この人、猫殺し~!」(文庫版p.10)と大騒ぎの上に流血沙汰になってしまう臆病猫、モカ。飼い主も「かわいそうだったり痛かったり、無理に連れていったあとに取り返しのつかないくらい関係が悪化したらと思ったりで」(文庫版p.15)という猫飼い「あるある」な心理で、強引に捕まえることも出来ず。

 仕方なく往診を頼んだところ、やってきた院長先生は、何とピンク色のぶたのぬいぐるみ。そりゃ、まあ、確かに子猫は油断するわな。

 というわけで、読者に獣医ぶたぶたを紹介するプロローグ的な位置づけの作品。スチームクリーナーで豪快に全身消毒とか、細かい設定がツボ。

 ぶたぶたが犬に立ち乗り(!)するシーンで、登場人物が思わず「ただで見せてもらっていいの、これ!?」(文庫版p.51)と思ってしまうとか、猫を説得してほしいと依頼されて「えーと……わたしはただのぬいぐるみですから、動物とはしゃべれないんですが」(文庫版p.65)と真面目に答えるぶたぶたとか、いちいち笑ってしまいます。

 ツイッターで著者のつぶやきを読んでいると、以前は「身体の調子が悪くて仕事が進まない」などと嘆いていたのが、「うちの猫が心配で仕事が進まない」へと変わり、やがて「うちの猫が邪魔をするので仕事が進まない」になり、そのうち「うちの猫が可愛いので仕事が進まない」へ、ついには「うちの猫が可愛い」「うちの猫が可愛い」ばかりになるという、誰もが通る道を着実に転がってゆく様子がありありと分かり、いずれ書かれるだろうなと大方の読者が予想していた、そんな物語です。

『春の犬』

 「病気、遺伝のせいだっていうじゃない。そんな犬、不良品を売ったペットショップに返してきてよ!」(文庫版p.120)

 仕事に忙しく、ほとんど家庭を顧みない母親を持つ少年が主人公。母親が長期出張中に実家の飼い犬「チョコ」の様子がおかしいことに気づいた彼は、仕方なく獣医の往診を依頼する。その結果わかったのは、チョコが深刻なネグレクト、虐待を受けていたことだった。

 「チョコは基本ほったらかしにされていたのだ。エサを充分に食べ、広い庭で自由に遊べたが、相手にしてくれる人間も犬の友だちもいない」(文庫版p.116)

  衝撃を受けた少年は、自分の境遇と重ね合わせて、母の手からチョコを守り抜く決意を固める。

 「犬も子供も同じに扱いやがって、ちくしょう」(文庫版p.118)

 犬など飼ったことがないため、何をどうすればいいのかも分からない少年。でも、彼には心強い味方がいた。親身になってくれる友達、そして獣医の山崎ぶたぶた。

 犬好きが読んだら頭に血がのぼりかねない悲惨な設定ですが、そこは山崎ぶたぶた氏の頼もしくもほんわかした雰囲気のおかげで、陰惨な印象はずいぶん和らげられています。憎まれ役の母親についても、最後はそれなりにフォローしてあげる優しさ。

 母親にチョコが襲いかかったときに、ぶたぶたが身をていして守るシーンが印象的です。がぶっ、と噛まれた、ぶたぶた。

 「痛くはないです。犬が人を噛むと、あとで面倒なことになるかもしれませんから」(文庫版p.147)

 そう、ぶたぶたなら、噛まれても保健所や警察に届ける必要はありませんし、犬が処分される恐れもない。ぬいぐるみが獣医をやるメリットの一つはそれですね。ところで噛まれた傷(破れ)は自然に治るのかしらん。

『トラの家』

 「トラを愛した人はたくさんいましたけど、トラが気に入って、一つの家に居着いたのは、根岸さんのところだけです」(文庫版p.217)

 若い頃は一所に留まることなく、あちこち回っては子猫を保護したりしていた男気あふれるトラ。そんなトラも、もう年寄り。ある老夫婦の家に落ち着いたらしい。妻が病気で入院中なので、夫が一人でトラの世話をすることに。

 「トラの面倒見の良さもまた有名で、昔から猫飼ってるおうちに子猫を連れてきたり、犬の散歩している人に捨て猫を拾わせたりしてたんですよ」(文庫版p.192)

 ところが、そのトラが家出を繰り返すようになる。どうしてなのか。もしかして、死期が迫って、姿を隠そうとしているのか。飼い主は、トラの縁で知り合った獣医の山崎さんからトラの過去について教えてもらうのだが……。

 ともに老境にある飼い主とトラ、その微妙な距離感と曖昧な交流がリアルで素晴らしい。猫のしぶーい魅力が存分に表現されており、猫好きならじんと来るはず。ほぼ中年と老人しか出てこない話ですが、若者の青春話にも、老人話にも、どちらにも無理なく登場できるというのが山崎ぶたぶた氏とそして猫の便利なところですね。


タグ:矢崎存美
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