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『東直子集』(東直子) [読書(小説・詩)]

  「ぶたのまんじゅう朝日に開きわたくしはあの子の秘密たにしに話す」

 東直子さんの第一歌集『春原さんのリコーダー』に、第二歌集『青卵』からの抜粋、さらにエッセイなどを収録した作品集。単行本(邑書林)出版は、2003年10月です。

 昨日の『愛を想う』が気に入ったので、第一歌集を中心とした東直子さんの作品集を読んでみました。

 まず何と言っても印象的なのは、「ふぁ」とか「おっ」とか「へっ」とか、そういう言葉の使い方が絶妙にうまい作品。それと、繰り返しが見事にキマっているやつ。見事です。

  「丸めがねちょっとずらしてへっ、と言い革の鞄を軽そうに持つ」

  「お別れの儀式は長いふぁふぁふぁふぁとうすみずいろのせんぷうきのはね」

  「ママンあれはぼくの鳥だねママンママンぼくの落とした砂じゃないよね」

  「いいのいいのあなたはここにいていいの ひよこ生まれるひだまりだもの」

  「電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ」

  「とうに答はミシンカタカタほのあかく見えているけどミシンカタカタ」


 なぜか、題材として食べ物を使った作品が不思議と心に染みるのです。食べ物の使い方がうまい詩歌は、もう、それだけで好きになってしまいます。

  「ぶたのまんじゅう朝日に開きわたくしはあの子の秘密たにしに話す」

  「「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの」

  「七人の用心棒にひとつずつ栗きんとんをさしあげました」

  「辻に建つ快楽荘は木造のアパートである 台湾ビール」


 え? 「ぶたのまんじゅう」は食べ物じゃないんですか。

 ごくありふれた事物や日常の風景に、思わず、はっ、とするような驚きや不思議さを見つける作品もいくつかあって、個人的にお気に入り率が高いのです。

  「おとがいを窪みに乗せて目を開く さて丁寧に問いつめられる」

  「雪が降ると誰かささやく昼下がりコリーの鼻の長さひとしお」

  「靴下はさびしいかたち片方がなくなりそうなさびしいかたち」

  「蛇の骨に小鳥の骨がつつまれたまま少しずつ愛されている」

  「うれしいよ、という顔をした子鼠のたった二年で老いてしまいぬ」


 思い出を扱った作品からは、若々しさ、切なさが、ひしひしと感じられて、こう、青春というか、青春というか。

  「いたのって言われてしまう悲しさをでんぐりがえししながら思う」

  「こんな日は連結部分に足を乗せくらくらするまで楽しんでみる」

  「一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段」

  「雨が降りさうでねとても降りさうであたしぼんやりしやがんでゐたの」

  「「…び、びわが食べたい」六月は二十二日のまちがい電話」

  「さようなら窓さようならポチ買い物にゆけてたのしかったことなど」


 心の動き、感情のほとばしり、気持ちの表出、そういったものをとらえた作品も、じんわりと効いてきます。

  「おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする」

  「言いわけはもっと上手にするものよ(せいたかあわだち草を焼きつつ)」

  「泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて」

  「怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい」


 これは個人的な好みの問題かも知れませんが、どことなくとらえがたい、ぼんやりとした不安を醸し出す作品にも、どういうわけか強く惹かれるのです。

  「公園に水銀灯がともるころ水泳パンツをこっそりはくの」

  「死にかけの鰺と目があう鰺はいまおぼえただろうわたしの顔を」

  「金色の武蔵坊弁慶をああ待っていた私待ってた」

  「窓を打つ蜂をみていた背後より存じていますという声がする」


 というわけで、言葉の繰り返しがとてつもない効果を発揮している作品、怪談短歌と呼べそうな不思議な作品、など好みの短歌が多く収録されており、どきどきしながら読みました。エッセイも何篇か収録されていますが、個人的には、やはり短歌の方が好き。


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