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『素晴らしき数学世界』(アレックス・ベロス) [読書(サイエンス)]

 日本の折り紙研究家、インドのヴェーダ数学の導師、英国の黄金比探求家、米国のスロットマシン調整者。世界中の様々な「数学に関わり合いのある人物」への取材を通じて、数学の驚異と魅力をめぐる旅へと読者をいざなうサイエンス本。単行本(早川書房)出版は、2012年06月です。

 「美術史家、特に神秘主義寄りの者は、「デューラーの立体」として知られている中央左の幾何学物体が何を象徴しているのかと考えてやまない。数学者は、あれはいったいどうやれば作図できるのかと考えてやまない」(単行本p304)

 数学の魅力を語る一冊ですが、数学そのものの話題というより、むしろ「数学に関わる人々や文化」の話題が多いのが特徴です。そういう意味では、理系本というより文系本。世界中をまわって多くの人に取材し、その発言を生々しく伝えてくれるところが素晴らしい。

 さらに、記述がまっすぐに展開せず、すぐ脇道に逸れてゆくというのが印象的。本書を読んでいて感じる楽しさの多くは、この脇道やら余談やらから生じていると思われます。

 まず最初の4つの章は「数」や「計算」に注目します。未開人や類人猿はどのように「数」を把握しているかという話題から始まり、数の表記法の歴史、計算方法、暗算、珠算、といった話題へと進んでゆきます。

 ピタゴラスの定理の証明法コレクション、折り紙の背後にある深遠な数学、暗算名人の離れ業、ゼロの発明がどれほどの偉業なのか、神秘につつまれたヴェーダ数学。数学と文化の関わり合いが主なテーマとなります。

 「英語を話す人々は、50パーセントの確率で七個の数字を正しく覚えることができる。これに対して、中国語を話す人々は同じ確率で九個の数字を憶えることができる。(中略)人間が一度に記憶できる数字の数は、二秒間に読み上げられる数字の数で決まるらしい。中国語の一から九までの数はすべて一音節しかない。発音に要する時間はいずれも四分の一秒以下なので、二秒あれば早口で九個言える。他方、一個につき三分の一秒弱を要する英語の場合、二秒で言える数は七個がせいぜいとなる」(単行本p.99)

 第4章と第5章の話題は、それぞれパイ(円周率)と方程式。円周率の桁数計算競争、円周率の暗記競争、方程式の解法、対数と計算尺の仕組み、といった話題が扱われます。

 「未知数にアルファベットの末尾の小文字を用いると決めたのはデカルトだったのだ。ところが印刷の途中で活字が足りなくなり始めた。印刷屋が x と y と z のどれかだけでかまわないかと問い合わせたところ、デカルトがかまわないと答えたので、印刷屋は x だけを使うことにした。(中略)だからこそ、超常現象の記録先は「Xファイル」だし、ヴィルヘルム・レントゲンが思いついた用語は「X線」だったのだ」(単行本p.255、256)

 第6章と第7章はちょっと一息という感じで、数学に関連する娯楽や収集といった話題が扱われます。数独、魔方陣、タングラム、15パズル、ルービックキューブ、世界最大の数列コレクション、調和級数、完全数、そして素数へと話が進んでゆきます。

 「1952年以降に見つかった知られている最大の素数を発見年に対して片対数グラフにプロットすると、ほとんどが直線上に乗る。(中略)初となる10億桁以上の素数が見つかる時期が予想できる。私は2025年までに見つかると請け合おう」(単行本p.376)

 第8章は黄金比やフィボナッチ数列を扱っています。

 「チョウの羽、クジャクの羽、動物の体表の模様、健康なヒトの心電図、モンドリアンの絵画作品、それに自動車」(単行本p.406)というくらい、自然界にあまねく見出される黄金比。黄金比の長方形を無限分割してゆくことで得られる対数らせん。

 「ハヤブサは獲物を攻撃するときに対数らせんを用いる」(単行本p.409)というのも驚きですが、『スティール・ボール・ラン』(荒木飛呂彦)をお読みの方なら、黄金方形と対数らせんが生み出す無限の威力は既によくご存じのことでしょう。本章を読めば、その数学的な意味が分かります。

 第9章は確率、第10章は統計、そして最後の第11章は非ユークリッド幾何学とカントールの無限が扱われます。

 「三角形の内角の和は180度であるという命題や、ピュタゴラスの定理は真であるという命題、あるいはあらゆる円において直径に対する円周の比はパイであるという命題で第五公準を代替しても、ユークリッドの定理は成り立った。驚かれるかもしれないが、これらの命題はいずれも数学的に交換可能なのだ」(単行本p.533)

 全体的に、「数学の基礎知識を学ぼう」という感じにはなっておらず、数学に関わる面白い話題を集めてみました、数学に関わる色々な人にインタビューして来ました、という印象が強い一冊です。

 数学の話題に興味があるけど、数式を丹念に追ってゆくのは苦手、という方にもお勧めできます。『数学の秘密の本棚』『数学の魔法の宝箱』(イアン・スチュアート)や『たまたま  日常に潜む「偶然」を科学する』(レナード・ムロディナウ)といった本を気に入った方なら、おそらく本書も気に入ることでしょう。


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『のせ猫  かご猫ファミリーと新入りみみちゃん』(SHIRONEKO) [読書(随筆)]

 『のせ猫  かご猫シロと3匹の仲間たち』の続編はやくも登場。頭上に、揃えた前足に、何でも乗っけたままじっとしているユーモラスな写真を中心に、かご猫ファミリーたちの何とも可笑しく愛らしい姿をとらえた猫写真集。かご猫シロ、茶トラ、ちび兄弟に加えて、新入り仔猫「みみ」がデビュー。単行本(宝島社)出版は、2012年08月です。

 猫写真サイト数ある中で、個人的なイチオシといえば、何といっても『かご猫ブログ』です。一時期あちこち猫写真サイトを巡回していたこともあったのですが、今でも毎日覗くのは、ここの他には『くるねこ大和』さんのブログだけとなりました。

  かご猫ブログ
  http://kagonekoshiro.blog86.fc2.com/

 というわけで、かご猫ブログで活躍している「かご猫ファミリー」の写真集です。『のせ猫  かご猫シロと3匹の仲間たち』の刊行後に新入り仔猫(誰の子?)みみちゃんが加わり、にぎやかなことになっています。

 揃えた前足の上に果物を載せてすまし顔のシロ、頭に巨大な花をかざってまんざらでもない様子のシロ、といった基本形を中心に、仰向け大の字で眠る茶トラ、いつもポーカーフェイスを崩さないちび兄弟など、お馴染みの面々の写真が掲載されています。加えて、仔猫みみちゃんの写真が、何といっても仔猫なので、とてもチャーミング。

 それと今回は「世界のシロ」と題して、中国では「猫叔」(猫おじさん)、米国では「ZEN CAT」(禅猫)と呼ばれているかご猫シロのグローバルな活躍ぶりが報告されています。特に中国における「猫叔」人気は高く、写真集が出版され、写真展も開催されたそう。私が見た範囲でも、中国の新聞記事に内容と無関係に「猫叔」写真が(たぶん手違いで)掲載されて騒ぎになるという珍事が起きたりしていました。

 というわけで、大自然のなか、のんびり暮らしている猫たちの姿に思わずなごんでしまう素敵な猫写真集です。前作と合わせてお読みください。それにしても、通販生活(カタログハウス)ウェブページからシロが消えてしまったのは悲しい。


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『嵐のピクニック』(本谷有希子) [読書(小説・詩)]

 本谷有希子さん初の短篇集。超現実的な展開を軽々と使いこなして現代人が抱える狂気や孤独をちらりと見せる切れ味鋭い13篇。ケリー・リンクやミランダ・ジュライといったセンスのよい海外現代小説が好きな方はきっとハマる。単行本(講談社)出版は、2012年06月です。

  (本谷有希子)「ワタシ、ガイブン、大キラ~~イ」
  (会場)どよどよ
  (豊崎由美)「なんで来たのー?」

  (岸本佐知子)「本谷さんて衝撃的な人ですね」
  (榎本俊二)「スミマセン、スミマセン」

 『思ってたよりフツーですね(2)』単行本p.38、「読んでいいとも!ガイブンの輪」にゲスト出演した本谷有希子さんがのっけからガイブン(海外文学)大嫌い、と言い放ち、会場をどよめかせるシーンです。

 本谷有希子さんが本当にガイブン嫌いなのかどうかは知りませんが、本書『嵐のピクニック』に収録された短篇はいずれも海外の現代文学の香りでいっぱい。荒唐無稽な設定や超現実的な展開を駆使して、私たち(主に現代の都市生活者)が抱える深い孤独やうっすらとした分かりにくい狂気をさっと見せる、そういう短篇。個人的に連想するのは、ケリー・リンクやミランダ・ジュライの作品です。

 とにかく、妄想が膨らんでゆく話や、異常なシチュエーションで押し切る話がうまい。

 『アウトサイド』は、介護疲れから義母をグランドピアノの中に閉じ込めてしまうピアノ教師の話。ごくありきたりな発想だと思いきや、「誰だって自分が今、ピアノの中なのか外なのか分からないまま生きているのだ」(単行本p.17)というラスト一行で視点をひっくり返す鮮やかな手際に感心させられます。

 『私は名前で呼んでる』は、重要会議中にふとカーテンの膨らみに目がとまり、それが気になって気になって仕方なく、「ねえ、あそこに誰か入ってるよ」(単行本p.20)と言いたいのをぐっと堪えるうちに逸脱してゆく話。『哀しみのウェイトトレーニー』は、夫に内緒でジムに通って筋肉ムキムキになってゆく主婦の話。『マゴッチギャオの夜、いつも通り』は動物園の猿山に花火を撃ち込むという、最近ニュースになった悪質なイタズラを題材にした、アルジャーノン風「泣ける話」だと思わせておいて、あっさり突き抜けてしまう痛快な話。

 『タイクーン』は、台風のときもう意味がないのに必死に傘にしがみついている人が、ときどき風に乗って天高く飛んでいってしまうという話。こう書くと凡庸な発想のようですが、実際に読むとかなり変。最後の一段落、なぜかは分かりませんが、泣きそうになりました。なぜだ。

 『Q&A』は自転車のサドルとの恋愛指南というプロットが含まれる「変愛」小説だし、『How to burden the girl』は父親と二人で悪の組織と戦って相手をばんばん虐殺しまくる謎の少女の話(これ、やっぱり映画『キックアス』のヒットガールがモデルなんでしょうか)、『いかにして私がピクニックシートを見るたび、くすりとしてしまうようになったか』は、アパレルショップの試着室にこもった謎の客が何日もひたすら試着をし続ける話。

 個人的に最も気に入った作品は、『亡霊病』です。

 何かの賞(おそらく野間文芸新人賞)の授賞式に出席した作家が、受賞者によるスピーチの順番が回ってくるのを待つうち緊張から亡霊病を発症、マイクを握ったとたん空中浮遊に人体自然発火、口からエクトプラズム出しながら、関係者や審査員や家族や知人の精神を破壊するような聞くに堪えない暴言、罵詈雑言はきまくり、会場上空をぐるぐる旋回して消滅するという話。

 ちなみに榎本俊二さんとの共著『かみにえともじ』(2012年08月14日の日記参照)を読むと、本書に収録された短篇の発想がどこから来たのか想像できて、これがまた楽しいのです。

 「台風直撃の恐ろしさも味わった。それにしても、もう何もかも雨風にさらされてしまっているのに傘を意地でも差そうとする人の気持ちって、いつも気になる。(中略)人間の尊厳、みたいなものと何か関係あるんだろうか」(単行本p.195)

 「受賞者によるスピーチ、というものがあったのである。(中略)これだけ関係者や審査員の先生方や新聞記者さんとかもいるのに、あまりに内容なさすぎてもいかんだろうというプレッシャーものしかかるのであって・・・この狭間! この狭間での葛藤が、マイクを握りしめる一秒のうちに頭の中を高速で駆け巡るのである!」(単行本p.40)

 「その場にいた知り合いは、私のスピーチを聞いてる間中、「本谷が審査員の先生方にケンカ売るんじゃないか」とハラハラしっぱなしだったらしい」(単行本p.40)

 「なんでもいい、と思って出てくるアイディアはなんでもいいだけあって、とてもじゃないがいい歳をした大人が考えるような内容とは思えない。恥ずかしい。でも書かなければならない。時間がないから。迷っている暇なんかなかったのだ。(中略)結局最後の二週間、一日一本のペースで、締め切り直前にねじ込んだ」(単行本p.224、225)

 最後の引用は『短篇小説』というエッセイの一部で、ここに書かれているのはおそらく本書の元となった原稿(「群像」2012年03月号掲載)のことだと思われます。二週間、一日一本のペースでこれら13篇の傑作を書き上げたというのですか。凄すぎます。

 というわけで、海外の現代小説が好きな方ならハマるに違いない傑作短篇集。『かみにえともじ』と合わせて読みたい一冊です。

[収録作品]

『アウトサイド』
『私は名前で呼んでる』
『パプリカ次郎』
『人間袋とじ』
『哀しみのウェイトトレーニー』
『マゴッチギャオの夜、いつも通り』
『亡霊病』
『タイフーン』
『Q&A』
『彼女たち』
『How to burden the girl』
『ダウンズ & アップス』
『いかにして私がピクニックシートを見るたび、くすりとしてしまうようになったか』


タグ:本谷有希子
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『かみにえともじ』(もじ:本谷有希子、え:榎本俊二) [読書(随筆)]

 「中学の頃、私は受験勉強でストレスが溜まると、二階の自室の窓をあけ、屋根に積もった雪に顔を埋めていた。深くお辞儀をしてるような体勢で、みじろぎ一つしなかった。冷たくて目が覚める効果もあったけど、もう一つの理由は、もし誰かがこの光景を外から目撃した時、私を死体だと思うんじゃないか、と考えていたからだ」(単行本p.175)

 本谷有希子さん初のエッセイ集。週刊コミックモーニングに連載されたコラムから抜粋してまとめた一冊で、全ての回に榎本俊二さんのイラストが付いています。

 コラムが収録されなかった回についても、榎本俊二さんが選んだイラストを数点ボーナスとして掲載。しかも公演の準備に忙殺されている本谷さんの代りに榎本俊二さんが描いたコミック『かみにえのもと』も抜かりなくすべて収録されています。ああそうだ、『新世紀ヒロイン もとやちゃん』2ページもちゃんと。「初代もとやちゃん」「二代目もとやちゃん」「三代目もとやちゃん」のイラストコレクションも。榎本俊二さんが書いたあとがきも。とりあえず榎本俊二さんのファンは迷わず購入するとよいでしょう。

 本谷有希子さんのエッセイですが、これが何とも、いやー、とてつもなく面白い。演出家という仕事についてのエッセイは何といっても素晴らしく、ふとしたことで妄想が止まらなくなる様を描いたエッセイも魅力的。イベントや授賞式に出たときの体験談、何につけいちいち自意識に苦しみ悶える話、知人や自分の変な体験話、締め切りに追われる愚痴ですら、思わずぐぐっと引き込まれるような魅力に満ちています。

 「その女はとにかく「ヨシノブさんごめんね」とひたすら謝っているのだ・・・・・・! ヨシノブさんって誰!? 受話器に当てている耳から一気に鳥肌が立って、私は部屋で「うわー!」と絶叫した。そのあと気になってしまってさらに怯えながらもう一度聞き直すと、「日曜日の約束だけは絶対に守って下さいね。絶対に絶対に新宿で待ってます」というような内容であることも分かった。うわー! ヨシノブさん待たれてるよー!」(単行本p.8)

 「私は棺桶の中のバアちゃんを見つめた。実感が湧くなら顔を見た時だろうと勝手に想像していた。でも違った。私が泣くのはその瞬間じゃなかった。(中略)もう初七日が来てしまったけど、結局私は泣いてない。だとしたら私はこの先、いつ悲しむんだろう。今、ちょっとだけ心に乾いた風が吹いたな」(単行本p.111)

 「実際あまりに光の当たりすぎる場所なので、正直最初は迷った。(中略)そんな場所にもしのうのうと出て行けば、私は・・・・・・そうだな、私は、死ぬな。(中略)たぶんみんなと壇上で並んだまま、人生の一番華やかな瞬間に微笑みながら死んでいるに違いないんだ」(単行本p.64、65)

 「タワーが倒れる寸前までジェンガを抜いてゆくように、行き過ぎになる手前を目指す。ゆっくりと「あってはならない」光景まで、現実を歪ませる。よし、やってみよう。(中略)そこまで想像したところでジェンガが倒れた。この想像は行き過ぎた」(単行本p.162、163)

 「顔が痛くなっても、一秒でも長く静止しようと果敢に挑戦していた。(中略)それでも私はじっと顔を埋めていた。死体に見えるように埋めていたんだ」(単行本p.175)

 「庭園を歩くと猫がいたので、何も考えず追いかけた。何も考えずにマッサージを頼んで、何も考えずに眠りについた。家だろうがホテルだろうが、今回は関係なかった。どこにいたって、私は書けていなかった。書けていなかったんだ」(単行本p.179)

 どこか狂気の気配がうっすら漂っている異様なテンション(高いときも低いときも)に心奪われます。コラムによっては、まるで海外の現代短篇小説を読んでいるような感覚にとらわれたり。とかく「共感」だけで読ませる類のエッセイとは基本姿勢からして大違いで、個人的にものすごく好み。来るぞ。

 表紙に本谷さんのグラビア写真をばばーんと掲載し、ページの背景に漫画原稿をうっすらと印刷することで「コミック雑誌で読んでいる感」を醸し出すなど、これは売れる、いや売るぜ、という出版社の気合がひしひしと感じられる一冊です。

 最後の方に「短篇小説」というエッセイが収録されており、ああこの人の短篇小説はきっとセンスがいいだろうな、かっこいいだろうな、読んでみたいな、と思いながらページをめくると、初短篇集『嵐のピクニック』の宣伝が載っているという最後まで抜け目のなさ。もちろん購入して、実は今この日記を書きながら読んでいる途中なんですけど、うわ、これ目茶、苦茶、面白いよ!


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『世界の心霊写真  カメラがとらえた幽霊たち、その歴史と真偽』(メルヴィン・ウィリン、木原浩勝) [読書(オカルト)]

 エクトプラズム、妖精、念写、ポルターガイスト、昇天する魂、オーラ、聖母マリア、ケルビム、階段を降りてくる白い人影、炎のなかに浮かび上がる少女の姿、監視カメラに写っていたフードを着た骸骨、首なし男、足なし女。古典から最近ネットで話題になったものまで、世界各地から67枚の不可思議な写真を集めた心霊写真集。単行本(洋泉社)出版は、2012年08月です。

 世界中(といっても多くはイギリス)で撮影された心霊写真を集めた一冊です。魂やエクトプラズムや聖母マリアが写っている(ようにも見える)写真も多く、特に心霊写真といっても幽霊系に限らず、何らかの超常現象が写っている写真、という大雑把なくくりで選ばれたと思しき67枚の写真。

 修道院の幽霊とか、霊媒師が出したエクトプラズムだとか、コティングレーの妖精写真だとか、テッド・セリオスの念写だとか、すでにインチキだと分かっていても歴史的価値がある写真は抜かりなく収録されています。怪しさで定評のあるタブロイド紙に掲載された写真なんていうのも平気で載せていますし、いつどこで誰が撮影したのかも分からない、それどころかオリジナルがなく記事のコピーしかない写真なんてのも掲載されています。真偽にこだわらず、有名どころの心霊写真を一冊に集めてみました、という感じでしょうか。

 全ての写真について、著者による解説(撮影場所、撮影日などのデータあり)とセットになっています。加えて匿名の「写真家、超常現象研究家」(誰?)への取材をもとに書かれたという日本語版の解説も一枚一枚ていねいに付されており、さらに新耳袋などで有名な木原浩勝さんが本書全体に関する解説を書き下ろす、という贅沢さ。

 日本におけるいわゆる心霊写真と同じ雰囲気の写真(例:少女の腕をつかむ謎の手、スナップショットに偶然写り込んでいた“いるはずのない”人物、など)もあれば、何だかテイストが違っていて戸惑うもの(例:浮かび上がる聖母マリア像やキリスト像、教会に現れた白い人影のたぐい、日本なら間違いなく「宇宙人の写真」と断定されるだろう「浮遊する白いヒトガタ」など)もあります。そういった文化的な差異が感じられるところも本書の魅力の一つです。

 写っている人々や場所、風景になじみが薄いせいか、正直いってそれほど怖さは感じられません。むしろ、有名な「アルダルシアの顔」(コンクリートの床に出現し、何度消しても再出現したとされる顔)の写真。他の本で何度も見たことがあるのに、やたら漫画チックで、むしろ愛嬌がある、というかいかにも子供のイタズラだなあとしか思えないのに、何だか妙に怖いのです。いまさら。

 逆にユーモラスで思わず笑ってしまったのが、「猫のティンカーベルには見えるもの」と題された一枚(単行本p.48)。キジトラ猫のティンカーベルちゃんの周囲に赤い光の帯のようなものが現れ、それに顔を引っ張られているという写真です。一瞬ひょっとこみたいな顔になっているティンカーベルちゃんの不細工顔が可愛い。隣にいる三毛猫(バンティくん)が平然と何も気にしてない様子なのがまた可笑しい。

 ネットなどでよく見かける有名写真も多数含まれていますが、撮影日や撮影状況など詳しい情報が書かれているという点で、本書を手にする価値は充分にあります。パーティなどに持っていって皆で鑑賞すれば、盛り上がること間違いなしだと思います。


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