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『気象を操作したいと願った人間の歴史』(ジェイムズ・ロジャー・フレミング) [読書(サイエンス)]

 「気象・気候制御が明暗入り交じる歴史を持つことをわれわれは知っている。傲慢さから生まれ、ペテン師と、誠実だが道を誤った科学者たちを育んできた歴史である」

 雲に砲弾を撃ち込む、高いやぐらの上で怪しげな薬品を蒸発させる、航空機からドライアイスの粉やヨウ化銀を散布する・・・。レインメーカー(雨乞い師)から気候兵器、そしてジオエンジニアリング(地球工学)まで、大気への干渉による気象・気候制御の(失敗の)歴史を振り返り、気候変動対策の議論に求められる歴史的視野を提供してくれるサイエンス本。単行本(紀伊國屋書店)出版は、2012年07月です。

 軌道上に巨大な鏡を配置して太陽光を反射させる、成層圏にエアロゾルを注入して太陽光を遮断する、海洋肥沃化により植物プランクトンを増加させ二酸化炭素を吸収する、上昇下降海流を制御して二酸化炭素を深海底に閉じ込める・・・。温暖化対策として議論されているジオエンジニアリング(地球工学)は、果たして信頼に足る科学技術なのでしょうか。本書の立場は、極めて懐疑的なものです。

 「地球規模の気候エンジニアリングは実証されていないし、実証可能でもないうえ、信じられないくらい危険なのだ」(単行本p.19)

 「ほとんどの研究は、地球工学にまつわる重要な倫理的問題について、無視するか、矮小化するか、言及を避けるかしてきた」(単行本p.395、396)

 「この種の提案を支えているのは、思いつき的な計算や、十分とは言えない単純なコンピューター・モデルの操作であることが多い。こうしたアプローチで忘れられているのは、人間が天気や気候を支配しようとしてきた波瀾万丈の歴史なのである」(単行本p.15)

 科学技術史の専門家である著者は、歴史に学ぶべきだと指摘します。大気に干渉することで気象・気候を制御する、雨を振らせ、霧を消し、嵐の進路を変える、という試みには長い失敗の歴史があり、そこから何の教訓も得ることなく同じ過ちを繰り返すべきではないと。

 本書は、この気象・気候制御の歴史を概観した一冊。全体は八つの章に分かれています。

 第一章「支配の物語」から第四章「霧に煙る思考」では、気候制御を扱った神話やフィクションからはじまり、レインメーカー(雨乞い師)、レインフェイカー(雨乞い詐欺師)、そして病的科学(疑似科学)を信じ込んだ科学者たちの歴史が語られます。悲しいことに、これら三者のやってきたことは、事実上、同じなのです。

 生贄や祈祷や鐘などの儀式、雲に向けて撃つ大砲、大気を「刺激」して「トリガー」を引き水分凝縮の「種」となる化学物質を散布する。これまでに信じられてきた様々な気象制御の試みが次々と登場します。そして、レインメーカーの基本原理はどれも同じであることもまた明らかになります。

 「注意深い読者ならお気づきだろうが、人工降雨のテクニックが伝統的なものであれ科学技術的なものであれ、指定された地域が十分に広く、実行する者がどこまでもやりつづければ、いつかは雨が降る」(単行本p.172、173)

 第二次世界大戦中に開発されたファイドー・システム(大量のガソリンを燃やすことで一時的に飛行場の霧を消す)などごく一部の、そして非常時にしか使えないほどコストがかかる成功例を除き、これまで試みられてきた人工降雨をはじめとする気象・気候制御はいずれも効果が実証されていない、というのはちょっとした驚き。

 余談ですが、オルゴンエネルギーを応用した「クラウドバスター」を開発して自由自在に雲を出現消失させた(さらにUFOまで撃退した)ヴィルヘルム・ライヒの後継者たちは、いまでもクラウドバスターを使ってケムトレイルと戦っているそうです。

 ここまでは比較的のどかというか、牧歌的な雰囲気すら漂っているのですが、ここから先は世知辛くなってきます。

 「第五章 病的科学」と「第六章 気象戦士」は、気候制御のいわば近現代史を解説。気象制御技術の商業化から始まり、やがて軍事利用に向けた取り組みへ。気象兵器への期待と、敵国が先に開発することへの恐怖から、疑似科学的な研究に莫大な予算が投入されることになるのです。

 そしてベトナム戦争では、気象兵器による「攻撃」が実行されました。

 「第五四天候偵察中隊は、三機のWC-130と一機あるいは二機のRF-4を2600回あまりの種まきに出撃させ、約五年間に五万発近い降雨弾を消費した。その費用は年間およそ360万ドルだった」(単行本p.314)

 効果はあったのでしょうか。

 「軍による気象改変は戦術的大失敗に終わった」(単行本p.315)

 本書に登場するエピソードのうちおそらく最も気が滅入るのは、チェルノブイリ原発事故の直後、大量の放射性物質を含む雲がロシアまで到達するのを防ぐため、人工降雨によりすべてベラルーシに落下させよ、という命令を受けたソ連のパイロットが、果敢に放射性プルームに飛び込んでゆく話でしょう。気象・気候制御が持つ様々な負の側面を象徴するような話です。

 「第七章 気候制御をめぐる恐怖、空想、可能性」では地球工学をめぐる様々な構想を紹介し、「第八章 気候エンジニア」では地球工学の現状を批判した上で、温暖化に対する「対策の過剰と不足の中間に位置する、緩和と適応の「中道」を探る」(単行本p.389)べきだと強調します。

 人為的ミスによる破局、モラルハザードの引き金となる可能性、商業化や軍事利用による弊害、最終的な責任主体が誰かという問題、政治的対立や地域紛争の原因、効果が予想できず、副作用は甚大で、結果は回復不能で、途中で止めることも、やり直しも出来ない、何より知識が不足していて有効性が判断できない、そして推進者たちがこれまでの(失敗の)歴史についてほとんど何も知らない、そんな技術に地球の未来を賭けてよいのでしょうか。

 というわけで、通読すれば、著者がジオエンジニアリングに対してとっている懐疑的な立場にも納得がゆくようになります。この技術を評価するとき、歴史的視野を持つことが重要だということがよく分かる一冊です。人工降雨、気象兵器、そして地球工学に興味がある方にお勧めです。

 なお、ジオエンジニアリングの一般的な解説書としては、例えば『気候工学入門  新たな温暖化対策ジオエンジニアリング』(杉山昌広)がありますので(2011年10月05日の日記参照)、本書と合わせて読むとよいでしょう。


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