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『翻訳教室』(鴻巣友季子) [読書(教養)]

 深く読むこと、翻訳すること、想像力の枠を広げること。NHKの番組で小学生に翻訳を教えたときの体験を元に、翻訳という営みのエッセンスを分かりやすく示した一冊。新書(筑摩書房)出版は、2012年07月です。

 2012年02月に放映された「課外授業 ようこそ先輩」(NHK総合)における授業をベースにした翻訳入門書です。といっても英文読解のテクニックや翻訳理論を伝えるものではなく、「翻訳とは何か」あるいは「翻訳とは何でないか」を平易に解説してくれるのです。

 全体は五つの章に分かれています。

 「第一章 他者になりきる」では、世田谷線になった気持ちで作文を書く、という難しい宿題への取り組みを通じて、自分の想像力の枠を広げること、他者に共感を持つこと、翻訳においてはそれがとても大切だということを学びます。

 「第二章 言葉には解釈が入る」では、「翻訳というのは、「英文和訳」をこなれた日本語に書きなおしたものではない」(新書p.47)ということについて学びます。

 "I love you"を「今夜は月がきれいですね」と訳す、というのはどういうことでしょうか。翻訳はただ言葉を別の言葉に置き換える作業ではないのだ、ということが分かりやすく説明されます。

 「第三章 訳すことは読むこと」では、小学生たちは『ぼくを探しに』(シェル・シルヴァスタイン:著、倉橋由美子:訳)の新訳に挑戦することになります。はたしてそんな難しいことが出来るのでしょうか。

 「解釈が原文の核心にまで届いていないのです。なにかをつかみきれていない。これは英文和訳では及第点ですが、翻訳ではほとんど仕事をしていないのと同じなんです。(中略)受動的(機械的)な言葉の置き換えに終始しているかぎり、原文の核心には手が届きません」(新書p.74)

 「翻訳というのは「深い読書」のことです」(新書p.12)

 小学生たちが悪戦苦闘しながら翻訳に取り組んでゆく様が臨場感たっぷりに再現され、読んでいてどきどきします。動詞の過去形も形容詞の比較級も知らない、"at last"を辞書で引いて「ギリシア神話の神様」とあるので混乱する、そんな小学生たちが「深い読書」に挑み、そして見事な翻訳を持ち帰ってくる。胸が熱くなります。

 さらに横浜インターナショナルスクールで様々な国の生徒たちとディスカッションすることで視野を広げてゆく。日本語と英語における主語の扱いの違い、メタフファーとは何か、様々なことを学ぶことになります。うらやましい。

 「第四章 世界は言葉でできている」および「第五章 何を訳すか、それは翻訳者が引き受ける」では、世界における言語の状況を解説し、そして翻訳教室をまとめます。

 「「無色透明な翻訳」という言い方があって、日本人はそれを好む。訳者の作った文章ではなく、原文が、オリジナルが透けて見えるようなものを読みたいということです」

 「じつは、欧米の人たちも「透明な翻訳」という言い方をするのですが、じつはまったく意味が逆で、それが翻訳であることを感じさせないくらいこなれた、要するに翻訳者のものになっている訳文を指すんです」

 「この、同じ言葉が正反対のものを意味するところに、翻訳観のちがいが如実に出ていると思います」(新書p.185)

 全体的に非常に分かりやすく書かれており、翻訳や読書について思わず「はっ」とするような鋭い洞察があちこちに散らばっていて、驚きと感動を覚えます。個人的には、単なる読書ではなく「能動的に読む」ということを実践したいと思いました。

 翻訳家になりたいと思っている若者にとっては必読の一冊でしょう。翻訳に興味がある方、そして「趣味は読書」と自信を持って言いたい方にもお勧めです。


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