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『鳥の王さま  ショーン・タンのスケッチブック』(ショーン・タン、岸本佐知子:訳) [読書(小説・詩)]

 『アライバル』、『遠い町から来た話』、『ロスト・シング』などのグラフィックノベルが大きな話題となったショーン・タンのイラスト集。単行本(河出書房新社)出版は、2012年08月です。

 摩訶不思議で、ちょっぴりユーモラスで、なぜか懐かしい感触のある、そんな不思議な世界や事物を描くショーン・タンのイラスト集です。ちょっとした落書きから、完成されたカラーイラスト、写実的なスケッチ、そして既刊作品の創作過程を垣間見られる制作ノートまで、様々な絵を堪能することが出来ます。

 ぱらばらめくっているだけで心があっちへ行ってしまいそうな魅力。生きものなのか機械なのかよく分からない不可思議なもの、見たこともない驚異の風景、奇怪でユーモラスでちょっとときめいてしまう場面。何度観ても飽きません。いいなあ。

 巻末には全ての収録作品についてタイトルと簡単な紹介が載っているのも嬉しいところ。ときどき未訳作品への言及があるので、早く訳してほしいと、気持ちが高ぶります。またショーン・タン自身が創作について語るエッセイも何篇か収録されており、その素直で真面目な人柄がよく分かります。

 基本的にファン向けのイラスト集ですが、既刊書を知らなくても問題なく楽しめるので、本書ではじめてショーン・タン作品に触れるという方でも問題ありません。


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『SFマガジン2012年10月号  レイ・ブラッドベリ追悼特集』 [読書(SF)]

 SFマガジン2012年10月号はレイ・ブラッドベリ追悼特集ということで、著名作品二篇、本邦初訳短篇を二篇、さらにオマージュ作品二篇を掲載してくれました。また、前号に引き続き籘真千歳さんの読み切り中篇の完結篇も掲載してくれました。

 まずは、名作として知られている『霧笛』。深夜、晩秋の海辺。濃霧に包まれた灯台から響く霧笛の音に応えるように、深海から巨大な何かが浮かび上がってくる。あまりにも有名な作品で、再読してもやはり感傷的な気分になります。

 続いて、『歌おう、感電するほどの喜びを!』。母親を亡くしたばかりの幼い子供たちのために父親が購入してくれたのは、最新式のおばあちゃんロボット。限りない愛情を注いでくれるロボットに男の子たちはすぐに夢中になるが、母親が死んだショックから立ち直れずにいる妹だけは懐こうとしない。だがあるとき、自動車に轢かれそうになった妹を、おばあちゃんロボットは自分を犠牲にして救おうとして。

 親の愛情を無条件に信じられた天真爛漫な子供時代を懐かしむ甘甘のファンタジィで、昔読んだときはちょっと辟易したのですが、再読してみると、実は幼少期を過剰に美化した妄想にしがみつくしかない哀れな老人の姿を書いた作品ではないかという気がしてきました。ああ、歳をとったなあ。

 本邦初訳短篇である『生まれ変わり』は、墓場から蘇ってきた死人が、恋人のもとに戻ろうとする話。だが恋人は変わり果ててしまった彼を受け入れようとはしてくれない。失意のまま彼は墓場に戻るのだが・・・。タイトルでネタバレしてしまうのがちょっと気になります。

 もう一本の本邦初訳短篇『ペーター・カニヌス』は、病院内に勝手に入り込んで病室を巡回するという奇妙な行動をとる犬の話。それに気づいた二人の神父は、犬のあとをつけて、病室でその犬が何をやっているのかを知るのだが・・・。回心をテーマとした短篇ですが、キリスト教の信仰を持ってないせいか、どうもぴんときませんでした。

 『祝杯を前にして』(井上雅彦)、『Hey! Ever Read a Bradbury? -- a tribute prose』(新城カズマ)の二篇は、ブラッドベリに捧げるオマージュ。いずれもブラッドベリ(に相当する存在)が登場して、書き手の人生に影響を与えるという話。

 特集とは関係なく、三分割掲載の完結編『スワロウテイル人工少女販売処/蝶と夕桜とラウダーテのセミラミス(後篇)』(籘真千歳)も掲載されました。

 既刊の長篇二冊の前日譚にあたる『スワロウテイル序章/人工処女受胎』(籘真千歳)の刊行が2012年9月上旬に予定されていますが、そこに含まれる全四話の連作のうち第三話に相当する中篇、それが本作です。

 基本的には、お嬢様女子学校を舞台としたいわゆる「学園もの」です。人工妖精が通う看護学園にいた頃の若き揚羽が、変異審問官の依頼を受けて学園を内偵するうちに、学園の創立にまでさかのぼる秘密に気づいて、というような話。

 連続殺害事件の犯人との対決シーンが大半を占めています。ミスコン騒ぎの方は、あれほど盛り上げた割りには、肩すかし気味に。ラノベやアニメ的な感性が横溢しており、この歳になるとついてゆくのが難しいです。

 余談ですが、イラストでは揚羽はかなり大きなネコ耳を着けたまま戦闘していますが、「白刃が頭のすぐ上を通り、髪の毛が幾筋か断ち切られて宙を舞う」というシーンがあるので、たぶんネコ耳(および尻尾)は戦闘前に外したんじゃないでしょうかね。そういうことにこだわるのは歳のせいでしょうか。

[掲載作品]

『生まれ変わり』(レイ・ブラッドベリ)
『ペーター・カニヌス』(レイ・ブラッドベリ)
『霧笛』(レイ・ブラッドベリ)
『歌おう、感電するほどの喜びを!』(レイ・ブラッドベリ)
『祝杯を前にして』(井上雅彦)
『Hey! Ever Read a Bradbury? -- a tribute prose』(新城カズマ)

『スワロウテイル人工少女販売処/蝶と夕桜とラウダーテのセミラミス(後篇)』(籘真千歳)


タグ:SFマガジン
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『シップブレイカー』(パオロ・バチガルピ) [読書(SF)]

 温暖化による海面上昇と資源枯渇が深刻化する近未来。廃船解体作業員(シップブレイカー)として劣悪な環境で働いていた一人の少年が、座礁した帆船を発見する。中にいたのは一人の美しい少女。彼女との出会いが自分の運命を大きく変えることを、まだ少年は知らなかった・・・。『ねじまき少女』と『第六ポンプ』の作者による第二長篇。文庫版(早川書房)出版は、2012年08月です。

 ローカス賞ヤングアダルト長篇部門を受賞した作品です。若者向けに書かれた作品だけあって、ローティーンの少年が活躍する冒険活劇になっていますが、そこはそれ、さすがバチガルピ。海面上昇や資源枯渇により危機に瀕している未来世界の描写はシビアで、主人公が置かれている状況にも容赦がありません。

 座礁したタンカーの配管ダクトに潜り込み、ケーブルの銅を回収してくる過酷な仕事。揮発した石油やアスベスト粉塵を吸い込みつつ、方向転換も出来ない狭いパイプの中で、温暖化による灼熱のような気温に焼かれながら、重いケーブルを集めてくる。

 劣悪な労働環境、というか、使い捨ての底辺労働者として働く他に生きる道のない少年が主人公となります。

 教育どころか食事すらまともに与えられず、掘っ建て小屋に戻れば父親から殴られ、集めた銅線も二束三文で買いたたかれ、今日を生き延びるだけで精一杯の希望のない人生。気の滅入るような世界を舞台に、気の滅入るような生活が書かれます。

 あまりの過酷さに、もういいです、よく分かりました、さあ早く恋と冒険の旅に出るというヤングアダルト小説らしい展開にしましょうよ。読者としてはそう願うのですが。さすが主人公に厳しいことでは定評のあるバチガルピ。最初の1/3ぐらい、延々と気の滅入る惨めな展開が続きます。

 ようやく少女との出会いがあり、さあ冒険の始まり始まり、と期待するのですが、父親が率いるならず者集団にあっさり捕まってひどい目にあい、生死の境を彷徨うことに。すでに全体の2/3近く読み終えて、まだ冒険が始まらないんですけど。

 ようやく脱出に成功する二人。そこからは危機また危機のスリルとサスペンスあふれる冒険が続きます。長かった・・・。待たされただけあって、帆船による海戦へと展開する頃にはもう大興奮。帆船同士の追跡劇、嵐の中の斬り込み戦闘、そして(お約束)父親との一騎討ち。定番パターンなのにどうにも手に汗握ってしまいます。

 というわけで、ラスト100ページ、見せ場の活劇にもってゆくために、じっくりじっくり固めてゆくタイプの作品です。バチガルピが描き出す未来社会の存在感、単純な善悪ではくくれない印象的な登場人物たちなど、読み終えてみれば、満足のゆく出来ばえ。

 辛気臭い話だと思って途中で投げないで、最後まで読むことをお勧めします。こういう話で普通に楽しませながら、まぎれもないバチガルピ作品としか言いようがない感触があるのも、いかにもだと思います。


タグ:バチガルピ
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『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔) [読書(SF)]

 「物語とは厄介なものです。ただ物語られるだけでは足りない。適した場所と適したときに、適した聞き手が必要なのです」(単行本p.133)

 19世紀後半。フランケンシュタイン博士が開発した、死体の脳への疑似霊素書き込み技術により製造される「屍者」は、安価な労働力および兵力として全世界で広く活用されていた。医学の道を志す若きジョン・ワトソンは、英国外務省からの極秘任務を受けてアフガニスタンに派遣される。カラマーゾフ家の四男アレクセイがそこで「屍者の王国」を創ろうとしているというのだ・・・。

 伊藤計劃が遺した冒頭部分をそのままプロローグとして取り込み、円城塔がついに完成させた傑作長篇。単行本(河出書房新社)出版は、2012年08月です。

 「物語による意味づけを拒絶したなら、わたしたちは屍者と変わるところがなくなるだろう」(単行本p.85)

 「生者が屍者と異なるのは、自分自身の行動を自分の意思によるものだと、あとから勝手に考えて自分を騙すだけなのだ」(単行本p.273)

 病に倒れた若き天才作家が遺した原稿を引き継いだ盟友が、ついにそれを長篇として完成させ、芥川賞を受賞したタイミングで発表する。あまりにもドラマチックな経緯に、出版前から大いに話題を呼んだ作品です。

 伊藤計劃のテーマや問題意識を受け継ぎながら、実在虚構問わず19世紀の著名人をどんどん登場させて読者を翻弄し、英国、アフガニスタン、日本、新大陸と世界中をめぐって、最後は英国に戻ってくる。あるいは伊藤計劃の足どりを追って、最後は円城塔に戻ってくる。そんな物語。冒険活劇エンターティメントとしても充分に面白く、最後はまぎれもない円城文学になってゆき、ラストでしんみり。実に素晴らしい。

 死体の脳に電気的に疑似霊素を書き込むことで動かされる「屍者」が、労働力や兵力として活用されている19世紀が舞台となります。

 英国ロンドン大学で医学を学んでいた若きワトソンが、ヴァン・ヘルシング教授の紹介で英国外務省に徴用され、M(たぶんジェームズ・ボンドの上司ですが、弟は私立探偵)の指示により秘密諜報員としてアフガニスタンに派遣される、というのがプロローグ。伊藤計劃が書き遺したのはここまで。

 続く第一部では、アフガン奥地に新型の屍者を集めて自分だけの「王国」を築こうとしているというアレクセイ・カラマーゾフ(カラマーゾフ兄弟の四男)の謎を探るべく、ロシア側から派遣されてきた諜報員コーリャ・クラソートキンと共に戦場を抜けて奥地へと向かう、という物語になります。

 何しろ、アレクセイとクラソートキンの再会、ロシア帝国への謀叛のたくらみ、という筋立てですから、『カラマーゾフの兄弟 第二部』そのもの。作者の急逝によりついに書かれることなく終わった長篇、というその背景が本作と呼応しているところが実に巧みな仕掛けです。

 といってもロシア文学には向かわず、むしろ007シリーズや『地獄の黙示録』のような展開に。屍者兵団の大規模戦闘など派手なシーンもあり、楽しめます。個人的には、山田正紀さんの初期長篇を連想しました。

 やがて人類屍者化計画を企んでいるらしい「敵」の正体が判明。以降、第二部では日本、第三部では米国、という具合に、ワトソンは「敵」の痕跡を追って世界中を回ることに。

 そこにイルミナティやピンカートンがからんできて、フランケンシュタイン三原則やら屍者爆弾やら、映画版『パトレイバー』第一作を連想させるネタやら、色々と盛り込まれ、サムライvs屍者ニンジャのチャンバラあり、もちろん美女とのロマンスあり、ノーチラス号に乗り込んで本拠地へ突撃、ロンドン塔大崩壊、などなど大忙し。派手な活劇に目を奪われているあいだに、意識の本質をめぐる議論が作品を乗っ取る勢いで増殖し、はっと気がつけば円城塔のデビュー長篇へとつながって・・・。

 「せめぎ合いのない世界、解釈も、物語も必要のない、ただのっぺらと広がる世界、完全な独我論者たちの世界だ。全てはただそこにあり、あるだけとなる」(単行本p.402)

 外部から操作される意識(第一長篇『虐殺器官』)、自意識という最後の「病」を「治療」してしまった世界(第二長篇『ハーモニー』)という伊藤計劃のビジョンをさらに大胆に押し進め、『ハーモニー』の到達点を「屍者の帝国」という形で示してみせる。SFとしても読みごたえたっぷりです。

 流行りのスチームパンクや歴史改変小説のにぎやかさの裏で、屍者化された生者、自意識の存在意義など、現代の私たちにとって切実な問題意識へと一直線に切り込んでくるところも鋭い。「屍者の帝国」とは、私たちの世界のことではないでしょうか。

 というわけで、その成立過程のドラマが話題になりがちですが、素直に読んで娯楽作品として充分に楽しめる一冊です。両著者の愛読者はもとより、あまりSFに興味がない方にも、現代日本SFがどんなことになっているのか確かめるべく、読んでみることをお勧めします。


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『呼吸 -透明の力-』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 昨日(2012年08月26日)は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って勅使川原三郎さんの新作公演を鑑賞してきました。大道具なし照明効果のみの簡素な舞台で、勅使川原三郎さんが主催する勉強会やワークショップの参加者たちがダンスメソッドを学ぶ様を、そのまま作品に取り入れたという実験的作品です。

 まず照明効果が魔術的。暗闇のなか、五線譜のような光の筋や円が舞台床に投影され、それだけでいとも簡単に遠近感が狂い、空間把握が混乱して奥行きと高さの違いが分からなくなります。ダンサーの位置関係や移動の軌跡がうまく把握できなくなり、まるで異空間に放り込まれたような感覚。過去に観た公演でいうと、『サブロ・フラグメンツ』を連想しました。

 こんな舞踊魔術空間で、勅使川原三郎さんの解像度の高い緻密な動き、佐東利穂子さんの超高速で空気に溶け流れるダンスが交互に踊られ、観客はぐいぐい引き込まれてゆきます。

 やがて、舞台上には勉強会やワークショップの参加者が登場し、呼吸法を軸としたダンスメソッドの実践が行われます。というか、その様子をそのまま作品として観客に見せてくれるわけです。ときどきユーモラスな寸劇めいたやりとりなども混ぜながら、若手ダンサーたちが呼吸や基本動作を繰り返すその様子が、不思議な感動を呼びます。

 総勢30名近い出演者が登場するという規模の大きい公演であるにも関わらず、静謐な暗闇のなか呼吸音が静かに聞こえていた、という印象が強い緊張感の高い舞台でした。

[キャスト]

勅使川原三郎
佐東利穂子

川村美恵、ジイフ、鰐川枝里、加見理一、高木花文、山本奈々、加藤梨花、林誠太郎、
勉強会参加者、ワークショップ受講生たち


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