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『リライト』(法条遥) [読書(SF)]

 「・・・・・・正直、こっちは少々SFが入ってるんだがな。ま、今更SFがどうのと言ってもはじまらねえか」(単行本p.236)

 1992年の夏、ラベンダーの香りと共に「私」の前に現れた謎の転校生。彼の正体は遠い未来からやってきたタイムトラベラーだった。あの夏の出来事を、「私」は決して忘れないだろう・・・。タイムパラドックスを解決するSFミステリとして『時をかける少女』を徹底的にリライトしてのけた前代未聞の怪作。単行本(早川書房)出版は、2012年04月です。

 「<Jコレクション>10周年記念トークショー採録」(SFマガジン2012年08号掲載)より

  (大森)「『時かけ』ファンの中に、こんなひどいことを考える人がいるとは信じられない!(笑)」
  (法条)「前例はあるんでしょうか?」
  (大森)「最大のサプライズに関しては前代未聞でしょう。あんなことだれも考えませんよ」
  (法条)「なるほど」

 大森望さんが「こんなひどいこと」「前代未聞」と騒ぐのも無理もないと思える驚愕の一発ネタが仕込まれたSFミステリです。いやー、確かにこれはあんまりだなあ。

 基本的な物語は『時をかける少女』に準拠していますが、冒頭から読者に謎が提示されます。

 すなわち、語り手である「私」は、タイムトラベラーを救うために1992年から2002年へと時間跳躍してからすぐ戻ったことを憶えており、そのとき「未来」から持ち帰った携帯電話を大切に保管している。十年後、その携帯電話を記憶にある場所に置いて、「過去」の自分がやってくるのを(隠れて)待っているが、なぜか誰も現れない。でも、「私」がこの携帯電話を1992年の世界へ持ち帰らないと、タイムパラドックスが生じてしまう。それとも、もしや、既に過去は改変されているのか。ならどうして自分の記憶は元のままなのか・・・?

 素直に『時かけ』やってる1992年パートと、タイムパラドックスの謎に挑む2002年パートが交互に配置されるという構成になっています。しかし、どうも様子がおかしい。例えば、1992年パートにおける語り手「私」の名前が、章が変わる毎にころころ変わっていくのです。この「私」って誰?

 もしや多重世界(パラレルワールド)に分岐しているのか。しかし最初に「過去の改変は絶対に不可能」と断言されており、どう考えてもこれは作者から読者に提示されたルールとしか思えない。つまり時間線は一つだけ、ソリッドステート、起きた出来事は決して変わらない、つまり真のタイムパラドックスは許容されない。

 さらに読者の混乱に拍車をかけるのは、タイムトラベラーが持っている記憶改変装置。確かに原典においても、目撃者の記憶を消したり、転校生なんて最初からいなかったという偽記憶を与えたり、便利に使われていたのですが、考えてみるとこれが凶悪。何しろ小説の大部分は一人称で書かれているのです。そもそも「私」のアイデンティティも危ぶまれているのに、その語りが客観的な事実なのかどうか判然としない、すなわち「信頼できない語り手」になっているという、ああ面倒くさい。

 最後に謎解きが行われますが、いやそんな、あまりにも馬鹿すぎるというか、うーん、確かに論理的には成立するかも知れないけど、いやー、これはあんまりだなあ。これをあえて『時をかける少女』でやるというのが何とも。バカミス読者、大喜び。SF読者、困り顔。

 「<Jコレクション>10周年記念トークショー採録」(SFマガジン2012年08号掲載)より、続き

  (大森)「それより僕がいちばん驚いたのは、法条さんは『時をかける少女』を読んでいない、という話(笑)。大林宣彦監督版の実写映画も見てなくて、見たのは細田守版だけ。さすが、若者はちがうなあ、と(笑)」
  (法条)「作品自体にはあんまり関係ないじゃないですか」
  (大森)「作中にラベンダーまで出しながら、いまだに読んでないというその度胸がすばらしい(笑)」

 文末にいちいち(笑)とありますが、目は笑ってなかったんじゃないかしら。


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『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』(川上亜紀) [読書(小説・詩)]

 「ほんとの話をいくつかしたつもりになると/またそこからほんとの話が枝分かれしていって伸び放題のツル草になる/でもぜんぶほんとの話だ、これからはもうほんとのことばかり書くんだ」

 日常生活で出会うささやかなほんとのことを繊細なリズムの言葉で書きつづった詩集。単行本(思潮社)出版は、2012年05月です。

 生活のあれこれを、詩の言葉でもって、小説のように書いた、そういう作品が14篇集められています。父親の入院そして死という大きな出来事から、散歩や買物といった身の回りのささいな日常風景まで、心のなかのほんとのことを書くために、ごく自然にヘンな情景を出してくる、そこがうまいと思います。

 父が死んで悲しい、母のことが不安だ、などと書いたとしても、どうしても嘘っぽくなるところを、こんな風に書いてしまうのがいいのです。

 「そこでわたしはトンデモナイ悲しみと二人で/街に遊びにいくことにしたのだった」
  (『青空に浮かぶトンデモナイ悲しみのこと』より)

 「雪だるまも作らないでふきのとうを喜んで食べる大人というのは/ほんとうに不思議な生き物だと思っていた/(大人はいつか死んでしまうからとても困る、とも)」
  (『スノードロップ』より)

 「保険証のコピーは窓口でとってくれることが最近やっとわかってきた/でも毎年少しずつ何かが違っていてたとえば今年は印鑑が必要なかった」
  (『真昼』より)

 「(安全ピンを袖口に入れ芍薬の花を口にくわえてこっそり宙返りの練習をする母!)」
  (『安全ピンと芍薬』より)

 個人的に最も好きなのは『土星元年』という作品。猫と土星人の話ですから。

 「誰か猫の爪きりが得意なひとはいませんか?/灰色猫の爪が伸びて/かち、かち、かち、かち、と音をたてて/フローリングの床を歩いているので物事が滞っている」

 「近所のローソンに牛乳を買いに行って占い本を立ち読みする/生年月日の数字をあてはめて計算してみると、わたしは土星人だということだった/(ああやはりわたしは土星人だった)」

 「カテリーナさんカテリーナさん、イワンさまはモスクワへお発ちになりました、/ですがそれはそれとして、来月からタクシー料金が値上げになりますんで、/高円寺の猫医者さんのところへいまのうちに行ったほうがよろしいです、」

 「土星は地球の七百五十倍の体積と質量があり/ボイジャーの探索によれば衛星を二十個以上持っている/引っ越すなら二〇〇八年の年明けである」

 他に、中国茶のメニューに書かれた「緑茶のふくよかさと烏龍茶のさわやかさをあわせもつ香りです」という説明文が何かをちょっとだけ棚上げにしてくれる『【本日のお茶】』、誤送信あるいはスパムメールに対して「<あなた様のプロフィールにはなにか心を打たれるものがございました>」と返信することを夢想してみる『正月のフェルメール』などが印象に残りました。


タグ:川上亜紀
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『バースト!  人間行動を支配するパターン』(アルバート=ラズロ・バラバシ) [読書(サイエンス)]

 「詳細に見れば見るほど、人間行動は広く適用される法則に支配された、単純で再現可能なパターンにしたがっていることが明白になってくる」(単行本p.24、25)

 中世の十字軍遠征、アインシュタインが手紙を出した頻度、ドル紙幣の移動軌跡、さらにはウェブ閲覧、電話、電子メールなど、様々な統計分析から浮かび上がってくる共通的なパターンが存在する。人間行動を支配する普遍法則を追求したサイエンス本。単行本(NHK出版)出版は、2012年07月です。

 もしも人間行動の背後に規則性があり、一人一人の行動は必ずしも予測できなくとも、充分に大きな人間の集団がどのようにふるまうかを正確に予測することが出来るとしたら・・・。SF読者ならためらうことなく「心理歴史学」と称するに違いないこの目標に、人間行動科学がどこまで迫っているのかを教えてくれる一冊です。

 「気体中の10の23乗個の分子の軌跡をみごとに予測しえた物理学者はいまだかつてひとりもいない。だが、だからといって気体の圧力や温度を予測するのがあきらめられたことはない。そして言うまでもなく、個々の分子の軌跡よりもはるかに重要なのはこちらのほうだ。これは人間力学についても同じである。(中略)ランダムなものと予測可能なものを慎重に選り分けたなら、社会構造の多くの側面が予測できるようにならないとも限らない」(単行本p.375)

 手始めに、人間行動の背後に隠されている規則性、すなわちベキ法則やレヴィ軌跡、そしてそこから生ずるパターンである「バースト」が、いかに普遍的なものであるかが語られます。

 「どういう種類の人間行動を調べてみても、つねにバーストのパターンがあらわれた。(中略)バーストは自然界のどこにでもある。各個人がウィキペディア上で行う編集から、為替ブローカーが行う取引まで、あるいは人間や動物の睡眠パターンから、ジャグラーが棒を地面に落とさないようにする微細な動きまで。(中略)何をするにせよ、われわれは無意識に同じ法則、ベキ法則にしたがっていたのである」(単行本p.155、156)

 さらには、様々なエピソードを通じて、同じパターンが人間だけでなく生物界をあまねく支配しているらしいことが明らかになってきます。

 「アホウドリの漁獲パターンはバーストに満ちており、レヴィ飛行と表現するのが最もふさわしかったのである。(中略)新たな数理学的興味が長らく忘れられていたデータを復活させ、ユカタン半島のクモザルからトナカイやマルハナバチやショウジョウバエやハイイロアザラシにいたるまで、動物界のあらゆるところにレヴィ軌跡が見られることをあらためて示すことになった」(単行本p.234)

 「生命はよどみなく現れるわけでもランダムに現れるわけでもなく、バーストがあらゆる時間尺度を支配している。われわれの細胞内における数ミリ秒から数時間の単位でも、病気が発症する数週間から数年間の単位でも、そして進化の過程が進む数千年から数百万年の単位でも。バーストは生命の奇跡の欠くべからざる一部であり、適応と生存をめざしての絶え間ない格闘の証拠なのだ」(単行本p.351)

 著者たちは、バーストを生み出すベキ法則の背後にあるメカニズムを探求し、その秘密は「優先順位付け」アルゴリズムにあるのではないかという仮定に辿り着きます。優先順位付けを組み込んだ数理モデルを研究すると、見事にバーストが再現されたのです。

 「時間は最も貴重な、再生不可能な資源なのであり、もしこれを大事にしたければ、優先順位をつけるしかない。そしてひとたび優先順位をつけたなら、ベキ法則とバーストは避けられないのである」(単行本p.182)

 気ままにふるまっているつもりでも、私たちは知らず知らずに規則とパターンに従って行動している、という事実にはかなりのインパクトがあります。

 「経営大学院のある院生の朝の居場所がわかっていれば、その学生の午後の居場所は90パーセントの正確さで予測できた。メディアラボの学生となると、このアルゴリズムの精度はさらに上がり、96パーセントの割合で居場所を予測できた」(単行本p.280)

 「われわれの生活を数字や公式やアルゴリズムにどんどん分解していけば、やがてわれわれは互いに区別がつかないぐらい、それこそ自分では認めたくないほどに同じようなものになっていく。(中略)われわれの行動と、それを行うタイミングだけに着目してみれば、そこに現れるパターンは、私にもあなたにも固有のものではない」(単行本p.370)

 もちろん、人間行動を数理モデルで解析する研究が持つ危険性についても触れられています。ネットワーク上に残る行動履歴、街中にある監視カメラがとられた映像などのビッグデータを処理することで、個々人の行動をかなり正確に予測できるとしたら、そしてその技術が悪用されたら、どんなことになるでしょうか。

 人間行動の背後にある規則的パターンというテーマをめぐって、本書は次から次へと興味深いエピソードを繰り出してきます。一直線に結論に向かうのではなく、あたかも(本書に登場する)ランダムウォークのように、あちこちの話題をふらふらと彷徨い、なかなか結論に向かわない構成は好みが分かれそう。「はじめに結論を述べ、理由を箇条書きにせよ」タイプのせっかちな読者には向いていないかも知れません。

 ちなみに本書の構成における最大の特徴は、偶数章と奇数章で内容が大きく異なっているという点でしょう。奇数章はこれまで紹介したような内容なのですが、偶数章はハンガリー農民戦争(ドージャの乱)という16世紀に起きた十字軍の反乱を扱った歴史小説になっているのです。

 最初のうちは偶数章と奇数章の関係がまったく分からず困惑することになりますが、辛抱強く読み続けてゆくうちに、この「ドージャの乱」がバースト現象の例であることが次第に分かってきます。

 また、この反乱の推移を驚くほど正確に予言した貴族がいたことが示され、彼にはどうしてそのような見事な予言が可能だったのか、という歴史上の「謎」が提示されます。そして、それが奇数章における「社会の動きを予測することは可能か」というテーマとつながってゆくのです。ちなみに最後に「謎」は解き明かされますが、あまり期待しないほうがいいです。ここまで引っ張っておいて、そのオチかよ。

 というわけで、構成上のクセが強く、読者を選ぶところがある一冊ですが、扱われている内容には実に興味深いものがあります。行動履歴が継続的に大量に入手可能となったネットワークと監視カメラの時代に、行動予測さらには行動制御についての研究には、学術的興味をこえた商業的価値があり、その概要を知っておくことの重要性はますます高まっているものと思われます。


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『挑む力  世界一を獲った富士通の流儀』(片瀬京子、田島篤) [読書(教養)]

 そのとき現場のリーダーは何を考え、それに組織はどう応えたのか。事業仕分けの逆風のなかで性能世界一を達成したスーパーコンピュータ「京」の開発、たび重なる試練を乗り越えてゆく東証システム「アローヘッド」、東日本大震災復興支援、農業クラウド、らくらくホン、次世代電子カルテなど、富士通が挑んだ野心的プロジェクトの経緯を通じて、リーダーと組織のあるべき姿を探求する熱血ビジネス書。単行本(日経BP社)出版は、2012年07月です。

 「富士通はどろくさい(down-to-earth)。しかしそれは、確信に裏づけられたどろくささなのである」(単行本p.197)

 日本の大手IT企業である富士通に取材し、現場で困難なプロジェクトに挑んだリーダーたちの姿を浮き彫りにしてゆく一冊です。登場する人物、プロジェクト、顧客などはすべて実名。特に「主役」となるリーダーたちについては、実名はもとより所属部署から役職まで明記されていて、これが本書に生々しいリアリティを与えています。

 取り上げられているプロジェクトは、次の8つ。

  スーパーコンピュータ「京」
  東証の株式売買システム「アローヘッド」
  すばる望遠鏡/アルマ望遠鏡のデータ処理システム
  東日本大震災の復興支援事業
  シニア向け携帯電話「らくらくホン」
  クラウドサービスによる農業サポート
  次世代電子カルテ
  ブラジルにおける手のひら静脈認証ビジネス

 大型システムからサービス/ソリューション、小型機器まで。数千人規模の開発事業からほとんど個人による活動まで。舞台も都心、地方、海外と、幅広いラインナップになっています。これだけバラエティに富んだビジネス事例集であるにも関わらず、これら8つのケースから受ける印象には驚くほど共通したものがあり、それこそが富士通という企業の個性なのでしょう。

 取り上げられているケースは、「ライバルとの激しい競争に打ち勝った」とか「スマートなアイデア一発で大ヒットを飛ばした」とか「世界トップシェア獲得」とか、そういう華やかなものではありません。その多くは地味で目立たない、どろくさい、しかし社会をしっかり支えている重要なシステムやサービスに関わる仕事です。

 現場で顧客といっしょに(農業クラウトの章など、比喩ではなく文字通り)泥にまみれ悪戦苦闘する、予算が削られる、最終段階で仕様が急に変更される、納入時期が前倒しされる、運搬途中で機器が物理的にクラッシュする、担当者が高山病で倒れる。そのときプロジェクトリーダーが何を考えどのように行動したのか。そして社内の組織は彼らをどのように支援したのか。そこに焦点が当てられます。

 個人的には、大型プロジェクトよりも、復興支援や農業クラウドなど徹底的に現場密着型のケースに感銘を受けました。かっこいいと思う。

 というわけで、富士通の企業文化を知る上で、また一般的に日本の大手IT企業における仕事の感触を得る上でも、非常に有益な一冊です。社会と企業の関係、ビジネスと人間の関わり合い、信念を持って真面目に仕事をすることの意義について、様々に学べることと思います。

 富士通および関連企業に勤めている方、富士通の顧客や同業他社の方、富士通に限らず日本のIT企業への就職を考えている学生の皆さん、そしてグローバル経済だ経営哲学だマーケティング論だといったご大層なテーマを掲げた華やかなビジネス書に空しさを感じてきた方にも、広くお勧めします。


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『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(原作:本谷有希子、監督:吉田大八) [映像(映画・ドキュメンタリー)]

 本谷有希子さんの短篇集が面白い面白いと騒いでいたら、彼女の長篇小説を原作とした映画をお勧めされたので、DVDで鑑賞しました。本谷有希子さんの同名の原作を映画化した作品で、監督は吉田大八さん、公開は2007年です。

 実は原作小説を読んでおらず、演劇も観てないため、映画版でどこがどう変わったのかは分かりません。以下には、映画版だけを観た感想を書きます。

 田舎を舞台に家族間の確執を描いた作品で、主要登場人物は四名。才能皆無なのに自己愛だけが異様に肥大した長女(佐藤江梨子)、その長女に執拗なイジメを受ける妹(佐津川愛美)、長女の呪縛に押しつぶされてゆく長男(永瀬正敏)、その長男からひどい扱いや暴力を受けている兄嫁(永作博美)。

 女優志願のイタい勘違い女である長女が田舎の実家に戻ってきて、妹に凄絶なやつあたりをする。始終うつむいてごめんなさいごめんなさいと口にするばかりの妹。その陰惨なイジメをやめさせることも出来ず、腹いせのように嫁に暴力をふるう兄。悲惨な境遇を笑顔で受け流す兄嫁。家族間のどろどろした確執と諍いを描いた、まあ、日本映画にありがちな、そんな作品だと思ってこちらも観てるわけです。最初のうちは。

 あまりに長女のキャラが強烈なので当初は目立たないのですが、慣れてくるにしたがい、次第に他の登場人物たちの異常な言動が気になってきます。

 嫁にはわざとのように突発的な暴力を振るうくせに長女にはなぜか頭が上がらない兄の分裂ぶり、ひどい陰湿なイジメを受けていながらこっそり姉の言動を観察し続けている妹。姉の犯罪計画を知っても何ら対処するでもなく、事前に現場に行って、隠れて一部始終を見てたりと、妹の行動にはどこか薄気味悪さが漂います。

 このあたりの異常さはプロットが進展するにつれて理由が明らかになり、最後にはストーリーラインにきっちり還元されるので、観客としては「安心」できるのです。問題は・・・。

 そう、問題は兄嫁。どんな逆境にも耐え、明るくけなげに振る舞う。NHK連続テレビ小説のヒロインか。言動があまりに場の雰囲気にそぐわないので、だんだんと不安になってきます。家族間の確執にまったく気づいてないかのような空気読めない態度、異様に明るく朗らかでどんな目に合わされてもマイペースを崩さない天然っぷり。ほとんど話の展開に関与してこないにも関わらず、そのあまりの存在感。彼女は何者なのか。他人にまったく共感できない人なのか、それとも何かたくらみでもあるのか。

 これが他の登場人物の異常性と同じようにストーリーに還元されれば「安心」できるのです。例えば、最後に家族はばらばらに離散し、家や土地はすべて嫁のものになるのですが、実は最初からそれが狙いで、天然のふりして家族間の対立を裏で煽っていたのは彼女だった、というようなオチであれば、それはそれで得心できるのです。

 もちろんそんなことはなく、ひたすら底が知れない。分からない。どこにも収まりがつかない。観終わった後も、胃の内側にささった小骨のように、もやもやが残ってしまう。映画全体としては、しっかり笑える、爽快なブラックコメディとして完結するのですが。

 ストーリー展開の物語的な面白さとは別に、この映画のキモは、永作博美さん演じるところの兄嫁が醸しだす、どうにも割り切れない明るい不条理感ではないか。その底知れなさのインパクトが、映画全体をぴりっと引き締めているようにも感じられます。

 なお、DVDには特典映像としてメイキング、カンヌ映画祭と舞台挨拶、未公開シーン集、予告編などが収録されており、原作者である本谷有希子さんも登場します。ただし扱いはとことん地味。ああ、この頃にはまだ本谷有希子さんは少なくとも世間一般には注目されてなかったのだなあ。


タグ:本谷有希子
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