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『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔) [読書(SF)]

 「物語とは厄介なものです。ただ物語られるだけでは足りない。適した場所と適したときに、適した聞き手が必要なのです」(単行本p.133)

 19世紀後半。フランケンシュタイン博士が開発した、死体の脳への疑似霊素書き込み技術により製造される「屍者」は、安価な労働力および兵力として全世界で広く活用されていた。医学の道を志す若きジョン・ワトソンは、英国外務省からの極秘任務を受けてアフガニスタンに派遣される。カラマーゾフ家の四男アレクセイがそこで「屍者の王国」を創ろうとしているというのだ・・・。

 伊藤計劃が遺した冒頭部分をそのままプロローグとして取り込み、円城塔がついに完成させた傑作長篇。単行本(河出書房新社)出版は、2012年08月です。

 「物語による意味づけを拒絶したなら、わたしたちは屍者と変わるところがなくなるだろう」(単行本p.85)

 「生者が屍者と異なるのは、自分自身の行動を自分の意思によるものだと、あとから勝手に考えて自分を騙すだけなのだ」(単行本p.273)

 病に倒れた若き天才作家が遺した原稿を引き継いだ盟友が、ついにそれを長篇として完成させ、芥川賞を受賞したタイミングで発表する。あまりにもドラマチックな経緯に、出版前から大いに話題を呼んだ作品です。

 伊藤計劃のテーマや問題意識を受け継ぎながら、実在虚構問わず19世紀の著名人をどんどん登場させて読者を翻弄し、英国、アフガニスタン、日本、新大陸と世界中をめぐって、最後は英国に戻ってくる。あるいは伊藤計劃の足どりを追って、最後は円城塔に戻ってくる。そんな物語。冒険活劇エンターティメントとしても充分に面白く、最後はまぎれもない円城文学になってゆき、ラストでしんみり。実に素晴らしい。

 死体の脳に電気的に疑似霊素を書き込むことで動かされる「屍者」が、労働力や兵力として活用されている19世紀が舞台となります。

 英国ロンドン大学で医学を学んでいた若きワトソンが、ヴァン・ヘルシング教授の紹介で英国外務省に徴用され、M(たぶんジェームズ・ボンドの上司ですが、弟は私立探偵)の指示により秘密諜報員としてアフガニスタンに派遣される、というのがプロローグ。伊藤計劃が書き遺したのはここまで。

 続く第一部では、アフガン奥地に新型の屍者を集めて自分だけの「王国」を築こうとしているというアレクセイ・カラマーゾフ(カラマーゾフ兄弟の四男)の謎を探るべく、ロシア側から派遣されてきた諜報員コーリャ・クラソートキンと共に戦場を抜けて奥地へと向かう、という物語になります。

 何しろ、アレクセイとクラソートキンの再会、ロシア帝国への謀叛のたくらみ、という筋立てですから、『カラマーゾフの兄弟 第二部』そのもの。作者の急逝によりついに書かれることなく終わった長篇、というその背景が本作と呼応しているところが実に巧みな仕掛けです。

 といってもロシア文学には向かわず、むしろ007シリーズや『地獄の黙示録』のような展開に。屍者兵団の大規模戦闘など派手なシーンもあり、楽しめます。個人的には、山田正紀さんの初期長篇を連想しました。

 やがて人類屍者化計画を企んでいるらしい「敵」の正体が判明。以降、第二部では日本、第三部では米国、という具合に、ワトソンは「敵」の痕跡を追って世界中を回ることに。

 そこにイルミナティやピンカートンがからんできて、フランケンシュタイン三原則やら屍者爆弾やら、映画版『パトレイバー』第一作を連想させるネタやら、色々と盛り込まれ、サムライvs屍者ニンジャのチャンバラあり、もちろん美女とのロマンスあり、ノーチラス号に乗り込んで本拠地へ突撃、ロンドン塔大崩壊、などなど大忙し。派手な活劇に目を奪われているあいだに、意識の本質をめぐる議論が作品を乗っ取る勢いで増殖し、はっと気がつけば円城塔のデビュー長篇へとつながって・・・。

 「せめぎ合いのない世界、解釈も、物語も必要のない、ただのっぺらと広がる世界、完全な独我論者たちの世界だ。全てはただそこにあり、あるだけとなる」(単行本p.402)

 外部から操作される意識(第一長篇『虐殺器官』)、自意識という最後の「病」を「治療」してしまった世界(第二長篇『ハーモニー』)という伊藤計劃のビジョンをさらに大胆に押し進め、『ハーモニー』の到達点を「屍者の帝国」という形で示してみせる。SFとしても読みごたえたっぷりです。

 流行りのスチームパンクや歴史改変小説のにぎやかさの裏で、屍者化された生者、自意識の存在意義など、現代の私たちにとって切実な問題意識へと一直線に切り込んでくるところも鋭い。「屍者の帝国」とは、私たちの世界のことではないでしょうか。

 というわけで、その成立過程のドラマが話題になりがちですが、素直に読んで娯楽作品として充分に楽しめる一冊です。両著者の愛読者はもとより、あまりSFに興味がない方にも、現代日本SFがどんなことになっているのか確かめるべく、読んでみることをお勧めします。


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