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『友だちリクエストの返事が来ない午後』(小田嶋隆) [読書(随筆)]

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偏屈者にとっては、はなはだ厄介なことに、いつの頃からなのか、この国では、友だちの数が、人間の価値を判定する上での有力な指標になってしまっているように見えるのだ。(中略)30歳より若い連中は、他人を攻撃する際には、相手が友だちのいない人間である旨を指摘することがもっとも効果的だと考えているように見える。
 なるほど。彼らは、友だちのいない人間であると思われることを恐れている。そして、どうやら、敵が自分より孤独な人間であることを証明できれば、自分が優位に立てるというふうに感じている。
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単行本p.10、11

 友達って何? 友情って何? 人気コラムニストによる友情論、あるいはいつもの愚痴と厭味。単行本(太田出版)出版は2015年5月です。


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平成に入ってからこっち、若い連中がやたらと「仲間」や「絆」に執着するようになったのは、バブル時代に一世を風靡していた恋愛至上主義から脱皮するためには、代替思想として、友情でも持ってこないと、どうにもならなかったからだ。
 と、今度は、仲間を持たない人間が軽蔑される世のなかがやってくる。すなわち「友だち」が、新しい時代のオブセッション(強迫観念)になったわけだ。こうして考えてみると、結局のところ、若いということは、何らかの強迫観念に支配される生き方の別名であるのかもしれない。難儀なことだ。
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単行本p.183


 やたらと「仲間」や「絆」といった言葉が連呼される風潮に対する疑問からスタートして、友情とは何かを考えてゆきます。しかし、そこはひねくれた著者のこと、まず友情や仲間といった言葉をきちんと定義してから慎重に議論を積み重ねて結論へ至る、などという気はこれっぽっちもありません。


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 ある時期から、われわれは、学歴や社会的地位よりも、「仲間」を誇るようになっている。同様にして、誰かを誹謗する時も、肩書や大学の名前ではなくて「仲間」を罵る。実に奇妙な習慣だ。しかも、その「仲間」の定義は、人によってかなり隔たっている。だからこそ、仲間をめぐる対話は、必ずや荒れる。
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単行本p.119

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 仲間について語る人間たちは、決して仲間になることができない。なぜなら、「仲間」の定義が、違っている者同士は、お互いの「仲間意識」を不潔に感じるからで、ということはつまり、「仲間」のことは「仲間」にしかわかってもらえないからだ。
 なんという気持ちの悪い同語反復だろうか。
 ことほどさように、友情は厄介だ。
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単行本p.124

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友情の問題を一般論として扱う態度は、友情の価値を信じる人々の感情を傷つける。
「オレたちの友情は特別だ」
 と思いたがるのが、友情について考える人間一般に観察される傾向だということでもある。
 しかしながら、ということはつまり、自分たちが特別だというとらえ方そのものは、実にもって凡庸極まりない考え方だということになる。
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単行本p.212


 こうして一般論を考える努力は放棄。個別の事象について語ってゆきます。扱われている話題は、フェイスブックの「友だちリクエスト」の奇妙さ、幼少期における友だちの役割、故郷と友だちの本質的な関係、女の友情、ヤクザの友情、酒飲み仲間の友情、SNS、「コミュ力」信仰、友だちの死、新入社員研修で量産される絆、スクールカースト、恋愛至上主義から友情原理への転換、家族の絆、など。

 結論に向かうようなエッセイではなく、同じ場所をぐるぐる回っているように感じられます。むしろこの混迷っぷり、右往左往ぶり、逃げ腰全開、辛口チキンナゲットを楽しむべき一冊でしょう。


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 とはいえ、恋人と友だちの、いずれが大切であるのかは、これは永遠の謎だ。答えを求められると、困る。
 私の暫定的な回答は、「持ってない方」ということになるだろうか。
 友だちを持っていない人間は友情に憧れ、恋人のいない男は恋人の存在に焦がれる。
 両方持っていない人間については、回答を保留しておく。
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単行本p.185


 というわけで、「友だち」同士でイイネ!し合うことは友情なのか、「絆」を深めるとなぜ日本が復興するのか、恋愛や友情より睡眠時間が大切と思う人間は駄目なのか、悩んでいる方には役に立つかも知れません。回答を与えてくれるからではなく、同じようなことに悩んでいる人がいることで安心できるからです。


タグ:小田嶋隆
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『現代詩手帖2015年5月号 【特集】SF×詩----未知なる詩の世界へようこそ!』(河野聡子、最果タヒ) [読書(SF)]

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初めて現代詩をいくつか読んだときに、こんな自由なことがあるのか、と思ったんです。詩なら私は本当に何でもできるんだ、無敵だな、と思ったわけですが、これが私の中で立ち位置的にSFにたいへん近かった。
(中略)
問題は、SFを成り立たせている構造や思想をいかにすれば詩の言葉にできるかということであり、なぜ私がこう考えるかというと、SFを成り立たせている思想は、詩を成り立たせる思想とほとんど同じだと私が信じているからです。
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河野聡子
現代詩手帖2015年5月号

 現代詩手帖2015年5月号は特集「SF×詩」ということで、様々なSF詩を掲載してくれました。執筆陣も豪華で、SF読者にもお勧め。SFマガジン6月号といっしょに購入しましょう。


[目次](特集部分のみ)
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◎鼎談
 「世界観を変える力」(増田まもる、水無田気流、河野聡子)

◎改訂訳
 『太陽の到来』(『レンズの眼』より)(ラングドン・ジョーンズ、増田まもる訳)
 『ストレンジ・ボーイズ』(『デッドボーイズ』より)(リチャード・コールダー、増田まもる訳)

◎作品
 『偽『初夢』から『SF』の方へ』(天沢退二郎)
 『次元の孤独』(最果タヒ)
 『まつりびとれいこんまれいいち』(水無田気流)
 『シャッフル航法』(円城塔)
 『女人結界』(広瀬大志、伊藤浩子)
 『橡』(酉島伝法)
 『La Poèsie sauvage』(飛浩隆)

◎エッセイ----詩とSF

 『詩・科学・SF/三位一体説』(荒巻義雄)
 『《短詩型SF=SF詩》論 SF詩への歴程』(天瀬裕康)
 『言葉というSF』(髙塚謙太郎)

◎論考----SF詩論

 『「未来」と「回帰」 SFと詩の〈岬〉に向かって』(生野毅)
 『林美脉子という内宇宙(ドキュメント)』(岡和田晃)
 『いかなるボウイ的存在が、はるかの高みからそれを聞こうぞ? トレイシー・K・スミス『LIFE ON MARS 火星の生命』を読む』(波戸岡景太)
 『英語圏のSF詩』(橋本輝幸)
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『太陽の到来』(『レンズの眼』より)(ラングドン・ジョーンズ、増田まもる訳)
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 われらはここにいる太陽よ荘厳なる太陽よわれらは汝の光線を待ち受けるわれらを舐める汝の舌を太陽よわれらは呼び求めるわれらの肉体を圧する汝の怒り来たらんことを汝の毒をもちてわれらを浄めよ太陽よ死に至る激情の魔力ある太陽よ力強き太陽よ合一の栄光に満ちた太陽よ太陽よ太陽よ
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現代詩手帖2015年5月号p.32


『ストレンジ・ボーイズ』(『デッドボーイズ』より)(リチャード・コールダー、増田まもる訳)
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目立った特徴? メタセクシャリティだ。超越的性質だ。抗暗示的だ。狂ったリズムのいたずら、サイボーグ、ドール。こちらダゴン、暗黒物質に支配された宇宙の向こう側から呼びかけている。火星、応答せよ、ハロー?
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現代詩手帖2015年5月号p.35


『偽『初夢』から『SF』の方へ』(天沢退二郎)
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もちろんそこに何があるはずも
何もないはずも、それさえも
あるはずなどありはしなかった
ただひとつ、ここで明白になったのは
これはもはや決して「初夢」などではなくて、
それは「SF」と称する他はないものだった。
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現代詩手帖2015年5月号p.39


『次元の孤独』(最果タヒ)
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きみのことを好きだけれど、
明日も好きかはわからない そんな冷え冷えとした感性が、
あなたの脳を快感まみれにするくせに。
優しい人などいない世界は、光が鋭くて朝焼けが美しい。
きみの守りたいものが消え失せていくのが、青春で、人生の
スパイスならば
それ、死ねってことじゃないのかって。
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現代詩手帖2015年5月号p.41


『まつりびとれいこんまれいいち』(水無田気流)
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圧縮じざい の かみひろい
かみのまにまに しみがはう
しみはうるひ にかみがまう
かみのふざいはでふぉとなり
たいえきかみが やまをなす

いどうしんでんてんかします
いどうさいだんとうかします
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現代詩手帖2015年5月号p.43


『シャッフル航法』(円城塔)
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 初期に開発されたシャッフル・ドライブが、アウト・シャッフルを採用していたことは我々にとって幸いであった。何故なら、いわゆるイン・シャッフル・ドライブが経巡る宇宙の数は、カードの総数、すなわち可能な宇宙の総数と同じ、52であることが知られているからである。これはあまりに膨大な数字であり、我々には想像することさえ叶わない。
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現代詩手帖2015年5月号p.54


『女人結界』(広瀬大志、伊藤浩子)
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偉大なる呪術者と讃えられた
「雄鳥の喉」シク・タエは
多変量下にあるおれの因子の一つ一つを
「水掻き雛」で結合する
その解析モジュールに関しては疑いの余地はなく
おれは反映する死後のパターンにおいて
混沌とする火と水の境界で降雨の規則性にあてがわれる
人は空を形成するための思考する器官である
人は魚を成長させるための不具合な性器である
人は鉱物を分離するための連鎖的情報であり
人は雨を循環させるための意識的言語の堆積物である
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現代詩手帖2015年5月号p.63


『橡』(酉島伝法)
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 わたしたち幽霊は、月面の広大なクレーターの中央丘に寄り集まっていた。その数は二千名ばかり。頭上でゆっくりと回転している翠緑色の地球に、これから飛び降りようというのだ。
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現代詩手帖2015年5月号p.68


『La Poèsie sauvage』(飛浩隆)
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♯禍文字は数ある野良の詩集でももっとも風変わりであり、とびきり危険だった。書字空間においてこれに接触しようとし、そのまま「死んだ」者は少なくない。かれらは書字空間の外部から電子的代理人を差し向けてその「詩」を読もうとしたのだが、そのまま昏睡状態となった彼らの肉体の脳は、いまも全力を挙げてその「詩」の計算の一部を担っている。らしい。「らしい」というのは、だれもそれを確かめたがらないからだ。犠牲者たちは現実に陥入した「詩」の一部であるとして、軍の病院で厳重な監視下にある。
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現代詩手帖2015年5月号p.80


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『SFマガジン2015年6月号 ハヤカワSF文庫総解説PART2』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2015年6月号は、特集「ハヤカワSF文庫総解説」の分割掲載そのパート2として、501番から1000番までを紹介。

 また、読み切り短篇としては、引き続き円谷プロダクションとのコラボレーション企画として今回は酉島伝法、日本オリジナル短篇集が出版されたばかりのケン・リュウ、アーバンギャルドの松永天馬、それぞれの作品が掲載されました。


『神待ち』(松永天馬)
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 飾られたフィギュアが振動で雪崩れ落ちるように、コンクリートの筐体の上からポーズをとった少女たちが次々と飛び降りる。笑顔のままで、瞳孔に尖った涙を湛えながら、小さく果てる。小さく果てては、ネット上に細かな傷を遺していく。
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SFマガジン2015年6月号p.132

 神様の盗撮フィルム(俗にいうアカシックレコード)を二時間弱に編集して劇場用映画として公開するので、主演女優になってくれないか。カントクに声をかけられた少女たちは、神に選ばれるために次々と屋上から飛び降りて小さな染みになってゆく。

 「少女は死なず、ただ消費される」。アーバンギャルドの松永天馬、豪快少女小説その第四弾。単行本化はまだですか。


『痕の祀り』(酉島伝法)
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長い尻尾のある全体の印象からは、肉食恐竜を連想させるが、これまで現れた多様な形態の顕現体と同様に、骨格の構造はむしろ人間に近い。
 この、おおよそ百五十噸(トン)はあると言われる、未だどういう生き物なのかも定かではない極大の死骸を、ここから迅速に運び去らなければならないのだ。
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SFマガジン2015年6月号p.217

 万状顕現体と斉一顕現体の接触状況により照射された大量の絶対子、その審問効果に耐えながら特殊清掃業者「加賀特清会」は加功機を操縦する。巨大残留性有機汚染物質を回収するために。

 「ウルトラマンのスペシウム光線によって倒された怪獣の死体を後片付けする科学特捜隊の地味な苦労」というありふれた話が、この著者の手にかかるとまたもや酉島伝法汁まみれバイオ異形奇譚に。


『『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)』(ケン・リュウ、古沢嘉通訳)
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 ツェッペリンにはたくさんの空間がある、とわたしはぼんやり思い浮かべた。空気より軽いヘリウムで充たされたその空間がツェッペリンを浮かばせている。結婚というものも、たくさんのスペースがある。浮かばせておくのにいったいなにを詰めればいいのだろう?
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SFマガジン2015年6月号p.246

 航空機に比べはるかに燃料効率が良く二酸化炭素排出量が少ないため、今や長距離輸送の主役となっているツェッペリン飛行船。長距離貨物輸送飛行船、東風飛毛腿(フェイマオトイ)機に同乗し、中国甘粛省蘭州から米国ネバダ州ラスベガスまでの飛行体験を綴ったレポート。

 飛行船が輸送の主役となっている改変歴史世界を舞台に、シフト交替しながら飛行船を飛ばし続ける夫婦(野心的なアメリカ人である夫、彼が“買い取った”中国の貧しい農村出身の妻)の関係を扱った物語。リアルで胸踊る飛行船の描写が印象的ですが、話の展開はやはりウェットで感傷的な方向になります。


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『七つの大罪』『春の祭典』(Co.山田うん) [ダンス]

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100年ほど前の偉大な芸術家達の挑戦に対し、新しい解釈というよりもむしろ、より一層時代遅れとも言うべき響きを現代に蘇らせたく、土着的で直球的な創作舞踊に挑戦しました。
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 2015年4月26日は、夫婦で東京芸術劇場シアターイーストに行って山田うんさんの二本立て公演を鑑賞しました。バランシン『七つの大罪』、ニジンスキー『春の祭典』、それぞれの山田うん版です。前者が45分、後者が35分。


『七つの大罪』

振付・演出: 山田うん
出演: 山田うん、川合ロン
音楽: 芳垣安洋、高良久美子、太田惠資、助川太郎

 山田うんさんと川合ロンさんが二人一役のアナを踊ります(バランシンのオリジナル版でもアナの歌と踊りは別の出演者が担当したそうです)。薄暗い照明の下、演奏エリアを除けば、舞台上には机と椅子二脚があるだけ、それも途中で吊るされたり壊されたり。

 長髪の川合さんは饒舌で衝動的で歪んでいて、目付きが変なUFOコンタクティ。古くて野暮ったい、でもどこか狂気を感じさせるスーツを着た山田さんは、無表情ですぐに凝固して、呪いの人形。二人が舞台上にいるだけで「あ、これはヤバい」と、まるでうっかり心霊スポットに足を踏み入れたような感触が背中を走り抜けます。

 川合さんの躍動感あふれる動き、山田さんのMPを吸い取るようなふしぎなおどり、どちらもかっこいい。不安になるほど魅入られてしまいます。暴力的だったり煽情的だったりする演出もばんばん出てきますが、むしろ全体から感じられる狂気のようなパワーがものすごい。感激です。


『春の祭典』

振付・演出: 山田うん
出演: 荒悠平、飯森沙百合、伊藤知奈美、川合ロン、木原浩太、小山まさし、酒井直之、城俊彦、西山友貴、長谷川暢、広末知沙、三田瑶子、山下彩子

 12名の出演者が群れとなってがんがん踊るパワーあふれる作品。まずは鳥の衣装で集団求愛ダンス、さらには、爬虫類、両生類、よく分からない虫やら環形動物まで、あたかも人外魔境の饗宴、生物多様性。

 とにかく激しいリズムに乗って踊り、音楽と一体になったような細かい動きを超高速で繰り出しながら、同時にミキサーのように舞台全体を走り回るダイナミックなフォーメーション変更を続けるという過酷な振付で、生贄を選ぶどころか全員過労死が危ぶまれ。

 観ているだけでどっと疲れるような、エネルギッシュで異様な高密度の春祭。猛烈にハイになります。


タグ:山田うん
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『ビッグデータ・コネクト』(藤井太洋) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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「よく見とくといいよ」
 揺れた車をいなす綿貫へ武岱が投げた言葉は軋むタイヤの音にかすれてしまったが、近くで聞いていた耳ははっきりとその言葉を捉えていた。
 エンジニアの地獄だ。
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Kindle版No.1694

 大規模ITシステム開発現場のリーダーが誘拐され、切断された指が警察に送られてくる。事件の背後には、開発現場の悲惨な状況と、そして大きな陰謀が隠されていた。個人情報収集をめぐる現実の問題を扱った緊迫の警察小説、あるいはSE残酷物語。文庫版(文藝春秋)出版は2015年4月、Kindle版配信は2015年4月です。


 舞台となるのは近未来、「2017年に始まったばかりの国民社会保障システム」(Kindle版No.645)「今作ってる国立競技場」(Kindle版No.1639)といった記述からみて、おそらくは『アンダーグラウンド・マーケット』と同じ2018年。ただし場所は東京ではなく関西。

 建設中の官民複合施設で使われる大規模ITシステムの開発現場リーダーが誘拐され、犯行声明と共に被害者の切断された指が送られてくるという凶悪事件が発生します。

 事件を追う京都府警本部サイバー犯罪対策課の万田警部。その前に現れた謎の男。彼こそは、二年前にコンピュータウイルス事件の容疑者として万田と対峙し、数年に及ぶ執拗な取り調べにも黙秘を貫き、結局は不起訴処分を勝ち取ったエンジニアだった。この因縁浅からぬ二人が、呉越同舟ということで協力して事件の捜査にあたることに。

 最大の謎は、犯人の動機でした。


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なんていうか、この事件は誰が何のためにやってるのか分からん。(中略)うまくいったところで、誰が得をするのか全く分からない。こんなことをする理由が、分からないんだ。
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Kindle版No.1353


 捜査を進めるうちに見えてきたのは、大規模ITシステム開発現場の疲弊ぶり。そして壊れゆくシステムエンジニアたちの姿。


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そうです。あれは今日の日付ですよ。三月の二百二日。この部屋にはまだ年度末が来ていないんです。納品ができていないので、一部の請負にはお金も払われていません。
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Kindle版No.2004

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プロジェクトに、根本的に人か時間か、その両方が足りなかったんだ。ただ、それを月岡は言い出せなかった。言えば管理能力がないと見なされる。それでもなんとか前に進めるために、外注に任せるべき仕事を自分で抱え込んで、自分でコードも書いた。折衝もしていた。〈データ〉が座組みだけで決めたワークフローや派遣、外注なんて、これっぽっちも使えない。(中略)管理と現場の両方を持ってパンクしないわけがない。遅れていく。終わらない。元請けには言いたくない。〈データ〉は無理ばかり言う。下流のコーダーはバカばかり。銀行の残高は猛烈な勢いで減っていく。
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Kindle版No.4402、4407

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社員食堂も休憩室も使っていなかったという。コンビニで買ったクッキーと清涼飲料水を持ち込んで八時に出勤し、九時五時でタイムカードを押しながら日付が変わるまで働いていた。休憩も取らず、土日もずっと出社して、絶対に手の届かない正社員に仕えていた。(中略)
『おれがいなければ回らない』と思い込むようになったのだろう。そうして、誰も顧みない仕事を、クソのようなものに変えてしまった。
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Kindle版No.4421

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違法な多重請負に、法の理念を無視した抜け道、そして納品直前のどんでん返しというところですね。この三つが揃う程度なら珍しくも何ともありません。
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Kindle版No.2566


 身悶えする読者も多いのではないかと思われる描写が続きます。

 住基ネット、Tポイントカード、マイナンバー、監視カメラなど、実際に個人情報の扱いが議論になっている技術や制度が次々に登場するので、しかもタイトルがタイトルだし、何かそこらをめぐる陰謀が隠されていそうだということは察しがつきます。

 実のところ著者のこれまでの作品は「大きな陰謀の存在に気づいたエンジニアが、腕利きの仲間と共に、それを阻止すべく立ち上がる」という展開だったので、今回も多分そうだろうなと、読者としてはそう思いつつ読み進めることになるのですが……。

 崩れゆく開発現場、壊れるシステムエンジニア。リアルな描写にインパクトがあり過ぎて、どうしてもそちらが印象に残ってしまいます。個人的な感想としては、人がこんな風に働いている、人がこんな風に扱われている、そしてそれはまったくの現実そのものだ、という事実の前には、個人情報ビッグデータの収集と解析処理をめぐる陰謀もかすんでしまうような気がして。

 というわけで、個人情報保護をテーマとした社会派ミステリ、緊迫した警察小説でありながら、どちらかというとSE残酷物語という印象が拭えない一冊です。


タグ:藤井太洋
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