SSブログ

『ビッグデータ・コネクト』(藤井太洋) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

--------
「よく見とくといいよ」
 揺れた車をいなす綿貫へ武岱が投げた言葉は軋むタイヤの音にかすれてしまったが、近くで聞いていた耳ははっきりとその言葉を捉えていた。
 エンジニアの地獄だ。
--------
Kindle版No.1694

 大規模ITシステム開発現場のリーダーが誘拐され、切断された指が警察に送られてくる。事件の背後には、開発現場の悲惨な状況と、そして大きな陰謀が隠されていた。個人情報収集をめぐる現実の問題を扱った緊迫の警察小説、あるいはSE残酷物語。文庫版(文藝春秋)出版は2015年4月、Kindle版配信は2015年4月です。


 舞台となるのは近未来、「2017年に始まったばかりの国民社会保障システム」(Kindle版No.645)「今作ってる国立競技場」(Kindle版No.1639)といった記述からみて、おそらくは『アンダーグラウンド・マーケット』と同じ2018年。ただし場所は東京ではなく関西。

 建設中の官民複合施設で使われる大規模ITシステムの開発現場リーダーが誘拐され、犯行声明と共に被害者の切断された指が送られてくるという凶悪事件が発生します。

 事件を追う京都府警本部サイバー犯罪対策課の万田警部。その前に現れた謎の男。彼こそは、二年前にコンピュータウイルス事件の容疑者として万田と対峙し、数年に及ぶ執拗な取り調べにも黙秘を貫き、結局は不起訴処分を勝ち取ったエンジニアだった。この因縁浅からぬ二人が、呉越同舟ということで協力して事件の捜査にあたることに。

 最大の謎は、犯人の動機でした。


--------
なんていうか、この事件は誰が何のためにやってるのか分からん。(中略)うまくいったところで、誰が得をするのか全く分からない。こんなことをする理由が、分からないんだ。
--------
Kindle版No.1353


 捜査を進めるうちに見えてきたのは、大規模ITシステム開発現場の疲弊ぶり。そして壊れゆくシステムエンジニアたちの姿。


--------
そうです。あれは今日の日付ですよ。三月の二百二日。この部屋にはまだ年度末が来ていないんです。納品ができていないので、一部の請負にはお金も払われていません。
--------
Kindle版No.2004

--------
プロジェクトに、根本的に人か時間か、その両方が足りなかったんだ。ただ、それを月岡は言い出せなかった。言えば管理能力がないと見なされる。それでもなんとか前に進めるために、外注に任せるべき仕事を自分で抱え込んで、自分でコードも書いた。折衝もしていた。〈データ〉が座組みだけで決めたワークフローや派遣、外注なんて、これっぽっちも使えない。(中略)管理と現場の両方を持ってパンクしないわけがない。遅れていく。終わらない。元請けには言いたくない。〈データ〉は無理ばかり言う。下流のコーダーはバカばかり。銀行の残高は猛烈な勢いで減っていく。
--------
Kindle版No.4402、4407

--------
社員食堂も休憩室も使っていなかったという。コンビニで買ったクッキーと清涼飲料水を持ち込んで八時に出勤し、九時五時でタイムカードを押しながら日付が変わるまで働いていた。休憩も取らず、土日もずっと出社して、絶対に手の届かない正社員に仕えていた。(中略)
『おれがいなければ回らない』と思い込むようになったのだろう。そうして、誰も顧みない仕事を、クソのようなものに変えてしまった。
--------
Kindle版No.4421

--------
違法な多重請負に、法の理念を無視した抜け道、そして納品直前のどんでん返しというところですね。この三つが揃う程度なら珍しくも何ともありません。
--------
Kindle版No.2566


 身悶えする読者も多いのではないかと思われる描写が続きます。

 住基ネット、Tポイントカード、マイナンバー、監視カメラなど、実際に個人情報の扱いが議論になっている技術や制度が次々に登場するので、しかもタイトルがタイトルだし、何かそこらをめぐる陰謀が隠されていそうだということは察しがつきます。

 実のところ著者のこれまでの作品は「大きな陰謀の存在に気づいたエンジニアが、腕利きの仲間と共に、それを阻止すべく立ち上がる」という展開だったので、今回も多分そうだろうなと、読者としてはそう思いつつ読み進めることになるのですが……。

 崩れゆく開発現場、壊れるシステムエンジニア。リアルな描写にインパクトがあり過ぎて、どうしてもそちらが印象に残ってしまいます。個人的な感想としては、人がこんな風に働いている、人がこんな風に扱われている、そしてそれはまったくの現実そのものだ、という事実の前には、個人情報ビッグデータの収集と解析処理をめぐる陰謀もかすんでしまうような気がして。

 というわけで、個人情報保護をテーマとした社会派ミステリ、緊迫した警察小説でありながら、どちらかというとSE残酷物語という印象が拭えない一冊です。


タグ:藤井太洋
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: