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『アンダーグラウンド・マーケット』(藤井太洋) [読書(SF)]

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 東京の移民は2018年の今年、1千万人を超えた。東京オリンピックを誘致する政府が呑んだ、TPPの労働力流動化条項のためだ。(中略)

物心ついたときからグローバル経済のただ中にいる彼らは、ITを活用して同じ境遇にある移民相手のビジネスを始めた。少ない上がりから1割を超える消費税を納め、所得にまで手を伸ばされることを嫌った彼らは、出身国への送金に用いていたデジタル仮想通貨を決済手段として使い始めた。
 地下経済の誕生だ。(中略)

100兆円に達しようかという東京都のGDPの、およそ0.5パーセントがN円での取引になりつつある。会計に計上されない地下経済はその3倍、1兆5千億円になるだろう。
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Kindle版No.93、103、1738

 2018年。日本に大量流入した移民たちのネットワークは、デジタル仮想通貨「N円」に基づく、もう一つの経済システムを作り上げていた。だが、徴税からも追跡からもフリーな仮想通貨を嫌う国家は、地下経済を掌握するための策略を密かに巡らせていたのだった。

 ビットコインに代表される仮想通貨が持っている可能性を具体的なビジョンとして示した昂奮の一冊。単行本(朝日新聞出版)出版は2015年3月、Kindle版配信は2015年4月です。


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「仮想通貨の取引所が破綻した時だったかしら。日本の当局はろくに理解しようともせずに、課税対象ではあるが通貨じゃないという理屈で仮想通貨を無視し、おとしめた。N円を地下経済に封じ込めたのは私たちじゃない。日本の----なんて言ったかしら」
 言葉を切った王は、ハエを払うような手つきをして目を閉じた。
「そう……。空気ね」
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Kindle版No.3166


 いきなり余談で恐縮ですが、昨年、NHKで「ビットコイン」を扱ったドキュメンタリーが放映されました。期待して見たのですが、結果としてはこれが残念なことに。

 リアルマネーとの交換レート変動を利用した投機やら、マイニングに邁進する山師といった、仮想通貨の本質から遠いことばかり取り上げていて、全体として「何だか怪しげな投機的なもの。素人は興味すら持たないほうがいい」という極めてネガティブな印象を与えようと努力しているようにすら感じました。おそらく日本政府の意向が強く反映されているのであろうと思われ(個人の感想です)。


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 仮想通貨の問題点は、たしかにそこにある。脱税に使いやすいという問題以上に、表の経済に住む人たちの感情を逆なでしているのが犯罪との結びつきだ。国内で認可されていない液体手袋や煙草の密輸を筆頭に、麻薬の取引や政治資金の受け渡し、マネーロンダリングにN円が使われたときは、新聞なんか読みもしない俺の目にも入るほどの取り上げられ方をする。
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Kindle版No.1780


 しかし、仮想通貨は「投機的な金融商品」ではないし、ましてや「脱税やマネーロンダリングのための犯罪ツール」ではありません。それは、デジタル時代のグローバル経済と社会システムを創り出す巨大なパワーを秘めた、新しい、そして本物の「通貨」であるはず。もしも国家が、その可能性について国民に考えてほしくないというのであれば、さあ、そこでSF作家の出番です。

 というわけで、前ふり長くてごめん、近未来の東京を舞台に移民たちのコミュニティが作り上げた地下経済をリアルに描写したのが、本書です。主人公はフリーランスのWebデザイナー。腕の立つ仲間たちと共に、地下経済の中で「フリービー」として生きてゆこうとしています。


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 生産力を失った老人が人口の半数を超え、貧困を親戚縁者に押しつける社会。それが、俺がこれから生きる日本の姿だ。だから俺は、活力に満ちた移民と共に生きることにした。
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Kindle版No.2082

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 日本人でありながら地下経済にどっぷりと浸って暮らす俺たちのことを表の経済で食えている連中は“フリービー”と呼ぶ。主を持たない働き蜂の多くは、移民たちと同じようにN円で飲み食いし、三畳ほどのハニカム・ネストに暮らす。
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Kindle版No.114


 ひたすら搾取され、不都合を押し付けられ、互いに順列をつけては差別しあうよう誘導され、いずれは家族ごと棄民される。そんな人生は真っ平。自由に生きたい。そう願う主人公は、仮想通貨「N円」ベースの地下経済のなかで働く道を選ぼうとしています。

 デジタルネイティブなスピード感。自由とフェアネスを尊重し、地位や所属ではなくスキルや知識を重んじるハッカー気質。後ろ楯のない立場ゆえの厳しい職業倫理とプロフェッショナリズム。著者の作品に共通する人物像が、清々しく、前向きに書かれていて、気持ちよく読むことができます。


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何も持ってない俺たちの武器はそれぐらいしかないんだ。フェアにやろう。
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Kindle版No.856

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自動車と同じ速度で走りたければ、自動車と同じルールで道路を使わなければならない。
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Kindle版No.997


 そんな彼らが巻き込まれたトラブル。地下経済から締め出しを食らった主人公は、身の潔白を証明するために調査を進める。そこから見えて来たのは、仮想通貨プラットフォームをめぐる国家と移民ネットワークの激しい対立と競争。自分がその最前線に立っていることに気づく主人公。その覚悟が試されるときがきます。


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俺たちフリービーや移民たちのただ乗りを守ることに後ろめたさがないわけじゃない。だが、今日だけで俺は陳やシカンダールに救われた。国を離れて暮らす場所として東京を選んだ移民たちは、俺と同じ世界を生きる仲間たちだ。
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Kindle版No.2631


 国や組織をあてにせず、自らのスキルと人脈を頼りにグローバル化した世界で生きてゆこうと決意する若者たちの姿。そして仮想通貨が秘めている可能性。今の日本を覆っている嫌な閉塞感に風穴を開けるような近未来ビジョン。刺激的な作品です。


タグ:藤井太洋
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