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『樹間』(斎藤恵子) [読書(小説・詩)]

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ふいに私は
すでに飛ぶ木に乗っているのだと思う
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『飛ぶ木』より

 忙しく働き、子どもを育て、そうしてふと気が付くと、そこは知らないなにかの狭間。彼方へと、彼岸へと、読者を誘い込むような幽玄詩集。単行本(思潮社)出版は2004年7月です。


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葉の声が
水のように
なめらかに
こくこくこくと流れる
誰もいない昼下がり
私はだんだん淡くなっていく
ひとと私と
物とこころと
隔てのない広がりが深くなっていく
止まっている
浮かんでいる
上っている
こころのうごきが
しずかに聴こえてくる
澄んで透明になってくる
光のせせらぎ
聴くことを少しずつ学んで
私はやわらかくなっていく
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『聴くこと』より


 読んでいるうちに道に迷って、もう戻っては来られないどこかへと迷い込んでしまうような詩集です。その情景描写は素晴らしく、恐ろしく、四季折々の風景さえすでにしてそこは異界。


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座敷でお雛様を飾っていた母は
 こちらにいらっしゃい
と人形を指した
白い大きな頭の男の子が
紅い口を開いて笑っている
丈の短い着物を着て
右手に犬を横抱きにかかえている
猫ほどの大きさの犬は
白く長い毛をふくらませ
黒く光る目をして見ている
 犬持ち童子よ
母はぼくを見て笑った
犬はわずかに太い尾を動かせた
童子のつるつるの額に
うっすらと汗がにじみ
耳朶が紅くなっている
微熱が部屋にたちこめ
金色の夕日が座敷に流れ
母は端座したまま
人形を抱きしめていた
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『春の夕暮れ』より


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蚊取線香の灰はくずれ
もろもろした骨色になっている
先の部分に
小さい穴が空いて残っている
家々に灯がともる
用水にかえった蛇が
頭を棒状に突きだし
むらさき色の目をして
舌を出すころだ
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『蛇と線香』より


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野道の彼岸花は
ひと群れ
ふた群れ
魂をいただいて咲く
ちいさな玉の露を
ひとつふたつ
散らして
薄明かり
赤く光る目をした
まむしが宙を飛ぶ
孕んでいる
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『秋風』より


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夜明け前
素数が累々と掛かり
家も土も草木も覆う
伸びるものちいさなもの枯れるもの
みな冷たくきらきらと輝かせ
凝固させる
日がのぼるまで
いのちを閉じ込める

亡くなったひとたちは
しんとした野山で
白い魂をゆらゆらさせている
ときに沼のあたりに凝っている
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『霜夜』より


 この世のものとも思えない、尋常でない季節感に心身が震えます。どこかは知らねど、戻っては来られないところに迷い込む瞬間の、その鮮やかさ。


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熊の足裏がある
履いてみる
底は小石をはめ込んだように固い
でこぼこしている
険しい道を行くための固さだ
履いてみると足裏が刺激される
そのまま前に歩いてみる
脚が太くなっていく
だんだん
みっしりと毛が生えてくる
外へ行く
森の方へ行くようだ
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『熊』より


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ビル街を歩いていると
ふいに大きな影のようなものが
よぎることがある
巨大な暗さとなり
風に似たはばたきを残してゆく
(中略)
私は石畳を歩き
空を見上げる
ダイヤモンドダストがふる
羽毛のようなものが飛ぶ
振りかえると
後ろに翼のような影が
ゆっくりと動いている
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『鳥影』より


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突然子どもが木立の遠くへ向かい叫びました
風のざわめきのように鳥が飛び立ちました
雲がちぎれて弱い光が差しこみました
やがて森閑としました
遠くから木霊がかえってきました
私も叫ぼうとしました
喉につかえるものがあるのか声が出ません
穴を掘りました
濡れた黒い土が出てきました
底に光る水のようなものが見えます
穴に向かい叫びました
埋め戻して小石を置きました
道に小石がごろごろしています
川辺に出ました
きゅるきゅる音を立てて流れています
この川も渡らなければと思いました
大きく息を吐きました
子どもも吐きました
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『樹間』より
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 忙しさにまぎれるようにしてそこにある狭間を、言葉として定着させたような、そんな作品が集まっています。個人的にお気に入りの詩集です。


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