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『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』 [読書(小説・詩)]

 この記事は更新されました。以下を参照ください。

2020年11月18日の日記
『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2020-11-18



タグ:笙野頼子
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『Dance New Air 2014 乗越たかお ダンス酔話会』 [ダンス]

 2014年9月20日は、夫婦で「こどもの城」に行って、ダンスフェスティバル「Dance New Air – ダンスの明日」のプログラムの一つである『乗越たかお ダンス酔話会』に参加してきました。

 「酔話会」と題されているのは、講師が酒を飲んだ状態でダンスについて熱く語る、参加者も飲んでよし、という主旨のトークイベントだからです。こともあろうに「こどもの城」で飲酒し放題という、とても大人な会。

 といっても、もちろん飲酒は強制ではなく、下戸でも問題なし。現に私たちは一滴も飲みませんでした。会場の雰囲気も、打ち上げ飲み会とか体育会系クラブの合宿とか、そういう雰囲気ではなく、教室で静かに席について乗越先生の講義を聴講するという感じ。

 「オレの飯の種がなくなるので、内容の詳細をネットにアップするのは止めてくれ」ということなので詳しくは書きませんが、「そもそもコンテンポラリーダンスとは」から始まって、その歴史、現状を分かりやすく解説。実際のダンス映像(秘蔵映像もばんばん)も見せてくれるので、予備知識がなくてもちゃんと理解できるようになっています。

 4時間の講義、それに加えて屋外に出て桜美林大学の学生達によるダンスパフォーマンスを30分鑑賞したので、全体で4時間半という長丁場でしたが、話の内容も映像もすごく面白くて、最後まで退屈しませんでした。ダンス公演を観る気がもりもり湧いてきます。

 というわけで、事前勉強不要、初心者OK、下戸でも問題なし、コンテンポラリーダンスについて乗越さんが熱く語り秘蔵映像を見せるのを黙って楽しめばよいだけの、気楽に参加できる会です。

 コンテンポラリーダンスってそもそも何?
 どのへんから始まったの?
 どんなことをやってるの?
 どんな課題があるの?

 といったことに興味がある方は、次回の「乗越たかお 酔話会」に参加してみてはいかがでしょうか。


タグ:乗越たかお
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『人の道御三神といろはにブロガーズ』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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これからは神の道を行くな、国の道を行くな、広い道を行くな、平らな道を行くな。
路地を歩くがいい。端を行くがいい。山道でこけて死ね、海際の崖から落ちてしまえ。
そうだ、お前らの行く道は人の道だけだ。
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Kindle版No.22


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第95回。

 「現代の神は文字の中にしかいられないし人の内面にしか住めない」(Kindle版No.2639)。『海底八幡宮』を受け継いで権力の本質を追求しつつ、その権力にも奪えない個人の内面の祈りと幸福について書かれた長篇を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2011年年3月、Kindle版配信は2014年7月です。


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連絡がなくても、住んでいる神社が判らなくても、でも広い道に出て、細道を辿れば女神のブログはある。
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『海底八幡宮』より。Kindle版No.2448


 名も来歴もすべてを簒奪され、追放され、人の道を歩きに歩いて千五百年。今、原始八幡の神々はいったいどうしているのでしょうか。実は、金毘羅を管理人にしてネット内に神社を作ってみたり、皆さんのブログを監視して回ったり、天罰あてるときは匿名掲示板に個人情報をさらしてやったりと、まあ色々と頑張っておられるのでした。


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ここはネット内神社、人の道御神宮の、トップページです。
            ☆
ここでは人の道御三神の、サイトの概要を御紹介します。

 人の道御三神(長女あおり姫、次女かづき姫、三女ばらき姫)は古代、九州、大分の宇佐地方を守っていた三柱の神様です。五世紀よりも前の歴史ある神社の、最古の神々です。
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Kindle版No.97


 原始八幡の古代神は、今や「人の道御三神」となってネットを巡行しています。しかし、なぜネットなのでしょうか。それは……。


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 汚い海の道、崖の細い道、サイトに至るまでを彼女はそう呼んでいる。うみがしし、よぶよぶにに、かにがくく、みちみちにに、と。ネットサーフィンもサイトを踏む事も、彼女にはどちらも歩くという行為なのだそうで。神に肉体はない。ましてや彼らは内面を表現する原始八幡の託宣神である。そんなかづきが、ネットを危険な街道だが自分達の居場所という。人の道の一つのあり方だと。
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Kindle版No.1899


 現代の神は文字の中にしかいられないし人の内面にしか住めない。千葉県S倉のカラオケ店にて古いアニソンを熱唱しながら御三神自らそう語った、というのですから、そこは納得するしかありません。ネットは文字、リンクは人の道。ならば人の道御三神はそこを行く。サイトからサイトへ、ブログからブログへと御巡行、されます。

 人の道御神宮のページにようこそ。ここのコンテンツは最初の方は無料で読めますが、途中からワンクリック毎に千七百八十円が課金されるという恐ろしい仕様。引き落としは神通力で行われるらしいので、ばっくれは出来ません。でもまあ、理不尽な言いがかりで徴税されるよりはマシかも知れない。

 では内容を見てゆきましょう。まず、原始八幡信仰と、それがヤマト朝廷によって乗っ取られ、勝手に国家鎮護の神にすげ替えられた歴史が語られます。

 原始八幡神とその信仰の濃さにびびったヘタレ権力は、御三神を追放した上で、天孫側の一味ということになっている美人三姉妹女神に差し替えてしまった、と。こういうことには熱心に努力するわけです。


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嫌な国家の嫌な努力です。権力が唯一推奨する努力であります。
 千五百年以上もの間、この嫌な努力はヤマト的な上から目線国家視点とともに成長してきたもので、偽りの正史を作ってきました。この中ですべての神は系列化され、すべての神の序列が決まり、いくら抗弁してもそこに組み込まれるようになってしまったのだ。
--------(中略)
 ヘタレ、それは嫌な努力への一本道であります。
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Kindle版No.604、615


 土着の神神の来歴は書き換えられ、すべてが権力側の連戦連勝自画自賛の神話に組み込まれてゆきました。そんな理不尽は、いったいどこから生まれたものなのでしょうか。


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そもそも対オオクニヌシ戦の時は、台本ありますよ。なんたって「正義の味方」はいつも空から来るし。
--------(中略)
 だって神話中のオオクニヌシのパーツで表されている日本の国の歴史というものは、結局、これだけのものなのだからそれは、----。
「空から来た」人たちが「余裕で」勝ちました、彼らは「正義」です、ただそれだけ。
--------(中略)
 海も山も「見なかった」から「空の民」は「勝った」のだ。つまり見たって判らん程に見ない事がそのバカさが彼らの「才能」だったのだから。
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Kindle版No.291、299、542

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 ええ、空から下を見るというその視点ですね。今だったらよく言われる上から目線、あれの一番質の悪い長くこじれたやつ。けして現実でもないし現実的でもない、ただの、視点。それが天孫と呼ばれたものの正体である。
--------(中略)
ともかくね、上から下を見てるやつは強いですよ。だって何にも考えてなくても上から見るだけで何でものっぺりと見えるからね。
--------(中略)
 それ以外の土地は全部下の世界、自分たちのレトリックがそのまま現実として通用して当然な世界だと、まるで読まず評論家の嘘文学理論が全部の小説に適用出来ると思ってしまうかのように、彼らは思って、しまった、わけである。視界の限られた「空の民」はね。
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Kindle版No.327、413、505

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空は「分かりやすい基準の下」、「より多くの人に届けうる」、「通じやすくて本当に価値のある」、「公共性と社会性を備えた」、「空」になった。いやーなんか似てますなあ近代国家と、というか近代ってなんか古代みたいですねえ。
--------(中略)
「公」を決定するためのお上だからこそ、それ自体を空洞というか透明にし、見えなくしておくのだ。こうしておいて自分達の都合も「公」に纏める。故に「俺の得にならない」という言葉はヤマト語では、「公共性がない」という言葉に翻訳される。大切なのは、おのれを省みぬ事、外を眺めぬ事、たえずどんな行為もリセットする事、そして無知を権力の頂上に置く事。
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Kindle版No.512、990

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国家とは何か、それは、権力がどうとか、財政がどうとか言う以前にひとつの勢いである。その勢いとは何かそれは、----。
 何もかもを空白にする力である。無知が勝つように。非道が通るように。単純化し、一枚岩にする。国家、それは人の頭を悪くしておのれの安泰を図る理不尽な呪いなのだ。
--------(中略)
いちいちやられている内に国民は思考停止する。何か考えても無駄になると思ってしまうし、恐怖で頭が働かなくなってしまうから。するともともと考えるのに向いていない、熱意のない人程早くこれに「順応」する。道理が判らない事、自分で考えなくていい事、予想を立てても無駄な事、人と自分の区別がつかないという事、自分の事情をいくら説明しても誰もその文脈を理解してくれない事。実は----。
 こういう事をむしろ楽だと感じるようになってしまうのだ。
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Kindle版No.835、944

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こうして、この「空の民」的視点は後々ヤマト村の村長が権力を失い、「人間」になってしまってからも、歴代の「上」が人々を支配する時には常に用いられた。その結果、現代に至るまで、まるで読まず評論家の読めず評論みたいな「海」についての「海」知らず統治が今でも続いていて、なんと、権力的にはそれは「成功」している。しかも時代が下る程それは強固になった。だって今や世界市場経済が国知らず、事情知らず、個人知らずな「支配」を始めているから。それはこの「空の民」視点、天孫視点と相性いいものだから。
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Kindle版No.458


 古代史の話だと思って油断めされるな、「消費税で福祉やるって言われて騙されて払っている」(Kindle版No.912)私たちも同じだということを丁寧に教えてくれます。ここまで、すべて無料パートですよ。

 さて、「原始八幡三神が追放等によってさらに、一層変化したものが人の道御三神なのである」(Kindle版No.1150)というわけで、御三神が千五百年の間どのような苦労(や悪さ)をなされて来たか、またその「親しみ深くも錯綜した御性格、御姿」(Kindle版No.1850)などが、詳しく語られます。

 またそれと並行して、金毘羅の私的事情(老猫の介護、遺産相続手続きの苦労、論争まわり、そして読者への嫌がらせ、等)も語られます。次々と舞い込んでくる不幸とやっかい事。しかし、別れが近付いている愛猫と、今ともにいる、誰にも奪えない、その幸福。


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 目が舞う程、幸福、ざまーみろ、幸福だ。
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Kindle版No.2438(原文は拡大文字)


 そして、いよいよ最後のお楽しみが待っています。


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お楽しみ人の道御三神いろはに巡行記、これは御三神達の御ブログとその交遊録です。
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Kindle版No.348


 いろはにブロガーズというのは、「三姉妹」で検索して見つけた何百万ものサイトから御三神が実際に(サイト管理人の部屋まで)御巡行した上で厳選、サイト名を「いろは」順に並べた謎のリンク集です。

 御三神がいろはに御巡行で見聞きしたことがレポートされますが、これは『母の発達』における「五十音の母」を彷彿とさせる小話集となっています。むろん有料パートです。


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「ら」、ラブラブ三姉妹は、美人、とつきあいたいブサブサ三兄弟の運営でした。「わらわは神である、のぞみを言うがよい」とあおり様が宣うと、ブサの長男は必死で言いました「ぼ、ぼくはリア・ディゾンさんとつきあいたいです」、次男も負けじと泣き泣き言いました「お、おれは東大院卒で仲間由紀恵と瓜二つ、そ、それでいいです」、三男は自分を謙虚だと思っている人の口調できっぱりと申しました「何も、こだわりませんっ! ただそろそろ新しい小学生をください!」。御三神は「そうか、のぞみは判った、さいならっ」と言うと、三男のみ通報して姿を消しました。
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Kindle版No.2748(原文は「新しい」に傍点を付けて強調)

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妖怪三姉妹は白目になり唇を引き歪めこれ以上出来ないほど周囲を馬鹿にする思い上がった顔で歩いていたそうです。神は泣きながらこのURLを匿名掲示板に貼りました。「痛い妖怪のブログです」と。
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Kindle版No.2783

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「あ」、ありさん姉妹----仲のよい働きありさんの姉妹のブログである、蟻三姉妹ではなくて蟻さん姉妹だった。
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Kindle版No.2809

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「め」、めざし三姉妹----長女は東大、次女は京大、三女は阪大をめざしているいわしでした。「不当表示ではないと思います偏差値はともかく」とかばったのはばらき様でした。
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Kindle版No.2815

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「し」は島八重子と妻三姉妹の公式ファンサイトでした。神はスルーされた(え、えらんでおいてかよ!)。
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Kindle版No.2819

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「ひ」、ひも三姉妹----本当に紐がいて苦労している三姉妹でした。その紐はひとりだった。よくある実話です。ネタなんかであるものか。
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Kindle版No.2824


 笑いながら「自力で摑める誰も奪えない、文学の幸福」(Kindle版No.3033)を堪能した後は、付録である「論争福袋」をどきどきしながら開けてみましょう。最新情報あります。

 というわけで、『海底八幡宮』を受け継いで権力の本質を追求しつつ、その権力にも奪えない個人の内面の祈りと幸福について書かれた一冊です。そして、そのテーマは次の「小説神変理層無経」(荒神シリーズ)へとさらに受け継がれてゆくことになるのです。


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祈りの対象は人の心のうちにある。物質ではなく、またその人の心の外には出られないけどある。これについて国家基準を適用したり、また、心の中の他者を持たない人間が「自分に判るように説明せよ」と言う事自体、時に心への暴力となる、それ程に根本のところで、人の主観の中に、御三神はいるのです。
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Kindle版No.1378


タグ:笙野頼子
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『協力と罰の生物学』(大槻久) [読書(サイエンス)]

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我々が持っている(と信じている)「自由意志」によってつくられる罰の形態は、進化がつくり出す罰の形態とは大きく異なってもよいはずです。
 にもかかわらず、ヒトが用いる罰が、他の生物で用いられている罰に似ているのは特筆すべき点です。
--------(中略)
 このような、ヒトとヒト以外の類似性の面白さを、読者の方々に伝えられたらと思い、この本を執筆しました。生物の協力というと、ともすると美しい話に偏りがちなのですが、その裏にはさまざまな罰がひしめいています。
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単行本p.118


 生物界に広く見られる相互協力、共生関係。心地好く感じられるそれらのシステムを支えているのは、実は「裏切り者」に対して与えられる苛烈な罰だった。協力と罰という視点から生物の利他行動の進化を読み解いてゆく魅惑のサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2014年5月です。

 生物が互いに協力し合うという現象は、自然界に広く見られます。協力することで互いに利益を引き出しているのだから、こういうメカニズムが進化してきたことも納得できるような気がします。

 しかし、よく考えるとこれはちょっと不思議。なぜなら、協力するふりだけしてコストを払わず一方的に利益を得ようとする性質を持った個体が出てくれば、その性質は圧倒的に有利なので、たちまち遺伝子プールに広がってゆき、協力関係はすぐに崩壊してしまうのではないか、と思われるからです。

 本書は、こういった問題に対して、多くの事例をもとに分かりやすく答えてゆくものです。全体は五つの章から構成されています。

 最初の「1 仲良きことは美しきかな----自然界にあふれる協力のすがた」では、生物の協力関係がいくつか例示され、それが決して例外的なものではないことが示されます。


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 多細胞に集合した状態は、単細胞の個体からなるいわば一つの社会です。ではキイロタマホコリカビはなぜ、食物が乏しくなると社会をつくるのでしょうか。実はそこには、キイロタマホコリカビが飢えから逃れるための巧妙な策略が潜んでいます。
--------(中略)
 しかし、この成功の裏にはたくさんの犠牲者が存在します。それは、子実体の柄の部分になった細胞たちです。実は、子実体の柄のほうに分化してしまうと、胞子と違い、もはや次世代に子孫を残すことはできなくなってしまうのです。
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単行本p.8、9


 食糧が乏しくなると10万匹の個体が大集合して多細胞集合体を作り、巨大な子実体に変化して、高いところから胞子を飛ばすキイロタマホコリカビ。しかし、胞子になれる個体は全体の8割で、残りは柄となって他の個体の胞子を支える。我が身を犠牲にして他の個体の繁殖を助ける単細胞生物。

 互いに同期して接着物質を放出することでバイオフィルム(ヌメリ汚れ)を作り出す細菌。自分の繁殖を犠牲にして女王の子育てに献身的に協力する働きアリ。他の個体が空腹だと自分の食糧を分け与えるチスイコウモリ。我が身の危険を省みず群れのために警戒声をあげるミーアキャット。

 同種間の助け合いだけではありません。

 窒素固定を行う根粒菌とマメ科の植物。大型魚の口の中に入って寄生虫を除去する掃除魚。イソギンチャク・褐虫藻・クマノミという全く異なる種の間で構築されている「共生の入れ子構造」。

 こういった、種を越えた協力関係も普通に見られます。自然界はなんと友愛に満ちた美しい場所なのでしょうか。そう思いますか?

 続く「2 ダーウィンの困惑----なぜ「ずるいやつら」ははびこらないか」では、上に示したような協力関係が、見かけほど完全ではないことが明らかにされます。

 すなわち、協力するふりをして実際にはコストを払わず、ちゃっかり利益だけ得ようとする「フリーライダー」が、自然界にははびこっているのです。


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 ファージの設計図である遺伝物質は、細菌が持つ複製機構によってどんどんとそのコピーがつくられていきます。それと同時に、この遺伝物質を格納するタンパク質の殻も大量生産されていきます。しかし、いったん殻がつくられると、その殻がどのファージがもっていた設計図によってつくられたかはわからなくなってしまいます。つまり、他人がつくった殻に自分の遺伝物質を格納することだってできるのです。
--------(中略)
もともといた「協力型」のファージはこのフリーライダーのためにせっせと殻をつくり、自分の遺伝物質の複製にはそれほど重きをおきません。それに対してフリーライダーは殻の生産には重きをおかず、自らをコピーする遺伝物質の生産に力をいれるので、「協力型」のファージはすぐにフリーライダーの餌食になってしまうでしょう。
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単行本p.32、33


 生物というよりほとんど化学物質のようなバクテリオファージの世界にすら、他のファージの仕事に「ただ乗り」するフリーライダーが存在するという、ちょっとびっくりするような話が登場します。他にも、ただ乗り行為者、フリーライダーの例が続々と。

 自分では接着物質を作らず他の個体たちが作ったバイオフィルムにただ乗りする蛍光菌。自分の卵をこっそり産んで、女王の子育てには協力しない働きアリ。アフリカミツバチの巣に入り込んで、その繁殖系統を乗っ取ってしまうケープミツバチ。受粉させる仕事をしないで、花弁に横から穴をあけて蜜だけ吸い取ってしまうマルハナバチ。

 前章で友愛に満ちた美しい場所に思えた自然界は、実のところ卑怯者と怠け者と犯罪者の巣窟だったという衝撃。しかし、これほどフリーライダーがいるのなら、そもそも相互協力や共生関係が進化してきたのはなぜなのでしょうか。

 「3 協力の進化を説明せよ!----男たちの挑戦」では、このような利他行動の進化をめぐる議論が紹介され、そしていよいよ「4 罰のチカラ----自然界には罰がいっぱい」でその核心となるメカニズムが紹介されます。


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女王は、そうやって生まれた卵を見つけると、その卵を食べてしまうのです。これは勝手に子を産むことを許さない女王からの罰といえるでしょう。
 さらには、他のワーカーもこの流れに加わります。卵巣を発達させたメスを見つけると、他のワーカーたちはこのメスの足や触角を摑んで放さず、文字通り磔の刑に処して自由を奪うのです。
 このように、コロニーの労働力にただ乗りして子を産もうとするワーカーは、女王や、仲間であるワーカーから過酷な罰を受けるのです。
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単行本p.71

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植物は窒素を固定しない根粒菌にどのような「罰」を与えていたのでしょうか? 調べてみると、当該根粒菌の中の酸素濃度が低くなっていました。つまり植物は、働かない根粒を「窒息」させようとしていたのです。
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単行本p.67


 同様にして、柄になろうとしないキイロタマホコリカビの個体に対する村八分の刑。お客さん(大型魚)を掃除するふりをしてこっそりその身体の一部を食べた掃除魚に対して、仲間の掃除魚から与えられる制裁。

 さらには、普段は宿主というか本体を外敵から守るための働きをしているのに、自分を複製させないと殺すぞ、といって脅してくる利己的な遺伝子、といった例まで登場。


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制限修復遺伝子からしてみれば、自分を次世代に伝えることに失敗した大腸菌にはその罰として死を与えることで、自らがきちんと次世代に伝わっていく経路を確保しているともいえます。
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単行本p.64


 相互協力の背後には、裏切り者(フリーライダー)に対する苛烈な制裁、情け容赦ない罰が存在したのです。最初の章では「友愛に満ちた美しい世界」だったはずなのに、次の章では「犯罪者の巣窟」となり、そして今や「裏切り者に対する血の制裁によって秩序を保つ犯罪組織か恐怖政治」みたいな世界であることが明るみに出てしまった自然界。

 最後の「ヒトはけっこう罰が好き?」では、自然界を支配しているらしい「罰によって支えられた協力関係」が、ヒトの社会ではどのように機能しているかに関する研究成果が紹介されます。


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ヒトが「他者からの罰を警戒し、協力率を上げてしまう傾向」、および「罰を与えてもその人自身にとって何の利益にもならないことをわかっているにもかかわらず、他者を罰してしまう傾向」をもっていることを示しています。
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単行本p.96


 心理学の実験によると、ヒトは驚くほど「他人に罰を与えるのが好き」だということが明らかになっています。自分に何の得もなくても、それどころか大きく損をすることが分かっていても、ヒトは「ずる」をした他人を罰しようとするのです。

 それどころか、自分よりも協力的で社会に貢献した他人をあえて罰するという「非社会的罰」を行う傾向さえあり、しかもこの非社会的罰を望む傾向は、被験者が属する文化や社会によって異なる、というから興味深い。

 というわけで、相互協力の理論、その中核となる「フリーライダーと罰」の話題に焦点を当てて、自然界から人間社会までどうやら共通しているらしい協力関係の進化論がよく分かります。事例紹介が多く、雑学本としても大変面白い一冊です。


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『おぞましい二人』(エドワード・ゴーリー、柴田元幸:翻訳) [読書(小説・詩)]

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一晩の大半を、二人はさまざまなやり方で子供を殺すことに費やした。
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 1960年代の英国で実際に起きた、五人の子供が殺された事件を題材にした寒々しい絵本。原著の出版は1977年、翻訳版絵本(河出書房新社)出版は2004年12月です。

 見開き右ページにイラスト、左ページに原文(英語)と日本語翻訳が掲載される、という構成の絵本です。絵はすべてモノクロ。異様に細かい極細の短線が常軌を逸した密度でびっしり描き込まれ、光景全体が影に覆われているような寒々しい印象を与えます。

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自己啓発協会主催の、十進法の害悪をめぐる講演会で二人は出会い、たがいに似た者同士であることを一目で悟った。
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その年の秋、二人は自分たちの一生の仕事に乗り出すことに決めた。
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 主人公は、いわゆる精神病質者であるハロルドとモナ。二人は共謀して子供を殺すようになります。淡々とした文体でそっけなく書かれた文章が、内容の不穏さを印象づけます。

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一晩の大半を、二人はさまざまなやり方で子供を殺すことに費やした。
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その後の二年間で、さらに三人の子供を殺したが、どのときも一番最初のときほど胸が高まりはしなかった。
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 実際の事件では、犠牲者は五名。それなのになぜ、さらに三人(three more)、なのでしょうか。原文を見て、一番最初(the first one)、二年間(two years)、と呼応させるためだと気づいて、とても嫌な気分になりました。

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やがて四月のある日、市電に乗っていて、ハロルドのポケットから何枚かのスナップ写真がこぼれ落ちた。
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二人は同じ車で病院に連れていかれたが、その後二度と顔を合わせることはなかった。
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 殺害シーンも、写真の内容も、語られないし、絵にも描かれていません。明らかにされないその光景を、読者は自分で想像することになります。

 うすら寒い物語、救いのない結末。内容そのものは、快楽殺人、猟奇殺人事件としてはいっそ凡庸といえる定型的なものですが、冷淡な文章と絵の暗さから、一種異様な重苦しさが伝わってきます。

 子供が読めばトラウマもの。正直、子供に読ませたい絵本だとは言いにくい一冊です。絵本という形式をとった大人のための文学作品というべきでしょう。読了後、裏表紙をじっと見ていると、次第に気が変になってゆくような心地がします。

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モナは著しく衰え、生涯の大半、ひたすら壁の染みを嘗めて過ごした。
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八十二歳で、あるいは八十四歳でモナは死んだ。
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タグ:絵本
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