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『海底八幡宮』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 ----心から萌え出でる、個体の夢を見るもの、自ら考え、ひとりことあげするものよ、自らの声で仲間を呼ぶ狼よ、国家はお前を捕獲しにくる。同胞もそうされる。侮辱され根こそぎ取られた上で、加害者にされる。理不尽だと思うか、だがそれが伝統だ。古代日本の恋や祭りだけを大層に語る連中にそれは判らない。律令制下、国は徴税のために我々の心を奪い、祈りを奪った。怯んではならない。その来歴が判れば希望が蘇る。
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Kindle版No.645


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第94回。

 「私は許さない。私の大切な心の共同体を、言葉で出来た村を襲う者たち。わたしの家族を天孫の名のもとにその歴史とともに、抹殺する者を。」(Kindle版No.2607)。極私的な苦しみや闘争が千五百年の大きな歴史と共鳴し、権力の本質をえぐり出す。金毘羅三部作を締めくくる長篇を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2009年9月、Kindle版配信は2014年7月です。


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 この時、自分達と別れて独自に海に行ったものがある。それは神ではないと御三神は語っている。
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『人の道御三神といろはにブロガーズ』より。Kindle版No.1007


 愛猫ドーラとの別れのときが、刻一刻と近付いています。その苦しみ、その悲しみ。そしてその中にもある、一瞬にして永遠の幸福。


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猫の死は何度も乗り越えて来た。でもけして、同じパターンでは来てくれなかった。克服したと思うと次のより残酷な事態が来る。自分より弱いものがひとりで先に行くのだ。特に、一番長くいた猫の症状が重くなって行くという事が耐えきれなかった。だってこの長い長い予想地獄をどうすればいい。(中略)猫がまだ生きているという極楽と猫をこれから失う恐怖の間で両極端に揺れながら暮らす事になった。
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Kindle版No.1750、1758

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 自分の体の中に大きい巻き貝があって、その内側でだけ涙が出ているような、声の出ない感じ。最初の悲しみの期間だった。でも泣くのはその前に泣きおわっていた。やはり老化が原因の病気に猫はなっていたから。
(中略)
 今までそんな風になった事はなかった。でも体に巻き貝があるとその外に感情は染みださない。悲しみは内側を伝って海に出て行く。頭から足先までほぼ体の内側全体に、一個の巻き貝が入っているようになった。
 そんな私には透明タンクのアクリルの中で揺らぐ湿度の集積が海に見えた。
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Kindle版No.399、402


 除湿器に溜まった水を捨てるときに見えた幻の海。心の中の海。言葉の海。その海の底で、金毘羅は、極彩色に輝く巨大なウミウシのようなものと出会います。彼女の切実な祈りに、応えてくれたのです。

 それは「海底にいる原始共同体の王、小さいものを守護する大きい精霊」(Kindle版No.682)、千年を超える怨恨を核に、海に流された無数の魂を取り込んだ巨大な霊の集合体。その名は亜知海(あちめ)。


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世界中のどこからでも見える極彩色の大きな集合に触れた私。原始八幡を見ているのだ。海の底の真の、古き八幡宮を。
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Kindle版No.2746


 え、ちょっと待って。八幡宮が何で海底にあるの。八幡さまと言えば九州の宇佐八幡宮を総本社として全国に、えーと、いーっぱいあるし、応神天皇の神霊ということで皇祖神になっているし、神仏習合して八幡大菩薩として広く拝まれているのでは……。

 もしそう思ったとしたら、たちまち亜知海の怒りが炸裂します。俺こそが真の八幡、原始八幡だ。地上にあるのは、あれは偽物だと。


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 本来の社を、取られた。故郷を、来歴を、真の神の言葉を、われわれの音楽を、俺らは地上げされ、徴税をされた!
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Kindle版No.150

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税の話をすると彼は止まらない。そしてそれこそが彼にとっての、神話なのだ。
 ----うるさいと言いたいか、でも一千年以上言い続けた事だ。お前にはまだ六回しか言ったことがない。だからまた言う。(中略)世の中の理不尽は税を取るための呪いであると。
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Kindle版No.67、101((中略)より後、原文は拡大文字)


 何だか長年お上に逆らっては負け続けてきた老活動家か、田舎のしつこいおっちゃんのアジ演説みたいですが、ともあれ、古代に国家権力によって簒奪され海に追いやられた精霊と、海底から陸に上がって人の姿になった神のあいだで、「権力とは何か」をめぐる対話が始まります。

 原始八幡信仰の共同体がいかにして国に服従させられ徴税されたのかを亜知海が語れば、文壇や論壇に巣くう者たちが愛猫との残り少ない大切な時間をどのようにして奪ってゆくのかを金毘羅が語ります。

 何しろ亜知海は金毘羅のことを「仲間、しかも弟子筋だと思っている」(Kindle版No.620)ので、それはもう、がんがん叱りつけ、煽動し、挑発してくるのです。


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先に手を出し、歴史を潰し、全部を奪おうとするやつが、まず都合悪い細部を削除してから、被害加害を取り替え、理不尽なストーリーで理由付けする。それと同じ事だ。ほとぼりがさめた頃に何も知らぬ単純な連中に向かい、大量のカキコで、お前が悪い婆だとキャラ設定して、「被害」を訴えた。そうすれば税を取る読み筋が分かり易くなるからだ。被害を受けた態度だけを彼は取っている。実体はない。キャラだけがある。それだけが連中の「正史」というわけだ!
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Kindle版No.190

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で、これこそ神話が俗世間を動かしている証拠なのだと、亜知海はこんこんと、私に言ってきかせるのだ。仕掛けておいて逆恨み、それが天孫の呪いという事だと。
 亜知海に言わせると、律令制下の作り物の神道を、本物だと思わせる理不尽力が、現代にも形を変え働いている。その証拠が、ここに、あるそうだ。相手の行いはヤマト側里長の徴税行為のような適応行動だと思えと言う。(中略)提訴予告対応の負担や、時間を取られた事さえ、「徴税」なのだと。
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Kindle版No.169、185

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つまり権力とは理不尽でおかしいから権力であるものなのだ。そんな権力とは空洞で自我が持てないから権力でいられるものなのだしまた、もしその権力がある実体を乗っ取るか寄生するかすれば、その後それは理不尽によって保たれるしかない。故に、その場に必然的に発生し連鎖するしかない理不尽の自動運動をも俺は権力と呼んでいるんだ。権力の特徴とは、故に、逃げうる事だ。無責任と繰り返しがそのポイントだ。
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Kindle版No.351

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 相手が小物だと、お前がまともに相手しようとした時そう言って止めたのも天孫だろう。あるいは投降した海民のヘタレではないか。ずっとずっと殴られても逆らうな殺されても逆らうな小物だから小物だからその繰り返しで、その小物が一体何度お前に言論統制を掛け、雑誌を黙らせ、お前を追放して来た。お前は村の祭りでけがれを押しつけられて神と呼ばれ、供物を供えられ、けがれを祓うと称する連中の悪行をそのように称してばっくれさせるために、川に流される人形と同じだ。
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Kindle版No.423

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言わせっ放しか。それでお前の十数年をリセットさせるのか。しかも人前で訂正するという紳士面をした上でだ。このまま忘れるか。権力は忘れたら自分が得をするがお前は忘れてしまえばお前ばかりか、仲間が、群れが、地獄に落とされる。ふん、すぐ忘れる事と誰とも争わない事は、陰で足を引っ張れるものだけに可能な事だ。クレームの電話も直にせずに、相手を取り囲んで掛けさせるように、し向けられるものだけに許される行為だ。
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Kindle版No.438


 煽る煽る。

 こうして極私の苦しみや闘争が大きな歴史と共鳴し、権力の本質がえぐり出されてゆきます。古代の徴税のための言いがかり、それは現代もなお個人の内面を圧殺し文学をなかったことにし続けているものと変わらない。特定の権力者が自分の意志でやっているというより、何かもっと機械的で魂のない自動運動する徴税システム、いや、“捕獲装置”。それは。


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それは何かをコピーし、或いは支配下に置き、それでそのものの本質を無効にしながら、乗っ取る存在。それは国家装置と限らず、無責任なまま真に権力の本質を行使してくるものだ。(中略)捕獲装置は自我も整合性も必要としない。それはただの、自動運動なのだ。まさに本質を食い尽くさずにはいれらないコピーの、宿命だ。その技は税のためでもあり税はその技のためでもある。
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Kindle版No.756、761

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ありがとうと言わせて「序列に組み込んで、我が領土にした上で他にくれてやった」と上機嫌になれる、それが天孫だ。(中略)
 彼女が求めているのは一枚岩。不細工なものを根こそぎ抹消する、あるいは無理に引き寄せてコピーの下位に置く事。(中略)
最小限の努力で私を捕獲し本質を無くして外皮をばらまくという事が、相手の文学という意味なのだった。そしてその外皮を持つものは空洞に過ぎないと、偶人国民に教え込む事が彼らの文学なのだ。消費者の嗜好や立ち位置だけを捕獲しては似ても似つかぬものを売り続けて、原型を市場から駆逐する事。
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Kindle版No.1278、1332、1338

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 みんな、こうして偶人に作り替えられヤマト化したのだ。偶人は分かりやすさの中にいたいものだからな。分かりやすければ命でも差し出すし仲間も殺す。たとえ反戦でも反戦キャラでやれば立派に国家主義の具になるのだ。もし命や魂を「脱税」しようとするなら、分かりやすいストーリーで「納税拒否」するな。それでは最終的に「徴税」されてしまうからな。というかそんな反戦や納税拒否は、それらの本質を無に帰すための捕獲装置やガス抜きに過ぎないからだ。
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Kindle版No.1448


 何を言っても何をしても、どんな切実な言葉も、あっさり捕獲されて権力の都合の良いように変質させられ、たやすく馬鹿にしたり黙殺したり出来るよう劣化させたコピーがばら蒔かれ、あるいは愚劣で感情的な反発あつかいされてしまう、そんな社会。それは、別に偉い明治政府ちゃんのオリジナル大発明というわけではなく、古代から綿々と続いてきた日本の伝統だということがよーく分かってしまって、とても悲しい。

 自分や家族猫、読者、大切に思っている作家たちに対する執拗な嫌がらせ、服従させようと上からあの手この手で横やりを入れてくる天孫、帰郷、講演、猫看病、愛猫ドーラとの生活。大きな歴史を視野に入れながら、大きい空疎な物語に捕獲されないよう極私的な事柄から決して離れないまま進んでゆく語りは、読者を深い言葉の海へと連れてゆくのです。


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 理不尽は最初からこの国を覆ってた。その理不尽を押し通すところに権力は発生する。正しくない事をあえて通さないと生まれないような国家を作って千五百年。潰した一点には人間の全てがあったのだな。その全てを薄め拡散し、冷笑し黙殺し、特に勝手に取り出して犠牲や玩具や禊ぎの道具にすることでそこから、国家は自分達の根拠を立ち上げていったのだよ。理不尽力、権力というよりそう呼んだほうが。でも望みはある。
(中略)
 ああそうそう、そういうわけで、一番最初にゼロにされた捕獲された土地のこれはお話です。この小さい国が華厳に繋がり、土地に繋がり体温のある祈りとロジックを歌っていた昔、昔、----。
 さあ地図をもう一度、遠すぎて本当にあったのかどうか分からないけれど自分の今苦しんでいる理不尽を辿ってここに辿りついてください。
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Kindle版No.2986、3016


タグ:笙野頼子
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