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『人の道御三神といろはにブロガーズ』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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これからは神の道を行くな、国の道を行くな、広い道を行くな、平らな道を行くな。
路地を歩くがいい。端を行くがいい。山道でこけて死ね、海際の崖から落ちてしまえ。
そうだ、お前らの行く道は人の道だけだ。
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Kindle版No.22


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第95回。

 「現代の神は文字の中にしかいられないし人の内面にしか住めない」(Kindle版No.2639)。『海底八幡宮』を受け継いで権力の本質を追求しつつ、その権力にも奪えない個人の内面の祈りと幸福について書かれた長篇を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2011年年3月、Kindle版配信は2014年7月です。


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連絡がなくても、住んでいる神社が判らなくても、でも広い道に出て、細道を辿れば女神のブログはある。
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『海底八幡宮』より。Kindle版No.2448


 名も来歴もすべてを簒奪され、追放され、人の道を歩きに歩いて千五百年。今、原始八幡の神々はいったいどうしているのでしょうか。実は、金毘羅を管理人にしてネット内に神社を作ってみたり、皆さんのブログを監視して回ったり、天罰あてるときは匿名掲示板に個人情報をさらしてやったりと、まあ色々と頑張っておられるのでした。


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ここはネット内神社、人の道御神宮の、トップページです。
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ここでは人の道御三神の、サイトの概要を御紹介します。

 人の道御三神(長女あおり姫、次女かづき姫、三女ばらき姫)は古代、九州、大分の宇佐地方を守っていた三柱の神様です。五世紀よりも前の歴史ある神社の、最古の神々です。
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Kindle版No.97


 原始八幡の古代神は、今や「人の道御三神」となってネットを巡行しています。しかし、なぜネットなのでしょうか。それは……。


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 汚い海の道、崖の細い道、サイトに至るまでを彼女はそう呼んでいる。うみがしし、よぶよぶにに、かにがくく、みちみちにに、と。ネットサーフィンもサイトを踏む事も、彼女にはどちらも歩くという行為なのだそうで。神に肉体はない。ましてや彼らは内面を表現する原始八幡の託宣神である。そんなかづきが、ネットを危険な街道だが自分達の居場所という。人の道の一つのあり方だと。
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Kindle版No.1899


 現代の神は文字の中にしかいられないし人の内面にしか住めない。千葉県S倉のカラオケ店にて古いアニソンを熱唱しながら御三神自らそう語った、というのですから、そこは納得するしかありません。ネットは文字、リンクは人の道。ならば人の道御三神はそこを行く。サイトからサイトへ、ブログからブログへと御巡行、されます。

 人の道御神宮のページにようこそ。ここのコンテンツは最初の方は無料で読めますが、途中からワンクリック毎に千七百八十円が課金されるという恐ろしい仕様。引き落としは神通力で行われるらしいので、ばっくれは出来ません。でもまあ、理不尽な言いがかりで徴税されるよりはマシかも知れない。

 では内容を見てゆきましょう。まず、原始八幡信仰と、それがヤマト朝廷によって乗っ取られ、勝手に国家鎮護の神にすげ替えられた歴史が語られます。

 原始八幡神とその信仰の濃さにびびったヘタレ権力は、御三神を追放した上で、天孫側の一味ということになっている美人三姉妹女神に差し替えてしまった、と。こういうことには熱心に努力するわけです。


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嫌な国家の嫌な努力です。権力が唯一推奨する努力であります。
 千五百年以上もの間、この嫌な努力はヤマト的な上から目線国家視点とともに成長してきたもので、偽りの正史を作ってきました。この中ですべての神は系列化され、すべての神の序列が決まり、いくら抗弁してもそこに組み込まれるようになってしまったのだ。
--------(中略)
 ヘタレ、それは嫌な努力への一本道であります。
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Kindle版No.604、615


 土着の神神の来歴は書き換えられ、すべてが権力側の連戦連勝自画自賛の神話に組み込まれてゆきました。そんな理不尽は、いったいどこから生まれたものなのでしょうか。


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そもそも対オオクニヌシ戦の時は、台本ありますよ。なんたって「正義の味方」はいつも空から来るし。
--------(中略)
 だって神話中のオオクニヌシのパーツで表されている日本の国の歴史というものは、結局、これだけのものなのだからそれは、----。
「空から来た」人たちが「余裕で」勝ちました、彼らは「正義」です、ただそれだけ。
--------(中略)
 海も山も「見なかった」から「空の民」は「勝った」のだ。つまり見たって判らん程に見ない事がそのバカさが彼らの「才能」だったのだから。
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Kindle版No.291、299、542

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 ええ、空から下を見るというその視点ですね。今だったらよく言われる上から目線、あれの一番質の悪い長くこじれたやつ。けして現実でもないし現実的でもない、ただの、視点。それが天孫と呼ばれたものの正体である。
--------(中略)
ともかくね、上から下を見てるやつは強いですよ。だって何にも考えてなくても上から見るだけで何でものっぺりと見えるからね。
--------(中略)
 それ以外の土地は全部下の世界、自分たちのレトリックがそのまま現実として通用して当然な世界だと、まるで読まず評論家の嘘文学理論が全部の小説に適用出来ると思ってしまうかのように、彼らは思って、しまった、わけである。視界の限られた「空の民」はね。
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Kindle版No.327、413、505

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空は「分かりやすい基準の下」、「より多くの人に届けうる」、「通じやすくて本当に価値のある」、「公共性と社会性を備えた」、「空」になった。いやーなんか似てますなあ近代国家と、というか近代ってなんか古代みたいですねえ。
--------(中略)
「公」を決定するためのお上だからこそ、それ自体を空洞というか透明にし、見えなくしておくのだ。こうしておいて自分達の都合も「公」に纏める。故に「俺の得にならない」という言葉はヤマト語では、「公共性がない」という言葉に翻訳される。大切なのは、おのれを省みぬ事、外を眺めぬ事、たえずどんな行為もリセットする事、そして無知を権力の頂上に置く事。
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Kindle版No.512、990

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国家とは何か、それは、権力がどうとか、財政がどうとか言う以前にひとつの勢いである。その勢いとは何かそれは、----。
 何もかもを空白にする力である。無知が勝つように。非道が通るように。単純化し、一枚岩にする。国家、それは人の頭を悪くしておのれの安泰を図る理不尽な呪いなのだ。
--------(中略)
いちいちやられている内に国民は思考停止する。何か考えても無駄になると思ってしまうし、恐怖で頭が働かなくなってしまうから。するともともと考えるのに向いていない、熱意のない人程早くこれに「順応」する。道理が判らない事、自分で考えなくていい事、予想を立てても無駄な事、人と自分の区別がつかないという事、自分の事情をいくら説明しても誰もその文脈を理解してくれない事。実は----。
 こういう事をむしろ楽だと感じるようになってしまうのだ。
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Kindle版No.835、944

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こうして、この「空の民」的視点は後々ヤマト村の村長が権力を失い、「人間」になってしまってからも、歴代の「上」が人々を支配する時には常に用いられた。その結果、現代に至るまで、まるで読まず評論家の読めず評論みたいな「海」についての「海」知らず統治が今でも続いていて、なんと、権力的にはそれは「成功」している。しかも時代が下る程それは強固になった。だって今や世界市場経済が国知らず、事情知らず、個人知らずな「支配」を始めているから。それはこの「空の民」視点、天孫視点と相性いいものだから。
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Kindle版No.458


 古代史の話だと思って油断めされるな、「消費税で福祉やるって言われて騙されて払っている」(Kindle版No.912)私たちも同じだということを丁寧に教えてくれます。ここまで、すべて無料パートですよ。

 さて、「原始八幡三神が追放等によってさらに、一層変化したものが人の道御三神なのである」(Kindle版No.1150)というわけで、御三神が千五百年の間どのような苦労(や悪さ)をなされて来たか、またその「親しみ深くも錯綜した御性格、御姿」(Kindle版No.1850)などが、詳しく語られます。

 またそれと並行して、金毘羅の私的事情(老猫の介護、遺産相続手続きの苦労、論争まわり、そして読者への嫌がらせ、等)も語られます。次々と舞い込んでくる不幸とやっかい事。しかし、別れが近付いている愛猫と、今ともにいる、誰にも奪えない、その幸福。


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 目が舞う程、幸福、ざまーみろ、幸福だ。
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Kindle版No.2438(原文は拡大文字)


 そして、いよいよ最後のお楽しみが待っています。


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お楽しみ人の道御三神いろはに巡行記、これは御三神達の御ブログとその交遊録です。
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Kindle版No.348


 いろはにブロガーズというのは、「三姉妹」で検索して見つけた何百万ものサイトから御三神が実際に(サイト管理人の部屋まで)御巡行した上で厳選、サイト名を「いろは」順に並べた謎のリンク集です。

 御三神がいろはに御巡行で見聞きしたことがレポートされますが、これは『母の発達』における「五十音の母」を彷彿とさせる小話集となっています。むろん有料パートです。


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「ら」、ラブラブ三姉妹は、美人、とつきあいたいブサブサ三兄弟の運営でした。「わらわは神である、のぞみを言うがよい」とあおり様が宣うと、ブサの長男は必死で言いました「ぼ、ぼくはリア・ディゾンさんとつきあいたいです」、次男も負けじと泣き泣き言いました「お、おれは東大院卒で仲間由紀恵と瓜二つ、そ、それでいいです」、三男は自分を謙虚だと思っている人の口調できっぱりと申しました「何も、こだわりませんっ! ただそろそろ新しい小学生をください!」。御三神は「そうか、のぞみは判った、さいならっ」と言うと、三男のみ通報して姿を消しました。
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Kindle版No.2748(原文は「新しい」に傍点を付けて強調)

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妖怪三姉妹は白目になり唇を引き歪めこれ以上出来ないほど周囲を馬鹿にする思い上がった顔で歩いていたそうです。神は泣きながらこのURLを匿名掲示板に貼りました。「痛い妖怪のブログです」と。
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Kindle版No.2783

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「あ」、ありさん姉妹----仲のよい働きありさんの姉妹のブログである、蟻三姉妹ではなくて蟻さん姉妹だった。
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Kindle版No.2809

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「め」、めざし三姉妹----長女は東大、次女は京大、三女は阪大をめざしているいわしでした。「不当表示ではないと思います偏差値はともかく」とかばったのはばらき様でした。
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Kindle版No.2815

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「し」は島八重子と妻三姉妹の公式ファンサイトでした。神はスルーされた(え、えらんでおいてかよ!)。
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Kindle版No.2819

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「ひ」、ひも三姉妹----本当に紐がいて苦労している三姉妹でした。その紐はひとりだった。よくある実話です。ネタなんかであるものか。
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Kindle版No.2824


 笑いながら「自力で摑める誰も奪えない、文学の幸福」(Kindle版No.3033)を堪能した後は、付録である「論争福袋」をどきどきしながら開けてみましょう。最新情報あります。

 というわけで、『海底八幡宮』を受け継いで権力の本質を追求しつつ、その権力にも奪えない個人の内面の祈りと幸福について書かれた一冊です。そして、そのテーマは次の「小説神変理層無経」(荒神シリーズ)へとさらに受け継がれてゆくことになるのです。


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祈りの対象は人の心のうちにある。物質ではなく、またその人の心の外には出られないけどある。これについて国家基準を適用したり、また、心の中の他者を持たない人間が「自分に判るように説明せよ」と言う事自体、時に心への暴力となる、それ程に根本のところで、人の主観の中に、御三神はいるのです。
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Kindle版No.1378


タグ:笙野頼子
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