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『なりたいわたし』(和田まさ子) [読書(小説・詩)]

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二十世紀をまだ生ききれていないのに
次の世紀を生きなければならないちぐはぐさに
みな手を焼いている
だから、たわいない映画を観て
泣きそうになる
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「ミルキーウェイ・エクスプレス」より。


 他の人がたやすくやっているように見える社会生活のあれこれが、どうしてもうまく行かず、疲れ果てたとき、そもそも自分はにんげんに向いてないのではないかと思う。そんな気持ちを言葉にしてみたら、きっと大丈夫。そのうちひとでなしになれるから。和田まさ子さんの第二詩集を読みました。単行本(思潮社)出版は、2014年7月です。


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「どうしてもっとにんげんにならなかったの」
母はにんげんを産み落としたはずだと
強く言い張り
わたしという未熟な生き物の傷口には
塩のようにことばがすり込まれ
ヒリヒリと
傷むまま
体を火照らせる
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「予行演習」より。


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並んで待っても順番はこない
みんなが持っている用紙をわたしは持たず
みんなが持っている期待に満ちたよい気分にならず
ただ焦ってしまう

新潟にはなんのために行くのか
前に並んでいる人が聞くので
その町で人間になるとわたしはいった
すると笑われて
結局また列の最後尾に移動させられる

そうして一日過ぎ
みどりの窓口は閉められる
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「新潟までたどりつけない」より。


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この世には隠れ場所はどこにもあって電車はその一つ、人間の壁と壁のすき間の三十センチがきょうのわたしの居場所。四角い部屋、その中でわたしは立って壁を見て、いるしかない。
--------(中略)
 中野駅までの長い乗車中誰も何もいわない、足を踏ん張ってしつけのいいわたしたち。昼間会社で傷ついたり、学校を逃亡したくなったことなどを思い出しても何一つわめかない、家に帰るまでに疲れ果ててしまう人間たちが最後の審判があるかのように押し黙って耐えている、帰りたいってどこへ、帰ることなどないのだ、ここがわたしたちの家だから、この三十センチこそ我が家だから、
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「三十センチの聖地」より。


 ただ生きてゆくだけでもつらいのに、他人と同じようにきちんと生きなきゃいけない、らしい。それはとてもしんどいことなので、人間じゃないものに、なりたいわたし。詩は、そんな願いをあっさりとかなえてくれます。


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小夜子さんはやり方を教えてくれた
それでわたしもトカゲになって遊んでいたら
心地よいので
そのままトカゲになって
夫が帰るまでと思っていたら
いつのまにか小夜子さんはいなくなっていた
わたしは夜もトカゲのままで縁側の下の石に隠れていたが
無人の家に
夫は帰って来なかった
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「トカゲ」より。


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今夜はヒラメになった
雷鳴と雨の中を魚になって泳いでいた
雨の空中を泳ぐ
わたしは水陸両用のヒラメだった
薄い体をタテにして
ひらひらとヒレを動かす
そうやって泳いでいると夜の雨の空気が気持ちよい
しばらくして雨があがると
人間に戻った
人間はなんだかさみしい
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「ヒラメ」より。


 こうして、皿になったり、鯛になったり、豹になったり、渚になったり、シロクマにかじられたり、サバの味噌煮になったり。でも、いずれまたさみしい人間をやらなければならないのなら、せめて楽な人間になりたい。


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たとえばわたしは人生を浪費しているが
新しい社会を望んでいないわけではない
ただ、一から人間関係をはじめたい
嫌いなチーズは嫌いといい
ウーロン茶で乾杯するけれど
それでも後ずさりしない人間でありたい
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「七月、大通りの木陰で」より。


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このあいだ見た「鴨居羊子展」はよかった
当時は前衛といわれた彼女の下着は今では街着になっている
街が変質したのか
女が前衛を越えたのか
たぶん後者で
だから午後十一時
昼間のようなにぎわいの旭通りには下着姿の女性ばかり
女たちは次に行く飲み屋を携帯電話で探している
少し歩くと
スタ丼の店は行列
男たちの胃袋はいつも空腹で
だから男たちは前衛を越えられなくて
夢見るためには
スタ丼のチケット売り場に並ぶしかない
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「この街の夜」より。


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節子さん、あなたに嫌われてよかったです
しおりさん、あなたに嫌われてよかったです
牧子さん、あなたに嫌われてよかったです
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「まがいもの」より。


 というわけで、自分の人生から逃げ出したい、という誰もが持っている願望を様々な形でかなえてくれる詩集です。さっと見ると倦怠感のような暗さが目につくのですが、読んでみると意外な明るさと力強さに気づきます。

 窮屈で疲れる日々の繰り返しで人生無駄にしてゆくより、どうせ浪費するなら、ぱーっ、と無駄使いしてやりたい。いっちゃえいっちゃえ鰐だって飼っちゃえ。人生応援歌みたいな薄っぺらい言葉ではもう癒せない深い疲れにとらわれているとき、治せないまでも奥のほうから心の血行をよくしてくれる第三類医薬品のような一冊。たぶん。たぶん。


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あそこにもひとり
夜、なにかになっていた女性がいる
懸命にひとになろうと努力しているのがわかる

ひとになるのがいちばんむずかしい
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「ひとになる」より。


タグ:和田まさ子
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