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『エヴリシング・フロウズ』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「けれど、すべてがリセットされたわけでもないと思う。ヤザワの自転車が海に落とされたように、出会った連中は好き勝手に、ヒロシの中にいろんな物を投げ込んで離れていった。ヒロシ自身も、彼らにそうした。(中略)たぶんまた誰かが自分を見つけて、自分も誰かを見つける。すべては漂っている」(単行本p.346)

 友人たちとの出会いと別れ。中学卒業までの一年間、様々な出来事を通じて成長してゆく少年の姿を描いた長篇。単行本(文藝春秋)出版は2014年8月です。

 『ウエストウイング』の主役の一人、物語を考えることと絵を描くことに夢中の小学生だったヒロシが再登場。今や中学三年生となった彼の、卒業までの一年間の出会いと別れが描かれます。ちなみに、前作『ウエストウイング』の紹介はこちら。

  2013年10月23日の日記:
  『ウエストウイング』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-23

 小学生の頃、あれほど夢中になっていた絵にも身が入らず(同じ学校に自分より絵が上手い女子がいたから、という理由なのがまた、どうしようもなく中学生男子)、成績もぱっとせず、友達もいないいヒロシは、家と学校と塾を往復して受験に追い立てられている生活に欲求不満と焦りを感じています。

 「小学校の頃に描いていたものは、本棚と本棚の間の隙間にしまったまま、見返さないようにしている。下手くそだった、と思う。それでも絵を描くことが好きで、話を作ったりすることも好きで、頭の中には、誰にも何にも干渉されない強固な世界があった。今よりももっと体が小さく、他人との関わり方を知らなかったヒロシの小学校での境遇は、決して恵まれたものではなかったけれども、それでも今より強かった、と思う」(単行本p.222)

 「基本的には一人だった。さっさと帰る理由を訊かれると、必ず、眠いから、だとか、腹が減った、だとか、生理現象と絡めて答えるようにしていた。自分の時間が欲しい、は、男の中学生が提示する理由としてあまりにナイーブだとヒロシは思っていた」(単行本p.87)

 内向的で他人との付き合い方がよく分からないヒロシ、自分はもしかして駄目なんじゃないかと悩んでいたり。

 「苦手なものが少しもましにならない、ということは、ときどきヒロシの心をひどくつらくさせる。それは、自分の人生がこれ以上はうまくはいかないかも、という大きな暗示にもつながっていて、ならば手持ちのできることについての力を確かめたいとも思うのだけれど、学校と塾と受験に追われている今では、どうにもやりようがなかった」(単行本p.86)

 「再び、自分の考えていることは他人にばれていて、他人の考えていることは自分にはよくわからない、という思いに囚われ、不満に思う。どいつもこいつも隠し事がうまいのか、それともヒロシに隠し事がなさすぎるのか。そのことは何か、自分が深みのない人間であるかのような錯覚をヒロシにもたらす」(単行本p.182)

 あー、男子中学生。

 そんなヒロシにも、しかし、友人が出来てゆきます。寡黙なヤザワ、ソフトボール部の主将と副主将である野末と大土居、そしてヒロシよりも絵が上手い増田。この五人で、文化祭の展示物をグループ製作することになるのです。

 「ヤザワとつるんでいるのは、たまたま学年の最初に席が前後になったからだけれども、めんどくさくないということも大きな理由だった。ヤザワは、ときどきぼんやりし過ぎていてヒロシに迷惑をかけたりするが、ヒロシの持ち物と自分の持ち物を比べてどうこうぬかすということがなかった」(単行本p.209)

 「ヤザワと増田は、他人の顔色は放っといて好きなことをするし、ヒロシと大土居は用心深い。野末はよくわからないが、あれは人懐こいというのともまた違っているような気がする。単に思ったことをすぐ言ってしまうので、表裏を作れず、そういうタイプに好感を持つ人間を惹き付けているだけのことのように思える」(単行本p.201)

 「その場でヤザワに勉強を教えられるのが大土居しかいない、という状況も、どうにも末期的だった。うすうす感づいていたが、皆わりとばかのようだった」(単行本p.197)

 ヒロシの友人評価はかなり失礼ですが、しかし、五人ともすごくまっとうに育った子供たちです。常時ケータイで連絡を取り合ってつながっていることを強迫的に確認しないではいられないような疲れる関係ではなく、それぞれに好き勝手に自分のことに打ち込んでいて、いざというときには協力する、必要以上に干渉しないし、事情を聞いたりしない。そんな、いい友人関係を築いてゆくのです。

 実のところ彼らは、悪質な中傷やいじめ、性的児童虐待、といった深刻な問題に直面することになるのですが、静かに助け合って、結局は事態を切り抜けてゆきます。

 他人のことにどうも興味が持てなかったヒロシも、友人の苦境を前にして、また子供に過ぎない自分の厳しい限界を自覚することで、次第に成長してゆきます。

 「誰だってまともに生きていきたいと思う。けれど自分たちには、独力でそうするためのツールが、まだ与えられていない」(単行本p.243)

 「親にも口止めされるような不当な暴力に晒されているとして、自分は何かやるだろうか。いやいやながら。たぶん、いやいやながら。しないといけないことだから。そこから逃げたら、たぶんまともな大人になれないから。一生後悔するから」(単行本p.239)

 「何にせよ、完全な生活はない。むしろ、変なことばっかりでも、何とかやっていくやつは少ないものでやっていく。そのことをべつに誇りもせず」(単行本p.261)

 友人達との関係を通じて、きちんと大人へ向かって成長してゆくヒロシ。割と深刻なストーリー展開にも関わらず、全体的には明るくユーモラスな雰囲気が保たれています。卑劣なこと、不当なこと、理不尽なこと、それらに屈することなくまっすぐに成長してゆく子供たちの姿がまぶしい、力強い青春小説です。


タグ:津村記久子
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