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『協力と罰の生物学』(大槻久) [読書(サイエンス)]

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我々が持っている(と信じている)「自由意志」によってつくられる罰の形態は、進化がつくり出す罰の形態とは大きく異なってもよいはずです。
 にもかかわらず、ヒトが用いる罰が、他の生物で用いられている罰に似ているのは特筆すべき点です。
--------(中略)
 このような、ヒトとヒト以外の類似性の面白さを、読者の方々に伝えられたらと思い、この本を執筆しました。生物の協力というと、ともすると美しい話に偏りがちなのですが、その裏にはさまざまな罰がひしめいています。
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単行本p.118


 生物界に広く見られる相互協力、共生関係。心地好く感じられるそれらのシステムを支えているのは、実は「裏切り者」に対して与えられる苛烈な罰だった。協力と罰という視点から生物の利他行動の進化を読み解いてゆく魅惑のサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2014年5月です。

 生物が互いに協力し合うという現象は、自然界に広く見られます。協力することで互いに利益を引き出しているのだから、こういうメカニズムが進化してきたことも納得できるような気がします。

 しかし、よく考えるとこれはちょっと不思議。なぜなら、協力するふりだけしてコストを払わず一方的に利益を得ようとする性質を持った個体が出てくれば、その性質は圧倒的に有利なので、たちまち遺伝子プールに広がってゆき、協力関係はすぐに崩壊してしまうのではないか、と思われるからです。

 本書は、こういった問題に対して、多くの事例をもとに分かりやすく答えてゆくものです。全体は五つの章から構成されています。

 最初の「1 仲良きことは美しきかな----自然界にあふれる協力のすがた」では、生物の協力関係がいくつか例示され、それが決して例外的なものではないことが示されます。


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 多細胞に集合した状態は、単細胞の個体からなるいわば一つの社会です。ではキイロタマホコリカビはなぜ、食物が乏しくなると社会をつくるのでしょうか。実はそこには、キイロタマホコリカビが飢えから逃れるための巧妙な策略が潜んでいます。
--------(中略)
 しかし、この成功の裏にはたくさんの犠牲者が存在します。それは、子実体の柄の部分になった細胞たちです。実は、子実体の柄のほうに分化してしまうと、胞子と違い、もはや次世代に子孫を残すことはできなくなってしまうのです。
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単行本p.8、9


 食糧が乏しくなると10万匹の個体が大集合して多細胞集合体を作り、巨大な子実体に変化して、高いところから胞子を飛ばすキイロタマホコリカビ。しかし、胞子になれる個体は全体の8割で、残りは柄となって他の個体の胞子を支える。我が身を犠牲にして他の個体の繁殖を助ける単細胞生物。

 互いに同期して接着物質を放出することでバイオフィルム(ヌメリ汚れ)を作り出す細菌。自分の繁殖を犠牲にして女王の子育てに献身的に協力する働きアリ。他の個体が空腹だと自分の食糧を分け与えるチスイコウモリ。我が身の危険を省みず群れのために警戒声をあげるミーアキャット。

 同種間の助け合いだけではありません。

 窒素固定を行う根粒菌とマメ科の植物。大型魚の口の中に入って寄生虫を除去する掃除魚。イソギンチャク・褐虫藻・クマノミという全く異なる種の間で構築されている「共生の入れ子構造」。

 こういった、種を越えた協力関係も普通に見られます。自然界はなんと友愛に満ちた美しい場所なのでしょうか。そう思いますか?

 続く「2 ダーウィンの困惑----なぜ「ずるいやつら」ははびこらないか」では、上に示したような協力関係が、見かけほど完全ではないことが明らかにされます。

 すなわち、協力するふりをして実際にはコストを払わず、ちゃっかり利益だけ得ようとする「フリーライダー」が、自然界にははびこっているのです。


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 ファージの設計図である遺伝物質は、細菌が持つ複製機構によってどんどんとそのコピーがつくられていきます。それと同時に、この遺伝物質を格納するタンパク質の殻も大量生産されていきます。しかし、いったん殻がつくられると、その殻がどのファージがもっていた設計図によってつくられたかはわからなくなってしまいます。つまり、他人がつくった殻に自分の遺伝物質を格納することだってできるのです。
--------(中略)
もともといた「協力型」のファージはこのフリーライダーのためにせっせと殻をつくり、自分の遺伝物質の複製にはそれほど重きをおきません。それに対してフリーライダーは殻の生産には重きをおかず、自らをコピーする遺伝物質の生産に力をいれるので、「協力型」のファージはすぐにフリーライダーの餌食になってしまうでしょう。
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単行本p.32、33


 生物というよりほとんど化学物質のようなバクテリオファージの世界にすら、他のファージの仕事に「ただ乗り」するフリーライダーが存在するという、ちょっとびっくりするような話が登場します。他にも、ただ乗り行為者、フリーライダーの例が続々と。

 自分では接着物質を作らず他の個体たちが作ったバイオフィルムにただ乗りする蛍光菌。自分の卵をこっそり産んで、女王の子育てには協力しない働きアリ。アフリカミツバチの巣に入り込んで、その繁殖系統を乗っ取ってしまうケープミツバチ。受粉させる仕事をしないで、花弁に横から穴をあけて蜜だけ吸い取ってしまうマルハナバチ。

 前章で友愛に満ちた美しい場所に思えた自然界は、実のところ卑怯者と怠け者と犯罪者の巣窟だったという衝撃。しかし、これほどフリーライダーがいるのなら、そもそも相互協力や共生関係が進化してきたのはなぜなのでしょうか。

 「3 協力の進化を説明せよ!----男たちの挑戦」では、このような利他行動の進化をめぐる議論が紹介され、そしていよいよ「4 罰のチカラ----自然界には罰がいっぱい」でその核心となるメカニズムが紹介されます。


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女王は、そうやって生まれた卵を見つけると、その卵を食べてしまうのです。これは勝手に子を産むことを許さない女王からの罰といえるでしょう。
 さらには、他のワーカーもこの流れに加わります。卵巣を発達させたメスを見つけると、他のワーカーたちはこのメスの足や触角を摑んで放さず、文字通り磔の刑に処して自由を奪うのです。
 このように、コロニーの労働力にただ乗りして子を産もうとするワーカーは、女王や、仲間であるワーカーから過酷な罰を受けるのです。
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単行本p.71

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植物は窒素を固定しない根粒菌にどのような「罰」を与えていたのでしょうか? 調べてみると、当該根粒菌の中の酸素濃度が低くなっていました。つまり植物は、働かない根粒を「窒息」させようとしていたのです。
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単行本p.67


 同様にして、柄になろうとしないキイロタマホコリカビの個体に対する村八分の刑。お客さん(大型魚)を掃除するふりをしてこっそりその身体の一部を食べた掃除魚に対して、仲間の掃除魚から与えられる制裁。

 さらには、普段は宿主というか本体を外敵から守るための働きをしているのに、自分を複製させないと殺すぞ、といって脅してくる利己的な遺伝子、といった例まで登場。


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制限修復遺伝子からしてみれば、自分を次世代に伝えることに失敗した大腸菌にはその罰として死を与えることで、自らがきちんと次世代に伝わっていく経路を確保しているともいえます。
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単行本p.64


 相互協力の背後には、裏切り者(フリーライダー)に対する苛烈な制裁、情け容赦ない罰が存在したのです。最初の章では「友愛に満ちた美しい世界」だったはずなのに、次の章では「犯罪者の巣窟」となり、そして今や「裏切り者に対する血の制裁によって秩序を保つ犯罪組織か恐怖政治」みたいな世界であることが明るみに出てしまった自然界。

 最後の「ヒトはけっこう罰が好き?」では、自然界を支配しているらしい「罰によって支えられた協力関係」が、ヒトの社会ではどのように機能しているかに関する研究成果が紹介されます。


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ヒトが「他者からの罰を警戒し、協力率を上げてしまう傾向」、および「罰を与えてもその人自身にとって何の利益にもならないことをわかっているにもかかわらず、他者を罰してしまう傾向」をもっていることを示しています。
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単行本p.96


 心理学の実験によると、ヒトは驚くほど「他人に罰を与えるのが好き」だということが明らかになっています。自分に何の得もなくても、それどころか大きく損をすることが分かっていても、ヒトは「ずる」をした他人を罰しようとするのです。

 それどころか、自分よりも協力的で社会に貢献した他人をあえて罰するという「非社会的罰」を行う傾向さえあり、しかもこの非社会的罰を望む傾向は、被験者が属する文化や社会によって異なる、というから興味深い。

 というわけで、相互協力の理論、その中核となる「フリーライダーと罰」の話題に焦点を当てて、自然界から人間社会までどうやら共通しているらしい協力関係の進化論がよく分かります。事例紹介が多く、雑学本としても大変面白い一冊です。


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