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『短篇ベストコレクション 現代の小説2011』(日本文藝家協会) [読書(小説・詩)]

 2010年に小説誌に掲載された短篇から、日本文藝家協会が選んだ傑作を収録したアンソロジー。SFやホラーなどジャンル小説も含まれていますが、基本的には一般小説というか、いわゆる中間小説がメインとなっています。文庫本出版は2011年6月。

 特定ジャンル小説ばかり読んでいると視野がどんどん狭くなりがちで、例えば世間様の半分は『ねじまき娘』や『かめ刑事K』の話をしている、などという錯覚に陥ってしまいます。さらには、残り半分は、娘じゃなくて少女! 刑事じゃなくて探偵! などといちいちツッコミを入れている、といった、わけの分からない世界観で生きてたりして。

 むろん世間様はそんなところではないのであって、こうした認識の歪みを正すためにも、狭いジャンルに閉じこもらず、様々な作家の小説を広く読むことが望ましい。よく分かってるんです。でも、難しい。

 そういうわけで、日本文藝家協会が選んでくれる短篇ベストコレクションは毎年ありがたく拝読しています。正直言って、「何でこんな話を読まねばならんのだ」という憤りを覚えることも多く、そんな己の心の狭さを克服する道のりははてしなく遠いのですが。

 というわけで、2010年に小説誌に発表された短篇ベストであります。

 まず最も気に入ったのは、『ラストシーン』(森絵都)ですね。ロンドン発の長距離フライト中、映画を観ていたところ、着陸体勢に入ったとかでいきなり中断。あと少しでラストシーンだというのに、というありがちな体験を扱っています。

 日本人なら、まあ規則なんだからしょうがないな、で済ませるところですが、何しろ周囲の乗客はみんな英国人。みんなで団結して客室乗務員に抗議を始めます。互いに一歩も引かない論争はどんどんヒートアップして、ついには「これはルールじゃなくてヒューマニズムの問題」、「英国人としての度量を問われる場面」と熱弁・・・。

 思わず吹き出しながら読み進めるうちに、感動的なラストシーンへとなだれ込むという驚くべき展開。何とも巧みな構成。いやあ、参りました。

 『薊と洋燈』(皆川博子)は、謎めいた画家のアトリエに誘い込まれた少女の不思議な体験をえがきます。全編に渡って幻想味が非常に強く、書かれていることが客観的な現実なのか、主人公の幻想なのか、レトリック的な象徴なのか、判然としないまま読み進めるうちに、いつしか非日常的な空間から出られなくなっている、そんな不思議な作品です。その奇妙な味わいには、忘れがたいものがあります。

 さて、ひところニュース等で「心の闇」なる言葉が多用されたことがありました。こういう定型的な言葉をからかいたいというのは作家のさがらしく、例えば綾辻行人さんなどそのものずばり『心の闇』という短篇を書いています。これは医療検診で腹部に「心の闇」が見つかったので手術で摘出することをお勧めします、と言われる話。そして本書に収録された三崎亜記さんの『闇』は、「心の闇」が外界に具現化して追いかけてくる話です。

 あるとき窓の外を見るとそこは完全な闇。エレベータを下りてふと振り返るとそこに闇。しまいには自販機の商品取り出し口に手を入れたらそこにも闇。うわっ、うっかり闇に触っちゃった!

 かつて父が闇に飲み込まれたという過去を持ち、いずれ自分もそうなるのでは、という恐怖と共に生きてきた主人公は、何とか自分の「心の闇」から逃げきろうとするのですが・・・。

 一応ホラーの文脈で書かれていますが、どこかふざけているという感触がぬぐいきれず。というか、大真面目な顔してふざけてますよね。この作者のそういう作風が好き。

 他には、酔っぱらいの酩酊感覚を文章で再現してみせた『アニメ的リアリズム』(筒井康隆)、数百年も生きるであろう長寿人第一世代を産む母親たちの気持ちを見事に表現した『メトセラとプラスチックと太陽の臓器』(冲方丁)、知人に別れを告げて回る京都のクサレ大学生が皆からのあまりにもつれない扱いに傷つき屈託の限りをつくす『グッド・バイ』(森見登美彦)、などが印象に残りました。

 SFやファンタジーから離れたところでは、ヤクザがらみのしょぼい事件に取り組む刑事の姿をえがく警察小説『防波堤』(今野敏)、縁を切って久しい姉が危篤なので生体肝移植のドナーとなってほしいと突然言われたヒロインの戸惑いをえがく『ドナー』(仙川環)、裁判員に選ばれた父親が傍聴席に息子の姿を発見するというプロットはどうでもいいけどまず何より軽妙で愉快な文章に惚れる『聞く耳』(橋本治)、などが気に入りました。

 それ以外の作品については、ん、まあ、己の心の狭さを克服する道のりははてしなく遠いということを改めて思い知らされました。

[収録作品]

『帰り道』(浅田次郎)
『聞く耳』(橋本治)
『こともなし』(角田光代)
『人生の駐輪場』(森村誠一)
『メトセラとプラスチックと太陽の臓器』(冲方丁)
『フェイス・ゼロ』(山田正紀)
『ヴェニスと手袋』(阿刀田高)
『アニメ的リアリズム』(筒井康隆)
『グッド・バイ』(森見登美彦)
『冷たい雨 A Grave with No Name』(伊野隆之)
『病葉』(道尾秀介)
『上陸待ち』(伊集院静)
『二つ魂』(高橋克彦)
『薊と洋燈』(皆川博子)
『ラストシーン』(森絵都)
『防波堤』(今野敏)
『ドナー』(仙川環)
『闇』(三崎亜記)


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『トロイメライ 唄う都は雨のち晴れ』(池上永一) [読書(小説・詩)]

 沖縄の民間伝承や宗教観を題材にとった魅力的なファンタジーと、過剰感あふれるハイテンションSF、2つの作風が合流した琉球王朝ファンタジー大作『テンペスト』の外伝シリーズ。琉球の料理と歌、やりすぎキャラと庶民人情噺が見事に融合した琉球捕物帳、その第2弾です。単行本(角川書店)出版は2011年5月。

 主に王宮が舞台となった『テンペスト』に対して、本シリーズではそのふもとに広がる那覇の街に焦点が当てられ、そこで暮らす庶民の生活や喜怒哀楽を描く人情噺となっています。全六話で構成されており、『テンペスト』の登場人物がゲスト出演するという読者サービス付き。

 物語の主役となるのは琉球文化。特に歌と料理は毎回大切な役割を担って登場します。主人公である新米岡っ引(というか琉球なので筑佐事)が歌と音楽を奏で、料理屋の部分美人三姉妹(主人公よりもずっと出番が多いレギュラー)が腕によりをかけて琉球料理を作る。この歌と料理の使い方が実に巧みで、読者を陶酔させてベタな人情噺に惚れさせるわけです。

 様々な琉球王朝時代の文化をテーマにした話も多く、『職人の意地』では陶芸、『芭蕉布に織られた恋』では織物、『琉球の風水師』では風水が、それぞれ主題となります。琉球文化に対する強い思い入れがひしひしと伝わってきます。

 他に、地方財政再建を扱った『間切倒』、那覇の市場が舞台となる『那覇ヌ市』、定番幽霊噺に琉球王朝料理をからめた『雨後の子守歌』。様々な事件を通じて主人公が成長してゆく姿をえがく六篇の短篇を収録しています。

 琉球の政治的苦境や地方の疲弊など苦い側面も書かれているのですが、何しろここは、天地を轟かせる絶世の美女だの、悪を叩き庶民を救う謎の怪傑黒頭巾だの、それこそ『テンペスト』級のやりすぎキャラが普通に出てくる池上ファンタジー世界。琉球情緒に酔いしれ、人情噺にほろりときて、ベタなコメディにくすっと笑っているうちにいい気分になって、あ、もう一話読みたいな、というところで終わってしまう。うまいなあ。

 話としては独立しているので単独で読んでも問題はありませんが、登場人物の説明など省かれているので、やはり前作『トロイメライ』を先に読んで、気に入ったら続編である本書を手にとる、という順番がよいと思います。なお、『テンペスト』がNHK連続ドラマ化されるそうなので、そちらを観て気に入った方は、ぜひ原作および本シリーズも読んでみて下さい。

  NHK BS時代劇『テンペスト』
  http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/tempest/
 

[収録作]

『間切倒』
『職人の意地』
『雨後の子守歌』
『那覇ヌ市』
『琉球の風水師』
『芭蕉布に織られた恋』


タグ:池上永一
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『遊星ハグルマ装置』(朱川湊人、笹公人) [読書(小説・詩)]

 念力短歌、直木賞作家によるショートショート、そして諸星大二郎氏によるカバーイラストという奇跡のコラボレーション。昭和の薄暗がりの気配あふるる懐かし不思議ちょっと怖い系の小説と短歌がたっぷり。単行本(日本経済新聞出版社)出版は2011年6月です。

 まずは念力短歌の師匠、笹公人さんが短歌5首をうたいます。それに呼応して、短篇の名手、朱川湊人さんがショートショート作品を1篇。お互いの作品は独立していますが、同じ題材を使ったり単語が共通してたりして、微妙に共鳴。そんな構成が32セットも繰り返される作品集です。

 まず笹公人さんによる念力短歌ですが、まずは「念力短歌ってなに?」という方のために本書からいくつか作品を引用してみましょう。

    山椒魚にリボンをつけて飼育する下田の部屋に警察がくる

    祠、埋めたやろってユウちゃんの赤いまなざしの理由を知らず

    糸でんわも凶器になるとつぶやいて夕陽に消える少年探偵

    ツチノコをジープで轢いた米兵にまだらの痣が浮かぶ夜更けぞ

    「せんせい」を歌う森昌子にされしまま催眠術師が逝ってしまえり

    みんなして異次元ラジオを聴いたよね卒業前夜の海のあかるさ

    ピラミッドパワーに剃刀安置して童貞の夏は過ぎてゆくなり

    釣り針に和同開珎付けたればシーラカンスの釣り上げらるる

    物置の変身ベルトに浮かぶ錆 さらば遊星の青きゆうぐれ

 ああ、あの頃の日々が、脳裏にまざまざとよみがえり、心にしみじみと思い浮かび、ついでにいらんことまで色々と思い出したりして、ああああ、身悶えしたり。そんな独特の叙情性をおびた素敵な短歌、それが念力短歌です。これが総計165首も掲載されているのですから、まずはそれだけを目当てに購入しても無問題。

 とはいえ、やはり多くの読者のお目当ては、朱川湊人さんによるショートショートのつるべ打ちでしょう。その昔、SF作家たちが量産していたような、そんな懐かしい雰囲気の不思議な話が32篇、収録されています。

 ほとんどの作品は独立したものですが、いくつかシリーズ化したものもあって、やはりネタ出しに苦労したのだろうなあと。しかし、たとえ登場人物が共通であっても作品ごとに独自のアイデアを必ず入れるところはさすがです。

 こうして語られるのは、次のような物語。遭難中に見てしまった謎の施設、月夜静かに山間を歩く巨大カイジュウ、あまりに超常現象てんこ盛りで誰にも信じてもらえない証拠写真、亡くなった母は実は退魔師だったとつぶやく父、生存率低しハードすぎる移動教室、恐竜図鑑の今はなきブロントサウルス、きっぷのいいオヤジ声でしゃべるウサギのぬいぐるみ、ラビラビ(矢崎存美さんの『ぶたぶた』シリーズ、読んでますね)。

 そんななか、玉手箱を使った後追い心中という馬鹿馬鹿しいネタとドタバタコメディ、そして意表をつくオチに笑いつつ膝を打つ『玉手箱心中』。虐待された野良猫との一瞬の心の交流をえがいて泣かせる『傷だらけのジン』。場の空気を気にもとめず特撮の話を得々と語り続けるイタい青年をえがいて、己の姿を省みた読者を悶絶させるに違いない『ニセウルトラマン』などが印象に残りました。

 また個人的な好みですが、「新耳袋」系の実話怪談風の作品も好き。例えば、人が電柱に喰われるのを目撃してしまう『捕食電柱』、畳を海に見立てて遊んでいたら大切な宝物がぽちゃんと落ちて沈んでしまう『子供部屋の海』、水死体に夜行虫が入り込んで血管がぼおっと輝く『夜行虫』、夜中にごそごそ音がするので照明をつけたら財布に足が生えて逃げようとしていた『K氏の財布』など。

 これだけの短歌とショートショートをぎゅっと詰め込んで、さらに諸星大二郎さんの(初期の単行本によくあった)懐かしい少年ものイラストが表紙になっているという、信じがたいお買い得単行本。部屋に置いておくだけでそこから昭和の薄暗がりが染み出してくるような存在感。笹公人、朱川湊人、どちらかの愛読者はもとより、『新耳袋』方面の実話怪談好きにもお勧め。


タグ:笹公人
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『クロノリス -時の碑-』(ロバート・チャールズ・ウィルスン) [読書(SF)]

 20年後の未来から次々と送り込まれてくる巨大モノリス。「着弾」の衝撃で破壊される都市。未来からの攻撃をどうやって防げばいいのだろうか。ほとんど脱力もののお馬鹿SFネタとシリアスな家族ドラマを融合させる手口はさすが『時間封鎖』の作者。キャンベル記念賞受賞作品。文庫版(東京創元社)出版は2011年5月。

 『時間封鎖』、『無限分割』、『無限記憶』、もう漢字四文字の邦題しかつけてもらえないのではないかと思われていたロバート・チャールズ・ウィルスンですが、あえてカタカナで来ました。クロノリス、それは20年後の未来から時の流れを越えてやってきた巨大な石碑。それが「着弾」するとき、その衝撃で出現地点周辺の都市は破壊されます。

 なぜクロノリスが20年後からやってきたと分かるかというと、台座に年月日と送り主である未来の独裁者「クイン」の署名がしっかり刻まれているからです。さすが独裁者らしい自己顕示欲。

 次々と着弾するクロノリスによって破壊されてゆく各国の都市。世界規模の経済破綻と混乱、そして紛争。はたして人類は一致団結してこの「未来からの攻撃」を防ぐことが出来るのだろうか。

 といいつつ、20年後というのが実に微妙。これが200年後ならともかく、20年後なら自分は生きているだろうし、その時点でクイン(それが誰であるにせよ)が世界を支配しているのなら、今のうちからクイン支持に回った方が有利ではないか。そう考える者が出てきます。

 かくして、若者を中心としてクイン支持派が増え、母親は生まれた子どもをこぞって「クイン」と名付け、あちこちで「私こそ本物のクイン」と名乗る指導者が現れて信奉者を集める、という次第になります。なるほど、人類が一致団結して未来の独裁者と戦う、なんていうシナリオより、こちらの方がありそうだよねえ。

 お馬鹿SFでありながら、妙に生真面目な家族ドラマが展開するのも、いかにも『時間封鎖』の作者らしいところ。主人公は、最初にクノロリスが着弾したとき妻と娘をほったらかして現場に野次馬として駆けつけ、そのせいで離縁されてしまうという、情けないコンピュータ技術者。どうしてこんなことになったのか、いったい誰のせいで家庭崩壊してしまったのか。本人の弁によると。

 「そのすべての責めを、わたしはフランク・エドワーズに負わせたい」(文庫版p.14)

 責任転嫁するにせよ、せめて「これも全てクインのせいだ。オレは必ずヤツを倒す」とか言えばいいのに、つい正直になってしまうところがしょっぱい。

 ちなみにフランク・エドワーズというのは、超常現象本やUFO本をいっぱい書いた人。私だってオレンジの背表紙の角川文庫「超自然の謎シリーズ」など読み漁り、『超自然の謎』とか『ストレンジ・ワールド』とか『しかもそれは起こった』とか、お気に入りでしたけど。そうか、私がいまひとつうだつが上がらない人生を送っているのも、フランク・エドワーズのせいだな。

 この真剣にダメな若者である主人公が、最初のクロノリス着弾から20年の歳月を生き延びるうちに人間として成長してゆき、かなりダメな中年男になるまでの家族ドラマが展開される、これが本筋です。そっちか。

 クロノリス着弾によってクイン支持者が増え、彼らの支持により独裁者が世界を支配し、やがて過去に向かってクノロリスを発射する、この時間ループをどのようにして断ち切ればよいのか。

 このあたりに、時間SF的に目を見張るような冴えたアイデア、あるいは馬鹿SF的にぶっとぶような凄いオチがあるかと申しますと、実は最後まで読んでもそういうものはありませんので、過大な期待をしてはいけません。

 というわけで、導入部のアイデア一発が素晴らしくて、その後は延々と家族ドラマが続き、まあそうだろうな、という感じで終わってしまう、何とも微妙な作品。もう少しSF的に頑張って欲しかった気がします。てか、もしや著者が書きたかったのは、時間SFでも馬鹿SFでもなく、家族小説だったのでしょうか。ええーっ。


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『ねじまき少女(上)(下)』(パオロ・バチガルピ) [読書(SF)]

 エネルギー資源の枯渇、生物多様性の喪失、温暖化による海面上昇、遺伝子操作技術の暴走、そして新種の疫病。環境破壊と生物災害により破綻した未来に生きる人々の姿をリアルに描き、主なSF賞を総なめにした話題作。文庫版(早川書房)出版は2011年5月です。

 化石燃料が枯渇し、動物や人力で動かすはずみ車やゼンマイが主要な動力となっている時代。新種の疫病や海面上昇により多くの国が滅び去り、残された人々は、食料でありかつエネルギー源でもある遺伝子組み換え作物を供給するカロリー企業に支配されている。そんななか、厳しい鎖国政策によりかろうじて独立を保っているタイ王国が舞台となります。

 背景世界の圧倒的な存在感、登場人物造形の説得力、そしてストーリー展開の面白さ、どれをとってもピカイチ。しかも、それらがきっちりかみ合って不可分の魅力となっているのだから、もう感嘆する他はありません。

 私たちが直面している現実、すなわち遺伝子組み換え作物による穀物メジャーの農業支配、大規模単一作物栽培の脆弱性、遺伝子操作による新種ウイルス生成、外来種侵入による生物種絶滅、そして温暖化による海面上昇、そういった課題と地続きでありながら、環境破壊により価値観が激変した異形の未来世界が、驚くほどリアルに生々しく描かれます。

 読者が放り込まれるのは、そんな未来のバンコク。視覚や聴覚はもとより、皮膚を焦がすような強烈な日差し、果物の刺激的な味、工場や露地に漂う臭いなど、五感をフルに刺激してくる描写が見事。陶酔感を覚えます。

 次から次へと登場する奇妙な光景やガジェットも魅力的。巨大なフライホイールを回すマストドンの群れ。ゼンマイ駆動の飛行船。緑のメタンガス灯に照らされた露地。生体光学迷彩により自在に姿を消すチェシャ猫たち。そして、タイトルにもなっている、ねじまき少女。むろんミルクちゃん(by高橋葉介)ではなく、遺伝子操作により作り出された日本製の美少女型アンドロイドです。

 登場人物たちは悪人でもなく善人でもなく、ただ必死になって生き延びようとしているだけ。恐怖、屈辱、そして絶望が彼らを突き動かし、大胆な行動に駆り立てるのです。ストーリー展開のために配置され動かされているという印象は少しもなく、その心理や行動は自然で、強い説得力を感じます。

 ストーリーを駆動する特に重要な感情は「屈辱感」。主要登場人物のほぼ全員が何らかの形で耐えがたい辱めを受け、追い詰めされ、壊れてゆきます。読者は主要人物の一人一人に感情移入し、共に苦しみや悔しさを味わい、そして彼らの無謀な決断に心から共感を覚えるのです。巧い。

 上巻では、各登場人物が抱えている事情を明らかにしつつ、ゆっくりとゼンマイを巻くようにきりきりと緊張感を高めてゆきます。背景となるのは政治的対立(現代の日本でいえば、TPPをめぐる「開国論」と「亡国論」の政争みたいな)ですが、それぞれの登場人物たちの立場が複雑に入り組んで、もはや一触即発の状態に。

 下巻に入る直前でゼンマイがほどけ始め、あとはどんどん弾けて。下巻の途中でねじまき娘が決定的な一撃。さあ、そこからの加速感はもはや凄絶。局面は二転三転し、最後まで興奮が途切れません。読者はその勢いに息をのむことになります。何という面白さ。

 意表をつく急展開の果てにたどり着くのは、静かなラストシーン。人類の命運を決める重大な選択が、まるでジョークのように軽くあっさりと下される、この印象的なラストも素晴らしく、SFでしか味わえない衝撃をもたらしてくれます。

 というわけで、文句無しの傑作。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、キャンベル記念賞、全部かっさらっていったのも納得。今年のベストSF海外篇も決まりかも。


タグ:バチガルピ
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