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『ねじまき少女(上)(下)』(パオロ・バチガルピ) [読書(SF)]

 エネルギー資源の枯渇、生物多様性の喪失、温暖化による海面上昇、遺伝子操作技術の暴走、そして新種の疫病。環境破壊と生物災害により破綻した未来に生きる人々の姿をリアルに描き、主なSF賞を総なめにした話題作。文庫版(早川書房)出版は2011年5月です。

 化石燃料が枯渇し、動物や人力で動かすはずみ車やゼンマイが主要な動力となっている時代。新種の疫病や海面上昇により多くの国が滅び去り、残された人々は、食料でありかつエネルギー源でもある遺伝子組み換え作物を供給するカロリー企業に支配されている。そんななか、厳しい鎖国政策によりかろうじて独立を保っているタイ王国が舞台となります。

 背景世界の圧倒的な存在感、登場人物造形の説得力、そしてストーリー展開の面白さ、どれをとってもピカイチ。しかも、それらがきっちりかみ合って不可分の魅力となっているのだから、もう感嘆する他はありません。

 私たちが直面している現実、すなわち遺伝子組み換え作物による穀物メジャーの農業支配、大規模単一作物栽培の脆弱性、遺伝子操作による新種ウイルス生成、外来種侵入による生物種絶滅、そして温暖化による海面上昇、そういった課題と地続きでありながら、環境破壊により価値観が激変した異形の未来世界が、驚くほどリアルに生々しく描かれます。

 読者が放り込まれるのは、そんな未来のバンコク。視覚や聴覚はもとより、皮膚を焦がすような強烈な日差し、果物の刺激的な味、工場や露地に漂う臭いなど、五感をフルに刺激してくる描写が見事。陶酔感を覚えます。

 次から次へと登場する奇妙な光景やガジェットも魅力的。巨大なフライホイールを回すマストドンの群れ。ゼンマイ駆動の飛行船。緑のメタンガス灯に照らされた露地。生体光学迷彩により自在に姿を消すチェシャ猫たち。そして、タイトルにもなっている、ねじまき少女。むろんミルクちゃん(by高橋葉介)ではなく、遺伝子操作により作り出された日本製の美少女型アンドロイドです。

 登場人物たちは悪人でもなく善人でもなく、ただ必死になって生き延びようとしているだけ。恐怖、屈辱、そして絶望が彼らを突き動かし、大胆な行動に駆り立てるのです。ストーリー展開のために配置され動かされているという印象は少しもなく、その心理や行動は自然で、強い説得力を感じます。

 ストーリーを駆動する特に重要な感情は「屈辱感」。主要登場人物のほぼ全員が何らかの形で耐えがたい辱めを受け、追い詰めされ、壊れてゆきます。読者は主要人物の一人一人に感情移入し、共に苦しみや悔しさを味わい、そして彼らの無謀な決断に心から共感を覚えるのです。巧い。

 上巻では、各登場人物が抱えている事情を明らかにしつつ、ゆっくりとゼンマイを巻くようにきりきりと緊張感を高めてゆきます。背景となるのは政治的対立(現代の日本でいえば、TPPをめぐる「開国論」と「亡国論」の政争みたいな)ですが、それぞれの登場人物たちの立場が複雑に入り組んで、もはや一触即発の状態に。

 下巻に入る直前でゼンマイがほどけ始め、あとはどんどん弾けて。下巻の途中でねじまき娘が決定的な一撃。さあ、そこからの加速感はもはや凄絶。局面は二転三転し、最後まで興奮が途切れません。読者はその勢いに息をのむことになります。何という面白さ。

 意表をつく急展開の果てにたどり着くのは、静かなラストシーン。人類の命運を決める重大な選択が、まるでジョークのように軽くあっさりと下される、この印象的なラストも素晴らしく、SFでしか味わえない衝撃をもたらしてくれます。

 というわけで、文句無しの傑作。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、キャンベル記念賞、全部かっさらっていったのも納得。今年のベストSF海外篇も決まりかも。


タグ:バチガルピ
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