SSブログ

『ネット大国中国  言論をめぐる攻防』(遠藤誉) [読書(教養)]

 ときにニュースで「政府による徹底的な統制と誘導が行われており言論の自由はない」と解説されたかと思うと、別の記事には「ネット世論の影響力は日増しに強まっており今や政府も無視できなくなっている」と書かれていたり。外から見るとイメージがいまひとつ混乱しているように思える中国のネット事情。丹念な取材によりそのリアルな姿を浮き彫りにする力作です。新書版(岩波書店)出版は2011年4月。

 2010年末の中国におけるネット人口は驚くなかれ4億5700万人、日本の全人口の何と四倍にも達しています。4.5億人がアクセスし瞬時に言論が飛び交う場、それを統制し管理し誘導しようとする政権、これは人類がかつて体験したことのない未曾有の事象なのです。「中国のネットはね、要するに・・・」と一言でまとめることなど出来るはずもありません。

 本書はこのネット言論をめぐる攻防の様子を広く、深く追求した一冊。

 全体は六つの章に分かれています。

 まず「第1章 「グーグル中国」撤退騒動は何を語るか」では、これ以上言論統制に加担しないと宣言して2010年に中国から撤退したグーグルのケースを取り上げて、中国におけるネット統制の現状を見てゆきます。グーグル側の言い分、中国側の言い分、米国政府の対応、中国ネット市民たちの反応、そして撤退後の現状がレポートされます。

 続いて「第2章 ネット言論はどのような力を持っているのか」では、中国におけるネット言論が持つパワーを明らかにしてゆきます。中央政権批判というタブーは避けつつ、地方政府や腐敗役人を叩くネット言説が、リアルにどれほどの影響力を持つようになっているかが、様々な事件の顛末を通じて語られます。ネット住民の強力な攻撃に、権力側は守勢に回ったのです。

 「第3章 ネット検閲と世論誘導」では、攻守ところを替えて、今度は権力側の反撃について解説します。それは検閲による情報遮断と、ネット工作員を大量動員したネット世論誘導という手法です。防火長城(グレートファイヤウォール)や五毛党(ネット工作員)の実態が克明に解説されます。

 10万人とも20万人とも、ときに100万人を超えているとも言われる、政府に雇われたネット工作員たち。ここまで人数が多くなると質の低下が問題となり、地方政府が「養成班」を組織して、政府の専門家による講義を受けさせているそうで。そこらの掲示板で「工作員乙」とか嘲笑しているのとは全然状況が違うことがよく分かります。

 「第4章 知恵とパロディで抵抗する網民たち」で語られるのは、今度はネット住民たちの対抗策。どうやって検閲をくぐり抜けるか。目をつけられないよう政府を批判するには。ネット工作員を摘発して笑いものにしてやれ。くすぶる不満と怒りをネタやパロディに包み、素早く拡散させてゆく網民たち。

 腕時計をつけた蟹の写真がどうして政権に対する痛烈な皮肉になるのか、草泥馬なる謎の生物の正体、検閲ソフトを擬人化した萌え娘画像の流行など、興味深い話題が続出。読んでいて一番楽しいのはこの章かもしれません。

 「第5章 若者とネット空間」では、ネット世論の中核を担っている80年代生まれ、90年代生まれの若者たちの精神風土に迫ります。多様な価値観にさらされ、強い権利意識に目覚めている彼らのメンタリティを理解しないと、ネット言論をめぐる攻防戦もまた理解できない、ということが分かります。

 日本の読者にとって興味深い「愛国主義教育と反日デモ」といった話題もここに出てきます。

 「戦国BASARAのゲームを遊び終わったら、MIZUNOのスポーツウェアを着て家を出て、吉野屋で牛丼を食べ、ホンダの車に乗って反日デモ集会に行こう! そして大声で“日本製品ボイコット”って叫ぶんだ」(新書p.135)という若者たちの自虐ネタ。

 「そもそも、最近の若者が、政府のいうことを聞くと思いますか。もし素直に政府のヤラセに応じるようなら、中国政府は苦労しません。今の若者たちは権利意識が強い。自分の天下だと思っている」(新書p.145)という政府高官の嘆き。

 いずれの立場も本音バリバリで、率直すぎて思わず笑ってしまいそう。規制をかいくぐって反日デモをあおる側とそれを取り締まる側、どちらも色々と大変だなあと。ちなみに、どちらの側も日本には何の関心もありません。

 最後の「第6章 ネット言論は中国をどこに導くのか」では、ネット言論をめぐる攻防が果たして中国の民主化につながるのか、というテーマを追求します。政府を転覆させようとは思っていないが政府に服従しようとも思っていない若者たち、ネットパワー恐怖症に陥って「社会的弱者」に成り下がった役人、そして「08憲章」をめぐる闘争の裏側。

 通読して印象に残るのは、中国人の徹底したリアリズム、刻一刻と変わりゆくネット事情、若者と親の世代の間にある大きな世界観の断絶など。そして、中国をめぐる事象はたいてい何でもそうですが、「中国の民主化」という話題も、様々な立場の思惑やら事情やら歴史的経緯やらが複雑に錯綜し、簡単に割り切ることが出来ない問題なのだ、ということです。

 最後の「あとがき」で語られる、著者自身が抱いている複雑で切実な思いを読めば、あの国の「民主化」や「自由化」について外野で気軽にああだこうだと言い切ることがいかに的外れであるか、しみじみと感じ入ることになります。

 というわけで、断片的に論じられることが多い「中国ネット言論事情」を包括的に見てみたい方、中国が民主化の方向に向かってゆくのかどうかを考えるためのヒントを求めている方などに、本書をお勧めします。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: