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『対詩 泥の暦』(四元康祐、田口犬男) [読書(小説・詩)]

 人生の転機を迎えた詩人と、奇病に侵され眠り続ける詩人。二人の詩人が交わした詩の言葉による対話。単行本(思潮社)出版は2008年5月です。

 先日読んだ小池昌代さんとの共著『対詩 詩と生活』に続く対詩集です。交替で詩を提示しあい、互いの詩に対する返答として詩を書く。流れるような詩の連鎖が続いてゆきます。個々の詩には「あとがき」めいた著者自身による短い解説が付き、どういう状況あるいは心境でその詩を書いたのかがつづられています。

 当時、四元さんは会社を止めて詩人に専念するという決断をしたばかり、田口さんは奇病にかかり治療の副作用で一日の大半を眠り続けるという状態だったそうで、それぞれに心配や気苦労を抱えているなかでの対詩。全体的に、苛立ちや不安や焦燥感が漂っているようにも感じられます。

 四元さんが

 「眠っている男をみていると/なんだか無性に起こしてやりたくなる」
(四元康祐『眠る男』より)

と挑発すると、田口さんは

 「眠ることが僕の仕事だったから/覚醒した僕は生まれて間もない失業者だ」
(田口犬男『覚醒』より)

と応えつつ、続いてこう皮肉を返します。

 「詩を病むためには/あなたの肉体は頑強過ぎる」
(田口犬男『フロイトの顎』より)

 これに対して四元さんはオレの苦労も知らない若造めが、とばかりに。

 「詩に罹ったひとの/妻子こそは哀れなり/彼の書く詩はどれも三行半/生活に、世間に、それとも現実に?/マイホームパパの遠吠え」
(四元康祐『シニカカッタ人』より)

 現代詩というと高尚で難解なものという印象が強いのですが、お二人の詩の言葉によるやりとりを読んでいると、何だかそこらの飲み屋で課長と部下が交わしている会話とあんまり変わらないような気がしてきます。(注:錯覚です)

 付録リーフレットとして著者たちによる対談がついていて、23ページものボリューム(うち1ページは表紙、そして見開き2ページがお二人の写真)。これが面白い。

 小池さん相手の前作では、同年代ということもあってか、やや構えていた感のある四元康祐さんですが、今作では相手が年下ということか、いきなり「指導」が入って。詩や生活に立ち向かう姿勢から、自分の詩にオレをそのまま出すなよ、オレの手紙を勝手に引用するなよ、ということまで、遠慮なしに文句をつけています。 

 「犬男さんの詩を読んでると、現実を遮断して自分を守ろうとするためにこそ詩を書いているように見えることもあって」(リーフレットp.4)

 「犬男は生活がすごく希薄だという印象だった」(リーフレットp.16)

 いかにも「ふらふらしてないで真面目に就職してきちんと生活しろ」と言い出しそうな説教おやじモードですが、背後に定職を捨ててしまって収入激減(たぶん)して微妙に焦っている心理もちらちら見えるのが妙におかしい。しかも田口さんにはあっさり流されてしまってるし。

 前作では、敬意を払って接していた小池昌代さんについても、ここで本音がボロボロ出てきます。

 「自分の生活を、悪く言うとダシにされて、小池さんと『詩と生活』をやったときもそういうふうに思ったことがあったのね。『森を横切って』という作品にぼく自身が出てきて、なんでこの人は人の現実を勝手に使うのよって(笑)」(リーフレットp.9)

 「小池さんもぼーっとしたところのある人だから」(リーフレットp.5)

 何だか余裕を失っているというか、ほら、転職に失敗して失業しちゃったサラリーマンがあらゆる相手にくどくど早口で文句を言い続けてるっていう、あの感じ。

 というわけで、エリートビジネスマンにして高名な詩人、という近寄りがたいイメージだった四元康祐さんに、何だか親しみを感じてしまう一冊です。小池昌代さんとの対詩とはまた違った味わいがありますので、『対詩 詩と生活』を気に入った方はこちらもどうぞ。


タグ:四元康祐
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