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『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.4』(川口晴美:詩、芦田みゆき:写真、小宮山裕:デザイン) [読書(小説・詩)]

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双花町の入口はどこにでもある。
うっかり足を滑らせたふりをしたってかまいません。
ここでは誰も咎めたりしませんからもっと深いところへ
そこで待っているのが眠りのような安寧か
それとも眠りのような恐怖か

ええ、お約束はできかねますけれども。
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『アドバイス』より


 どことも知れぬ不可解な場所、双花町を訪れた「あなた」は、いつしか迷宮に足を踏み入れていることに気づく。長篇ミステリー詩と写真の幻想的コラボレーション、そのパート4。Kindle版(00-Planning Lab.)配信は2015年6月です。

 どこか不穏で心をざわめかせる写真と、幻想ミステリーのような謎めいた雰囲気の長編詩。二つの創作物が電子媒体の上で重なり合い、読者を否応なく双花町という名の迷宮へと引き込んでゆきます。

 いよいよ後半に入りましたが、霧が晴れるどころか、混迷は深まるばかり。とはいえ、少しずつ輪郭が見えてきたような、そんな気にさせるところがまたえげつない。官能と恐怖がじわじわと読者を包み込んで、大胆なフォントや文字配置も劇的効果を高めて、戦慄を覚えます。


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僕、この前お父さんから絵葉書をもらったよね? そうだよね? 今日それ探したんだけどないんだ、どこにも。魔女が隠したのかって思ったんだけど、僕、どんな絵だったかどんなことが書いてあったかどうしてだかいっこも思い出せないの。あれ、本当にあったんだろうか。僕はわからない、わからなくなっちゃったよ。でも、わかったこともひとつある、本当は、僕、お父さんのこと知らないんだ、ちっとも。
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『紙を散らす』より


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さっきもそうやってあたしを見ていた、さっきだけじゃなくてホテルに来た最初の日からずっとそんな目であたしを見てたよね……。
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『安い食事』より


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サヨコは見ていた、あたしはテーブルのまわりを逃げまわったりなんかしない、椅子が倒れたりぶつかってテーブルががたがたって動いたり、電球が揺れて壁に映った影が生きているみたいに伸び縮みしたり、走っているうちに転んで何もかもいっしょくたに倒れてしまったり、そんなことぜんぶ起こらなかった、何も、あたしは、あたしは死にたくなかった、埋められたくなかった、あたしは埋められなかった、あたしは死んでない、あたしは泣かなかった、泣いたのはサヨコだ、
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『風の強い晩だった』より


タグ:川口晴美
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『男4人が互いをキャラクタライズして書いたBL詩』(及川俊哉、高塚謙太郎、松本秀文、山田亮太、河野聡子:ゲスト、そらしといろ:イラスト) [読書(小説・詩)]

「序文」(河野聡子)より
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 高塚さんの「BL詩を書こう」という提案に私は一瞬ビックリしたのですが、高塚さんはカップリングする気まんまんなのでした。
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 四人のヘテロ男性が二人ずつカップリングをつくって創作したBL詩集。同人誌発行は2015年4月です。

  「ホモソに甘えてんじゃねーよ」(河野聡子)
  「よろしい、ならばBLだ」(高塚謙太郎)

というような経緯により、批判のはるか斜め上に向けて勢いよく打ち上げられた詩界のチャレンジャー号。目次は次の通りです。


序文 (河野聡子)
『父親【山田×高塚】』(山田亮太)
『平行【松本×山田】』(松本秀文)
『フラワー【高塚×松本】』(高塚謙太郎)
『鏡の秘密90【及川×高塚】』(及川俊哉)


『フラワー【高塚×松本】』(高塚謙太郎)より
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詩の話ばかりするおまえを
植物にした
しぐれに染まる
息をなめとってくわえこんだ
エントリー・プラグで
指をつぶしながら
髪をつかんでよせ
トキオは水のようにひろがる
喉から滴る言葉がみえる
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『鏡の秘密90【及川×高塚】』(及川俊哉)より
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きみ
きみは新しい観光地が好きでしょう?
絢爛な言葉の地獄が。
蟇蛙が芋虫を食べたような顔をして、
読者は君の演ずる夢幻能を読んでいる。
幽玄が永遠に続くだなんて、
こわいとはおもわないの?
きみが隠そう隠そうとしているもののほうが気になる。
きみの指が触れた言葉が黄金に変わるのを
目を見張らせてみながら、
ぼくも蝦蟇のようなため息をつく。
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 さて、ここで問題になるのは、カップリングです。

 4人の男から作られ得るカップリングの数は、12通りです(注:6通りだと思った人は、BLまたは算数の勉強が不足しています)。そのうち作品として掲載されたのは4通り。なぜ、この4つが選ばれたのでしょうか。ここには大きな秘密が隠されているようです。

 なぜかというと、ごく普通に考えれば、

A『フラワー【高塚×松本】』
B『平行【松本×山田】』
C『?【山田×及川】』
D『鏡の秘密90【及川×高塚】』

というカップリング循環を構成することが、数学的にも、審美的にも、正しいのではないでしょうか。それなのに、あえて上記Cを捨てて、

C’『父親【山田×高塚】』

に差し替えた。ここにはどのようなメッセージが隠されているのでしょうか。特に、対称性を破ってまで高塚さんを二度「受」にすることにどのような必然性があったのでしょう。そこには現実の関係性が何やら隠微な影を落としているのでしょうか。それとも誰かから何らかの強い要望、あるいは指導があったのでしょうか。

 週末はずっとこの問題を考えていました。月曜日になって、配偶者から「高塚さんがカップリング問題の回答をネットに書いているよ」という情報を得て、急いで確認してみました。

「攻受の組み合わせも適当で、実は私が2つ受けになったのは単なるミスでした」
https://twitter.com/umayanosakana/status/607190304265936898

 わ、私の週末が……。


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『街角の書店 18の奇妙な物語』(中村融:編) [読書(SF)]

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 こうして集めた18篇。内訳は本邦初訳7篇、雑誌やアンソロジーにいちど載ったきりの作品が9篇、アンソロジーの定番的な作品だが、現在では入手しにくい作品が2篇である。
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文庫版p.386、387

 S.ジャクスン、K.ウィルヘルム、F.ブラウン、J.ヴァンス、R.ゼラズニイ、F.ライバー、H.ハリスン。短篇小説の名手たちが紡ぎ出すユーモアと恐怖。本邦初訳7篇を含む入手困難作を集めた「奇妙な味」短篇アンソロジー。文庫版(東京創元社)出版は2015年5月です。

 目次を見ただけで震えが走ります。執筆者が豪華というだけでなく、一度も読んだことのない珍しい作品ばかりが揃っていて、しかもテーマは「奇妙な味」。これはもう、何かと引き替えに何かヤバい取引に応じてしまったのではないか、と不安に駆られるような夢のアンソロジー。

[収録作品]

『肥満翼賛クラブ』(ジョン・アンソニー・ウェスト)
『ディケンズを愛した男』(イーヴリン・ウォー)
『お告げ』(シャーリイ・ジャクスン)
『アルフレッドの方舟』(ジャック・ヴァンス)
『おもちゃ』(ハーヴィー・ジェイコブズ)
『赤い心臓と青い薔薇』(ミルドレッド・クリンガーマン)
『姉の夫』(ロナルド・ダンカン)
『遭遇』(ケイト・ウィルヘルム)
『ナックルズ』(カート・クラーク)
『試金石』(テリー・カー)
『お隣の男の子』(チャド・オリヴァー)
『古屋敷』(フレドリック・ブラウン)
『M街七番地の出来事』(ジョン・スタインベック)
『ボルジアの手』(ロジャー・ゼラズニイ)
『アダムズ氏の邪悪の園』(フリッツ・ライバー)
『大瀑布』(ハリー・ハリスン)
『旅の途中で』(ブリット・シュヴァイツァー)
『街角の書店』(ネルスン・ボンド)


『肥満翼賛クラブ』(ジョン・アンソニー・ウェスト)
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 拍手はなく、いつもと違ってやんやの喝采もありません。畏敬の念にあふれる沈黙だけがスタジアムに満ちていました。出場したどの奥さまも、その瞬間、かすかな希望が永遠に砕かれてしまったのを悟ったことでしょう。夢にも思わなかったようなもの、大胆不敵な白昼夢にも登場したことのないようなものが、そこにあったのです。
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文庫版p.21

 徹底した高カロリー摂取と厳しい運動制限により夫を家畜として果てしなく太らせ、その体重を競うコンテストに熱中する奥方たち。だが今年は様子が違った。驚異の新人が現れたのだ。肥満を扱った風刺短篇ですが、その容赦ないブラックさは凄い。


『お告げ』(シャーリイ・ジャクスン)
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ああ、なんとか決心できさえしたら、もしもだれかが、なにかが、なんらかの方法で、わたしに進むべき道、なすべきことを教えてくれさえしたら。私にかわって決断し、お告げを告げてくれさえしたら。
 こういった考えかたは、言うまでもなく、なにより危険な思考法である。
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文庫版p.65

 バスの座席にうっかり買い物メモを落としてしまったおばあちゃん。その席に座った悩める若い女性。メモを見つけた彼女は、これこそが「お告げ」だと思い、その通りに行動しようと決意する。シャーリイ・ジャクスン(怖くない方)の見事なユーモア短篇。


『アルフレッドの方舟』(ジャック・ヴァンス)
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「勇気じゃないよ、ベン。溺れたくないんだよ。あんた方のなかにわたしに賛成する臆病者がいなくて残念だ」
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文庫版p.92

 再び大洪水がやってくるという「聖書の予言」を読み解いた男が、嘲笑や忠告にも関わらず全財産をなげうって方舟を作り始める。やがて本当に嵐がやってくると、笑っていた人々も焦り始めるが……。終末予言やカルトに振り回される私たちの心理を容赦なく突いてくる風刺短篇。


『姉の夫』(ロナルド・ダンカン)
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毎晩つづく空襲が、人々にもう時間がないと刹那的な気持にさせる。自暴自棄はしばしば欲望を暴走させる。ときとして欲望は、絶望をきわだたせることになる。
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文庫版p.159

 舞台は戦時中の英国。軍役から一時帰郷した弟は、姉に友人を紹介する。次第に深い関係になってゆく姉と友人、二人を見守る弟。やがて彼らは結婚することになるが……。幽霊譚かと思わせておいて、サイコホラーへと持って行く手際が鮮やかな怪奇小説。


『遭遇』(ケイト・ウィルヘルム)
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あなたはもうドアを閉めることはできない。わたしはここにいる。あなたはようやくわたしを見た。ちゃんと見た。だから、わたしは現実の存在となった。二度と消えない。
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文庫版p.209

 吹雪のためバス待合室に閉じ込められ、一夜を共に過ごすことになった男女。息詰まるような密室心理劇は、次第に超自然的様相を帯びてゆく。緊迫感あふれる描写と大胆な文章技法が素晴らしく効果的に使われており、個人的には、収録作品中で最も感銘を受けた作品。


『M街七番地の出来事』(ジョン・スタインベック)
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ぼくがガムを噛んでるんじゃない----ガムがぼくを噛んでるんだ
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文庫版p.287

 パリの屋敷に住む一家を襲う、恐怖のモンスター。捨てても、切り刻んでも、燃やしても、すぐに復活してはぷぅと膨れて偽足を伸ばして追いかけてくる、風船ガム。何という恐ろしい「アメリカ産の物質」であることか。思わず吹き出してしまう怪物小説。誰だよこんな馬鹿な話書いたの。スタインベック、って、えっ、あの、スタインベック?


『アダムズ氏の邪悪の園』(フリッツ・ライバー)
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 ここは自分にとって世界が完璧である場所だ、と何度めになるのかわからないが、彼はつくづく思った。女たちが権利と考えと欲望をそなえた、大きくてわずらわしい、弾力のある生身のものではなく、彼女らを興味深くする程度の意識と限られた命をそなえた、か弱い花である場所。
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文庫版p.320

 女性を「摘み取って」は秘密の花園に植え、無抵抗な「花」にしてその美しさを鑑賞したり、受粉させたりして楽しんでいる男。だが、自分より強い魔女に手を出したのはまずかった。ミソジニーをからかった1963年発表の短篇ですが、花園を「二次元」と読み替えれば今でもそのまま通じてしまうというのが悲しい。


『大瀑布』(ハリー・ハリスン)
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「あの上には、なにがあるんですか? 大瀑布の上、あの断崖の上には? あそこにも人が住んでいるんでしょうか? あそこには、われわれがまったく知らない、別世界があるんでしょうか?」
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文庫版p.353

 天空から降り注ぐような大瀑布。その上にある世界を見たものは誰もいない。しかし、そこからは様々なものが降ってくるのだ、大瀑布に流されて。二つの世界を繋ぐ途轍もない大瀑布が登場する印象的な短篇。


『旅の途中で』(ブリット・シュヴァイツァー)
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まもなく、歩きかけた姿勢で凍りついている男の姿が視界にはいってきた。わたしは安堵して声をかけたが、男は音も動きも返さなかった。その静止した姿にもっと目をこらすと、わたしは卒然と気づいた、それに頭がないことに。わたしは自分自身の体を見ていたのだ!
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文庫版p.360

 旅の途中で、強風にあおられて首を落としてしまった旅人。転がった頭は、何とかして首まで戻ろうと自分の身体を登り始めるが……。世にも奇妙な登山小説、だと思う。


『街角の書店』(ネルスン・ボンド)
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あちら側には完璧なものはありません。この書店のなかでだけ、小説と詩歌は、著者が夢見たとおりの高みに昇り、美しさと真実性をそなえるのです。
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文庫版p.379

 素晴らしい傑作、比類ない名作を書いていたはずなのに、出来上がった作品が、いつもいつも、いまひとつ、なのはなぜだろう。とある街角の書店には、書き上げたら「こうなるはずだった」作品が揃っていた。すべての著作者の夢をストレートに書いた(作家の)願望充足ファンタジー。



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『念力ろまん』(笹公人) [読書(小説・詩)]

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9の字に机ならべていたりけり夜の校庭はせいしゅんの底
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「黒板に吸い込まれる」と叫んでらフィラデルフィア事件をググりしばかりに
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なめくじのテレポーテーション数えつつこの遊星の冬を耐えおり
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 『抒情の奇妙な冒険』から七年、ついに帰ってきた念力短歌。特定世代のハートを震わせるハイコンテクスト歌集、ここにリブート。単行本(書肆侃侃房)出版は2015年5月です。

 というわけで念力短歌シリーズの最新作です。「念力」という古めかしい言葉から滲み出てくる、あの気恥ずかしさ、懐かしさ、そしていまだに残る何ともいえない不安感。それらがごたまぜになった、どうにも扱いに困る抒情。とうに時代から取り残されたノストラダムス時空が、無形文化財として保護もされず、そのまま息づいているようです。


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夏の夜の霊界テレビ エジソンの白衣の裾を映して消えた
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エレキングの放電に照る湖のほとりで笑うニコラ・テスラ氏
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セキセイインコがガッツ星人に見えるまで酔いし夜あり追いつめられて
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 霊界ラジオのエジソンと放電怪人テスラ、永遠のライバル対決が読める歌集は(たぶん)念力短歌だけ。酔っぱらって夜の街灯を指差し「ペガッサ星人!」と叫ぶ世代の心を強く揺さぶる作品が並びます。


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ラッセンの絵を勧めたる美女去りて壁のイルカと暮らしはじめる
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スフィンクスの両目の放つ光線が俺のチャクラを刺激するから
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運転手も家族もみんな立ってる人生ゲームの外車(コマ)の静けさ
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 ありし日々の、あの、みっともなさが、こう、今にしてこみ上げてきたりして、切ないなあ、1999年8月以降の人生は。


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宮崎の夜道を歩くつかのまの卑弥呼・古墳で終わるしりとり
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池の主を刺身にしたる三郎の奇病あやうし夜の呻き声
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虹の根にふれた河童の水かきが3センチほど切れてた話
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 どこか懐かしい、民話のような怪談、古代史ロマン。わしらの心のツボを的確に押してきます。


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「大霊界」のパンフ求めて祖父(おおちち)が四つ折りの五百円札を広げたり
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夕焼けの鎌倉走る サイドミラーに映る落武者見ないふりして
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にんげんのともだちもっと増やしなと妖怪がくれた人間ウォッチ
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 思わず、ふふふ、と笑ってしまうようなユーモラスな作品も点在していますが、それでも直後にふっと遠い目をして「すまん」と思わず謝ってしまいそうに。

 正直なところ、若い世代の読者がどんな風に感じるのか想像できないのですが、それはまあ、「あとは若い二人にお任せることとして」、私たちの世代は静かに隠れて気恥ずかしみたい。そんな念力歌集です。


タグ:笹公人
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『ストロベリーフィールズ』(構成・振付:近藤良平、コンドルズ) [ダンス]

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2006年に彩の国さいたま芸術劇場初登場以来、回を重ねてこのたび9作目、初夏の風物詩として地域の皆様にも定着してきました。
(埼玉県芸術文化振興財団 理事長)
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 2014年5月31日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、近藤良平率いる大人気ダンスカンパニー「コンドルズ」の新作公演を鑑賞しました。

 毎年、この時期になるとさいたま芸術劇場にやってくる恒例の、地域の皆様にも初夏の風物詩として親しまれているらしい、コンドルズさいたま公演です。

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「そして、今回も、蜷川さんは観てくれないでしょう!」(絶叫)
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 『君の瞳に恋してる』で始まり『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』で終わる、ダンス、寸劇、影絵、映像など、あらゆるネタを次々と放り投げては回収しないで次いってしまう勢いに乗った95分。

 シリアスかつ感傷的なシーンが多めになっているさいたま公演ですが、昨年の『ひまわり』に引き続き、今回も死をイメージさせるシーケンスが繰り返されます。

 最も印象的なのは舞台上に並べられた十字架。最初は学ランを着せた案山子に見えるそれが、やがて雨の墓場となり、最後は近藤良平さんが踊るなかゆっくり昇天してゆく。そして「天国的」なラストシーンへ。

 銃声や爆撃音を背景に「すべては幻、確かなものは何もない、ストロベリーフィールズよ永遠に」みたいなビートルズの歌詞に乗せて踊る鎮魂のソロダンスは、劇的かつ痛切で、じんわり感動します。もしかしたら痛烈な時事風刺ネタなのかも。

 同じシーンが観る人によって「人間打楽器」「大黒様」「ピナ・バウシュのオマージュ」「プレスリーのモノマネ」といった具合にまったく異なる印象を与えた、というエピソードを後で知って大いに感心したり。私は先日52年目にして解散したチャンバラトリオかと(違)。

 というわけで、今後もコンドルズさいたま公演を末永く続けてほしいと思います。初夏の風物詩として。


タグ:近藤良平
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