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『猫の古典文学誌 鈴の音が聞こえる』(田中貴子) [読書(教養)]

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懐に抱くという親密さが、犬のような動物とは異なる点なのだ。懐には、その人の「こころ」がある。その「こころ」(「たましい」と言ってもよい)にもっとも近い存在、それが猫なのである。
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Kindle版No.463

 平安時代、猫は「狸」と表記されていた。中国の猫鬼と「ねこまた」の関係。金沢猫の伝承。猫ぶった切り公案。秀吉の朝鮮出兵に従軍した猫。日本最古の招き猫。様々な文献をたどることで、平安時代から近世に至るまで猫がどのように描かれてきたかを明らかにする一冊。単行本(淡交社)出版は2001年2月、文庫版(講談社)出版は2014年10月、Kindle版配信は2015年1月です。


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今まで猫の本で文献を中心としたものは、意外なことにあまりないのである。私はある意味で古典的な国文学徒である。文献がないと何も語ってはいけないという教育を受けてきた。そのせいか、在野の研究者に多い伝説や口承ばかりの猫の本に十分満足することがなかった。だから、文献に猫がどのくらい登場するのか、一度総ざらえしてみたい、というのが当初の目的であった。
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Kindle版No.2048


 平安時代から近世に至るまで、文献に登場する猫の記述を追った研究書です。猫と人間との関係性が時代によって変化してゆく様には、大いなる感銘を受けます。


第一章 「猫」という文字はいつ頃から使われたか
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 文献のうえで猫が初登場するのは、ようやく平安時代の初めになってからのことだ。『日本書紀』にも『古事記』にも、猫の記述は見られない。九世紀に生まれた仏教説話集『日本霊異記』に至って初めて、猫らしき動物について書き記されることになる。だが、それにも「猫」という文字は出てこないのである。ここでは、なんと「狸」と書いて「ネコ」と訓ませているのだ。
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Kindle版No.60

 平安時代には、ネコは「狸」と表記されていた。いきなり冒頭から意外な事実に驚かされます。

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 両者の混同が平安初期に起こっていることに注目すれば、この二文字が当時大きな影響を受けていた中国からの輸入文字ではないか、と思い至る。さっそく中国文学を専攻している友人に聞いたところによると、猫を「狸」と書くのは中国では当たり前で、自分自身も「猫」よりむしろ「狸」の文字の方がよくなじんでいるとのことだった。
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Kindle版No.116


第二章 王朝貴族に愛された猫たち
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『日本霊異記』からほどない寛平元年(八八九)、宇多天皇は自らしたためていた日記に、寵愛する黒猫のことを書き綴っている。これが、人が猫を愛玩動物としてともに暮らしている初めての記録ということになる。
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Kindle版No.239

 ペットとしての猫が登場する初めての記録。というか、むしろ猫馬鹿の心象を赤裸々に暴露してしまった初の文献というべき宇多天皇の日記、寛平御記の紹介から始まります。
ご存じない方は、『くるねこ』における紹介漫画を読んで頂くとよいかと。

ブログ『くるねこ』より、『寛平御記』
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/880bdda170dd3e8ebb3d598b0cfbe8b1

 これを皮切りに、平安時代の貴族たちが、

「うちの猫、背中が光るんです」
「猫の耳の穴って、なんて空っぽなのかしら」
「うちの猫は獲物をとってきても人に見せびらかすだけで殺生はしない。何という徳の高さよ」
「近頃、宮中では誰も彼もが猫を“何とかちゃん”などと呼んで、でれでれしまくっておる」

などと書きまくった内容をかいつまんで紹介してくれます。

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 しかし、宇多天皇にしても頼長にしても、また一条天皇にしても、猫好きのすることは今も昔も変わらないとつくづく思う。
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Kindle版No.350


第三章 ねこまた出現
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平安から中世へと、猫はその暗い側面を人間によって増幅させられていくのである。これが後世の「ねこまた」へと繋がっていく回路になったのではないだろうか。
(中略)
 これら近世の書物を見ると、『徒然草』に描かれたねこまたをベースにして中国からの影響を受けて猫の化け物が生まれたことがわかるだろう。
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Kindle版No.594、704

 中世になって「ねこまた」から始まった化け猫伝承。中国から輸入された金華猫、妖狐、そして猫鬼がそのルーツとなっているのではないか、という興味深い話題が展開します。


 以降はざっと概要だけ。

「第四章 金沢文庫の猫」
 15世紀に始めて記述されてから、何と昭和まで続いた金沢猫の伝承とは。

「第五章 猫を愛した禅僧たち」
 「どうして猫好き禅僧がこんなに多いのか」と著者も首をひねるほど大量に残されている猫詩句を紹介。

「第六章 新訳『猫の草子』」
 江戸時代に書かれたお伽草子『猫のさうし』を翻訳。

「第七章 猫神由来」
 秀吉の朝鮮出兵に従軍した猫。

「第八章 江戸お猫さまの生活」
 俳諧、芝居、草双紙に「うじゃうじゃというくらい登場する」猫を通じて、江戸時代の猫の生活を考える。

「第九章 描かれた猫たち」
 猫は仏敵なので涅槃図には描かれていない、という俗説の真偽。日本最古の招き猫。御伽草子『十二類合戦絵巻』に描かれた猫。


 という具合に、様々な時代の文献に登場する猫について書かれます。

 「今も昔も、猫好きの心は変わらんものだなあ」と強い共感に浸ってしまいそうになりますが、著者は先回りして、このように厳しい指摘。


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 古典文学を読んで「昔も今と同じ感情を持っていたのだ」という共感を示す人は多く、それがおそらく古典文学が(細々とながら)今まで読み継がれてきた理由の一つだと思うが、それだけでは理解しがたいことも多い。
(中略)
 古典文学が生き残ってきたのは、どんな時代や環境の違いがあっても人はみな同じことを考えるということが「実感」されたからではない。むしろ、世の中が変われば人も変わる、ということを疑似体験できるからだといっていいだろう。単なる共感の「だだ漏れ」に終わらない古典文学の理解は、残された資料を読み解くという手続きさえ踏めばかなうのだ。その手続きを代行できるのが、研究者なのだと私は思っている。
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Kindle版No.2099、2103


 このように学者として釘をさしつつも、しかし、こうも書いてくれるのです。


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 ただし、そのうえでにじみ出る「猫好き」の余香はたしかに感じられることがあり、それを否定することはせずにおいた。でないと、猫本を読む楽しみはないでしょう?
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Kindle版No.2098


 やっぱり猫本なのか。

 というわけで、文献研究の知的興奮と、猫好きハートの昂り、両方を深く味合わせてくれる好著です。


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