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『猫の古典文学誌 鈴の音が聞こえる』(田中貴子) [読書(教養)]

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懐に抱くという親密さが、犬のような動物とは異なる点なのだ。懐には、その人の「こころ」がある。その「こころ」(「たましい」と言ってもよい)にもっとも近い存在、それが猫なのである。
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Kindle版No.463

 平安時代、猫は「狸」と表記されていた。中国の猫鬼と「ねこまた」の関係。金沢猫の伝承。猫ぶった切り公案。秀吉の朝鮮出兵に従軍した猫。日本最古の招き猫。様々な文献をたどることで、平安時代から近世に至るまで猫がどのように描かれてきたかを明らかにする一冊。単行本(淡交社)出版は2001年2月、文庫版(講談社)出版は2014年10月、Kindle版配信は2015年1月です。


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今まで猫の本で文献を中心としたものは、意外なことにあまりないのである。私はある意味で古典的な国文学徒である。文献がないと何も語ってはいけないという教育を受けてきた。そのせいか、在野の研究者に多い伝説や口承ばかりの猫の本に十分満足することがなかった。だから、文献に猫がどのくらい登場するのか、一度総ざらえしてみたい、というのが当初の目的であった。
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Kindle版No.2048


 平安時代から近世に至るまで、文献に登場する猫の記述を追った研究書です。猫と人間との関係性が時代によって変化してゆく様には、大いなる感銘を受けます。


第一章 「猫」という文字はいつ頃から使われたか
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 文献のうえで猫が初登場するのは、ようやく平安時代の初めになってからのことだ。『日本書紀』にも『古事記』にも、猫の記述は見られない。九世紀に生まれた仏教説話集『日本霊異記』に至って初めて、猫らしき動物について書き記されることになる。だが、それにも「猫」という文字は出てこないのである。ここでは、なんと「狸」と書いて「ネコ」と訓ませているのだ。
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Kindle版No.60

 平安時代には、ネコは「狸」と表記されていた。いきなり冒頭から意外な事実に驚かされます。

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 両者の混同が平安初期に起こっていることに注目すれば、この二文字が当時大きな影響を受けていた中国からの輸入文字ではないか、と思い至る。さっそく中国文学を専攻している友人に聞いたところによると、猫を「狸」と書くのは中国では当たり前で、自分自身も「猫」よりむしろ「狸」の文字の方がよくなじんでいるとのことだった。
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Kindle版No.116


第二章 王朝貴族に愛された猫たち
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『日本霊異記』からほどない寛平元年(八八九)、宇多天皇は自らしたためていた日記に、寵愛する黒猫のことを書き綴っている。これが、人が猫を愛玩動物としてともに暮らしている初めての記録ということになる。
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Kindle版No.239

 ペットとしての猫が登場する初めての記録。というか、むしろ猫馬鹿の心象を赤裸々に暴露してしまった初の文献というべき宇多天皇の日記、寛平御記の紹介から始まります。
ご存じない方は、『くるねこ』における紹介漫画を読んで頂くとよいかと。

ブログ『くるねこ』より、『寛平御記』
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/880bdda170dd3e8ebb3d598b0cfbe8b1

 これを皮切りに、平安時代の貴族たちが、

「うちの猫、背中が光るんです」
「猫の耳の穴って、なんて空っぽなのかしら」
「うちの猫は獲物をとってきても人に見せびらかすだけで殺生はしない。何という徳の高さよ」
「近頃、宮中では誰も彼もが猫を“何とかちゃん”などと呼んで、でれでれしまくっておる」

などと書きまくった内容をかいつまんで紹介してくれます。

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 しかし、宇多天皇にしても頼長にしても、また一条天皇にしても、猫好きのすることは今も昔も変わらないとつくづく思う。
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Kindle版No.350


第三章 ねこまた出現
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平安から中世へと、猫はその暗い側面を人間によって増幅させられていくのである。これが後世の「ねこまた」へと繋がっていく回路になったのではないだろうか。
(中略)
 これら近世の書物を見ると、『徒然草』に描かれたねこまたをベースにして中国からの影響を受けて猫の化け物が生まれたことがわかるだろう。
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Kindle版No.594、704

 中世になって「ねこまた」から始まった化け猫伝承。中国から輸入された金華猫、妖狐、そして猫鬼がそのルーツとなっているのではないか、という興味深い話題が展開します。


 以降はざっと概要だけ。

「第四章 金沢文庫の猫」
 15世紀に始めて記述されてから、何と昭和まで続いた金沢猫の伝承とは。

「第五章 猫を愛した禅僧たち」
 「どうして猫好き禅僧がこんなに多いのか」と著者も首をひねるほど大量に残されている猫詩句を紹介。

「第六章 新訳『猫の草子』」
 江戸時代に書かれたお伽草子『猫のさうし』を翻訳。

「第七章 猫神由来」
 秀吉の朝鮮出兵に従軍した猫。

「第八章 江戸お猫さまの生活」
 俳諧、芝居、草双紙に「うじゃうじゃというくらい登場する」猫を通じて、江戸時代の猫の生活を考える。

「第九章 描かれた猫たち」
 猫は仏敵なので涅槃図には描かれていない、という俗説の真偽。日本最古の招き猫。御伽草子『十二類合戦絵巻』に描かれた猫。


 という具合に、様々な時代の文献に登場する猫について書かれます。

 「今も昔も、猫好きの心は変わらんものだなあ」と強い共感に浸ってしまいそうになりますが、著者は先回りして、このように厳しい指摘。


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 古典文学を読んで「昔も今と同じ感情を持っていたのだ」という共感を示す人は多く、それがおそらく古典文学が(細々とながら)今まで読み継がれてきた理由の一つだと思うが、それだけでは理解しがたいことも多い。
(中略)
 古典文学が生き残ってきたのは、どんな時代や環境の違いがあっても人はみな同じことを考えるということが「実感」されたからではない。むしろ、世の中が変われば人も変わる、ということを疑似体験できるからだといっていいだろう。単なる共感の「だだ漏れ」に終わらない古典文学の理解は、残された資料を読み解くという手続きさえ踏めばかなうのだ。その手続きを代行できるのが、研究者なのだと私は思っている。
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Kindle版No.2099、2103


 このように学者として釘をさしつつも、しかし、こうも書いてくれるのです。


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 ただし、そのうえでにじみ出る「猫好き」の余香はたしかに感じられることがあり、それを否定することはせずにおいた。でないと、猫本を読む楽しみはないでしょう?
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Kindle版No.2098


 やっぱり猫本なのか。

 というわけで、文献研究の知的興奮と、猫好きハートの昂り、両方を深く味合わせてくれる好著です。


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『山怪 山人が語る不思議な話』(田中康弘) [読書(オカルト)]

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 ホラー映画のように、これでもかとけたたましく人を怖がらせる何かは、山に存在しない。むしろ逆で、しみじみと、そしてじわじわと恐怖心は湧き起こる。(中略)
 こうして考えれば、山の怪異は間違いなく“静”である。慌てふためいて動き回るのは、実は人間だけなのだ。
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Kindle版No.2436、2475

 「いわゆる霊感も無いし、見える体質ではまったくない。そのような類いの経験には縁が無いほうである……山以外では」(Kindle版No.1693)と語る著者が、日本全国をまわって山に住んでいる人々の不思議な体験談を丹念に聞き取ってまとめた労作。単行本(山と渓谷社)出版は2015年6月、Kindle版配信は2015年6月です。


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地域の昔話や民話などは各地の教育関係者が冊子にまとめたり、語り部の姿が映像で記録されている。しかしそれはいわば完成形であり、私が探し求めているような民話の原石とでも言える小さなエピソードは意識すらされていないのが現状だろう。
(中略)
 この本で探し求めたのは、決して怖い話や怪談の類いではない。言い伝えや昔話、そして民話でもない。はっきりとはしないが、何か妙である、または不思議であるという出来事だ。
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Kindle版No.89、2491


 全国の山々を巡って、怪談実話でもなく、民話でもなく、それらの「原石」のような語りを集めた一冊です。狐や狸に化かされた、狐火が飛んだ、山小屋の外を歩き回る足音がした。素朴というか、因縁も尾ひれもついてない、「怪談」としては未加工の体験談がぎっしりと詰まっています。

 怖い話はあまりなく、昨今の先鋭化された怪談に慣れた読者には物足りないかも知れませんが、そのライブ感というか、「あ、これは、語られた話そのままだな」という感触が、これが実に味わい深いのです。


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「最近の狸はチェーンソーの真似もするんですよ。斧からチェーンソーに山仕事が変わってきたら、いつの間にか狸もそれを真似るようになってね」
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Kindle版No.268

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 保さんの炭焼き小屋の周りはツチノコの運動場らしく、跳びはねる姿を見た人が複数いる
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Kindle版No.1340

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 今はその学校も取り壊され、専用個室を持った飛ぶ女のことを知る人もほとんどいない。
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Kindle版No.2117

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 謎の光体は地域によってさまざまな呼称があるが、東北では圧倒的に狐火と呼ばれる場合が多い。その正体はヤマドリの飛翔であったり、リンの燃焼であると思われている。しかし中には……。
「狐火? ああ、あれは俺なんだよ」
「えっ! 狐火ですよ」
「そうさ、俺なんだよ」
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Kindle版No.2400

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 どうやらその人は見えない何かと格闘になったらしい。もっとも見えなかったのは集落の人だけで、彼には戦う相手がはっきりと見えている。
「おめ、いったい誰と戦ってたんだ?」
「あれだ、ほら座頭市よ」
「座頭市? 座頭市って勝新太郎のか?」
「そうそう、今おらはその勝新太郎と戦ってたんだ」
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Kindle版No.318

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 友達の目の前二メートルほどの所に蛇がいたのだ。それが普通の蛇ではない。高さが五、六十センチはある草むらを越えて、鎌首を大きく持ち上げじっとこちらを見ているではないか。あまりの巨大さとその異様な眼力に友達は震え上がり、せっかく避難してきたウサギを放り出すと一目散に家に逃げ帰った。
「もうリヤカー引っ張って必死で逃げたらしいんだ。でもよ、家に帰って敷物代わりにしていた箕を忘れたのを思い出してなあ」
 箕は大事だが、今あそこに戻ろうとはまったく思わない。そこで彼は、
「母ちゃんに箕忘れたから取ってきてくれって頼んだんだと」
 もちろん、母ちゃんに蛇の話はしなかった。
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Kindle版No.997


 「ツチノコの運動場」「専用個室を持った飛ぶ女」「あれは俺なんだよ」「勝新太郎と戦ってたんだ」「母ちゃんに蛇の話はしなかった」といった、ちょっとユーモラスな語りの雰囲気が出ていて、とてもいい。


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「鉄橋を真ん中くらいまで来た時だったっかぁ、目の前が急に明るくなってな。何だと思って見たら、前に夜店が出てるんだよなあ。店先まではっきりと見えるの」
 鉄橋の上である。これはさすがにおかしい
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Kindle版No.158

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 妙な動きをしながら謎の光はどんどんと大きくなり、凄い速度で近づいてくるではないか。呆然と見上げる彼女の真上で、巨大な光の塊はぴたりと停止した。同時に彼女の周りだけが明るくなる。それはまるで舞台の上でスポットライトを浴びたような感じだった。声も出せず動くことも出来ず、彼女はその光の中にいた。そのうちに光が徐々に小さくなるのが分かった。そして急にビュンともの凄い早さで飛び去っていったのである。
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Kindle版No.172

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 中山さんが示したのは一メートル近い大きさである。それが二十メートルほどの高さに浮かびながら近づいてくるのだ。驚いたのは大きさだけではなく、その明るさだった。
「いや周りがな、木とか葉っぱも青くなるんだよ。それがどんどん近づいてくるんだ。弾は無いから撃てねえし、恐ろしかったよ」
 ほぼ真上に来た青い謎の光が二人を照らした。お互いが青く見えた時には、二人は手を取り合って目を瞑り震えていた。
「怖くて目なんか開けてられね。ただ二人で手握り合ってたんだ」
 しばらくすると、周りが暗くなるのが分かった。恐る恐る目を開けると、その青い光は自分たちを追い越して山をさらに下っていたのである。
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Kindle版No.1528


 すごいな、狐火。

 今なら間違いなくUFO遭遇事件として解釈されるであろうこういう狐火体験談を読むと、狐や狸というのは「UFO」や「心霊」と同じ機能を果たす便宜ワードだったということがよく分かります。おそらく太古の昔から人類は同じような怪異体験をしてきたのでしょう。時代によって変わるのは解釈だけ、というか、語るための便宜ワードが変化するだけで。

 他にも様々な怪異譚が収録されていますが、あまり盛ってないところに素朴なリアリティを感じます。


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 風も無いのに山の木々が大揺れして、激しく音を立てたことがあったそうだ。あまりに不気味な出来事で、これはいったいどうしたことかと思っていると、ほどなくして近くの集落で火事が起きた
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Kindle版No.1115

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前方からは昨日もすれ違った女がこちらへ向かって歩いてきているのだ。それが前を行く知人には何も見えないという。
「見えてねって……じゃあ、あの女は何だべ」
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Kindle版No.251

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「それが倒れないんだな。その人が続けて撃つんだが、やっぱり倒れない。そのうちに他のマタギも撃ちだして、結局十四発もそいつにぶち込んだのよ」
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Kindle版No.649

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「真っ白の一本道……あん時の道やこれは! 行ったらあかんのや」
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Kindle版No.809

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「何やろ、思うてよう見たら小人なんです。五、六十センチくらいでしたね。それがこっちをじーっと見てるんですわ」
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Kindle版No.816

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「いや、夜トイレさ行って窓から外見てたんだぁ。そうしたらな、頭から背中にかけて、こうぴかーって光ってる動物が下のほうにいるんだよ。初めて見たよ、あんな生きもの」
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Kindle版No.371

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 実は私もこの左右反転状態を経験したことがある。子供の頃に家の近所で一度だけ起きたが、あの不思議な感覚は今もってはっきりと覚えている。家に向かっているはずなのに、見える景色が何か妙なのだ。よくよく周りを見ると、鏡に映ったように景色が逆だった。
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Kindle版No.1837


 他にも、魚を売りに来た行商人のカゴの中身が全部葉っぱになっていた話、吹雪のなかを必死で歩いていたら実は雪など降ってなかったというかそもそも夏だった話、行方不明になった四歳の女の子を懸命に捜索したらその子は大人にも登れないような大岩の上にちょこんと座っていたという話、周囲に足跡もない無人の洞窟に焚き火が赤々と燃えていた話、など、ぐっとくる話が多数。

 というわけで、民俗学や山岳文化に興味がある方に加えて、「怪談実話といえば、結局『新耳袋』の初期のやつが好き」というタイプの読者にお勧めします。


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『短篇ベストコレクション 現代の小説2015』(日本文藝家協会) [読書(小説・詩)]

 2014年に小説誌に掲載された短篇から、日本文藝家協会が選んだ傑作を収録したアンソロジー。いわゆる中間小説を軸に、恋愛小説からSFまで幅広く収録されています。文庫版(徳間書店)出版は、2015年6月です。

[収録作品]

『流離人』(浅田次郎)
『夜の小人』(飛鳥井千砂)
『うそ』(井上荒野)
『正雄の秋』(奥田英朗)
『テンと月』(小池真理子)
『E高生の奇妙な日常』(田丸雅智)
『環刑錮』(酉島伝法)
『星球』(中澤日菜子)
『いらない人間』(中島たい子)
『床屋とプロゴルファー』(平岡陽明)
『代体』(山田宗樹)


『夜の小人』(飛鳥井千砂)
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 次の瞬間、僕の胸に気持ちのいい衝撃が下りてきた。小人だ、と思った。あの、「靴屋の小人」が現れたのだ。人々が寝静まった夜にこっそり現れた小人が、夜のうちに働いて、みんなを喜ばせるものを、見えないところで作り上げたのだ。
 小人になりたい、いや、なりたいじゃなくて、なろう。と、僕は強く思った。表舞台には出て来ない小人、でも人知れず人々に夢を見させる小人、なんてカッコいいんだろう。おじいさんになれなかったのなら、僕は小人になればいい、そう思った。
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文庫版p.65

 空港、遊園地、駅などのディスプレイを、利用客が見ていない夜間に、素早く交換する仕事。靴屋の小人のように「見えない」働きに誇りを持っている青年が、あるとき、公開イベントとして仕事ぶりを観客に見せてほしい、という依頼を受ける。いったんは断った青年だが、迷いが残り、依頼主の真意を確かめようとするが……。

 誰もが知っているが意識することはほとんどない、そんな裏方の職人を主人公とした爽やかな仕事小説。


『E高生の奇妙な日常』(田丸雅智)
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 その後ろの自転車は、高く持ち上がったあいつのサドルに寄りかかるようにして荷台の上に乗っていた。仲良さそうにペダルをうまく絡ませながら……。
 2人乗りだ!
 おれはすべてを理解した。あいつは今、自転車同士で2人乗り、いや、2台乗りをしてやがるんだ。知らない間に彼女を作りやがってなんてマセた自転車だと、おれは悔しさと嫉妬に駆られていた。しかも主人のおれを差し置いて2人乗りまで……。
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文庫版p.216

 自転車通学するすべての男子高校生の夢、それは彼女との2人乗りである。だが三年間のうちにその夢を果たす者のなんと希少なことか。ここに、とある忠犬ならぬ忠自転車ありて、E高校に通う主人のそんな夢をかなえてやろうと健気な努力をするのであった。でも、おい、恩返しにしても方向が完全に間違ってるだろ!

 無意味なまでの情熱と勢いだけで三年間突っ走り、大量の黒歴史を作り続ける男子高校生の日常をえがいたショートショート三編。題材は、それぞれ、恋愛、部活、勉学。何もかも青春で、駄目で、素敵。


『環刑錮』(酉島伝法)
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 赳志の斜め上に、真下に、左右に、前後に、それらの向こうに、そのまた向こうにも、環刑囚の氣配があった。
 千三百人余りの環刑囚が、第六終身刑務所と呼ばれる複合汚染された土壌の中を蠕進していた。広さ千平方米、深さ四十米に及ぶ地下一帯が、舎房であり作業房だった。
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文庫版p.262

 強制的に巨大ミミズに変容させられ、汚染土壌のなかをひたすら這い進む刑罰、環刑錮。多画数漢字と常軌逸ルビ、変態言語感覚で創られた異形世界を舞台に展開する、前代未聞の脱獄劇。そのあまりに独創的な才能と文章技でSF界隈を大騒ぎさせた著者、その作品がついに一般読者に読まれるときが来たかと思うと胸が熱くなります。じっくり読んで下さい。


『床屋とプロゴルファー』(平岡陽明)
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 ゴルフはイギリスで生まれ、アメリカで堕落し、日本で死んだスポーツだと言われている。僕もそのことは嫌というほど味わわされてきた。どの業界誌の記者も、自分が属する業界には多かれ少なかれ嫌気が差していることだろう。でも、とりわけゴルフ界はひどかったと思う。
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文庫版p.418

 うだつの上がらないプロゴルファーが、負ければゴルフからきっぱり足を洗うという覚悟で勝負に挑む。彼が抱えている弱点はメンタル面。だが、一人の床屋が彼に教える。どんな人生もあるがままに受け入れることの大切さを。

 ゴルフ界の内幕、仏教の教え。縁が薄そうな二つの要素を巧みに組み合わせて読者を感動させる手際が見事なスポーツ小説。


『代体』(山田宗樹)
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 代体を用いた治療法が普及して何年も経っている。おそらく、これまでにも同様のケースが何件も発生しているはずだ。いま彼が感じているであろう、出口のない世界に取り残された悲しみが、だれにも知られることなく、反復されてきているはずなのだ。
 今回は違う。事情はどうあれ、我々は知ってしまったのだから。なのに、このまま目をつむり、耳を塞いでしまっていいのだろうか。なかったことにしてしまって、本当にいいのだろうか。
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文庫版p.501

 「代体」と呼ばれるロボットに患者の精神を移動させ、肉体の治療が完了した後に戻すという医療技術が普及した時代。肉体への精神転写を行う際に患者の精神が複写され、代体側にも残ってしまうというトラブルが発生する。代体の稼働可能時間が過ぎれば消えてしまうもう一人の「私」を見捨ててよいのか/自分は肉体側「私」のコピーに過ぎないのか。厳しい時間制限のなか、二人の「私」はそれぞれに悩むが……。

 収録作品中、個人的に最も気に入った一篇。コピーされた人格間で巧みに視点移動しながら、SF、サスペンス、アクション、イーガン、ヒューマンドラマ、と展開してゆき、意外なオチがつくという、お手本のような完成度です。


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『それはとても速くて永い』(法橋ひらく) [読書(小説・詩)]

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サボテンに水をあたえる 寂しさに他の呼び名をふたつあたえる
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おやすみ こんなん綺麗事やけどみんな幸せやったらええな
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黄金の羊を抱いて会いにゆくそれからのことは考えてない
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 とても速くて永いもの、それはたぶん人生。青春の終わりから、苦悩のときを経て、それなりに平穏な心境へ。誰にでも覚えがある人生の辛い一時期の始まりと終わりを活き活きとうたった歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2015年3月です。


 まずは冒頭、まぶしいくらいにアホ一途な青春と、終わってしまうその寂しさを、やわらかい京都弁を混ぜてうたう作品が心をつかみます。


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ひとり寝てひとり帰れば広くなる部屋で投げ合ってるピスタチオ
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あちこちのご当地アイスに使われて紫いもは世渡り上手
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冴えていたギャグをいくつか借りてますなかなかウケが良くて ありがと
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鴨川で花火しようや誰からとなくはしゃぎ出す師走のドンキ
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どれだけ覚えておけるんやろう真夜中の砂丘を駆けて花火を上げた
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「無宗教やと信頼されん言うてたわ」「そうなんや」ジョッキの底の、泡。
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 やがて東京に出て就職したものの、どうにも欲求不満とイライラが募るばかり。なんでこうなるんだろう。


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苛立ちが共通言語になる夜だ人身事故の余波は長引く
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この足でどこでも行ける。誰にでも会える。そう思ってみたりする
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西口のゴディバのあたり幸せな人たちが手を伸ばす おぼれる
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信号はことごとく青なにもかも奇跡みたいな夜だ かなしい
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何もいま目に付かなくてもいいものを電気料金未払い通知
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辞めてどうなる越してどうなる脳のなか喋ってんのはほんとに俺か
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 どうしようもないまま、孤独と苦悩を抱えて横になっていると、なんのために生きているのかも分からなくなってきて。つらい。生きるだけでこんなにつらいのか。


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坂道の途中で膝がチョコレートみたいに 膝が どうしたんだよ
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湯で割ったポカリスエット飲み干して発熱体として横たわる
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眠ろうか 触れると閉じる葉のように今日は誰とも会わずにいたい
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世の中の奴らはみんな淫乱だ乱切りにして足らぬトマトよ
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性嫌悪癒せないまま三十歳を迎えた朝のストロベリージャム
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肌と肌 性器と性器(やめてくれ)混ざり合うって具合悪いよ
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昼前の日射しのなかのジャムの瓶 誰かのせいにできたらいいのに
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サボテンに水をあたえる 寂しさに他の呼び名をふたつあたえる
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 読者も溜め息が出るような作品が並びますが、後半に入ると、どこか吹っ切れたような、諦念と解放感がまぜこぜになったような、明るい雰囲気になってゆきます。ほっとします。


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相変わらずな暮らしだけど新年の空気に満ちてひろい駅前
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知らんやん六本木とかそんなもん8年住んでも余裕でビビるし
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何ヶ月ぶりだろうこのアカウント海鮮丼の写真を載せる
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デンマーク風オープンサンド見た目よりずっしりとくるこれは良いランチ
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めちゃくちゃに笑ったあとの空白にふいにあなたが住んでいること
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出汁巻きを箸で切りつつ出汁巻きに醤油かけんの邪道と思う
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離婚する友もぼちぼち現れてみんな気のいいアホやったのに
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おやすみ こんなん綺麗事やけどみんな幸せやったらええな
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黄金の羊を抱いて会いにゆくそれからのことは考えてない
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 別に何か悟ったわけでもなく、人として成長したわけでもなく、単に歳をくっただけ、というのは、そりゃよーく分かってはいますが、それでも、君に幸あれ、などと思ってしまいます。

 というわけで、人生の最も辛い時期を、定型詩として活き活きと描写してのけた歌集です。多くの読者(少なくとも男性)を共感させる力があると思います。


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『波の手紙が響くとき』(オキシ タケヒコ) [読書(SF)]

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 絡み合う人の繋がりが、被害をこんな喫茶店にまで拡大させた。でもそれとは異なる希望の糸が、すべての被害者をひとつに繋いでもいたのだ。
 糸の名は----武佐音響研究所。
 音にまつわる問題を、ほぐして解いて手を加え、解決するのを仕事とする、小さな会社。
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Kindle版No.2780

 反響定位により作り出された風景。聴こえるのに録音できない囁き声。人を破滅へと誘う危険な歌。そして聴く者の聴覚を奪う彼方からの音。それぞれに個性的な武佐音研のメンバー三名が、「音」にまつわる怪事件を解決してゆくSFミステリ連作短篇集。あるいは響きあう波が心をつなぐ長篇SF。単行本(早川書房)出版は2015年5月です。


「どんな機械やソフトウェアを使っても、人の気持ちなんて測れはしないんです」
(Kindle版No.260)

「あんたの依頼、俺たち武佐音研が叶えてみせるぜ」
(Kindle版No.309)

「では、不肖私、鏑島カリンが、本日の実験についてばばんと説明させていただきます」
(Kindle版No.343)


 武佐音研のメンバー三名が「音」にまつわる怪事件を解決してゆく、「怪奇大作戦」みたいな連作短篇集。

 ではあるのですが、それぞれの読み切り短篇にこっそり張り巡らされていた伏線とテーマが最終話で見事に結実し、全体として一冊の長篇SFとして読める仕掛けになっています。連作ミステリ短篇集としても素晴らしく、長篇SFとしても読みごたえのある、傑作です。


『エコーの中でもう一度』
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 誘拐事件や失踪事件の際、通話録音の背後にある環境音から相手の場所を特定する作業を依頼されることがある。いわゆる環境音解析だ。街宣車の声、種が特定できる鳥や虫の鳴き声、電車の踏切の音。そういったかすかな外部音を抽出し増幅し特定できれば、そこから捜索対象の土地を絞り込んでいくことが可能になる。
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Kindle版No.119

 失踪したミュージシャンの居場所を探してほしい。依頼を受けた武佐音響研究所のメンバーたちは、残された主観音響録音から驚くべき解決策を見い出す。主要メンバーが紹介されると共に、全体を通して響きわたるテーマが提示されます。


『亡霊と天使のビート』
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 毎晩のように酷くうなされ、原因不明の病に伏せる九歳の少年と、その彼が悪夢に苦しむ寝室で、虚空からわき出してくるという死者の囀り----しかもその声は、耳には聞こえるのに、どうやっても録音することができないという。
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Kindle版No.603

 古びた洋館、夜な夜なうなされる少年、そして耳には聴こえるのに決して録音できない囁き声。いかにも怪奇小説風の事件に挑み、心霊現象としか思えない恐怖体験にマジ泣きする鏑島カリン。


『サイレンの呪文』
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 人を、あのカマキリと同じ意志なき人形へと変えてしまう力。
 水辺へと誘い、溺れさせる、圧倒的な支配力。
 僕の奥底に淀む暗がりに居座り続ける怪物が、求めていたものはそれだった。
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Kindle版No.1995

 聴覚から人間の脳をクラッキングして、破滅へと向かわせる歌。そんなものが存在するのだろうか。その謎を追う若者は、歌そのものよりも危険な黒い誘惑に魅入られそうになるが……。武佐音研の創立メンバー二人の若き日の冒険をえがく短篇。


『波の手紙が響くとき』
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 その曲を耳にした者は、やがて音を失う----。(中略)聴くだけで難聴を発症させるかもしれないなどという物騒な曲が、もしその疑いの通りのモノであったとしたら、そしてそれがワールドワイドなネット上へと拡散してしまったら
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Kindle版No.2702、2738

 聴覚器官をゆっくりと壊死させてゆく音楽の謎を追う武佐音研。ついに突き止められたその音源は、誰も予想していなかった驚くべきものだった。ミステリあるいはホラーとして魅力的な導入から始まって、次々と視点人物を変えながら、これまでの三作を見事に結びつけ、やがてまぎれもないSF的感動へと展開する傑作。

 全体的に完成度が高く、それゆえに続編が期待できないというのが唯一残念なところ。お勧めの一冊です。


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