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『プラスマイナス 148号』 [その他]

 「私は絶対にあんたがたにはついていかない」

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス148号 目次]
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巻頭詩 『にわか雨』(深雪)、イラスト(D.Zon)
川柳 『花蓮ガイド』(島野律子)
特集 めざせ150号 まる25年!! 48号と98号の表紙再掲
     48号表紙より『虹』(宇野水晶)
     98号表紙より『月夜の蛙の物語』(平嶋千恵)
随筆 『香港映画は面白いぞ 148』(やましたみか)
詩 深雪とコラボ 『遡上の夢』(深雪のつぶやき+島野律子)
随筆 『花蓮名産 バター風味漂流木 3』(島野律子)
詩 『狩りに行け』(多亜若)
詩 『あの夏に』(琴似景)
詩 『夏の空から』(島野律子)
イラストエッセイ 『脇道の話 87』(D.Zon)
編集後記
 「ふるさとを語る」 その7 琴似景
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 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/


タグ:同人誌
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『落ち合っている』(黒田育世、中津留絢香、BATIK) [ダンス]

 2014年9月7日は、夫婦で東京芸術劇場シアターイーストに行って、黒田育世さん率いるBATIKの新作公演を鑑賞しました。

 黒田育世さんと日替わりキャスト(9/7は中津留絢香さん)が、交替で二時間ぶっ続けで踊る過酷な作品。赤子のイメージ、老人のイメージ、海鳥のイメージを重ねながら、死んでしまったものへの深い悲しみが、凄絶なダンスで語られます。

 その、あまりにも痛切な悲嘆と激しい慟哭に、観ているだけで震えが走り身が凍りつきます。というか、びびった、というのが正直なところ。特に二人がそれぞれに踊る苦悶の『春の祭典』、その異様な迫力には圧倒されます。赤い照明の下で踊り続けるその姿に、魂の地獄を見せられたような心地。

 苦しい苦しい悲しい激情がいつまでもいつまでも続き……、そろそろ終わりかと思ってからが、実は長いのです。簡単には終わらない。といっても現実的な話として体力の限界というものがあるはず、必ずあるはず。

 死力を尽くして泣き叫び苦悶し身を引きちぎるようにして踊る凄絶な消耗戦、その最後の最後、すべての嘆きと絶望を潜り抜けた先で、天国のように美しいバレエを二人がユニゾンで踊るシーンは感動的。しかし、これがまた、なかなか終わらない。嬉しいというより、端的に言って、申し訳ないと謝りたい気持ちで一杯に。

[キャスト]

振付・演出: 黒田育世
音楽監督・美術: 松本じろ
出演: 中津留絢香(2014年9月7日公演)、黒田育世


タグ:黒田育世
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『絶叫師タコグルメと百人の「普通」の男』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 どのような理不尽な異様な目茶苦茶な事も、このタコは一切人の言う事を聞かずに矛盾だらけのままただ絶叫してきたのだった。そしてその事で人から咎められると煽りながらのらりくらりとどっちとも付かない事を言い続けてきたのだった。
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Kindle版No.1634

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 文壇や論壇、ある種の学問、そしてマスコミ等、つまりは日本の精神世界にはびこる最近の馬鹿げた無責任と現実感覚の喪失、それは今病理を究めながらついには文化の形で世界に輸出されようとしているのではないでしょうか。私は私なりにそれを文学で捉え問題化すべきだと考えていました。
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Kindle版No.2073

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 理解者みたいな口利いてスカタン抜かすなヴォケ、みなさんこれが今はやりのニュー批評家ですよ。女性文学と九十年代を見ない事にしてこそ仕事のある三猿。たまには風邪引けよ、それだけです。
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Kindle版No.2175


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第93回。

 八百木千本、萌え美少女化計画(キター!)。ふと気づいたらいつの間にかこの国はもう、だいにっほん、えっえっえっえ。三部作の前史にあたる激烈長篇をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2006年4月、Kindle版配信は2014年7月です。


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気がついたら、世界はあっという間に変容し後退しつつ最悪の方向にねじれていた。そもそも最初日本、にほんという国に八百木はいたのであるが、いつかその国はだいにっほん、になっていた。
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(『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』より。Kindle版No.1481)

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「五十代なのにネットで叩かれたら作品に2ちゃん語使って使いこなした奴」
「ブスだって言われたら自分の顔のブス描写ずーっとするし、論争やって叩かれたら論争用語で小説書いちゃってるし」
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(『未闘病記----膠原病、「混合性結合組織病」の』より。単行本p.103)

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論敵達にとってもモイラが死んだ事は気の毒な事だ。私は何の容赦もない。今の私には生温かい感情がもうないからだ。
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(『片付けない作家と西の天狗』より。Kindle版No.2469)


 建国直後のウラミズモに政治亡命した作家、八百木千本。彼女は「前の国」でどんな体験をしたのか。だいにっほん三部作のプロローグにあたる長篇。全体は、四つの連作から構成されています。


『絶叫師タコグルメ』

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当初はなんか変な事になったと思っていただけだった。なんと言っても彼らは選挙によって出てきたのだし、どう見たって新種の連立政権、無能で素人臭い奴らにしか見えなかったし、人々は「え、誰が投票したわけっ、え、誰がだれがダレが、ふうーん、けーっ」とか言ってただけであったし。
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Kindle版No.426


 気が付いたら日本が変なことに。当事者意識のない幼稚な政治家が口先だけでどんどん調子こいてオヤジの紐帯に甘えているうちに、いつの間にか国名はカギカッコ付きの曖昧で無責任な「日本」となり、いまひとつ現実とは関係ない何か言葉遊びのようなこの「日本」が、世界中から尊敬されてたり、クールだと思われてたり、カワイイ「にほん」として愛されてたり、という謎設定に誰も逆らえなくなり、いつしか「だいにっほん」とか偉そうに名乗っていたら、嫌、嫌、嫌。えっえっえっえ。


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 ここでは国策の失敗や権力者の不始末にも責任はない。なんと言ったって別に彼らは何の責任もない対抗勢力という設定で生きているのだから。例えば罪あって罰のない世界のように、彼らは反権力のまま権力を握り、何も決めず、何も引き受けず、決める時は自分達だけでこそこそ決め、引き受ける時は引き受けるポーズだけをしてみせてただ利権を分ける。
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Kindle版No.398

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ここの政府は決して政府を名乗らない。国家を解体させて違うものにした時からそれらはなくなった。ここにあるのは正式には政府でなく国家でなく、その名前は「知と感性の野党労働者会議」という。略して知感野労である。いわゆる知感である。
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Kindle版No.382

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 中年的利権や御大的弾圧をほしいままにしながら、いつも誰かに反逆し反抗しているポーズをこの「政府」は取りつづける。
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Kindle版No.388


 利権だけ取って権力も責任も取らず、「反権力」ぶったお調子者の男と名誉男に支配されたロリコンの国。ここでは真摯な言論や批判はすべてなかったことにされてしまうのです。


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男社会を生きる都会人は、朝から晩まで男同士だけで繊細に温厚に気を使いながら、遊び心の中に「批判精神」を見せるという繊細なやり方で「討論」、「相互批判」を繰り返すのだ。
 そういうわけで、ここでは本物の批判、をする事は禁じられている。やるのは「批判」だけ。
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Kindle版No.464

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この場合の「批判」とは曖昧でよく判らず茶番的な批判の事なのだが、この国ではそのように「カッコ」を付けていると、批判精神があると思われ褒められるのである。
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Kindle版No.484


 しかし、本物の批判精神と反逆魂あふれる作家、八百木千本は、ここぞとばかりに知感野労を批判したため、逮捕されてしまいます。またもや受難の八百木。


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 私は災難に遭うように運命付けられていた。というか、私の存在そのものが世と相いれないのだ。国家に逆らって私は生きてきた。個人的な不幸さえその延長上にある。そればかりか、人々は自分の不幸を不幸と感じられぬよう洗脳されている。当然戦うべき時にも戦わないように調教されている。
 乱世だと思う。本物の本当の末法とは、実は今なのだ。私がここにいる原因とは、まさに世が世である、というだけのことなのだ。
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Kindle版No.547


 八百木千本は裁判にかけられますが、もちろん裁判なんて茶番です。


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裁判中は始終デリダも引用して真実などないという見地から全証拠を否定する。
 哲学とはこの国では誤った適用を真理に見せるための手段に過ぎないのだ。方法は簡単、ただ引用するだけ。
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Kindle版No.414


 こうして八百木は、何か変な萌え「アート」で飾られた「批評精神のある空間」である「キモ贅沢部屋」に監禁されることになります。外出といえば月に一度、女性作家強制矯正所に通うのみ。そして、いずれは殺されてバーチャル美少女作家として統合されるという、あまりと言えばあまりに酷い仕打ち。


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私はこれから私である証左を全て奪われ、ある美少女に統合されようとしているのだった。つまりその美少女が若く美しく有名という事だ。私はその子のパーツにされるのだ。統合である。統合、というかここではその事を止揚と言っている。アウフヘーベンだと。
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Kindle版No.338

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美少女が私を併合する理由、それは私がブスという政治的正しさをもった反権力で、ブ貌で戦ってきたマイノリティだからだ。それにもし私が「私」の小説を書いてあげたという形式を保証すればそれは純文学になると、知感野労共が信じこんでいるからだ。
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Kindle版No.830


 これまで八百木千本が闘ってきた歴史、ようやく確保した地位、書いてきた言葉を、まるごと捕獲して「反権力」ボクちゃん配下の属性にしちゃおうという悪逆非道というかまあ何も考えてないタコ、そうタコグルメ。

 はたして八百木の運命やいかに。


『百人の「普通」の男』

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この国では男子は結婚と性欲の充足と玩具のコレクション、そして評論活動と徒党を組む事以外何もしない。(中略)世界中がブリブリしていて自分をちょっとでも傷付けるものは自主的に死んでくれる、それが知感野労共の温かな世界なのだ。
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Kindle版No.1535、1570


 何しろ国民的美少女作家に統合される予定の八百木千本。全国から選別された百人の「普通」の男たちからどんどんプロポーズ(なのか煽りなのかよく分からない)メールが届きます。わーん。


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 彼らは国中で最も「反権力」な「いい男」ばかりである。少しも「エリートぶらない普通の謙虚な男」。しかしもちろんこの国で「反権力な男」と言ったらそれはロリコンの事なのであり、いい男と言ったら被害と加害が反転するような話法のぶっこわれた知感野労であり、「エリートぶらない」とはエリートの待遇を受けていて義務を果たさないという意味であるし、「普通の」という事は幼女を騙してパンツをくすねているという意味なのである。そして「謙虚」とは一本目のメールのような言い回しで欲望を隠す行為である。
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Kindle版No.1231


 何かもうまともに言葉も通じないこの国で、「普通」の男の代表と言えば、この人、山墓二円くん。


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二円とはこの国の「普通」の男を象徴しているからだ。てっとりばやく言えば、何の取り柄もないのに受け身のままで、つまり一切自発的欲望を表現せぬままに特別な存在となり、ガールフレンドをとっかえひっかえし、痩せ型キレイ系の彼女と恋愛をしておいて、その後母性的美少女と結婚をしたい、というような、要はきつい性妄想だけを持っている「普通」の男の代表であるからなのだ。
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Kindle版No.1106

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そして女の子は十歳位までに次々二円と恋愛し、そのライバルと「あくまでも自分の意志で」カミカゼのように戦って、結婚相手以外は出来るだけ都合よくばたばた死んでしまうという展開になるしかないのだった。というのも、二円は受け身の癖にプライドが高く、自分より小さい子供が自発的に戦って命を捨ててくれないと嫌なばかりか、彼女らが自分より強い敵を倒して、つまり二円より強い女の子になってしまう事にも我慢ならないからだ。なんでも負担に感じるやつなのである。
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Kindle版No.1122

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そこで女の子は次々と自殺をする。それも助けてくれなかった二円を弁護する長ゼリフの後に。主人公のご都合に合わせて周囲の生死は決まっている。これがこの国の二十世紀ナラティブである。日本と違ってここは私小説もSFもないのでこんなんばっかりだ。
 この二円をとことん保護することがこの知感野労共の国是なのであった。
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Kindle版No.1129


 こんな感じで「普通」の男たちが徹底的に甘やかされている一方、「知的エリート」は何をしているかというと、火星人少女遊廓で遊んで、もとい、未成年者の性的搾取に勤しんで、いやいや、アクチュアルな反権力闘争を現場から共闘しているのでした。


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「みなさん僕達はこの可哀相な地球に連れてこられた、少女達を保護するために火星人遊廓を作りました。悪い汚い国家権力が彼女達を地球に連れてきてしまったのです。しかし国家権力の悪人達は彼女達にここで無理に売春をさせています。でもそんな中で彼女達はこの売春を僕の提案も受けて建設的にとらえ労働問題学習のため自覚的に行い、そして死んで行くのです。そこで僕達はどうやったらこのような火星人虐待をなくす事が出来るかを研究するフィールドワークの一環としてまたこの少女達と共闘し救うため、今後もずっとこの火星人遊廓に遊客として逗留する事にしました。
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Kindle版No.1322

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遊廓で働かされる火星人少女は地球のアニメ的二次元少女そっくりの例のハイテク着ぐるみを着せられてしまう。しかもそれは十七歳どころか七歳になる前に密封するように、着込ませられてしまう。一生外に出る事が出来ないのだ。(中略)この国の少女とは火星人少女の事でもないし地球人少女の事でもない。着ぐるみだけなのだ。人間の少女が単なる着ぐるみのまねをさせられるのだ。
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Kindle版No.1334、1337

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地球で知感野労の虐待にあう火星人達はこの「呼吸器官」が傷付いてどんどん死んでいく。虐待がひどいため多くは若くして死ぬので同情され全員死んだら天国に行くとされていて、彼女達のために憤り泣くのは知感野労達の義務になっている。
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Kindle版No.1346


 もう引用きつくなってきたので、ささっと展開だけ申し上げますと、あわやというところで八百木はウラミズモに政治亡命させられることになります。だいにっほんとウラミズモの間で、何やらきったない取引が行われたのです。


『センカメの獄を越えて----八百木千本ウラミズモ亡命記念初エッセイ予定原稿』

 ウラミズモに亡命して命拾いした八百木千本ですが、かつて自分が通わされていたセント・カメレオン女性作家強制矯正所、いわゆるセンカメで見た若い作家を救えなかったことを激しく後悔しています。


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 夢の中ではいつもその美緒里が、教室にひとり居残って真っ青な目つきになり、猫が追い詰められて猫パンチを出すようなやけくその手つきで、ノートに獄卒共が選んだ少女フレーズを書き続ける。(中略)夢の中で、ごえーっ、ごえーっ、と自分の考えも付かぬ糞文を書かせられながらこの若き暴力描写の第一人者は泣きもせず真っ白な歯を食いしばって、自分を励ますフレーズを無意識につぶやいている。
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Kindle版No.1918、1925

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 遠い知らない夢の果てで美緒里の絶叫する声が聞こえる。

 がーっ、なんぶせんべいっ、教室ぜーんぶ
 化膿するまでっ、どつかしてくれーっ

 夢の最後で私はいつもこんな美緒里をひどい国に残して、自分だけ助かったという事に気づいて泣いてしまうのだ。
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Kindle版No.1929


 文学の「娘」のように思っていた若い作家を救うことが出来なかった後悔。八百木は悲しみのあまり昏睡状態に陥り、そして、その運命はだいにっほん三部作へと引き継がれてゆくことになるのでした。


『八百木千本様へ笙野頼子より----今までの感謝と、近況報告を兼ねた手紙』

 ついに本作の続篇ともいえる『だいにっほん、おんたこめいわく史』を発表した笙野頼子。その背景や反響を紹介しつつ、八百木千本に別れのメールを送ります。


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 ひとつの言葉に何かを象徴させる事で見えにくいものは見えやすくなります。しかしあまりにそれを安易にやってしまえば単なる仮想敵になってしまったり空疎なスローガンにもなってしまう。私は考えました。すると答えは案外近いところにあった。それは長きにわたって定点観測してきた論敵達でした。そこにある独特の癖や構造を指して私は「おんたこ」という名前で呼ぶことにしたのです。
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Kindle版No.2097

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 あえて「おんたこ」と呼ぶ事でテーマは必要十分な広さに限定出来たのです。私は古神道の中の混濁をも視野に入れる事が出来、また古墳の霊や権現信仰を登場させ、複数の角度から蔓延する悪について語れたのです。ネットの読者と新聞の時評は戸惑いと興味を同時に示しました。
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Kindle版No.2105


 そして手紙の最後に、笙野頼子は自らの文学的野望について率直に語ります。それは……。


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 そして究極は極私の中でまことの他者に会いたい。まあ、まことのなどと言ったってそんなのフォイエルバッハの悪く言う、人間の本質的感情としての「神」でしかないけれども、だからこそ文学の世界に転生させるしかないようなその「神」というものに出会いたいのだ。そしてそれを正気のままレポートしたい。それも複数の神が一斉に語るという生身の「私」小説を六十代の代表作にしたいのです。
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Kindle版No.2196


 さようなら八百木千本。いつの日かまた……。

 で、八百木千本は、本書が出版された翌年(小説内では五十年後)にはもう叩き起こされて笙野頼子の救出に向かうはめになり、さらにそれからわずか三年後には「小説神変理層無経」(荒神シリーズ)がスタートすることを、今の私たちは知っています。


タグ:笙野頼子
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『エヴリシング・フロウズ』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「けれど、すべてがリセットされたわけでもないと思う。ヤザワの自転車が海に落とされたように、出会った連中は好き勝手に、ヒロシの中にいろんな物を投げ込んで離れていった。ヒロシ自身も、彼らにそうした。(中略)たぶんまた誰かが自分を見つけて、自分も誰かを見つける。すべては漂っている」(単行本p.346)

 友人たちとの出会いと別れ。中学卒業までの一年間、様々な出来事を通じて成長してゆく少年の姿を描いた長篇。単行本(文藝春秋)出版は2014年8月です。

 『ウエストウイング』の主役の一人、物語を考えることと絵を描くことに夢中の小学生だったヒロシが再登場。今や中学三年生となった彼の、卒業までの一年間の出会いと別れが描かれます。ちなみに、前作『ウエストウイング』の紹介はこちら。

  2013年10月23日の日記:
  『ウエストウイング』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-23

 小学生の頃、あれほど夢中になっていた絵にも身が入らず(同じ学校に自分より絵が上手い女子がいたから、という理由なのがまた、どうしようもなく中学生男子)、成績もぱっとせず、友達もいないいヒロシは、家と学校と塾を往復して受験に追い立てられている生活に欲求不満と焦りを感じています。

 「小学校の頃に描いていたものは、本棚と本棚の間の隙間にしまったまま、見返さないようにしている。下手くそだった、と思う。それでも絵を描くことが好きで、話を作ったりすることも好きで、頭の中には、誰にも何にも干渉されない強固な世界があった。今よりももっと体が小さく、他人との関わり方を知らなかったヒロシの小学校での境遇は、決して恵まれたものではなかったけれども、それでも今より強かった、と思う」(単行本p.222)

 「基本的には一人だった。さっさと帰る理由を訊かれると、必ず、眠いから、だとか、腹が減った、だとか、生理現象と絡めて答えるようにしていた。自分の時間が欲しい、は、男の中学生が提示する理由としてあまりにナイーブだとヒロシは思っていた」(単行本p.87)

 内向的で他人との付き合い方がよく分からないヒロシ、自分はもしかして駄目なんじゃないかと悩んでいたり。

 「苦手なものが少しもましにならない、ということは、ときどきヒロシの心をひどくつらくさせる。それは、自分の人生がこれ以上はうまくはいかないかも、という大きな暗示にもつながっていて、ならば手持ちのできることについての力を確かめたいとも思うのだけれど、学校と塾と受験に追われている今では、どうにもやりようがなかった」(単行本p.86)

 「再び、自分の考えていることは他人にばれていて、他人の考えていることは自分にはよくわからない、という思いに囚われ、不満に思う。どいつもこいつも隠し事がうまいのか、それともヒロシに隠し事がなさすぎるのか。そのことは何か、自分が深みのない人間であるかのような錯覚をヒロシにもたらす」(単行本p.182)

 あー、男子中学生。

 そんなヒロシにも、しかし、友人が出来てゆきます。寡黙なヤザワ、ソフトボール部の主将と副主将である野末と大土居、そしてヒロシよりも絵が上手い増田。この五人で、文化祭の展示物をグループ製作することになるのです。

 「ヤザワとつるんでいるのは、たまたま学年の最初に席が前後になったからだけれども、めんどくさくないということも大きな理由だった。ヤザワは、ときどきぼんやりし過ぎていてヒロシに迷惑をかけたりするが、ヒロシの持ち物と自分の持ち物を比べてどうこうぬかすということがなかった」(単行本p.209)

 「ヤザワと増田は、他人の顔色は放っといて好きなことをするし、ヒロシと大土居は用心深い。野末はよくわからないが、あれは人懐こいというのともまた違っているような気がする。単に思ったことをすぐ言ってしまうので、表裏を作れず、そういうタイプに好感を持つ人間を惹き付けているだけのことのように思える」(単行本p.201)

 「その場でヤザワに勉強を教えられるのが大土居しかいない、という状況も、どうにも末期的だった。うすうす感づいていたが、皆わりとばかのようだった」(単行本p.197)

 ヒロシの友人評価はかなり失礼ですが、しかし、五人ともすごくまっとうに育った子供たちです。常時ケータイで連絡を取り合ってつながっていることを強迫的に確認しないではいられないような疲れる関係ではなく、それぞれに好き勝手に自分のことに打ち込んでいて、いざというときには協力する、必要以上に干渉しないし、事情を聞いたりしない。そんな、いい友人関係を築いてゆくのです。

 実のところ彼らは、悪質な中傷やいじめ、性的児童虐待、といった深刻な問題に直面することになるのですが、静かに助け合って、結局は事態を切り抜けてゆきます。

 他人のことにどうも興味が持てなかったヒロシも、友人の苦境を前にして、また子供に過ぎない自分の厳しい限界を自覚することで、次第に成長してゆきます。

 「誰だってまともに生きていきたいと思う。けれど自分たちには、独力でそうするためのツールが、まだ与えられていない」(単行本p.243)

 「親にも口止めされるような不当な暴力に晒されているとして、自分は何かやるだろうか。いやいやながら。たぶん、いやいやながら。しないといけないことだから。そこから逃げたら、たぶんまともな大人になれないから。一生後悔するから」(単行本p.239)

 「何にせよ、完全な生活はない。むしろ、変なことばっかりでも、何とかやっていくやつは少ないものでやっていく。そのことをべつに誇りもせず」(単行本p.261)

 友人達との関係を通じて、きちんと大人へ向かって成長してゆくヒロシ。割と深刻なストーリー展開にも関わらず、全体的には明るくユーモラスな雰囲気が保たれています。卑劣なこと、不当なこと、理不尽なこと、それらに屈することなくまっすぐに成長してゆく子供たちの姿がまぶしい、力強い青春小説です。


タグ:津村記久子
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『死んでしまう系のぼくらに』(最果タヒ) [読書(小説・詩)]

 「意味付けるための、名付けるための、言葉を捨てて、無意味で、明瞭ではなく、それでも、その人だけの、その人から生まれた言葉があれば。踊れなくても、歌えなくても、絵が描けなくても、そのまま、ありのまま、伝えられる感情がある。言葉が想像以上に自由で、そして不自由なひとのためにあることを、伝えたかった。」(『あとがき』より)

 人に知られないよう、親に見られないよう、隠れて必死にノートに書きつけた、苦しい苦しい切ない感傷、痛々しい思い込み。いわゆるポエムの可能性をまざまざと見せつける鮮烈な詩集。単行本(リトルモア)出版は2014年9月です。


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遅くでいいから、愛してほしかった。わたしがしんでも、わたしが目の前に永遠にあらわれなくても、愛してほしかった。どこかでラッパの音がする。きみのほほに風がたどりつく。そのとき、どこにもいない、知らないわたしのことを、ぎゅっとだきしめたくなるような、そんな心地に一生なって。愛はいらない。さみしくないよ。ただきみに、わたしのせいでまっくろな孤独とさみしさを与えたい。
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 『夢やうつつ』より


 思春期の、全身からあふれるような過剰な感傷を懸命に書きつけた、当人にとって切実きわまりない言葉。いわゆるポエムと呼ばれるものに憧れます。いいなあ、と思う。ちゃんと、ポエムを読みたい。

 そして今、願いはかないました。極上のポエム集が出版されたのです。正確にはポエムを題材とした詩集ということになるのでしょうが、ポエムを前にして細かいことはもういいんですよ。あふれる想いと言葉がぎゅっと詰まった一冊が、本屋で買えるのですよ。


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しにたくなること、夢を失うこと、希望を失うこと、みんな死ねっておもうこと、好きな子がこっちを向いてくれないことが、彼女の不誠実さゆえだとしか思えないこと。当たり前なのかもしれない。
きみはそれでもかわいい。にんげん。生きていて、テレビの影響だったとしても、夢を見つけたり、失ったりしていて。
きみはそれでもかわいい。
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 『きみはかわいい』より


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ビル、海、山、光のさす窓のさっし、カーテン、ゆれることでみえる風や、わたしたちの肉体。大丈夫、こんなものはいつだって、数億年で作り直される。きみは死んだらおしまいだから、だから私は何度だって、死ぬなっていうし、世界を憎もうっていうよ。
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 『2013年生まれ』より


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才能は死のまえでは無力なの。あしたがこないからその人はもうなにも作れないの、思わないの、感情がわかないの。雨の日なのか晴れの日なのかも気づかないで、ただぽかんと過去があるの。そのひとが昔にいたという過去だけになり、まるで丸い円を、運動場に書いた、ただそれだけの過去と同じになる。
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 『LOVE and PEACE』より


 多かれ少なかれ誰もが感じたことのある感傷を、変にひねらずごくストレートに書いてあるのに、これが、めちゃめちゃ鮮烈。何これ。これが、ポエム。

 さびしい、せつない、好き。そういった言葉をあえて使わず、それらと結びついた感情を切々と表出してみせたかと思うと、ときにそういった言葉をぽんと無造作に置いてみたり。翻弄されます。


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「きみのいっていることがなにひとつわからない」と言われることに、さみしさは感じても恥ずかしさを感じる必要はなくて、あおい星がぜんぶ、わたしのことを毎日、理解してくれない。食べたいもの、見たいもの、すべて裏切られて浮かぶ、白い雲のことを思う。愛されたいと叫ぶことで無意味になるたくさんの本当の欲求、お金が欲しい、認められたい、あたたかいおふとんのなかで飽きるまで眠りたい。
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 『孤独ドクドク』より


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愛情といえばなにもかも許されるのは、愛情がうつくしいという前提があるから。絵の具をふんだんに使って、てんてんで光を表現したその表面と、ゆらゆらと不規則に、動くその愛の定義はただの虫みたいだったけれど、ふみつぶされることはない。殺虫剤で死ぬのに。
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 『お絵かき』より


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美しい人がいると、ぼくが汚く見えるから、
きみにも汚れてほしいと思う感情が、恋だとききました
人が死んだニュース 飛んでいく蚊
愛について語る人間は、
なにか言い訳がしたくて仕方がないだけ。
死ねっていう声を、録音させてください
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 『カセットテープの詩』全文引用


 こうして書き写しているだけで感傷的な気持ちになってしまいます。思春期、とーの昔に終わってて、正直、助かった。でも今、まさに思春期の渦中にいる人は救われないので、そういう人はどうか自分でもポエムを書いてみて下さい。どう書けばいいかは、本書を読めば、たぶんわかります。作品の並びも親切だし、「あとがき」にはポイントがきちんとまとめられています。ポエムの教科書としてもお勧めです。


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私達のこのセンチメンタルな痛みが、疼きが、
どうかただの性欲だなんて呼ばれませんように。
昔、本で読んだ憂鬱という文字で、かたどられますように。
夜のように私達の心は暗く深く、才能豊かであるように。
くずのようだと友を見ています。
軽蔑こそが、私達の栄養。
--------
 『文庫の詩』全文引用


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死者は星になる。
だから、きみが死んだ時ほど、夜空は美しいのだろうし、
ぼくは、それを少しだけ、期待している。
きみが好きです。
死ぬこともあるのだという、その事実がとても好きです。
いつかただの白い骨に。
いつかただの白い灰に。白い星に。
ぼくのことをどうか、恨んでください。
--------
 『望遠鏡の詩』全文引用


タグ:最果タヒ
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