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『カッパ・ブックスの時代』(新海均) [読書(教養)]

 「カッパと言えば、ベストセラーの代名詞だったのだ。「カッパ・ブックス」「カッパ・ノベルズ」「カッパ・ビジネス」「カッパ・ホームス」を合わせると、17冊のミリオンセラーの記録がある。カッパという一つのブランドだけで、この記録を打ち立てた新書は日本出版史上類を見ない」(単行本p.11)

 1960年代にベストセラーを輩出し、第一次新書ブームを巻き起こした新書ブランド、カッパ・ブックス。それはいかにして創られ、そして滅びていったのか。単行本(河出書房新社)出版は、2013年07月です。

 『頭の体操』、『姓名判断』、『英語に強くなる本』、『点と線』、『冠婚葬祭入門』、『日本沈没』、『にんにく健康法』、『悪魔の飽食』。ああ、懐かしい。

 私が物心ついた頃、書店の棚にはカッパ・ブックスがずらりと並べられており、どこの家庭の本棚にもカッパ・ブックスの数冊は置いてありました。教養本、雑学本、娯楽小説といえば、まずカッパのマークが思い浮かんだものです。

 あのカッパ・ブックスというのは、どんな人々が作っていたのでしょうか。そして最後はどうなったのでしょうか。本書は、このシリーズ最後の編集員である著者が、カッパ・ブックスの歴史を当事者の立場から赤裸々に語った一冊です。

 「カッパの創刊から半世紀の紆余曲折を経、2005年、「カッパ・ブックス」編集部員は私たった一人のみとなり、部長もいない部署となった。(中略)最後の「カッパ・ブックス」の編集部員として「カッパ・ブックス」とは何だったのか、どのようにして生まれ、どのように成功し、どのように消えざるをえなかったのか検証しようと考えた」(単行本p.13、15)

 というわけで、本書の第1章から第4章までは、光文社の創業からカッパ・ブックスの誕生、快進撃までの歴史が書かれています。高度経済成長期を爆発的な勢いで駆け上っていった、伝説的な編集者やプロデューサーの活躍。次から次へと巻き起こす社会現象。

 「知識人向け教養路線の「岩波新書」に対して、徹底したわかりやすさに重点を置いた、大衆向け教養路線の新書を企画したのだ。それは新しい読者の開拓でもあった」(単行本p.40)

 「長瀬に関して言えば三年連続でベストセラー1位の本を作り続けたということになる。しかも、占い、ビジネス本という二つの分野を開拓したことにもなる。神吉を支えた、まさに誰もが認める“天才肌”の編集者だった」(単行本p.91)

 「「その著者で売れたら、その著者が枯れつくすまで絞れ」というのも、「難しいものは柔らかく、やさしいものはもっともらしく」というのも牧野の方針だった」(単行本p.169)

 「1961年には、日本の刊行物の売り上げベスト10の中で5冊がカッパの本が占めたのである。(中略)10月20日、発売からわずか二ヶ月半で100万部を突破した。「カッパ・ブックス」が日本で初めて成し遂げた金字塔だった」(単行本p.69、79)

 「ぜひうちに来てくれと、光文社の総務部から言われた。『20年間、一切仕事をしなくても、年間20ヶ月分の給料が払える。つまりボーナスを八ヶ月分出す』と」(単行本p.146)

 「1970年、光文社は飛ぶ鳥を落とす勢いの絶頂期を迎えていた。200人の社員で200億円稼ぐ。一人当たりの稼ぎが日本一ともささやかれていた。親会社・講談社を抜く勢いの神吉体制は、講談社にとっても目の上のたんこぶとなっていた」(単行本p.127)

 誰の妄想かと思うような景気の良い話がばんばん飛び出します。そういう時代だったんですね。今の若者が読んでも、ぴんとこないかも知れません。

 余談ですが、『日本沈没』(小松左京)の元タイトル、つまり著者が提案した題名が、「『日本滅亡』----果てしなき流れの果てに・・・、出発の日」というものだった(単行本p.170)と知って、思わずのけぞりました。なにその小松左京長篇傑作選みたいなタイトル・・・。

 そして第5章で、ついに伝説的な「光文社争議」の顛末が語られます。基本的には単純な労働争議だったはずなのに、それが果てしなくこじれてゆく様には胃が痛みます。

 「紛争はこじれていった。その大きな原因に暴力団に力を借りたロックアウトがある。(中略)驚くことに会社はその暴力団を率いる武田義昭を、労務担当重役に任命したのだった。出版人が暴力で事態を打開しようとするという、あってはならない事態が起こりつつあった」(単行本p.132)

 「1972年に入っても、会社へ行けば殴られ、社内に入れば放り出される状態が続いた。多くのけが人が続出、膵臓破裂や、失明寸前の重傷のけが人も出た。(中略)組合員が18名逮捕され、内12名が起訴されるという、前代未聞の弾圧もあった。暴力団のみならず、講談社と深いパイプもある大塚警察をはじめとする、警察権力も会社に味方したのだ」(単行本p.138、139)

 無茶苦茶です。そういう時代だったとしか言いようがありません。いや、やり口が狡猾になっただけで、今でも本質は変わってないのかも知れませんが。

 この大紛争により多くの編集者が光文社を去り、やがて野に散った彼らが創り出した新書が、「プレイブックス」であり「ノン・ブック」であり「ゴマブックス」であり「ワニブックス」だったのです。うわ、この辺、裏に回ってみると、みんなカッパの血族でしたか。

 「こうして、光文社争議をきっかけに、「カッパ・ブックス」のDNAはさまざまな出版社にばらまかれた。新書は文字通り「群雄割拠」の時代に突入し「新書時代」を形成した。カッパの方法論は、多くの出版社にまたたく間に伝播していった」(単行本p.160)

 やがて高度経済成長が終わり、光文社の経営も傾いてきます。というか急降下します。

 「並河時代には何と、480億円をわずか八年の任期で毎年、60億円ずつ使い果たしてしまったという計算になる。なぜここまでの惨状を隠しておいたのか?(中略)ぎりぎりの段階になって初めて経理を公開し、リストラで社員の首を切ってゆく。経営陣の無責任ここに極まれり、というほかない」(単行本p.242)

 「2007年マイナス36億。2008年マイナス45億。2009年マイナス25億と驚くべき赤字が三年間続いた。(中略)首切りのリストラ案が練られ始めた。これには講談社の経営陣も参加してきた。(中略)社内は誰が辞める、辞めない、あの人の事情、この人の動向、あちこちでひそひそ話。仕事にならない」(単行本p.245、246)

 バブルに乗って大儲けしたものの、会社のガバナンスは無いも同然、不透明な会計と使途不明金の山、売上不振にも無為無策の経営陣、優秀な人材から放逐してゆくリストラ策。何だか日本企業の象徴のような顛末に、とほほ感が身に染みる思いであります。

 というわけで、日本に「新書」という新しい大衆文化をもたらしたカッパ・ブックスと光文社の内幕、今だにそのノウハウの焼き直しで食っているとしか思えない出版業界、色々と考えさせられる一冊です。

 文章は上手いとは言えないし、エピソード配置も散漫だったり繰り返しが多かったりして読みにくい面が目立つのですが、何しろ当事者にしか書けない赤裸々な内容が実にエキサイティング。カッパ・ブックスと光文社に興味がある方はもちろんのこと、出版業界に関心のある方、特に新書ブームの「原点」を知りたい方にお勧めします。


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