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『今のピアノでショパンは弾けない』(高木裕) [読書(教養)]

 「その時代の国や文化の変化に応じて、ピアノだけにとどまらず、管楽器、打楽器その編成に至るまでわずか50年ほどのあいだに大きく変化してきた西洋音楽の歴史に学ばず、何も変えてはいけないと思い込み、我々が、クラシックの進化を止めてしまったのです。(中略)形を変えずに同じことを繰り返していくことは芸術ではありません。芸術は、常に新しいことに挑戦していかなければなりません」(新書版p.105、107)

 権威と敷居が特に高いと思われている日本のクラシック音楽業界。だがそれは思い込みと勘違いからきているのではないか? 一流のピアノ調律師として活躍する著者が、ピアノという楽器の来し方行く末を熱く語る一冊。新書版(日本経済新聞出版社)出版は、2013年06月です。

 ピアノという楽器はどのように進化してきたのか。その歴史を概説すると共に、その進化を停滞させてしまっている現状を批判します。

 「ヨーロッパからアメリカにクラシック音楽が渡ってピアノは大幅に進化しました。ところが、戦後、世界的に音楽ファンの嗜好が変わってしまい、ほとんどのピアノメーカーは楽器により音楽的表現力を求めることをあきらめてしまいました。それが結果的にクラシックのピアノ音楽をつまらなくしてしまい、進化を止めたのは結局、我々ピアノ業界なのかもしれません」(新書版p.5)

 ピアニストは、他の楽器演奏者と違って、コンサート会場に「自分の楽器」を持ち込むことは出来ず、他人が用意した「借り物」を弾くしかありません。しかも調律にじっくり時間をかけることが出来ることはまれで、その性能を十分に引き出すことが出来ない。こんな状況がピアノという楽器の進化を停めてしまったのだ・・・。著者はそのように語ります。

 「調整一つでこんなに音やタッチが変わるのかと驚かれると、技術屋としては嬉しい半面、裏返していえば調整に十分な時間をかけていられず、性能を十分出し切れてないピアノに慣れてしまって、いつの間にかピアノはこんな楽器だと諦めてしまっているようにも思えたのです」(新書版p.73)

 「調律師の仕事があまりにも理解されていないことに加え、調律師にしてもどうせ借り物の楽器で調律調整の時間も与えられないのに全ての責任を負わされるなら、ピアノのせいにしてしまえばよいという逃げ道があるから、難しいピアノの調律調整技術を覚えるよりもピアニストに気に入られるように努力するほうが楽だと思うようになるのです」(新書版p.73)

 「共同ピアノで妥協した安全運転のコンサートでは、才能も磨かれません。重要なコンサートにはピアニストたちにぴったり合った専用の楽器を持ち込んで、アーティストの全てが出し切れるような環境を用意してあげたいと思います」(新書版p.214)

 こうした考えから、ピアノを安価に安全にコンサート会場まで輸送する仕組みを作り上げたり、歴史の頂点に立つ名器を手に入れてステージ演奏までこぎ着けたり、といった自身の様々な取り組みを紹介してゆきます。

 ピアノのオーバーホールについて知らない調律師が多い、伴奏ピアニストや作曲科出身のピアニストがソリストより低く評価されてきたのは「思い込みと勘違い」だ、などピアノに関する批判が多いのですが、さらにはクラシック音楽業界についてもかなり辛辣な物言いが飛び出します。

 「欧米では観客はコンサートを「楽しもう」と思ってチケットを買い、コンサートホールにやってくるのに対して、日本では何かあらを見つけて「批判する」ために来ているような人も多く見受けられることです。「自分はこの曲をこんなに知っているんだぞ!」という潜在意識が、そういう幼稚な態度に現れるのでしょう」(新書版p.56)

 「本当に実力のある人は意外と気さくで、柔和な人が多いのです。どの世界でもそうですが、才能に行き詰まったり、コンプレックスのある人が、表面的に偉そうな態度をとることで威嚇してごまかしているのだと私は思います」(新書版p.59)

 こんな感じで、ピアニスト、音楽評論家、楽器メーカー、聴衆、それぞればっさばっさ斬ってゆく。業界内の読者の方々にとっては色々と、刺激的だろうなと、そのように思われます。

 というわけで、コンサートチューナーとして活躍する著者が、ピアノについて歯に衣着せず率直に語った新書です。構成には難があるし、文章も洗練されているとは言い難いのですが、自身の体験に基づく現状批判には迫力があり、また音楽性や芸術性という方向からではなく「楽器の技術的側面」を中心にクラシック業界の改革を提言した一冊として、興味深く読むことが出来ます。音楽関係者はもとより、似たような技術職にある方も共感を覚えるのではないでしょうか。

 「日本は今、モーツァルトやショパンの時代の「ヒストリカルピアノ」まで遡り、再検証し、戦後の、音楽家ではなくメーカー主導で行き過ぎた、万人に好まれるピアノの設計をリセットすることで、本当のクラシック音楽を取り戻すときであり、それができるのは日本のメーカーだけのような気がします」(新書版p.219)


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