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『海の仙人』(絲山秋子) [読書(小説・詩)]

 「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないか? 外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ」(Kindle版No.851)

 海辺の町で一人暮らす青年の前に「ファンタジー」と名乗る神様が現れた。絲山秋子さんの初期長篇の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(新潮社)出版は2004年8月、文庫版出版は2007年1月、電子書籍版の出版は2012年04月です。

 「ほかの連中からしたら、今のカッツォはわけわかんない。変わり者。仙人みたいなものかな。海の仙人」(Kindle版No.433)

 宝くじに当たったため、仕事を退職して海辺の町に引っ越して独り暮らしを始めた青年の前に、「ファンタジー」と名乗る謎の神様が現れる。神様なのに何も出来ないのはまあいいとして、その自称のセンスはどうかと思う読者をよそに、青年は彼の存在をあっさりと受け入れ、一緒に生活することになるが・・・。

 「ファンタジーは笑った。こんこんと湯が湧きだすような笑いだった。河野はその笑い方が気に入った。そう簡単に嫌いになれる相手ではなさそうだった」(Kindle版No.73)

 人づきあいが苦手で、孤独癖が強い青年、河野が主人公。自分で決めた生活習慣は律儀に守るものの、他人との関わりを出来るだけ避けている彼が、ファンタジーと出会った後、女性二人と交流することになります。

 宝くじ当選、引退、海辺の一人暮らし、神様顕現、女性二人から想われる、でもセックスとかそういう生々しいのはナシということでよろしくお願いします、という展開はまさにファンタジー。どう考えても神様の仕業としか思えないのですが(実際、よく読んでみるとファンタジーは河野の言動をこっそり操っていたりする)、みなさん神様をこれでもかと言わんばかりに軽んじていますよ。

 「ん、あんたは底が知れたね」(Kindle版No.481)

 「ほんま、役に立たん神さん拾ってしもたわ」(Kindle版No.515)

 しかし、何やかや言いながらもファンタジーの存在に馴染む登場人物たち。かたくなな孤独から少しずつ抜け出し、他者との交流に踏み込んでゆく主人公。だが、その先には様々なドラマが待ち構えていた。

 孤独とはどういうことか、孤独に生きているだけでは駄目なのか。他者との関係性の迷いを、ファンタジーに託した作品というべきかも知れません。

 「河野は不意に心がひきつるように痛むのを覚えた。彼はファンタジーを失うことを恐れはじめていた」(Kindle版No.575)

 「あたしのファンタジーは終わりだ」(Kindle版No.921)

 「人間が生きていくためには俺様が必要なのだ。(中略)お前さんが生きている限りファンタジーは終わらない」(Kindle版No.926)

 というわけで、他者との深いつながりを拒絶していた青年が、二人の女性との関係により、次第に他者に対して歩み寄ろうとしてゆく物語です。後半はそれこそ陳腐なメロドラマみたいな展開になりますが、何しろ神様が堂々とそう名乗っているので、そこはファンタジーということで。

 くどい心理描写やメロドラマ的盛り上げを極力避けて、淡々と描写を重ねてゆく乾いた筆致が印象的。それと関西弁の魅力。話の展開より、むしろ文章の味わいで読ませる作品です。


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