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『自分を好きになる方法』(本谷有希子) [読書(小説・詩)]

 「いつか必ず、本物の親友があらわれると信じていたこともあるけど、そんなのは、とうに諦めていた。魅力的な友達なんてあらわれない。今、目の前にいるこのしょぼくれた人たちがリンデの、まぎれもない友達だった。そして、彼らもきっと同じことを思っているに違いなかった」(単行本p.137)

 心から分かり合える親友も、一緒にいて安らぐ恋人も、結局あらわれはしなかった。いつのまに、こんなところまで来てしまったんだろう・・・。ある女性の人生から抜き出した六日間の出来事をえがく長篇小説。単行本(講談社)出版は、2013年07月です。

 『嵐のピクニック』と同じく、英米の現代小説を思わせる作品です。

 表紙にも明記されている"For six days of Linde"(リンデの六日間)といういかにもな「原題」、若い女性読者向けに強引に売れセン狙いましたといわんばかりの野暮ったい「邦題」、リンデ、エナ、マアサ、ジョウといった国籍不明のカタカナ人物名、いっさい特定されない地名や年、そして直接的な心理描写よりむしろ会話や出来事の描写を積み重ねることで都会の孤独をあぶり出す手法。「翻訳された英米の現代小説」として読んでもらおう、という意図は明らかです。

 内容ですが、3歳、16歳、28歳、34歳、47歳、63歳、それぞれの生活史からある一日を切り出し、合計六日間の出来事を書くことで、リンデという女性の人生を描きます。特に悲惨というわけではない、でも決して幸福とはいえない女性の、静かな諦念と寂寥感が、心の奥深いところに突き刺さります。

 「リンデはゆっくりと目を開けた。まっすぐにレーンの先を見つめ、それから、もう一度、目を閉じて呼吸を整えた。うしろの二人が少しも好きではない相手だということが、はっきりと分かった」(『16歳のリンデとスコアボード』より、単行本p.33)

 「付けあわせの塩味の濃いブロッコリーを嚙んでいると、一人で食事している寂しさが急に襲って来て、リンデは鳥肌が立つほど彼の身勝手さに腹が立った。彼の笑顔を思い出して、虫酸が走った。これがこの旅行のすべてだという気がした」(『28歳のリンデとワンピース』より、単行本p.62、63)

 「夫の手の中で二本のスプーンが一瞬だけぶつかり合って、かちゃん、という音がした。その金属同士の重なる音が耳の奥にいつまでも残ったままリンデは夫と会話した」(『34歳のリンデと結婚記念日』より、単行本p.80)

 それまで快活で楽しそうに見えたシーンが、ふとしたきっかけで、それがうわべだけのものだったことが露呈します。自分はちっとも楽しくなんかない、ただ友達や恋人との関係を保つために、自分を偽って無理していただけ。しかも努力に値するほどの関係でもないし。そのことに気付いてしまった瞬間の、息の詰まるような孤独と絶望を、さりげなく表現してのける手際が素晴らしい。

 「明日、目が覚めたときに百年経ってしまっているのも悪くない。ベッドに乗ってきた子猫を撫でているうちに、いつのまにかうとうとしかけていた。いつものように、まだいろんなことが信じられていた頃の自分の笑顔と、取り返しのつかない幾つもの後悔に胸を引き裂かれながら」(『47歳のリンデと百年の感覚』より、単行本p.144)

 「書き終わったあと、リンデはラクダ色のメモ帳をじっと見ながら、もしこれらを今日中に済ませてしまえたら、自分のことが好きになるだろう、と思った。でもほんとうは、こういう期待を自分に課したこと自体が、大事なのだと思い直した。もし何もできなくても、まったく落ち込むことはない。自分に何かを期待するなんて、ほんとうに気力と勇気のいることなのだから」(『63歳のリンデとドレッシング』より、単行本p.165)

 どうもぱっとしない友人達との馴れ合い、自己愛的な恋人からの執拗なモラルハラスメント。家族や配達人とすら、うわべを取り繕うだけの表面的な関係しか作れない。そしてそんな自分が嫌で厭でたまらない。

 多くの読者が共感するであろう悩み、苦しみを背負いながら、リンデは生きてゆきます。歳をとるにつれて人間関係に対する希望も枯渇してゆき、でもそれ以外に何かあるかというとそういうこともない人生。

 「リンデはすうすうと眠りに落ちた。そして、朝になると、ベーコンを焼いた」(単行本p.186)

 ラスト、なにげない数行に込められた静かな悲しみに、じんわりと感傷がわき上がってきます。個人的には、けっこう泣きそうになりました。

 というわけで、『嵐のピクニック』が気に入った方、あるいは、例えばミランダ・ジュライなど、英米作家の現代小説が気に入っている方には、とにかく強くお勧めしたい。傑作です。


タグ:本谷有希子
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