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『「世界最速の男」をとらえろ! 進化する「スポーツ計時」の驚くべき世界』(織田一朗) [読書(教養)]

 「2012年のロンドン五輪でオフィシャルタイマーを担当したスイスタイミング社は、450人のスタッフと合計420トンの機材をロンドンに送り込んだ。その器材には、70台の観客向けのスコアボードや総延長で180キロにも達するケーブル(一部は光ファイバー)も含まれていた。大会期間中の操作には、同社のスタッフのほか、約800人のランティアも動員された」(単行本p.168)

 百分の一秒、千分の一秒に名誉と巨額利権がかかるスポーツ競技の世界。そこで活躍している計時システムとその運営はどのようなものなのか。単行本(草思社)出版は、2013年07月です。

 「計時を完璧にこなすには、一つのミスも許されない。うまく行って当たり前の世界であって、「想定外」の事態が起きても、タイムをとることをあきらめるわけにはいかない」(単行本p.178)

 灼熱のグラウンドでも、極寒の雪山でも、輸送中に激しく振動しても、豪雨で水浸しになっても、電源がとれなくても、隙あらば盗んでやろうと手ぐすね引いてる人々に取り囲まれていても、千分の一秒単位で正確に時をはかり、速やかに最終結果を提示する機器。失敗は許されず、再試行も許されず、ミスをすれば大問題となって社会的責任を問われる。それがスポーツ計時という世界です。

 本書は時計メーカー出身の著者による、この興味深いスポーツ計時の世界を紹介した一冊です。その歴史、苦労話、最近の話題、というように全貌を見せてくれるのが魅力的。

 全体は5つの章に分かれています。

 まず序章に続いて、「第1章 二位が一位のタイムを上回る?」では、手動計時(ストップウォッチを使って人間が計時する)の時代が紹介されます。

 「手動計時による運営で重要なことは、目視による着順があくまでも優先され、タイムは記録用と考えられていることだ。着順審判が順位を決め、タイムが整理されて正式記録が確定する」(単行本p.54)

 従って、二位が一位よりもタイムが良いというケースもあったそうです。そういう場合、矛盾が生じないように、一位のタイムを「修正」して二位に合わせていたとのことで、今から思うと何ともおおらかな時代でした。

 またマラソンなど、経過時間を知らせるために、走っている選手の視界内に計時車を走らせていました。計時車には当然ながら企業名がばばーっんと表示されており、例えばNHKの中継車としては中継画面に映したくないわけです。

 「こちらとしては「テレビ側が避けきれず計時車がテレビに映ってしまう」ように行動したいのだ。 ほんのわずかの時間でも映るために、報道車両との駆け引きや好位置の確保が必要になる。そこで必要なのが「0.5秒遅れてカーブを曲がる」「コーナーを近回りする」など、通常の運転とはまったく異なる「神業」の運転テクニックなのだ」(単行本p.69)

 昔、マラソン中継で、一位の選手の前に時間を掲示する車がいて、車体にSEIKOなどと誇らしげに書いてあるのがちらりと見えましたが、あの一瞬の映像の背後にこのような凄まじい暗闘が隠されていたとは。

 「第2章 公式計時(オフィシャルタイマー)を勝ち取れ!」では、東京オリンピックの公式計時担当としてセイコー社が選ばれるまでの悪戦苦闘を解説されます。

 スイスの時計会社が独占してきたオフィシャルタイマーの地位に挑む日本の時計メーカー。圧倒的な実績不足を、どのようにして挽回するのか。

 「もしも失敗していたなら、SEIKOのブランドは、間違いなく世界から消えていただろう。(中略)グループで85人の技術者と890人の作業者が製作にかかわり、2億円もの直接製作費をつぎ込んで、18競技のために36機種1278個の時計および得点表示装置を製作した」(単行本p.107)

 史上初めてクオーツ時計が計時に使われた東京オリンピック。そして、「着順・競技時間に関してのクレームが発生しなかった初めてのオリンピック」(単行本p.110)と公式報告書に書かれることになったその成果。まるで『プロジェクトX』みたいなノリに、読者も興奮します。

 「第3章 電子計時がスポーツを変える!」では、計時が手動から自動式になり、さらに電子化・精密化されたことによるスポーツへの影響が語られます。

 「1972年のミュンヘン五輪の400メートル男子個人メドレー決勝は、まさに1000分の1秒単位の勝負となった。(中略)場内は「ワオー!」の歓声に包まれた。その差はなんと1000分の2秒だった」(単行本p.115)

 しかし、この結果は多くの批判にさらされます。なぜか。

 「400メートルレースでの1000分の2秒差は距離にしてわずか2.96ミリ。プールの建築精度がそれ相応のレベルでできあがっていたかは、はなはだ疑問だ。当時は、公式競技に使用された長さ50メートルのプールの建築精度は、3センチ程度の誤差が許されていたようだ」(単行本p.116)

 かつて0.1秒を正確に測定することも困難だったスポーツ計時は、今や意味を失うほどの正確さに到達したのです。このため、国際水連は、計時単位を100分の1秒に戻し、その精度で同タイムなら同じ色のメダルを授与することにしたそうです。

 スキー競技で、ゴール前で軽くジャンプする選手がいるのはなぜか。

 「94年のリレハンメル冬季五輪では、1秒の間に、なんと15人の選手が集中する大接戦になっていた。トップと二位の差が0.04秒。(中略)100分の1秒は距離20センチに相当する。したがって、脚よりも40センチ前にある板面でビームを切れれば、タイムを100分の2秒縮められることになる」(単行本p.122)

 もはや何を競っているのかよく分からないところまで進んでしまったスポーツの世界ですが、それも正確この上ない計時が可能になったことが原動力なのです。

 「第4章 計時ミス・ゼロをめざして」では、計時システムを運営するスタッフの苦労が紹介されます。

 50度の高温からマイナス30度までの気温、スコールによる豪雨、すぐセンサを覆ってしまう雪、監視してないとすぐ盗まれる機器、電源ケーブルをかじるネズミ、電源トラブルなど、スポーツ計時の世界では、ありとあらゆる困難がつきまとうということがよく分かります。

 「バルセロナのプレ五輪では、器材の設置後にテストしたところ、スイッチを押していないのに、スタート信号やゴール信号が入ってしまうことがあった。慎重に配線をチェックしてみると、タイマーへの電源がコーラの自動販売機を経由していた。選手が競技をしていないにもかかわらず、誰かが自動販売機で購入するたびに発する「ガシャ」という雑信号を拾ってしまっていたのだ」(単行本p.175)

 他人の仕事を決して信じず、愚直に自らの目ですべてを確かめなければならない、しかも成功しても誰からも注目されない、失敗すれば巨額の賠償金、そんな仕事です。もちろん、オリンピックなどの公式競技ですから、まったくの無償。社内でさえ「海外旅行でスポーツ観戦までして、それで給料がもらえて良い身分」などと思われているスタッフ。企業イメージ向上のためとはいえ、ちょっと気の毒になってきます。

 最終章「第5章 これからのスポーツ計時」では、今後のスポーツ計時が向かうべき方向についてまとめます。

 「スポーツ計時の技術レベルが「公平・公正」の域にほぼ達した今、スポーツ関係者に「これから望まれていること」を聞くと、異口同音に返ってくるのは、「エンターテイメント性」との答えだ」(単行本p.210)

 競技の愛好者が増えれば、収益が増えて、情報発信も多くなり、競技人口も増えて、スター選手が登場してさらに盛り上がってゆく。この好循環に乗れないと滅びてしまいかねないスポーツ界。計時システムにも、観戦者やテレビ視聴者を惹きつけるような魅力が欲しいというわけです。

 さらに、フライングの規定見直し問題や、「アスリートに格別の制約や負荷をかけることなく、ありのままの姿でスポーツに励む最高の状態を数値化する」(単行本p.230)という究極のスポーツ計時を目指したアイデアなど、様々な話題が詰まっています。

 というわけで、よく目にしていながら、その意義や苦労を想像したこともなかったスポーツ計時。その技術や運営について教えてくれる興味深い本です。スポーツ関係者、時計技術者、そしてメディア関係者にお勧めしたい一冊。


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