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『世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があった』(ブリギッテ・シテーガ) [読書(教養)]

 「あるドイツのテレビの生番組では、「私たちドイツ人もイネムリの方法を学べるのでしょうか?」という視聴者からの質問がありました。勤勉で長寿の国である日本から、電車の中や会議中の居眠りについて学ぶことができるのであれば、それはとても有益なことだと多くの視聴者が思ったのです」(単行本p.1)

 神秘の国ニッポンには、シエスタ(昼寝)ともパワーナップ(仮眠)とも違う不思議な睡眠習慣があるという。それが"Inemuri"だ。勤勉さ、経済成長、長寿を同時に実現できた秘密は、イネムリにあるのだろうか? ケンブリッジ大学の文化人類学者が日本の不思議な睡眠習慣をドイツ語圏の一般読者向けに紹介した一冊。単行本(阪急コミュニケーションズ)出版は、2013年06月です。

 「日本を訪れる外国人が再三目にすることだが、日本人には人前で昼間に眠ってしまうという特有の習性がある。電車内を見れば眠っている人だらけだし、道端のちょっとした段差の上では、くたくたに疲れたとおぼしき人たちがまどろんでいる。(中略)それどころか、勉強や仕事の合間、プレゼンを聞いているさなか、図書館内、さらには会議や授業中にも日本人は当たり前のように眠っている」(単行本p.10)

 そんなの「当たり前のように」ではなく「当たり前」だと思えるのですが、少なくともドイツ語圏ではそうではないらしいのです。このような睡眠形態は「想像もできない」ような新発見であり、わざわざ「イネムリ」という言葉を外来語として取り込む必要があったというのです。

 「居眠りは----生理学的にはどうあれ----社会的には睡眠とは見なされていない。居眠りしている当人は「睡眠とは異なる状況」において「社会に参加しながら」眠っているのであり、まさに文字どおり「居+眠り」しているのである」(単行本p.206)

 こういう硬い説明からも感じられる驚異の念に、日本人としては戸惑いを覚え、揶揄しているのではないかと疑うのですが、文章は大真面目です。何しろ著者は「日本人はどのような文脈で居眠りをしているのかという研究に20年あまりを費やしてきた専門家」であり、このテーマで博士号を取得したとのこと。学者人生を賭けた真剣な研究対象なのです。ニッポンの神秘、イネムリは。

 「日本の古典文学研究を参照すれば、居眠りが平安・鎌倉の時代にすでに広まっていたこと、現代社会だけの現象ではないということが分かる。貴族の日常生活においても、また仏教界においても----身分の上下を問わず、つまり僧侶であろうと一般の信者であろうと----居眠りはごくふつうになされていたのだ。仕事中や公式儀礼中だけでなく、遊びにおいても居眠りは行われていたのである」(単行本p.46)

 中世におけるイネムリの実態を求めて、仏教説話から絵巻物まで様々な文献を調査。軽めのエッセイかと思っていたら、本気の学術研究成果報告になっていて、ちょっと引いてしまいます。

 歴史研究に続いて、次は睡眠パターンの国際比較です。なんだか、おおごとになってゆきます。

 「睡眠についてのデータやいくつかの独自調査を見ていると、睡眠パターン(文化圏)には基本的に次の三タイプがあると推測される」(単行本p.78)

 三タイプというのは、単相睡眠文化圏(睡眠は一日に一回だけ夜間にとる)、シエスタ文化圏(昼寝が社会的に制度化されている)、仮眠文化圏(各個人が気ままにうたた寝・居眠りする)です。

 「第三タイプはさらに細分化される。昼寝(成員がプライベートに眠るタイプ)と、居眠り(成員が「起きている他人」の目の前で眠るタイプ)である。この二タイプは実際には同一社会内に存在することが多いが、理論的には区別する」(単行本p.79)

 そして日本の各種統計データから、様々な知見が引き出されてゆきます。例えば、日本人の睡眠時間減少は仕事時間の増加が原因ではなく、余暇時間の激増によりもたらされた、といったこと。

 そしていよいよ、居眠りの社会学へと研究は進みます。日本人はどのような文脈でイネムリしているのでしょうか。

 「居眠りをすれば社会的に(つまり、周囲との関係において)いわばそこにいないことが可能となるのだ。もっと正確に言えば、自分の姿を消すことができるのである。だから私は居眠りのこの働きを「社会的な隠れ蓑」と呼びたい」(単行本p.155)

 「自分が勤勉だからといって自慢してはならない。したがって、周囲から勤勉だと認められるためには、洗練された方法を身につける必要がある。居眠りはそうした方法の一つだ。(中略)「私は自分に厳しいからこそ過労と睡眠不足に陥り、結局病気になった(人間にはよくあることだ)」ということを周囲に納得させることができれば、その人の居眠りは容認され、かえって人間的・倫理的な偉大さのシンボルとされる」((単行本p.172、176)

 こんな感じで、「電車内で居眠りしながら異性にもたれかかることで、社会的に処罰される恐れなく性的な肉体接触が可能となる」、「座席を譲るなどの社会的要請に応えないで済む」など、居眠りが果たしている社会的戦略価値が次々と看破されてゆきます。

 というか、居眠りするのは眠いからではないかと個人的には思うのですが、何しろ20年に渡ってこの問題を研究してきた専門家が到達した結論ですから、謹んで傾聴すべきでしょう。

 最後にイネムリが健康によい(体調を整え、仕事の効率が上がり、アルツハイマー病の発症を抑え、ストレスを減らし、自信とひらめきと長寿と明朗快活さと創造性を得ることが出来る、等)という議論が紹介されます。それは、凄いな。ダイエット効果も追加したいところ。

 本書によってドイツやオーストリアでは、建築家が「イネムリ・スペース」を展示したり、「イネムリ」というタイトルのCDが出たり、「シエスタ、パワーナップ、イネムリ」というビジネスセミナーが開催されたり、ちょっとした「イネムリ」ブームが起きたそうです。ドイツ人が大真面目な顔つきで真剣に「イネムリ」に挑戦している姿を想像すると、微笑ましい気持ちになります。

 というわけで、日本人の居眠りという習慣が、外国人からどう見えるのかを知ることが出来る一冊です。記述はかなり真面目で学術的なので、「不思議の国ニッポン見聞録」みたいな軽いノリを期待すると戸惑うことになりますので要注意。個人的には、内容よりむしろこの「戸惑い」感覚が面白かった。


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