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『月の部屋で会いましょう』(レイ・ヴクサヴィッチ、岸本佐知子・市田泉:翻訳) [読書(小説・詩)]

 「多くは十ページにも満たない、短編としても非常に短い作品を中心に三十三編が収録されている本書の特徴をひとことで言えば、ほとんど現代アート作品のように突拍子もない奇想と、恋人同士や家族たちの愛情のすれ違いといった普遍的な切なさや恐怖を絶妙にブレンドさせた小説集ということになるだろうか」(単行本p.293)

 全身の皮膚が宇宙服になってゆき、やがて宇宙に飛び立ってしまう奇病。手編みのセーターの中で迷子になった男。真夜中のテープレコーダーに録音されていた見知らぬ男女のささやき。他者とのいさかいから生ずる切なさや孤独感を奇想に託して語る33篇を収録した短篇集。単行本(東京創元社)出版は、2014年7月です。

 「ラファティやバーセルミにあった「難解さ」が、ヴクサヴィッチの作品にはほとんど見られないのは、そのような時代状況が深く関わっているのに違いない。現代社会を生きる人間にとって、毎日の生活そのものがほとんどグロテスクな不可思議さに満ち満ちたものなのであり、そして良くも悪くも、そのような世界にあっても、人は同じような喜怒哀楽を抱えて生きているのである」(単行本p.298)

 奇想と通俗小説のバランスがよくとれた短篇集です。ほとんどの話ではそのバランスが破綻していないため、むしろ「せっかくの奇想なのに、人間関係トラブルの単なるメタファーとして扱われている」という印象が強く、その完成度にむしろ不満を感じるほど。


『僕らが天王星に着くころ』

 「ジャックも発病するのは時間の問題だったが、それこそまさに、二人が話し合うのをためらっている点だった。二人ともいずれ飛び立つ。だが、いっしょには行けない」(単行本p.5)

 皮膚が次第に宇宙服に変わってゆき、やがて全身が宇宙服に包まれて宇宙に飛び立ってしまうという奇病にかかった男女。発射予定日が異なる二人は、同じ軌道に乗ることは出来ないのだ。このままでは、彼女は一人で天王星に向かってしまう。

 避けえない別離を前に、涙ぐましくも滑稽な努力を重ねる男の姿を描いた切ない短篇。目茶苦茶な設定なのに、あまり変な話だと感じさせないところが実に変。


『ふり』

 「五人とも、それなりの地位と教養のあるアメリカ人で、四十代で、無神論者か、隠れ不可知論者、しかも子どもはいない。休暇の時期には完全に除け者になったような気がしてくる。だからみんなで寄り集まって、休暇の新たな儀式、新たな意味を見出そうとするのだ」(単行本p.50)

 無信仰を宣言していることからクリスマスイベントに参加できない五人組(アメリカってそうなんだ……)。今年は人里離れた場所で「幽霊を作り出す」という実験に挑む。くじ引きで決まった女性一人が自分を幽霊だと信じる「ふり」をし、残り四名は彼女を幽霊だと信じる「ふり」をする。だが、実験開始後、彼女が行方不明になって……。

 幽霊ごっこが、いつの間にか本当の幽霊譚になってゆく怪談。人間の心が生み出す恐怖、他人と分かり合えない孤独、そういった寒さがじわじわ来るあたりが見事です。ラスト一行、とどめの一撃も効いています。


『母さんの小さな友だち』

 「ナノピープルは母さんの頭脳を放っておくこともできた。なのに連中は母さんの知性をいきなり奪ってしまった。のんびり動くおバカな世界こそ、絶対に危険を冒さない世界だから」(単行本p.64)

 知性化された人工微生物「ナノピープル」を体内に入れ、超人になる実験を行った女性科学者。ところがナノピープルは、自分たちの安全を守るために、宿主を人畜無害で愚かなおばあさんに変身させてしまう。それを知った子ども達は、もとの母親を取り戻すために無謀な行動に出るのだった。具体的にいうと、バンジージャンプ。


『彗星なし』

 「ボーアが提唱した量子力学のコペンハーゲン解釈、それに対するぼくの見解こそ人類最後の希望だと確信し、ぼくはさっさと離婚したがっている妻のジェインと、娘のサシャを無理やり説得して、世界を救うやぶれかぶれの試みに協力させた」(単行本p.77)

 地球に迫る巨大彗星、衝突すれば人類は滅びる。たった一つ残された回避手段は、頭から紙袋をかぶって見ないようにすること。そうすれば「観測されない限り波動関数の収束は起きず、結果は確定しない」とかいう量子なんとかで結果を先のばしにできる……はず。夫は妻と娘にいっしょに紙袋をかぶるように言いつけるが、妻は、馬鹿じゃないの、こんな人と結婚生活を続けるのは無理、などと、至極もっともなことを言う。

 心が離れた夫婦のよくあるすれ違いを、無理やり壮大な終末テーマSFにしてみるという無茶な話。紙袋をかぶった「意識の高い」夫が、非協力的な妻に「みんながきみみたいな考え方をしたら、誰も投票には行かなくなる」(単行本p.80)と説教するシーンとか、哀しい。


『キャッチ』

 「ルーシーと俺は1日じゅう、1時間働いて15分休憩をくり返している。猫投げボックスから猫投げボックスへ移りながら、いっしょに働いては別れ、またいっしょに作業をする。あと30分はルーシーと顔を合わせられない。そのあいだに彼女の怒りはますます激しくなるだろう」(単行本p.166)

 互いに向きあって、猫を死ぬまで投げ返し続けるだけの簡単なお仕事。恋人同士でちょっとした諍いが起きて口論になっても、じっくり話し合う余裕もなく、関係を修復するチャンスもなく、また仕事の時間がやって来る。猫投げボックスで位置について、暴れ鳴き叫ぶ猫を相手に向かって投げつける。何も考えないようにして、ひたすらキャッチしては投げ返す。猫が死ぬまで。


『ぼくの口ひげ』

 「みんながあたしたちを、あなたをどういう目で見てると思う? そういうこと、気にならないの? あたしの気持ちが想像できないの?」(単行本p.189)

 恋人を喜ばせようと、鼻の下に蛇を接着剤で張り付けて「鼻ひげ」とやった男。しかし恋人は喜ぶどころか涙声になって去って行こうとする。引き止めるために、あわてて髪の毛を剃り、はげ頭に亀を接着剤で張り付けて「かつら」。いったい女性の心をどうしたらとどめておけるのか、男には分からない。


『宇宙の白人たち』

 「いつもながら嘘と真っ赤な嘘に満ちた会期ののち、第104回議会は1960年代を抹消し、(中略)言うまでもなく、ギョロ目のロブスター人たちもアルファ・ケンタウリからやってきていた」(単行本p.250)

 議会が1960年代を抹消したため、宇宙から目の突き出たロブスター人たちがやってくる。目的は、地球の美女を捕まえて衣服を剥ぐこと。彼らなぜいつもそうしようとするのかは60年代の謎。おりしも、勇敢な少年たち、天才科学者、犬、それに密航していた美女を乗せたロケットが月に着陸。もちろん美女はロブスター人にさらわれてしまう。

 60年代パルプ雑誌スペースオペラを現代小説風に書こうとしてつい本気出してしまったと思しき短篇。作者は1946年生まれだそうで、まあ、仕方ありません。


『ささやき』

 「じっと座ったまま、1時間ちかくテープを聴いていた。やがて、きっと気のせいだったんだと自分に言い聞かせた。立ち上がり、巻き戻してふたたび再生した。「見てよ、この人」女の声がささやいた」(単行本p.273)

 就寝中に自分が歯ぎしりしてないか気になった男が、一晩中テープレコーダーを回して録音してみる。再生すると、そこには謎の男女のささやき声が入っていた。誰なのか。なぜ彼の寝室でささやいているのか。男はそれを確かめようとするが……。

 ありそうな不安から始まって、次第に孤独感が身にしみてくる怪談。『ふり』と同じく、ラスト一行、とどめの一撃が素晴らしい。


『月の部屋で会いましょう』

 「1967年当時、その予想はそんなに常識はずれでもなかった----絶対にありえないこととは思えなかった。それもまた、1967年のぼくらが朝食前に話題にする、夢みたいな未来のひとつだったのだ」(単行本p.285)

 次に会うときは月の上で、そういって別れた二人。それから30年後、クリスマスイブの夜、男に電話がかかってくる。「月の部屋で会いましょう」。しかし、別れた後で彼女は殺されたはずだった。

 またもや60年代ノスタルジアですが、「月の部屋」で幻の恋人と再会する甘甘でセンチメンタルな展開には、それまで男女のすれ違いのリアルな切なさと孤独感ばかり読まされてきたこともあって、思わず感動してしまいます。


 ところで最後に一つだけ忠告。夏場になると台所の床を走り回る黒いアレが大嫌いな方は、本書収録作『家庭療法』は読まないことを強くお勧めします。……ちゃんと警告しましたからね。


[収録作品]

『僕らが天王星に着くころ』
『床屋のテーマ』
『バンジョー抱えたビート族』
『最終果実』
『ふり』
『母さんの小さな友だち』
『彗星なし』
『危険の存在』
『ピンクの煙』
『シーズン最終回』
『セーター』
『家庭療法』
『息止めコンテスト』
『派手なズボン』
『冷蔵庫の中』
『最高のプレゼント』
『魚が伝えるメッセージ』
『キャッチ』
『指』
『ジョイスふたたび』
『ぼくの口ひげ』
『俺たちは自転車を殺す』
『休暇旅行』
『大きな一歩』
『正反対』
『服役』
『次善の策』
『猛暑』
『儀式』
『排便』
『宇宙の白人たち』
『ささやき』
『月の部屋で会いましょう』


タグ:岸本佐知子
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『妖怪探偵・百目1 朱塗りの街』(上田早夕里) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 「全身に百の眼を持ち、ありとあらゆるものを見通し、失せ物を探す妖怪。人の心の奥底まで覗き込む絶世の美女----妖怪探偵・百目である」(Kindle版No.95)

 〈真朱の街〉、そこは妖怪と人間が打算と駆け引きによって共存している街。ここで探偵業を営んでいる絶世の美女妖怪・百目と、彼女に寿命を吸われつつ文字通り命を削って働いている助手の相良邦雄。二人は今日も怪事件に挑んだり、挑まなかったり。

 短篇『真朱の街』を構想新たに発展させた連作シリーズ第1弾、その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。文庫版(光文社)出版は2014年7月、Kindle版配信は2014年7月です。

 「ここでは、妖怪と人間の境界は限りなく曖昧である。人は妖怪に近づき、妖怪は人に近づく」(Kindle版No.37)

 人間と妖怪が共存している街を舞台にした、妖怪小説+探偵小説です。

 ただし時代設定は近未来で、軌道上の太陽発電衛星から、再生医療や遺伝子工学、人工知能に至るまで高度なテクノロジーが実用化されており、その一方で妖怪に対抗するための陰陽道や呪術もまた普及しているという、いかにも「異形コレクション」を源流とする歪な世界。

 人間とは何か、人間性とは何か。妖怪と対比させるようにいつもの問いかけを滲ませつつ、百目と邦雄のコンビが活躍したり、しなかったり。

 「相良くんは、もう半分人間じゃないもの。自分から人間性を捨てようとしている。この街は、そういう者に相応しい」(Kindle版No.246)

 いきなり第一話から『続・真朱の街(牛鬼篇)』というタイトルになっていますが、これは短篇集『魚舟・獣舟』に収録された『真朱の街』の続篇だからです。

 オリジナル短篇は、ある事情で後悔に苦しみ、人間社会からはみ出すようにして〈真朱の街〉へ流れてきた相良邦雄が、事件に巻き込まれて百目と出会う、という話でした。

 「どうしようもありません。僕にはもう、行く場所も、帰る場所もなくなってしまった……」「だったら、ここに住んだらどうかしら」(『真朱の街』より)

 すべてを失った邦雄を優しく受け入れてくれる百目、というエンディングですが、いやー待て、それ違う、優しさとちゃう。単に邦雄の寿命が惜しくなっただけで、手元に置いといて命を吸い尽くすつもりだろう、と思ったのですが、まあ、やっぱりそうでした。

 「人間の寿命は、妖怪にとって最高の滋養だ。それを得るために、百目は探偵業を営んでいる。それ以外の理由は何もない」(Kindle版No.1798)

 「それ以外の理由は何もない」(言い切った!)。依頼人から寿命を吸い取り、助手の邦雄からも寿命を吸い取り、それだけが目当てであることを隠そうともしない百目。そんな百目に(たぶん外見が美女だから)懐いている邦雄。いいのかそれで。

 いかにも人間らしい悩みに苦しんでいるかと思うと、「僕は百目さんのお弁当だから」(Kindle版No.1372)とか「僕の寿命は、百目さん専用なんだから」(Kindle版No.1377)とか、すごいことをさらりと言ってのける邦雄。

 最後の方になると警察庁妖怪対策課(マル妖)の刑事から「あんた、だんだん態度が妖怪じみてきているぞ」(Kindle版No.2501)と言われたり。寿命が吸い尽くされたときには、こいつ死ぬんじゃなくて妖怪化するんじゃないか。

 一方、妖怪である百目は、確かに常人ではないものの、その言動からはどこか人間くささが感じられます。

 「金のためには働かない。一生懸命になったりもしない。熱心に努力するよりも手を抜くほうを選ぶ。自分の手に負えない作業は、それができる妖怪にすべて丸投げする。過剰に恩だの義理だのを感じない。相手にも要求しない。愛や怒りを行動要因にしない。ちっぽけなプライドを守るために小さな争いを起こしたりもしない。疲れたらすぐに休むし寝てしまう。自分が気に入らない依頼は引き受けない」(Kindle版No.221)

 人間らしい悩みを持ちつつどこか人間ばなれした邦雄、妖怪なのに変な人間くささがある百目、さらに後半になって活躍する、争いごとが大嫌いなのに妖怪と闘う刑事や、自分が人間であることを示すために妖怪の殲滅を目指す陰陽師など、どこか矛盾した両面性を持った登場人物が入り乱れて、事態を複雑にしてゆきます。しかも、人類には、何やら悲惨な運命が待っているらしい……。

 扱われている事件の多くは、人間性が問われるケースになっています。子供を妖怪に奪われた母親、ロボットに恋するあまり凶行に走る妖怪、闇にまぎれて妖怪を抹殺して回る人間。犯人の動機は、非人間的なのか、あるいは過剰に人間的なのか。

 「それそも、探偵業という仕事自体が、あまり明るいものではないのだが、そこに妖怪が加わると、実に嫌な感じに重みが増すのである」(Kindle版No.985)

 というわけで、まだ主要登場人物の顔見せという観が強い第1巻。今後、どういう風に展開してゆくのか、先が楽しみです。


タグ:上田早夕里
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『ぶたぶたの本屋さん』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

 「“ブックス・カフェやまざき”ってところですね。新刊書店じゃなくて、セレクトした書籍を古本も含めて並べていて----最近、イベントスペースとしても注目されているみたいです」(文庫版p.9)

 「『午後のほっとカフェ』、まもなく三時です。人気コーナー『昼下がりの読書録』、山崎ぶたぶたさんのご登場です。お楽しみに!」(文庫版p.20)

 大人気「ぶたぶた」シリーズ最新作。今回の山崎ぶたぶた氏は、本屋さん兼ローカルラジオ局のパーソナリティーです。ぶたぶたシリーズを平積みで売っているというメタな表紙イラストが目印の一冊。文庫版(光文社)出版は2014年7月です。

 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。山崎さんの職業は作品ごとに異なりますが、今回は本屋さん。全四話を収録した短篇集となっています。

 作中では、山崎ぶたぶた氏お勧めの本の紹介もあり、さらには 「あとがき」も付いていますよ!


『明日が待ち遠しい』

 「今は「売れない」と作家であることも難しい。昔はよく言われていた言葉「売れない作家」というのはもはや死語、あるいは空想上の生き物になりつつある。しかし、今三十代後半の美那子の若い頃は、まさにそうだった」(文庫版p.8)

 「最近出しているシリーズものが好評で、そこそこ売れる作家になってきた」(文庫版p.8)美那子は、まだ売れない作家だった若い頃に書いた、自分でも愛着のある一冊をプッシュしている小さな本屋さんがあると聞いて、のこのこ出掛けてゆく。そして、いきなりラジオのローカル局「FMすずらん」の読書番組にゲストとして生出演することに。

 パーソナリティは、本屋さん“ブックス・カフェやまざき”の店主にして「FMすずらんの細川俊之か城達也って言われてる」(文庫版p.33)渋い美声で本を朗読してくれる山崎ぶたぶた。

 「でも、自分が一番不幸だとか、たまに思ったりもするんです」
 「ぶたぶたさんも!?」
 「ありますよー。ただのぬいぐるみだからって悩みがないわけじゃないんですよ」(文庫版p.44)

 自分が一番不幸だとか、たまに思うのかー。

 それはともかく、今回、面白いのは「自分がぶたのぬいぐるみだと公言しているラジオの人気パーソナリティ」という設定の絶妙さです。声だけ聞いているリスナーはみんな「そういう設定なのね」と納得しているという。そうだよなー。確かに。


『ぬいぐるみの本屋さん』

 「ファンタジーがジャンルだとすると、マジック・リアリズムは手法なんです。マジック----魔法とリアルの融合ということでしょうかね」
 「……それは、まさにぶたぶたさんそのもの……」
 「いや、マジックじゃないんですけどね、僕は」(文庫版P.62)

 大学で友達が出来ないことで悩んでいる奏美は、ラジオ番組に送った相談の葉書がきっかけとなって、山崎ぶたぶた氏の紹介で読書会に参加。一冊の本が、奏美と人々の間をつないでゆく。

 一人で黙々と読んでネットで紹介するだけという偏屈者もたまにいますが、多くの読書好きの人は社交的で、本の話題で盛り上がってすぐ友達が出来るそうですよ。友達がいなくて寂しいと思ったら、まずは読書から。


『優しい嘘』

 「それは、あの小説の中ではまぎれもない真実だと祥哉は思う。今、目の前にぶたぶたがいるのと同じくらい」(文庫版p.143)

 あることがきっかけで引きこもりになった理子。どうしたらいいのか分からず苦しんでいる彼女は、メル友である山崎ぶたぶたにも本当の悩みを相談できずにいた。いっぽう、久しぶりに東京に帰ってきた祥哉は、幼なじみの理子のことを知り、何とか助けたいと思う。だが、彼にもどうしたらいいのか分からない。そんな二人に、山崎ぶたぶたがほんの小さな勇気を与えてくれるのだった。

 人は真実ではなく嘘や虚構によって救われることもある、という物語ですが、ぶたぶたが存在する作品内でそういわれても、何だか微妙。

 引きこもりという暗い題材を扱っているので、明るい雰囲気を保つためか、くすっ、と笑えるシーンが多めになっています。個人的には、祥哉の恩人の名前が「塩澤」さんというところに吹きましたけど。

 「いやー、お祭りやイベントとかでも普通に参加していて、気にされてる方もいらっしゃるとは思うんですが、とにかく商店街のキャラだと思われていたりするんですよね。『違う』って言っても、『あ、非公認の』とか別の誤解されて、かえってややこしくなって」(文庫版p.132)


『死ぬまでいい人』

 「東京でも、住んでいるところが違うとあんなのがいるんだ。東京すげー」(文庫版p.162)

 小説家になりたい中学生の朗は、小さな書店で働いているぶたのぬいぐるみを目撃して大興奮。やっぱり東京すげー、と思った彼は、これはもちろん運命の出会いだと直観。

 「「君こそ伝説の勇者だ。私たちの世界を救ってほしい」と言われて、ぬいぐるみワールドへ行く」(文庫版p.163)とか、「「君はまだ本当の自分の力を知らない。力が欲しいか?」と鋭い点目でたずねられる」(文庫版p.163)とか、もう果てしなく広がる中二妄想。

 イタいやら可笑しいやらのジュブナイルですが、実はいじめを扱ったけっこうシリアスな物語です。伝説の勇者として世界を救ったりするより、友達の心を助けることの方がはるかに難しくて大切なこと。深刻さと滑稽さのバランスがよく取れていて、この題材の話としては非常に読みやすくなっています。


タグ:矢崎存美
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『7月の夜』(振付演出:勅使川原三郎) [ダンス]

 2014年7月13日は、夫婦で両国シアターχに行って勅使川原三郎さんの舞台を鑑賞しました。ブルーノ・シュルツの短篇『七月の夜』を原作とするダンス公演です。

 ステージ上には何もなく、天井から大きな黒い垂れ幕が数枚、W字型やU字型につり下げられているだけの、極めてシンプルな舞台です。ところが、この動きさえしない垂れ幕の演出が超絶的というか、現代アートというか。照明効果によってひだやねじれが様々に姿を変え、とらえどころのない奇怪な幻想を次々に紡ぎ出してゆくのです。

 「だれもまだ七月の夜の地形図を書き上げた人はない。(中略)七月の夜! 闇の秘密の流体! 生きている敏感な流動する暗黒の物質! それは混沌のなかから絶えず何かを形づくってはすぐさまその形を次々に捨ててゆく!」(ブルーノ・シュルツ『七月の夜』より、工藤幸雄:訳)

 個人的な印象としては、走査型電子顕微鏡SEMで撮影した極微世界のモノクロ写真の中に入り込んでしまったような感じというか。そこにノイズや環境音が流れ、異空間を作り上げてしまいます。この演出は凄い。なお、『空時計サナトリウム』と違って、シュルツ作品の朗読や語りは入りません。

 この幻想的な「七月の夜」のなかで、勅使川原三郎さんがひたすら踊るのです。

 ときどき佐東利穂子さんが夜の奇怪な幻想(巨大なクモのようにみえる影、とか)となって出現しますが、公演時間の大部分は勅使川原さんが一人で踊ってくれた印象があります。

 痙攣するような動き、海中の刺胞動物のようにゆらゆらと動く手足、格闘技のような鋭い動き。独創的な動きが次々と繰り出されます。舞台が薄暗いためその姿がぼんやり滲んでいるように見え、しかも尋常ではない動きにこちらの脳が幻惑されるのか、腕が異様に長く伸びたように錯覚したり、解剖学的にあり得ない姿勢や動きに感じられたり。

 圧巻なのは、ノイズを乗せた幻想交響曲をバックに、勅使川原さんが激しく踊るシーンです。何この、かっこ良さ。もう魔術としか思えない。

 次第に見ているものが幻覚のように思えたり、あるいは本当に見ているのか頭の中で想像しているのか分からなくなってくる、といった瞬間が何度も訪れます。合法だから大丈夫。

[キャスト]

振付・演出・構成: 勅使川原三郎
出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子


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『大いなる不満』(セス・フリード、藤井光:翻訳) [読書(小説・詩)]

 「みずからに問うてみてもよいだろう。なぜ本書を手にしているのか、なぜ世界の本質に興味があるふりを装い、そうすることで、みなの時間を浪費しているのか」(単行本p.168)

 情熱と思い込みに支配され暴走してゆく科学者たち。大量虐殺が起きると分かっているのに、世間に同調して毎年ピクニックに参加する人々。カプセル猿から魅惑の萌え萌え微生物まで、奇想と風刺と不条理な笑いに満ちた11篇を収録した米国の新鋭による第一短篇集。単行本(新潮社)出版は、2014年5月です。

 「どこか数学的な論理性をもって世界や人間を眺める視点と、それが行き着く深淵のような不条理さ。そして、それを前にして、絶望の叫びではなく笑い声を上げる物語のしたたかさ。そうしたフリードの特性を、日本語の読者のみなさんにも味わっていただければ、訳者としてそれ以上の幸福はない」(単行本p.198)


『ロウカ発見』

 「科学とは情熱なのだ。何かを真であると証明したければ、それがすでに真であるかのごとく振る舞わなければならない。(中略)我々が非合理的だとすれば、それは科学が非合理的だからだ」(単行本p.24)

 高山で発見された氷づけのミイラ。「ロウカ」と名付けられたその古代人に、冷静であるべき科学者たちは魅入られてゆく。ロマンに満ちた物語を勝手に想像し、それを裏づける証拠だけを求め、反証は無視。今や研究所全体が常軌を逸した集団心理で暴走していた。

 おそらく「アイスマン」をモデルにしたと思しき寓話。科学という営みが、少なくともその現場においては、私たちが期待するほど冷静でも合理的でも厳密でもないということが辛辣に風刺されます。科学者が情熱と信念で暴走してゆく過程には、大いなる既視感が。


『フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺』

 「そうした出来事は、フロスト・マウンテン・ピクニックが避けようのないものなのだという感覚を強めていく。はっきりとは口にされないが、人々はみな、自分たちが何をしようと結局は無駄なのであり、ピクニックや虐殺、その裏にあるからくりを変えることなどできないと考えているようだ」(単行本p.44)

 誰がどういう仕組みで運営しているのか決して分からないものの、フロスト・マウンテン・ピクニックでは毎年、大虐殺が起きて何人もの参加者が殺される。しかし、まっとうな親なら、子供たちをピクニックに連れてゆくのが当たり前のことだと知っているものだ。虐殺直後には抗議運動に参加する私たちも、やがて季節がめぐって来ると、今年もまたピクニックに参加するために家族連れで列に並ぶのだ。

 明白かつ無意味な危険性があると誰もが知っているのに、「世間」におもねって「無難に」同調行動をとってしまう私たちの姿を思いっきり戯画化した短篇。読んでいてその不条理のリアルさ、というかお馴染み感に、今さらながらぞっとします。


『格子縞の僕たち』

 「僕たちは完全に入れ替え可能な間抜け集団であり、猿を担当できるだけでもありがたく思うべき捨て駒だった。(中略)猿をカプセルに入れる。馬鹿でもできる仕事だ」(単行本p.73)

 猿をカプセルに入れるだけの簡単なお仕事。カプセルに入れられた猿は火山に投下されるのだが、なぜそんなことをするのか僕たちは知らないし知る必要もない。夢は、いつか出世して勝ち組らしく振る舞う(裏庭でバーベキューパーティをする等)ことだが、今日も僕たちは下級労働者として格子縞の制服を身につけ、猿をカプセルに入れるために出勤する。


『フランス人』

 「僕は舞台の上で他の登場人物たちに「パリーではこぉんな風に踊るんデス!」と高らかに言うと、講堂の果てしない沈黙のなか、いつ終わるとも知れない発作的なダンスを披露した。(中略)劇自体の記憶は数週間のうちに薄れていったが、その烙印は何年も僕に付きまとった。その時点から、僕の人生は圧倒的で執拗な恥の感覚によって支配された」(単行本p.119)

 中学校の文化祭で上演した劇が、あまりに差別的な内容だったので、講堂全体が静まり返ってしまう。その空気に気づかず、ひとり大仰な演技で笑いを取ろうとノリノリで頑張っていた僕。誰にでも覚えがある(あるよね)黒歴史とその記憶を扱ったイタい短篇。


『諦めて死ね』

 「さあ来たぞと思えるとき、僕が下を通ったとたんに街灯が明滅して消えてしまうといった、今度こそ人生の道半ばで死を迎えると思えるとき、僕はよく、父さんと母さんの運命や可能性といったことを考える。(中略)その後どうなるかは、場合によって違う。後で月が大きく見えるときもあれば、遠くで列車の音が聞こえるとき、あるいは、犬の吠え声、耳が痛くなるほどの蟬の鳴き声が聞こえるときもある」(単行本p.128、129)

 不審な自殺、謎の失踪、不可解な事故、意味不明な殺害。僕の一族は呪われているようで、誰も天寿を全うできず怪死を遂げてしまう。酷薄で無慈悲で徹底的に無意味な宿命について妙に冷静に書かれているため、読者のなかで不安がもぞもぞと頭をもたげてくる奇妙な味の短篇。


『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』

 「彼の議論はしばしば熱狂的で恣意的ではあるが、極小の生物に恋をしてしまった者が決まって陥る、苦悩し、動揺した心の内を見事なまでにつまびらかにしてみせている。(中略)本を世に出して間もなく、彼は人間を微小化するという可能性について全米を講演して回り、ダルース近郊の駐車場でおのれを銃で撃って死亡した」(単行本p.155)

 あまりの二次元美少女、じゃなかった微生物っぷりに、顕微鏡をのぞいた観察者を「萌えーっ」とか「俺の嫁」などと叫ばせダメにしてしまう微生物。観察される度に姿を変える微生物。平均寿命が1億分の4秒という超高速世代交代微生物。周囲にいかなる影響も与えないために、決して観察することも存在を立証することも出来ない微生物。超高密度の群体がブラックホール化する恐れがある微生物。生存本能ではなく空虚なイデオロギーにより殺し合いをするというイヤな微生物(絶滅危惧種)。空気中に充満していて、音に反応して、鳥の羽根を支えて飛行させたり、私たちの心臓をリズミカルに動かしたり、といった仕事をしている微生物。

 興味深い微生物のカタログ、という体裁で哲学的奇想をこれでもかと詰め込んだショートショート集のような短篇。個人的に、収録作のうち最もお気に入り。


[収録作品]

『ロウカ発見』
『フロスト・マウンテン・ピクニックの虐殺』
『ハーレムでの生活』
『格子縞の僕たち』
『征服者の惨めさ』
『大いなる不満』
『包囲戦』
『フランス人』
『諦めて死ね』
『筆写僧の嘆き』
『微小生物集-若き科学者のための新種生物案内』


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