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『四色問題』(ロビン・ウィルソン、茂木健一郎:翻訳) [読書(サイエンス)]

 「四色問題は、1878年のこの報告によってはじめて印刷物上に登場したものとされることになった。(中略)100周年を記念するドキュメンタリー番組の制作をBBCテレビの『ホライゾン』に提案していたのだが、プロデューサーに「今日の社会問題との関係が不十分」であると言われて却下された。ちなみに、その翌週の『ホライゾン』は、南米のワニたちの性生活についてのドキュメンタリーを放送していた!」(単行本p.81)

 子供にも理解できるほど単純なのに、100年に渡って多くの数学者の挑戦をはねのけ続け、ついに解決されたときには激しい論争を巻き起こした極め付きの難問。四色問題の歴史を紹介したサイエンス本です。単行本(新潮社)出版は2004年11月、文庫版(新潮社)出版は2013年11月です。

 「本書では、四色問題の歴史とその解をめぐる愉快な歴史をご紹介したい。物語を紡ぎ出すのは、ルイス・キャロル、ロンドン主教、フランス文学の教授、エイプリル・フールに多くの人々をかついだいらずら者、ヒースを愛した植物学者、ゴルフ狂の数学者、一年に一度しか時計の時刻を合わせない男、新婚旅行の間じゅう地図を塗っていた新郎、そして、カリフォルニアの交通巡査など、興味深く、一癖も二癖もある人ばかりである」(単行本p.7)

 平面上の地図を塗り分ける(境界線を介して隣り合う領域は異なる色に塗る)には、四色あれば充分。このシンプル極まりない命題が、何と証明するのに100年もの歳月を要した難問だったというから不思議なものです。

 証明は簡単そうに思えます。しかし、この問題に挑戦する人の多くが踏んでしまう地雷がいくつかあるのです。

 例えば、「四色定理が正しいならば、相互に隣り合う五つの領域を含む地図は存在しない」は真ですが、「相互に隣り合う五つの領域を含む地図が存在しないならば、四色定理は正しい」は間違っている、まずそのことに気づくかどうか。

 「何年もの間、多くの人々が、相互に隣り合う五つの領域を含む地図がないことを示して四色定理を証明しようと試みてきた。けれども上述のとおり、これでは求める結果を証明することはできない」(単行本p.52)

 さらにその先にも地雷はいくつも埋まっており、高名な数学者でさえ避けるのは難しいようです。

 「数学史上最も有名な「間違った証明」についてお話ししよう。それは、ロンドンの法廷弁護士にしてアマチュア数学者でもあったアルフレッド・ブレイ・ケンプによる四色問題の証明である。彼がすばらしい数学者で、同時代の人々から高く評価されていたことを考えると、今日、彼の名がこの間違いによってのみ知られているのは不幸なことだ」(単行本p.92)

 本書には、この難問を証明しようとして失敗した人々の歴史が生き生きと書かれており、この部分だけでも充分に楽しめます。

 「偉大な数学者のほぼ全員が、四色問題に取り組んだ経験を持っている」(単行本p.196)

 「かくも単純な命題を証明できなかったとは、論理学と数学の名折れである」(単行本p.41)

 「この定理はまだ証明されていないが、その理由は、挑戦したのが三流数学者ばかりであるからだ。(中略)わたしなら証明できると思う」(単行本p.171)

 「ねえ、わたしの主人は、新婚旅行の間にわたしに地図を描かせて、それに色を塗っていたけれど、あなたのご主人もそうだった?」(単行本p.188)

 あまりに長い歳月に渡って数限りない挑戦をはね除け続けたため、「1950年代には、「解決不可能な問題」であり、その命題の真偽を知ることはできないと考えられるようになっていた」(単行本p.211)四色問題。そして、ついにヴォルフガング・ハーケンが舞台に登場します。新しい武器を手にして。

 「ハーケンにとっての休暇とは、普段とは違う場所で、1日に23時間数学に没頭することだった」(単行本p.237)

 「普通の数学者は、森の奥深くまで入り込んでしまったことに気がつくと、それより先に進んではいけないと考えるものである。けれどもハーケンは、そこからペンナイフを取り出して、一本ずつ木を切り倒しはじめるのだ」(単行本p.211)

 もちろんこれは比喩で、ハーケンたちが使ったのは、ペンナイフではなく、コンピュータでした。

 「見積もりによると、コンピュータを使って一万の場合を確認するためには3000時間から5万時間におよぶ計算が必要で、これだけ長い時間コンピュータを使用する許可を得るなど、ハノーファ大学はおろか、どこに行っても不可能な相談だった」(単行本p.215)

 「コンピュータの専門家には、この方法で進むことは不可能だと言われています。けれどもわたしはあきらめません。この問題は、コンピュータなしで解決できる限度を超えていると信じているからです」(単行本p.230)

 コンピュータの「ちからわざ」による証明。ハーケンとアッペルの二人は、前代未聞の挑戦に取り組みます。

 「二人はそれぞれ、週に40時間ずつを研究に費やし、コンピュータの使用時間は1000時間に達した。証明には1万点の図が含まれ、コンピュータの出力紙を床に積み上げた高さは4フィート(1.2メートル)にもなった」(単行本p.246)

 こうして、ついに世紀の難問を証明してのけた二人。しかし、ここで最後の地雷が炸裂します。

 証明はエレガントなものであるべきだ。証明は理解を深めるものであるべきだ。コンピュータによる証明は、こうした数学者の信念を否定するものと受け取られたのです。たちまち起きる喧々囂々たる論争。

 「どの数学者も、コンピュータが主要な役割を担う証明に対する不安を隠さなかった。(中略)その多くは、数百ページにおよぶ出力の中に間違いが埋もれているのではないかと心配(期待?)した」(単行本p.254)

 「問題は、まったく不適切な方法で解かれてしまった。今後、一流の数学者がこの問題に関わることはないだろう。たとえ適切な方法で問題を解けたとしても、これを解いた最初の人間になることはできないからだ」(単行本p.264)

 非難はどんどんエスカレートしてゆきます。

 「あんな解は数学ではない」(単行本p.252)

 「この定理があんなひどい方法で証明されることを神がお許しになるはずがない!」(単行本p.252)

 「現時点で確実なのは、彼らが証明をしていないということだけである。……彼らの発表の中には、証明どころか、証明らしきものさえ見当たらない」(単行本p.262)

 「数学の醍醐味は、純粋な論証の結果として四色で十分である理由が理解できるようになる点にある。コンピュータ詐欺師のアッペルとハーケンが数学者として認められているようでは、われわれの知性は十分に働いているとは言いがたい」(単行本p.261)

 「コンピュータによるこのような「実験」が許されるなら、数学は経験科学になり下がり、物理学のように当てにならないものになってしまう」(単行本p.257)

 詐欺師はまだしも、「物理学」とまで侮辱された二人。世紀の難問を解いた結果がこれではお気の毒です。しかも二人は、指導する大学院生との面会を禁じられてしまいます。

 「つまり、彼らはおそろしい悪事をはたらいた人物であり、その悪しき影響から学生たちの無垢な心を守らなければならないというのである」(単行本p.264)

 数学者の仕事は、とにかく命題の真偽を明らかにすることなのか、それとも証明を通じて数学に対する私たちの理解を深めてゆくことなのか。四色問題は解決しましたが、この議論は今日なおも続いています。

 いつの日か、人間には理解することが不可能で、高度人工知能が「出力」し、同じく別の高度人工知能が「検証」した結果を信じるしかないような、そんな「証明」が現れることでしょう。それは数学なのか。数学の進歩なのか、それとも終焉なのか。ハーケンとアッペルの「証明」をめぐる議論は、コンピュータ黎明期の一時的混乱と切り捨てるわけにはいかない、現代的課題であるようにも思えるのです。

 というわけで、四色問題の発見から解決、その余波まで、様々なドラマを紹介してくれる面白い一冊です。歴史だけでなく、証明に向かう道筋についても詳しく解説されており、多数の図を用いることで、「コンピュータを使って具体的に何をチェックしたのか。それがどうして証明となるのか」を、大まかに理解することが出来ます。


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