『月の部屋で会いましょう』(レイ・ヴクサヴィッチ、岸本佐知子・市田泉:翻訳) [読書(小説・詩)]
「多くは十ページにも満たない、短編としても非常に短い作品を中心に三十三編が収録されている本書の特徴をひとことで言えば、ほとんど現代アート作品のように突拍子もない奇想と、恋人同士や家族たちの愛情のすれ違いといった普遍的な切なさや恐怖を絶妙にブレンドさせた小説集ということになるだろうか」(単行本p.293)
全身の皮膚が宇宙服になってゆき、やがて宇宙に飛び立ってしまう奇病。手編みのセーターの中で迷子になった男。真夜中のテープレコーダーに録音されていた見知らぬ男女のささやき。他者とのいさかいから生ずる切なさや孤独感を奇想に託して語る33篇を収録した短篇集。単行本(東京創元社)出版は、2014年7月です。
「ラファティやバーセルミにあった「難解さ」が、ヴクサヴィッチの作品にはほとんど見られないのは、そのような時代状況が深く関わっているのに違いない。現代社会を生きる人間にとって、毎日の生活そのものがほとんどグロテスクな不可思議さに満ち満ちたものなのであり、そして良くも悪くも、そのような世界にあっても、人は同じような喜怒哀楽を抱えて生きているのである」(単行本p.298)
奇想と通俗小説のバランスがよくとれた短篇集です。ほとんどの話ではそのバランスが破綻していないため、むしろ「せっかくの奇想なのに、人間関係トラブルの単なるメタファーとして扱われている」という印象が強く、その完成度にむしろ不満を感じるほど。
『僕らが天王星に着くころ』
「ジャックも発病するのは時間の問題だったが、それこそまさに、二人が話し合うのをためらっている点だった。二人ともいずれ飛び立つ。だが、いっしょには行けない」(単行本p.5)
皮膚が次第に宇宙服に変わってゆき、やがて全身が宇宙服に包まれて宇宙に飛び立ってしまうという奇病にかかった男女。発射予定日が異なる二人は、同じ軌道に乗ることは出来ないのだ。このままでは、彼女は一人で天王星に向かってしまう。
避けえない別離を前に、涙ぐましくも滑稽な努力を重ねる男の姿を描いた切ない短篇。目茶苦茶な設定なのに、あまり変な話だと感じさせないところが実に変。
『ふり』
「五人とも、それなりの地位と教養のあるアメリカ人で、四十代で、無神論者か、隠れ不可知論者、しかも子どもはいない。休暇の時期には完全に除け者になったような気がしてくる。だからみんなで寄り集まって、休暇の新たな儀式、新たな意味を見出そうとするのだ」(単行本p.50)
無信仰を宣言していることからクリスマスイベントに参加できない五人組(アメリカってそうなんだ……)。今年は人里離れた場所で「幽霊を作り出す」という実験に挑む。くじ引きで決まった女性一人が自分を幽霊だと信じる「ふり」をし、残り四名は彼女を幽霊だと信じる「ふり」をする。だが、実験開始後、彼女が行方不明になって……。
幽霊ごっこが、いつの間にか本当の幽霊譚になってゆく怪談。人間の心が生み出す恐怖、他人と分かり合えない孤独、そういった寒さがじわじわ来るあたりが見事です。ラスト一行、とどめの一撃も効いています。
『母さんの小さな友だち』
「ナノピープルは母さんの頭脳を放っておくこともできた。なのに連中は母さんの知性をいきなり奪ってしまった。のんびり動くおバカな世界こそ、絶対に危険を冒さない世界だから」(単行本p.64)
知性化された人工微生物「ナノピープル」を体内に入れ、超人になる実験を行った女性科学者。ところがナノピープルは、自分たちの安全を守るために、宿主を人畜無害で愚かなおばあさんに変身させてしまう。それを知った子ども達は、もとの母親を取り戻すために無謀な行動に出るのだった。具体的にいうと、バンジージャンプ。
『彗星なし』
「ボーアが提唱した量子力学のコペンハーゲン解釈、それに対するぼくの見解こそ人類最後の希望だと確信し、ぼくはさっさと離婚したがっている妻のジェインと、娘のサシャを無理やり説得して、世界を救うやぶれかぶれの試みに協力させた」(単行本p.77)
地球に迫る巨大彗星、衝突すれば人類は滅びる。たった一つ残された回避手段は、頭から紙袋をかぶって見ないようにすること。そうすれば「観測されない限り波動関数の収束は起きず、結果は確定しない」とかいう量子なんとかで結果を先のばしにできる……はず。夫は妻と娘にいっしょに紙袋をかぶるように言いつけるが、妻は、馬鹿じゃないの、こんな人と結婚生活を続けるのは無理、などと、至極もっともなことを言う。
心が離れた夫婦のよくあるすれ違いを、無理やり壮大な終末テーマSFにしてみるという無茶な話。紙袋をかぶった「意識の高い」夫が、非協力的な妻に「みんながきみみたいな考え方をしたら、誰も投票には行かなくなる」(単行本p.80)と説教するシーンとか、哀しい。
『キャッチ』
「ルーシーと俺は1日じゅう、1時間働いて15分休憩をくり返している。猫投げボックスから猫投げボックスへ移りながら、いっしょに働いては別れ、またいっしょに作業をする。あと30分はルーシーと顔を合わせられない。そのあいだに彼女の怒りはますます激しくなるだろう」(単行本p.166)
互いに向きあって、猫を死ぬまで投げ返し続けるだけの簡単なお仕事。恋人同士でちょっとした諍いが起きて口論になっても、じっくり話し合う余裕もなく、関係を修復するチャンスもなく、また仕事の時間がやって来る。猫投げボックスで位置について、暴れ鳴き叫ぶ猫を相手に向かって投げつける。何も考えないようにして、ひたすらキャッチしては投げ返す。猫が死ぬまで。
『ぼくの口ひげ』
「みんながあたしたちを、あなたをどういう目で見てると思う? そういうこと、気にならないの? あたしの気持ちが想像できないの?」(単行本p.189)
恋人を喜ばせようと、鼻の下に蛇を接着剤で張り付けて「鼻ひげ」とやった男。しかし恋人は喜ぶどころか涙声になって去って行こうとする。引き止めるために、あわてて髪の毛を剃り、はげ頭に亀を接着剤で張り付けて「かつら」。いったい女性の心をどうしたらとどめておけるのか、男には分からない。
『宇宙の白人たち』
「いつもながら嘘と真っ赤な嘘に満ちた会期ののち、第104回議会は1960年代を抹消し、(中略)言うまでもなく、ギョロ目のロブスター人たちもアルファ・ケンタウリからやってきていた」(単行本p.250)
議会が1960年代を抹消したため、宇宙から目の突き出たロブスター人たちがやってくる。目的は、地球の美女を捕まえて衣服を剥ぐこと。彼らなぜいつもそうしようとするのかは60年代の謎。おりしも、勇敢な少年たち、天才科学者、犬、それに密航していた美女を乗せたロケットが月に着陸。もちろん美女はロブスター人にさらわれてしまう。
60年代パルプ雑誌スペースオペラを現代小説風に書こうとしてつい本気出してしまったと思しき短篇。作者は1946年生まれだそうで、まあ、仕方ありません。
『ささやき』
「じっと座ったまま、1時間ちかくテープを聴いていた。やがて、きっと気のせいだったんだと自分に言い聞かせた。立ち上がり、巻き戻してふたたび再生した。「見てよ、この人」女の声がささやいた」(単行本p.273)
就寝中に自分が歯ぎしりしてないか気になった男が、一晩中テープレコーダーを回して録音してみる。再生すると、そこには謎の男女のささやき声が入っていた。誰なのか。なぜ彼の寝室でささやいているのか。男はそれを確かめようとするが……。
ありそうな不安から始まって、次第に孤独感が身にしみてくる怪談。『ふり』と同じく、ラスト一行、とどめの一撃が素晴らしい。
『月の部屋で会いましょう』
「1967年当時、その予想はそんなに常識はずれでもなかった----絶対にありえないこととは思えなかった。それもまた、1967年のぼくらが朝食前に話題にする、夢みたいな未来のひとつだったのだ」(単行本p.285)
次に会うときは月の上で、そういって別れた二人。それから30年後、クリスマスイブの夜、男に電話がかかってくる。「月の部屋で会いましょう」。しかし、別れた後で彼女は殺されたはずだった。
またもや60年代ノスタルジアですが、「月の部屋」で幻の恋人と再会する甘甘でセンチメンタルな展開には、それまで男女のすれ違いのリアルな切なさと孤独感ばかり読まされてきたこともあって、思わず感動してしまいます。
ところで最後に一つだけ忠告。夏場になると台所の床を走り回る黒いアレが大嫌いな方は、本書収録作『家庭療法』は読まないことを強くお勧めします。……ちゃんと警告しましたからね。
[収録作品]
『僕らが天王星に着くころ』
『床屋のテーマ』
『バンジョー抱えたビート族』
『最終果実』
『ふり』
『母さんの小さな友だち』
『彗星なし』
『危険の存在』
『ピンクの煙』
『シーズン最終回』
『セーター』
『家庭療法』
『息止めコンテスト』
『派手なズボン』
『冷蔵庫の中』
『最高のプレゼント』
『魚が伝えるメッセージ』
『キャッチ』
『指』
『ジョイスふたたび』
『ぼくの口ひげ』
『俺たちは自転車を殺す』
『休暇旅行』
『大きな一歩』
『正反対』
『服役』
『次善の策』
『猛暑』
『儀式』
『排便』
『宇宙の白人たち』
『ささやき』
『月の部屋で会いましょう』
全身の皮膚が宇宙服になってゆき、やがて宇宙に飛び立ってしまう奇病。手編みのセーターの中で迷子になった男。真夜中のテープレコーダーに録音されていた見知らぬ男女のささやき。他者とのいさかいから生ずる切なさや孤独感を奇想に託して語る33篇を収録した短篇集。単行本(東京創元社)出版は、2014年7月です。
「ラファティやバーセルミにあった「難解さ」が、ヴクサヴィッチの作品にはほとんど見られないのは、そのような時代状況が深く関わっているのに違いない。現代社会を生きる人間にとって、毎日の生活そのものがほとんどグロテスクな不可思議さに満ち満ちたものなのであり、そして良くも悪くも、そのような世界にあっても、人は同じような喜怒哀楽を抱えて生きているのである」(単行本p.298)
奇想と通俗小説のバランスがよくとれた短篇集です。ほとんどの話ではそのバランスが破綻していないため、むしろ「せっかくの奇想なのに、人間関係トラブルの単なるメタファーとして扱われている」という印象が強く、その完成度にむしろ不満を感じるほど。
『僕らが天王星に着くころ』
「ジャックも発病するのは時間の問題だったが、それこそまさに、二人が話し合うのをためらっている点だった。二人ともいずれ飛び立つ。だが、いっしょには行けない」(単行本p.5)
皮膚が次第に宇宙服に変わってゆき、やがて全身が宇宙服に包まれて宇宙に飛び立ってしまうという奇病にかかった男女。発射予定日が異なる二人は、同じ軌道に乗ることは出来ないのだ。このままでは、彼女は一人で天王星に向かってしまう。
避けえない別離を前に、涙ぐましくも滑稽な努力を重ねる男の姿を描いた切ない短篇。目茶苦茶な設定なのに、あまり変な話だと感じさせないところが実に変。
『ふり』
「五人とも、それなりの地位と教養のあるアメリカ人で、四十代で、無神論者か、隠れ不可知論者、しかも子どもはいない。休暇の時期には完全に除け者になったような気がしてくる。だからみんなで寄り集まって、休暇の新たな儀式、新たな意味を見出そうとするのだ」(単行本p.50)
無信仰を宣言していることからクリスマスイベントに参加できない五人組(アメリカってそうなんだ……)。今年は人里離れた場所で「幽霊を作り出す」という実験に挑む。くじ引きで決まった女性一人が自分を幽霊だと信じる「ふり」をし、残り四名は彼女を幽霊だと信じる「ふり」をする。だが、実験開始後、彼女が行方不明になって……。
幽霊ごっこが、いつの間にか本当の幽霊譚になってゆく怪談。人間の心が生み出す恐怖、他人と分かり合えない孤独、そういった寒さがじわじわ来るあたりが見事です。ラスト一行、とどめの一撃も効いています。
『母さんの小さな友だち』
「ナノピープルは母さんの頭脳を放っておくこともできた。なのに連中は母さんの知性をいきなり奪ってしまった。のんびり動くおバカな世界こそ、絶対に危険を冒さない世界だから」(単行本p.64)
知性化された人工微生物「ナノピープル」を体内に入れ、超人になる実験を行った女性科学者。ところがナノピープルは、自分たちの安全を守るために、宿主を人畜無害で愚かなおばあさんに変身させてしまう。それを知った子ども達は、もとの母親を取り戻すために無謀な行動に出るのだった。具体的にいうと、バンジージャンプ。
『彗星なし』
「ボーアが提唱した量子力学のコペンハーゲン解釈、それに対するぼくの見解こそ人類最後の希望だと確信し、ぼくはさっさと離婚したがっている妻のジェインと、娘のサシャを無理やり説得して、世界を救うやぶれかぶれの試みに協力させた」(単行本p.77)
地球に迫る巨大彗星、衝突すれば人類は滅びる。たった一つ残された回避手段は、頭から紙袋をかぶって見ないようにすること。そうすれば「観測されない限り波動関数の収束は起きず、結果は確定しない」とかいう量子なんとかで結果を先のばしにできる……はず。夫は妻と娘にいっしょに紙袋をかぶるように言いつけるが、妻は、馬鹿じゃないの、こんな人と結婚生活を続けるのは無理、などと、至極もっともなことを言う。
心が離れた夫婦のよくあるすれ違いを、無理やり壮大な終末テーマSFにしてみるという無茶な話。紙袋をかぶった「意識の高い」夫が、非協力的な妻に「みんながきみみたいな考え方をしたら、誰も投票には行かなくなる」(単行本p.80)と説教するシーンとか、哀しい。
『キャッチ』
「ルーシーと俺は1日じゅう、1時間働いて15分休憩をくり返している。猫投げボックスから猫投げボックスへ移りながら、いっしょに働いては別れ、またいっしょに作業をする。あと30分はルーシーと顔を合わせられない。そのあいだに彼女の怒りはますます激しくなるだろう」(単行本p.166)
互いに向きあって、猫を死ぬまで投げ返し続けるだけの簡単なお仕事。恋人同士でちょっとした諍いが起きて口論になっても、じっくり話し合う余裕もなく、関係を修復するチャンスもなく、また仕事の時間がやって来る。猫投げボックスで位置について、暴れ鳴き叫ぶ猫を相手に向かって投げつける。何も考えないようにして、ひたすらキャッチしては投げ返す。猫が死ぬまで。
『ぼくの口ひげ』
「みんながあたしたちを、あなたをどういう目で見てると思う? そういうこと、気にならないの? あたしの気持ちが想像できないの?」(単行本p.189)
恋人を喜ばせようと、鼻の下に蛇を接着剤で張り付けて「鼻ひげ」とやった男。しかし恋人は喜ぶどころか涙声になって去って行こうとする。引き止めるために、あわてて髪の毛を剃り、はげ頭に亀を接着剤で張り付けて「かつら」。いったい女性の心をどうしたらとどめておけるのか、男には分からない。
『宇宙の白人たち』
「いつもながら嘘と真っ赤な嘘に満ちた会期ののち、第104回議会は1960年代を抹消し、(中略)言うまでもなく、ギョロ目のロブスター人たちもアルファ・ケンタウリからやってきていた」(単行本p.250)
議会が1960年代を抹消したため、宇宙から目の突き出たロブスター人たちがやってくる。目的は、地球の美女を捕まえて衣服を剥ぐこと。彼らなぜいつもそうしようとするのかは60年代の謎。おりしも、勇敢な少年たち、天才科学者、犬、それに密航していた美女を乗せたロケットが月に着陸。もちろん美女はロブスター人にさらわれてしまう。
60年代パルプ雑誌スペースオペラを現代小説風に書こうとしてつい本気出してしまったと思しき短篇。作者は1946年生まれだそうで、まあ、仕方ありません。
『ささやき』
「じっと座ったまま、1時間ちかくテープを聴いていた。やがて、きっと気のせいだったんだと自分に言い聞かせた。立ち上がり、巻き戻してふたたび再生した。「見てよ、この人」女の声がささやいた」(単行本p.273)
就寝中に自分が歯ぎしりしてないか気になった男が、一晩中テープレコーダーを回して録音してみる。再生すると、そこには謎の男女のささやき声が入っていた。誰なのか。なぜ彼の寝室でささやいているのか。男はそれを確かめようとするが……。
ありそうな不安から始まって、次第に孤独感が身にしみてくる怪談。『ふり』と同じく、ラスト一行、とどめの一撃が素晴らしい。
『月の部屋で会いましょう』
「1967年当時、その予想はそんなに常識はずれでもなかった----絶対にありえないこととは思えなかった。それもまた、1967年のぼくらが朝食前に話題にする、夢みたいな未来のひとつだったのだ」(単行本p.285)
次に会うときは月の上で、そういって別れた二人。それから30年後、クリスマスイブの夜、男に電話がかかってくる。「月の部屋で会いましょう」。しかし、別れた後で彼女は殺されたはずだった。
またもや60年代ノスタルジアですが、「月の部屋」で幻の恋人と再会する甘甘でセンチメンタルな展開には、それまで男女のすれ違いのリアルな切なさと孤独感ばかり読まされてきたこともあって、思わず感動してしまいます。
ところで最後に一つだけ忠告。夏場になると台所の床を走り回る黒いアレが大嫌いな方は、本書収録作『家庭療法』は読まないことを強くお勧めします。……ちゃんと警告しましたからね。
[収録作品]
『僕らが天王星に着くころ』
『床屋のテーマ』
『バンジョー抱えたビート族』
『最終果実』
『ふり』
『母さんの小さな友だち』
『彗星なし』
『危険の存在』
『ピンクの煙』
『シーズン最終回』
『セーター』
『家庭療法』
『息止めコンテスト』
『派手なズボン』
『冷蔵庫の中』
『最高のプレゼント』
『魚が伝えるメッセージ』
『キャッチ』
『指』
『ジョイスふたたび』
『ぼくの口ひげ』
『俺たちは自転車を殺す』
『休暇旅行』
『大きな一歩』
『正反対』
『服役』
『次善の策』
『猛暑』
『儀式』
『排便』
『宇宙の白人たち』
『ささやき』
『月の部屋で会いましょう』
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