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『レストレス・ドリーム』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「私は、私という文字に過ぎなかった。この時初めてワープロの外に出たのだった。」(Kindle版No.3179)

 「結局私には名前だけしかない。そしてその名前にはただ自分がその世界で、その名前故に与えられた、固定した役割を破るという任務だけがある。
 そう、思い出した。私の名前は桃木跳蛇、夢の中の私。」(Kindle版No.818)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第87回。
 
 世にはびこる不快で無責任で気持ち悪い言葉。一見明快な構造の中に抑圧性を隠し持ち、女性を疎外しながら、一切の懐疑や深い洞察をすべり落とす単調な文脈。主体も論理もなく嫌なリズムに乗せてひたすら繰り返されるだけの、反論しても反論しても無視されあるいは愚弄される、そんなゾンビ言語。無力感にさいなまれ、心を折られ、魂を腐らせ、自らゾンビ化しつつあるそのとき。さあ、思い出そう。20年以上も前に戦い抜いたヒーローがいたことを。

 笙野文学の切り込み隊長、邪を祓う翼ある蛇、桃木跳蛇の壮絶な戦いの記録。その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は1994年2月、文庫版出版は1996年2月、Kindle版配信は2014年7月です。

 「当時このような悪夢を見るあまりに力尽きた作者は、私を分身として戦わせ、その戦いに同化する事によって自分のいる現実世界のひどい構造を理解し、なおかつ何らかの救いをこの理解と把握によって予感したがため、生き延びたのです。九〇年代半ばこれは珍しいゲーム小説でした。」
(『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』より。Kindle版No.1240)

 現実の、見えにくい構造と制度をむき出しにし、言語の力で解体する。その後も延々と続いてゆく言語闘争、その最初の血戦を描いた長篇作品です。全体は四篇の連作から構成されています。


『レストレス・ドリーム』

 まずはチュートリアルステージ。舞台となる悪夢が紹介されます。夢を見ている人間を殺戮し、悪夢世界の中にゾンビとして転生させる恐ろしい街「スプラッタシティ」。そしてそれを支配している「大寺院」。

 住民はすべて大寺院からコントロールされるゾンビであり、ひたすらゾンビ言語を撒き散らして、街にやってきた夢見人を殺戮してはゾンビにしようと狙っています。

 「誰かに都合のいい権力と技術と制度の塊である。が、その都合のいい誰かが実は誰であるか本当のところ大寺院の関係者ももう判らないらしい。もしかしたらそれはもう数百年も前に死に絶えていて、今はただこの制度だけが歯止めの利かない、春の狂気のように自己増殖しているだけなのかもしれないのだった。」(Kindle版No.76)

 スプラッタシティの構造と制度、その現実世界との類似点を大まかに把握したら、このステージは終了です。

 第1ステージ「仏間」。法事のためでしょうか、親戚一同が集まって大殺戮を繰り広げます。

 「お互いの譲り合いに基づき誰も絶対に傷付かないいい関係の殺人。----男が女を殺し女は男に殺され相互に関わり合う。多人数の女が慎ましくたったひとりの女を分け合って殺す。女が慈しみの心で差し出した子供を老人が殺す。男は男同士絶対殺し合わないように等分に斬り合う。女は殺されて笑う。ゾンビ達の基準で、ユーモアの判るいい女程笑う。」(Kindle版No.562)

 おなじみの寒々しい風景ですね。

 ここはゾンビの仲間でないと認められた者はどんなにひどいことをされても文句は許されない世界。例えば、こともあろうに都議会で薄汚い女性蔑視ヤジを飛ばされても愛想笑いするしかないような、そんなひどい世界ですから、子供はもちろん成長過程で親に殺されます。既にゾンビにされているので、何度だって殺されます。

 「ダカラサー、オマエ、ソウイウトコ、素直ジャナイトサー、馬鹿ニナレル女ガホントーニ賢クテサアア……軍服めいた上着の、表情だけ妙に幼い中年過ぎの男が、ごましおのチョビ髭を震わせながら、十五歳くらいの女ゾンビの、プラスチックで補強された首を絞め続けている。」(Kindle版No.577)

 「無論ゾンビになってしまった以上もう本当に死ぬ事は出来ないのだ。このまま何回も疑似殺人の被害者になり続けて、結局は原形もとどめずただ意識だけはあるという卑屈ゾンビになってしまうかもしれなかった。或いは何度も自殺を繰り返し永遠に死ねない自殺ゾンビになる。」(Kindle版No.587)

 第2ステージ「階段地獄」。スプラッタシティには「ブスの地獄」「ヒステリーの地獄」「ババアの地獄」「日本の母地獄」「本当の愛の地獄」「女として生き、悔いのない地獄」など様々な女性用地獄がありますが、そのうちの一つ「馬鹿女の落ちる地獄」に落とされた跳蛇は、言語クラッシュの技を駆使してここから脱出しなければなりません。

 「言葉だけで出来た階段世界の、馬鹿女に関するあらゆる文章や単語の集まっている一画である。(中略)単なる罵りや噂話ではなく、肉体や生命を脅かす呪いの力を持ち、刃物よりも鋭い断面を光らせ、あらゆる角度から襲い掛かる言葉。」(Kindle版No.694、699)

 「ミニスカートの馬鹿女」「男と張り合う馬鹿女」「めくじら立てたよ馬鹿女が」「差別差別とぎゃあぎゃあわめく馬鹿女」などの言葉が次々と跳蛇に襲いかかってきます。このステージ攻略の基本、それは。

 「総ての馬鹿女という単語を、ともかく足が当たる限り蹴り続ける。階段の縁に足を切られぬよう蹴る。文脈は見ない。」(Kindle版No.716)

 蹴ることで文脈を破壊し、言葉を組み換えてゆくのです。

 「こうした跳蛇の戦略には特に論理的根拠があるわけではない。この世界を統御する気持ち悪いリズムに違和感を抱き、同時にそれを我慢強く聞き続けて行く事で反射的に戦えるようになるのだった。」(Kindle版No.912)

 何という厳しい修行であることか。

 ここをノーミスでクリアする自信がない方は、あらかじめ「国民の理解を得られるよう丁寧に説明してゆきたい」とか「安全性が確認されたものから順次」とかいった気色悪い言葉を並べて、言語クラッシュで解体する練習を積んでおきましょう。


『レストレス・ゲーム』

 桃木跳蛇が階段地獄で奮闘している頃、「私」はワープロの内部に取り込まれて苦闘しています。「私」がワープロで言葉を入力し、跳蛇を支援する。両者が協力しないと無事に進むことは出来ません。

 第三ステージ「舞台」。階段地獄を突破した跳蛇は、「スプラッタシティの上下左右が絶対に正しいと思わせられる呪い。住民がゾンビであると判ってはいても彼らの共同体に影響を受け、思わずプレッシャーを感じてしまう呪い。」(Kindle版No.937)をかけられてしまいます。

 呪いのせいで、自分は非常識でわがままな困り者でただ他人に迷惑をかけているだけではないか、といった雰囲気にのまれそうになったタイミングで、このステージのボス敵「王子」と「アニマ」が登場。女はこうあるべき、といった呪いを似非インテリくさい口調で放つのが得意技です。

 「ボクは生きた生身の女が好きなんです。本当に賢い自立したおとなの女がね、男の気持ちのよく判るこちらを拘束しない温かい女が。そういう女は本当の勇気を知っている。因習に立ち向かう選ばれた女なんだ。ボク、頭の悪い馬鹿女だけは我慢がならないなあ。」(Kindle版No.1027)

 「あらっ、あなたは女である事を否定するの。きっと男に劣等感持ってるのね。女性本来の姿を抑圧するのは差別論者ですわ(中略)いいかげんに意地を張るの止めたらどう。」(Kindle版No.1171、1225)

 「君は生まれつき優しい女の子なんだよ。(中略)ただあんまり顔形がひどいもので心もねじくれて育ってしまったんだなー。(中略)戦いはよくないよ。女性は平和と環境保護に貢献しなくては駄目だよ。それにボクは勝ち負けなんかにこだわらない。ボクは君の事を考えてあげているんだ。」(Kindle版No.1231、1237、1246)

 死ねよ、と思いますが、意外に侮れないのですよ、このきっしょく悪い呪詛は。こういうセリフを口にする、しかもそれで相手を懐柔できると本気で思ってたりする、そんなやつ、いやいやいやいやまじにいるし。で、懐柔できないと分かるといきなり態度を変えてくるし。

 「あんた結局さー、ブスの女流作家なんだよなー。ブスのじょーりゅーうー。男にもてないからブスの女流作家になって、どこまでいってもじょりゅうはじょりゅうだしなー。(中略)ほら見ろよお前はじょりゅーなんだよ、ヒステリーで笑いものの恥ずかしい女流だ。みっともなくてはた迷惑な醜い女流だ。」(Kindle版No.1262、1270)

 がんばれ桃木跳蛇、呪いに負けるな。というか、女流って侮蔑語なのだそうですよ。「自称芸術家」みたいなものでしょうか。


『レストレス・ワールド』

 第四ステージ「ゴミ置き場」。次々と刺客が襲ってきます。まずは「キモノを着て、お掃除に相応しい真っ白なタスキを掛け、竹ボウキに片手を添え脇にしおらしく挟んでいる」(Kindle版No.1525)という若妻ゾンビ。油断すると振り回される竹ボウキに切り刻まれてしまいます。

 戦いを見守る「私」は、母、愛、子供、といった抑圧の言葉をワープロのキーで変換して無力化してゆきます。

 「母と出ればくそばか、愛と出れば死ね、男女とくれば私宇宙、そもそも愛とはなにかですっ、にはケムールスダールの愛バルタン星人の宇宙共通語は……、などと打ち続けたが、戦いはそろそろ終結である。」(Kindle版No.1710)

 ケムールスダールの愛バルタン星人の宇宙共通語。読者をも脱力させる言語実弾の威力すごいです。

 続いて登場するのは、カニバットとタコグルメの二人組。そう、この二人がここで初登場するのです。

 「……しかし思想は違え相通ずるものはございますねー。」
 「そこはそれ私達一流同士ですから。」(Kindle版No.1743)

 キモい「オヤジの紐帯」攻撃を仕掛けてくるものの、割とあっさり撃退。しかし、こいつら意外にしぶといので、気を緩めてはいけません。


『レストレス・エンド』

 第五ステージ「大寺院」。激しい戦いの連続です。愛を失う地獄、世界が見えなくなる地獄、などの階段をクリアしてゆき、大寺院に乗り込んでゆく跳蛇。「私」と「桃木跳蛇」が分断されるという危機を乗り越え、大寺院から放たれる悪夢の振動、狂ったリズムを破壊しなければなりません。

 「王子はにたにた笑いながらそれを拒否した。ただのにたにた笑いは、それがまっとうなおとなの怒りを湛えた、妙に冷静な拒否の微笑だという、王子の強固な思い込みに支えられて、それなりに迫力があった。なぜか王子は被害者になっているのだった。」(Kindle版No.2501)

 「拒否されると少女はふいに非常に澄んだ目になり、小さい声でこう言って死んでしまった。----あたしはなんにも出来ないから血を吐いて死にます。」(Kindle版No.2503)

 好きなものをただ好きでいたいだけの少女を、被害者の顔をして抑圧してくる世界の醜さ。「私」と「桃木跳蛇」は合体し、大寺院を支えている物語、美しく優しく男に都合のいい女だけが愛と幸福を獲得する物語、に戦いを挑みます。

 「王子様と結婚する娘はカエルにも中年男の糞にも親切なのっ、御近所にきらわれてしもうたら終わりどすえ」(Kindle版No.990)

 「戦うしかなかった。形式だけ物語を捨てても別に自由になれるわけではなかった。落ちた物語は夢の底で眠り続け、やがてまた人間の共通意識に向けて、働き掛けようとするはずであった。」(Kindle版No.2584)

 いよいよ最終ステージ。文章のリズムを武器とし、文字を叩き出すドラムを打ち鳴らし、カニバット、タコグルメ、王子、これまでに戦ったボス敵と再戦する桃木跳蛇。そして、ついにラスボスの姿が……。

 「長老合体ゾンビ・王子メタモルフォーシス・ドラゴン。何の恥ずかしげもなく発音するところはさすがに王子だった。物語に出て来る各国の王子の、都合のいい部分をよりすぐって何億もの王子が一体化していた。というより、世界の共通悪夢、シンデレラ物語の化物であった。」(Kindle版No.3092)

 長老合体(中略)ドラゴン。何の恥ずかしげもなく叫んじゃうところはさすがだと私も思いますが、こういう恥や自意識がちいとも感じられないところがいっちゃん恐ろしいのです。

 この嫌な構造と制度を無意識下で強固に支えている物語の根源に向けてきりきりと矢を引き絞る桃木跳蛇。多くの読者が感動の涙を流したラスト一行に向けて、戦いはぐんぐん加速してゆきます。

 というわけで、『硝子生命論』で反転攻勢に転じた著者が、次に放った全編これ言語戦闘という壮絶な長篇。この先も、はるか彼方の『だいにっほん三部作』に向かって延々と続く、果てしない戦いがここから始まったのです。そこに希望はあるのか。この20年で本質的には何ひとつ変わっていないようにも思える現実のなかで、今も私たちはこの戦いの行く末を見守り続けているのです。

 「むしろ、希望はあるのです。だからこそ作者は叩かれても叩かれてもこの嫌な町の模型を作り続けて、止めないのでしょう。それが本当の世界に存在している限り----。
 桃木が話を終えた。でも、----。
 希望、と言ったのは無論まだ二十代の桃木の「明るい希望」に過ぎない。」
(『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』より。Kindle版No.1328)


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