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『硝子生命論』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「私、は一冊の書物である。それも意識のある、生きた声を持つ書物である」(Kindle版No.15)

 「私がこうしてここにいる事自体が一種の語りであり声であり、記憶の再生が文章である。私はそういうものになり果てていた。そして時間を遡り、今を引き写し、ただ語る存在として置かれていた」(Kindle版No.2360)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第86回。

 生身の男性を拒絶する異性愛者のためにつくられた、恋愛の対象としての死体人形。それを硝子生命と名付けた人形作家ヒヌマ・ユウヒは失踪し、彼女の再来を期する者たちは女のための新国家建設を幻視する。

 幻想によって国のあり方や体制などの現実を根底からひっくり返してゆく試みの嚆矢となった先鋭的な国産み神話、その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は1993年7月、Kindle版配信は2014年7月です。

 密室のなかで幻想を駆使することで、激しい違和感と痛みをもたらす現実というものに抵抗する。これまで、そんな引きこもり観念小説を書いてきた著者が、ついに反転攻勢に転じた瞬間を神話として定着させたような長篇作品です。全体は四篇の連作から構成されています。


『硝子生命論』

 「死体人形は生まれた時死んでいる。だから本物の心中の相手にはならない。死体人形とは語りあえない。彼ら、は予め、その人形を求めるもののために殺されている。総ての異性の、いや、現実世界全体のスケープゴートとして。それが死体としての生なのである」(Kindle版No.71)

 現実の男性に失望し、それでも恋愛の対象を異性に設定している者たちのためにつくられる少年の死体人形。世の中に対する深い憎悪を封じ込め、歳月に硬化させたような、そんな硝子生命体との恋愛を生活として生きる者たち。

 人形作家ヒヌマ・ユウヒとの交流を通じて、語り手は「異性に現実や制度を象徴させることで、それらへの憎しみを煮詰めて行くための、憎悪を核にした幻の愛」(Kindle版No.661)という人形愛の形を見出してゆきます。


『水中雛幻想』

 「ゾエアはアクアビデオという実体だけを求めていた。それを一個の現実として支配する事で恐らく戦いようもない厳しい現実に抵抗しようとしたのだった。(中略)そうする事で本物の、ゾエアを取り巻く現実を卑小化して、偽物にしてくれなくてはならなかった」(Kindle版No.1039)

 ヒヌマ・ユウヒがまだ「ゾエア」と名乗っていた若い頃。彼女は幻想を実像化する「アクアビデオ」なる実在しない装置によって現実と対抗しようと懸命になります。やがて存在しない少年を幻視し、結局「常軌を逸する事が出来ない自分をふと意識した」(Kindle版No.1213)ゾエアは、人形作家を目指すことになるのでした。


『幻視建国序説』

 「向こう側に私の知らないそれ故に恐ろしく思える世界があり、こちら側にぼろぼろになってしまって使いものにならず、そのせいでもう今までの馴れや親しみさえ失われてしまった世界があった」(Kindle版No.1318)

 ヒヌマ・ユウヒが失踪してから数年後。彼女がつくった死体人形と共に暮らしている女性たちが連絡を取り合い、会合を開くことになります。出席者の一人として選ばれた語り手は、自分が物語、いやおそらくは神話のなかに足を踏み入れつつあることを自覚し、ヒヌマ・ユウヒの再来とともに、まったく新しい世界、新しい国に転生することを予感します。

 「女だけが人形と暮らしているという国の具体的な部分を、私はなんとか思い出そうとした。(中略)これから先私の生きる現実世界の芯には人形の国の理念が呼吸し始めると信じていた。私が失ってしまうものの後にあの方が来ると」(Kindle版No.1932)

 「私達はただ何かを超えようとしていた。いや、正確には何もかもを超えようとしていたのだった。しかも超えながら小市民のままでいようとさえしていたのだ」(Kindle版No.1970)

 「私と同志達は共同体が私達に課したありとあらゆるタブーを破った。近親婚と殺人、人と動物との区別を無くすこと、人肉の会食、(中略)あらゆるタブーを破る事で生まれる国家殺し。それに手が届かないのを知っていながらぜひともそうしなくてはならなかった。(中略)それが実際に時間を変え、世界を変え、共同体を変え、国家理念までも打ち壊して本物になった」(Kindle版No.2172、2183、2189)


『人形暦元年』

 「遠い昔、男に絶望した女達が男達に形だけは似せた人形を作った。人形達は男達に似てはいけないので全て生まれながらに予め殺されていた。が、どこかに人形を人形のままで生かして、女を蔑まず、虐げない新しい生命体を作り出す女神が存在すると聞いて、ある日何人かの人形を愛する女達が船出をした。(中略)女達はなにもかもを捨ててきたために神に会う事が出来た。そして神の国の住人になり何人かは神になった」(Kindle版No.2282)

 密室で遂行される生贄儀式を経て現実は打ち砕かれ、幻想のなかでついに新国家が樹立します。女たちの国、人形愛の国、水晶の内に幻視された新しい制度が。

 そうして、いまや名前も肉体も何もかもを失い、語りそのものになった「私」は、具現化した本物の硝子生命を介して、ヒヌマ・ユウヒに再会するのでした。

 「いつしか、私はテーブルを離れ、窓に、具現された硝子生命に近付いていた。死体人形の果敢ない観念ではなく、それは建国によって再生された本物の硝子生命と言えた」(Kindle版No.2309)


 というわけで、それまでに書かれた『なにもしてない』や『居場所もなかった』の延長上にあると感じられる前半から、後に書かれることになる代表作の一つ『水晶内制度』にストレートにつながる後半(『水晶内制度』では、本作が建国神話として取り込まれています)へと、文字通り革命的な飛躍を成し遂げた作品です。

 まるでそれまで防具だった幻想を武器として持ち替え、国のあり方や社会体制などの現実に対して真っ向から切り込んですべてをひっくり返そうとするような、そんな強烈な語り。後の作品を特徴づける多くの要素が、すでに使いこなされているという印象も受けます。

 それまでの内にこもる静かな怨嗟を封じ込めたような小説から、外界への積極的な反撃に転じた小説へ。その境界に位置し、二つの世界の橋渡しをする、これはそういう重要な作品ではないでしょうか。


 「向こう側の知らない世界は大きな悲しみを孕んでいて、同時にこちら側の世界は私を追い立てて居たたまれない気持ちを押し付けて来た」(Kindle版No.1319)

 「今までの世界を別に懐かしいとは思わなかった。が、今までの世界に、注ぎ込んだ努力というものを、或いはそこに適応するためのあがきを、そこで、私は思い返すしかなかった」(Kindle版No.1326)

 「私は新しい世界の小市民になる。だがそれは今までの世界で小市民でなかった人々よりも、もっと凶悪で厄介な存在になるという事かもしれなかった」(Kindle版No.1795)


タグ:笙野頼子
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