SSブログ

『オオカミの護符』(小倉美惠子) [読書(教養)]

 「ほんの少し掘り返すだけで、土地は意外なほどに様々な問いを投げかけてくる。そして、その問いの答えを求めるうちに、人と出会い、縁ある地を尋ね歩いて、深く広い沃野へと導き出されるだろう」(単行本p.201)

 幼い頃から見てきた一枚の護符。その謎を追う旅に出た著者は、古代から脈々と受け継がれるオオカミ信仰、そして山岳信仰の世界に出会う。ドキュメンタリー映画製作のための丹念な取材により、民間信仰の姿を生き生きと描き出した一冊。単行本(新潮社)出版は2011年12月です。

 「幼い頃からわが家の古い土蔵の扉に貼られた「護符」のことが気になっていた。(中略)幅10センチ、長さ30センチほどの細長い紙で、そこには鋭い牙を持つ「黒い獣」が描かれ、獣の頭上には「武蔵國 大口真神 御嶽山」という文字が三列に並んで配されている」(単行本p.17)

 「土橋は、たった50戸の寒村から7000世帯に届こうかという数の家が建ち並ぶ住宅地に生まれ変わった。(中略)祖父母と暮らした故郷としての面影が消えるとともに、いつの間にかこの街で「護符」を見かけることはなくなり、この街に住む人の多くは、その存在を知ることもなくなった」(単行本p.19、20)

 一枚の護符から始まる探求が、歴史と基層信仰をめぐる壮大な旅へと展開してゆく。まるで冒険小説のように面白く、そして自分が属しているものについて、自分が住んでいる土地の成り立ちというものについて、改めて考えさせてくれる本です。

 全体は9つの章から構成されています。

 最初の「第一章 三つ子の魂百まで」では、著者の故郷である川崎市の土橋について、その変遷について、詳しく語られます。幼いころの日々を思い出すとき、立ち現れてくる一枚の護符。そこに描かれた「オイヌさま」に導かれるようにして、著者は地元の「土橋御嶽講」の行事に参加します。

 「「御嶽講」は、心の拠り所として、切実な願いをもって行われてきたものに違いない。以来、さまざまな変遷を経ながら270年ほどの長きにわたり御嶽講は続けられている」(単行本p.47)

 そこで著者が目撃したのは、あの護符に描かれたものと同じ「オイヌさま」の掛け軸でした。

 「「掛け軸は神さまの寄りましだ」と母が言った。それは「御嶽講」が武蔵御嶽神社の「オイヌさま」を神として祀る行事であることを意味している」(単行本p.42)

 講から選ばれたメンバーが、川崎から奥多摩の山奥まで毎年歩いて参拝にゆく御獄参り。護符も掛け軸も、御岳山からはるばる川崎まで運ばれてきたものだと知った著者は、「第二章 武蔵の國へ」で武蔵御嶽神社への参拝に同行します。

 「川崎と奥多摩を結びつけるものとして、まず思い浮ぶのは「多摩川」の存在だ」(単行本p.49)

 個人的な話で恐縮ですが、私が住んでいる「福生」という街でも、本書に登場する護符が貼ってある家をよく見かけます。近所を散歩すると、この猛々しくもなぜか愛嬌のある黒い獣がちらほら目に入るのです。なぜ福生と川崎という離れた土地で、同じ護符が流通しているのでしょうか。

 単行本p.51に掲載されている多摩川流域地図を見れば一目瞭然。多摩川源流から、御岳山の武蔵御嶽神社、青梅、福生、立川、府中、川崎まで、多摩川がつないでいるのです。この「川の道」をたどって各地の講が山の神社まで参拝に行き、また神社からの使いが各地に下って祈祷し、そして護符を授けてきたのです。

 どこか他人事のように読んでいた川崎の御嶽講やオオカミ信仰が、私の住んでいる土地と「川の道」でつながっていた。「日本」だとか「東京」だとか、そんな観念めいた言葉ではなく、御岳山から川崎までずっと川の道でつながった土地と文化に自分は属していたのだ、という発見。一気に当事者意識が湧いてきます。

 「第三章 オイヌさまの源流」では、講中による御獄参りの様子を追いつつ、民間信仰がどのように支えられてきたのかが紹介されます。さらに「第四章 山奥の秘儀」では、武蔵御嶽神社で今も行われている、鹿の肩甲骨を灼いて農作物の出来を占う「太占」儀式の取材を試みます。

 「遥か古代の神事がこの御岳山で今も実際に行われているとは思いもしなかった。(中略)この貴重な太占の神事の様子を記録したいと喜助さんに伝えたところ「これは門外不出の秘儀ですから、取材を許可することはできないんです」という答えが返ってきた。世の中のタブーがどんどん破られる中で「門外不出」のものがあること自体に感銘を受けた」(単行本p.78)

 「第五章 「黒い獣」の正体」では、ついにオイヌさまの正体が判明します。大口真神、それはニホンオオカミでした。そして、ニホンオオカミを神として祀る「オオカミ信仰」と、山を拝む「山岳信仰」が、ここで交差していることが分かります。

 「オオカミ信仰の神社は奥多摩・秩父を中心とし、特に秩父には密集している。このオオカミ神社の分布とニホンオオカミの棲息域は一致する。そして各神社から発行される「オオカミの護符」は、バラエティーに富み、個性的であった。(中略)それは「オオカミ信仰」が、上からの統一的な力によって流布したものではなく、それぞれの地域の暮らしから生まれ、浸透していったことを物語っているように思われた」(単行本p.105)

 単行本p.103には「オオカミ信仰の広がり」として、「まじない用のオオカミ頭骨が残されている場所」が関東一円に広がっている地図が掲載されています。秩父を中心として、ニホンオオカミがどれほど広く、深く、長く信仰されてきたのかが分かります。ちなみに、我が街、福生の近辺にも、オオカミ頭骨が保存されている家が何軒か記されています。まったく知らなかった。

 都道府県といったお上が決めた区切りを取っ外した地図で民間信仰の広がりを確認してゆくと、様々なものが見えてきます。遥かな古代から脈々と続いてきた山岳信仰、縄文時代にまで遡るオオカミ信仰、土地をつないでゆく河川、そして修験道との関わり。

 「オオカミ信仰と修験道の関係、さらには山とオオカミの関係を思わずにはいられない。(中略)講が組まれてきた山の名を追いながらふたたび地図を眺めてみた。するとそれまで曖昧だった「武蔵國」の土地柄がぐんぐん立ち上がってくる」(単行本p.107)

 御岳山・福生・川崎と「川の道」でつながっていた線が、ここで一気に関東一円に広がる面となります。多摩川を西多摩エリアとして含む広大な「武蔵國」。その全貌は、単行本p.109に示されています。これを見ていると、自分が「東京都民」だという自覚がどんどん薄れてゆくのを感じます。いや税金はちゃんと払わされてますけど。

 第六章以降では、山岳信仰とオオカミ信仰のさらなる探求が続きます。秩父地域、宝登山神社の「お炊き上げ」神事、たった12軒の小さな集落で営まれている猪狩神社のオオカミ信仰、「幕府も朝廷も権力が及ばぬ山岳信仰の地」であった三峰山の神域。

 どれもこれも知らなかったことばかりで、土地に根ざしていない薄っぺらな世界観が激しく揺さぶられます。本書は関東のごく一部だけを取材対象としていますが、日本全国各地どこの土地に住んでいる読者にも通じるであろう驚きと感動、そして省察をもたらしてくれます。国家権力にも統制されなかった民間信仰、そこで祈る人々の姿が心に刻まれる好著です。

 「「オオカミの護符」が出会わせてくれた人々は,誰ひとりとして「自然」や「環境」という言葉を発することはなかったが、一人ひとりの「祈る姿」は印象深く刻まれている。その姿がある場所には、土地ならではの言葉や暮らし、そして風景があり、「神々の居場所」が息づいていた」(単行本p.192)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: