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『小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「核に似た表現形で世の中の中心にある、汚しがたいものを汚し理不尽をおしつけ、あったことをない事にする、それなら多分、言語の中から見つける事が出来る。それが言語における、それが核なんだ」(Kindle版No.2578)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第67回。

 『増殖商店街』に続いて、笙野頼子さんの最新単行本が早くも電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。単行本(講談社)出版は2012年09月、電子書籍版の出版は2012年11月です。 

 あとがき小説が追加されていた『増殖商店街』と違って、特に電子書籍版でのボーナスはありません。なお、書き下ろしのあとがき小説『言語にとって核とは何か  ----ずーっと嘘ばっか言われてきた、と判ってから。』は、単行本にも収録されています。

 『増殖商店街』収録作で出会った伴侶猫ドーラも今や年老いて、作家は老猫介護の日々を送っています。その艱難、そして一瞬にして永遠の幸福。詳しい内容については、2012年10月01日の日記を参照して下さい。

 ここでは、あとがき小説について簡単にご紹介します。

 さて、あとがき小説『言語にとって核とは何か』ですが、ドーラとの死別から二年近く経った「現在」を書いた作品です。作家が「猫をかぶって」外出する話ですが、実態としては金毘羅と荒神の対話が中心となります。

 「世の中は変わってない、だって変わらなかった結果あの事故があったのだ。機会主義者はその原因に手を付けないでただ取りたい税を取り内面のある個人に番号を振って動員したがるだけ」(Kindle版No.2560)

 「「変わろう」、「変わろう」、という人々は何かを我慢させて自分達の収益をあげようとしているだけ。これを機会に切り捨てたかったものや、邪魔だったものを消したいだけ」(Kindle版No.2618)

 「権力は「侵す必要がないはず」のものをすみずみまで侵したい汚染したいと思う。そのあり様なら個人的体験からでも書くことが出来る」(Kindle版No.2650)

 東日本大震災と原発事故によりあらわになった、都合の悪いことも個人の内面も何もかもなかったことにしてしまうこの国のあり方を凝視し、その背後にあるものを言語のなかに見つけてゆこうとするのです。

 2012年に出された二冊の電子書籍を比べてみると、『増殖商店街(電子書籍版)』にある「さて、言語にとって「核」とは何か・・・・・・。考え中の、笙野頼子 ですだ」という手書きのまえがきは、本書『猫ダンジョン荒神(電子書籍版)』収録の『言語にとって核とは何か』を差していることが分かります。

 また、落書きのように書かれている、原発の“原”の字に目が重ねられた字、そして「うわーっ」という吹き出しは、代表作の一つ『水晶内制度』にむすびついています。原発、権力あるいは「反権力」、言語にとっての核。と、そのあたりにひょうすべさんの姿もちらほらと。

 こうして笙野頼子さんの作品はどんどんつながってあるいは習合して増殖してゆきます。その様子を実感するためにも、既に単行本をお持ちの方も、改めて電子書籍版も購入することをお勧めしたいと思うのです。


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『増殖商店街』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「キャトを失ってドーラを得た。ドーラがいるからキャトを思い出す事が出来る。蓋をしていた心が少しずつ癒されてただそれはごまかしの癒しでしかなく、ごまかしでもあればましなのが現世だといいながら何かぼやけている。気が付いたらキャトよりもドラの方が長くなっている」(Kindle版No.1083)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第66回。

 七年前に出版された笙野頼子さんの短篇集が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。単行本(講談社)出版は1995年10月、電子書籍版の出版は2012年10月です。 

 電子書籍版では、単行本に収録されていた五つの短篇に加えて、著者直筆らしき手書きまえがき(これが素敵、ですだ)、あとがき小説『ようこそ』が追加されています。

『増殖商店街』

 「陳列台の空気が揺れ始めている。店の敷居がねとねとと糸を引き始める。床から触手がはえてやがて店内はかき曇りふたつに千切れる」(kindle版No.147)

 当面の食費にも困るような金欠生活を送っている作家。夢の中で商店街に買い物にゆくが、そこでは小さな店舗が次々と分裂しては増えてゆくのだった。

 生活の細部の描写が次第にとんでもない超常風景まで跳んでゆく、『二百回忌』にも似たにぎやかな作品です。

『こんな仕事はこれで終りにする』

 「探しては泣き、泣いて寝込み次の日にはまた猫を捜しにいった」「いなくなった猫の事を小説に書けと言われた事で、ある仕事先と喧嘩をし、長い事そこに何も書かなかった」(kindle版No.405、408)

 行方不明になった飼い猫を必死に捜し続ける。苦しみの中でよみがえる猫の思い出。あきらめかけたとき、遠くの公園で目撃したという話を聞く。「どうせ違うだろうと思いそのまま歩いて倒れて死んでしまいたかった」(kindle版No.513)作家は、その公園で別の捨て猫に出会う。

 キャトの失踪、そしてドーラとの出会いを書いた、大切な作品。猫飼いは涙なくして読めません。なお、ドーラとの別れを書いた『猫ダンジョン荒神』という長編作品も本書と同時期に電子書籍化されており、こうしてキャトとドーラがポケットの中にいつも。

『生きているのかでででのでんでん虫よ』

 「一匹目の猫を失った辛さで仕事ばかり増やしていた。無理で体が壊れたらいいと思っていた。今は二匹目の猫と自分のために生きている。自分とワープロの区別がもう付かなくなっている」(kindle版No.777)

 キャト失踪後、「死ぬかわりに夢と記憶が少しずつ混じって「生きているやら死んでいるやら」判らなくなって」(kindle版No.774)いる状況を書いた作品。後に書かれることになる『猫キャンパス荒神』の原型のようにも思えます。

 それまでも書き続けてきた世の中に対する強烈な違和感と怒りの表明、そしてつきあい始めたばかりのドーラの描写が入り混じり、異様な迫力が込められています。「ああ「世界中でマトモなのは猫だけだ」でも猫は足を噛むし」(kindle版No.999)。

 余談ですが、別の連作に「スリコ」という猫妖怪が登場したり、近作では作中でドーラが「ドラ」と書かれている、そこら辺のわけも本作を読むとよく分かります。「二匹目の猫の名前は最初「スリコ」だった」(kindle版No.799)、「ドーラの愛称はドラ、だ」(kindle版No.816)。

『虎の襖を、ってはならなに』

 「腹がたったのでそう怒鳴ると、言葉の体の骨が全部おれて畳の上に倒れた。あ、そうだ酒でも掛けてあげよう、とどこかから甘やかすのではなく相手のためにも良い考えが浮かんで来た。が、なぜそれが相手のためにもなる考えなのかは判らなかった。ただ、隣の部屋の泣いている子に聞かせようと、その事を大きな声で言った。言葉を怖がるなと自分の態度でしめしているつもりだった」(kindle版No.1297)

 夢の中で「言葉」と戦う作家。ちょっと『レストレス・ドリーム』を連想させるものがあります。言葉の響きの奇妙さ、幻想シーンの見事さ、そして漂う奇妙な明るさが印象的な作品です。「--これっ、虎の襖を、ってはあるのに、虎の襖を、ってはあるのに」「目の前を何千枚もの虎の襖が、っつた状態で通り過ぎた」(kindle版No.1380)

『柘榴の底』

 「異肉を使ったメディテーションに浸っている時間をひとつの世界にいる時間だとみなし始め、それに底の世界という名前を与えたのは、T・Kが世界を、つまりは自分を取り囲む何かを必要としていた証拠である。空想の中でさえT・Kは自己であり続けようとしたのである。そのくせ目指していたのは結局は自己の喪われた世界なのだ」(kindle版No.1726)

 初期の傑作『皇帝』を思わせる観念的ひきこもり小説ですが、その妄想世界のすさまじさは衝撃的。読んでいて息がつまりそう。同時に、変化し続ける力強さも感じられるところが魅力です。

あとがき小説『ようこそ』

 「だからどんな時代だって書くんですよ。発表場所? まあ不流行の上に実はおかしげな嫌がらせもされてるので、減ってきましたけど、だからってこういう作品に代替物ありますか。誰も私から文学を奪えないよ」(kindle版No.2086)

 本書に収録された90年代作品群と、近作をつなぎます。笙野頼子さんが書くものに代替物はなく、それなしにこの時代を生きるのはたいへん危険で、だから私は読み続けるのです。

[収録作品]

『増殖商店街』
『こんな仕事はこれで終りにする』
『生きているのかでででのでんでん虫よ』
『虎の襖を、ってはならなに』
『柘榴の底』
『あとがき小説「ようこそ」』


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『ひょうすべの菓子(「文藝」2013年春号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「四年からひょうすべが怖くなって六年で二万人に五人ひょうすべの子を産む、この国の女の子の普通の生活です。私は火星人なので完全に平均的とは言えないけどほぼこんなものです」(文藝2013年春号p.251)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第65回。

 「文藝」2012年冬号に掲載された『ひょうすべの嫁』(2012年10月08日の日記参照)の続編、というかシリーズ作品が早くも登場。代表作の一つ「だいにっほん三部作」とひょうすべがつながりました。おんたことひょうすべの華麗なるコラボレーション、嫌さも怖さも倍ぞーん。

 「ひょうすべさんはTPPというもののあった年に、ISDというものにくっついてわが国に入って来たそうです。おんたこさんがひょうすべさんを連れて来たと教科書には書いてあります」(文藝2013年春号p.251)

 「また、このひょうすべは外国産の民間のもので、おんたこさんとは直接には関係ないと言われています。わが国において関係ないとは、責任を取らないという意味です」(文藝2013年春号p.251)

 反原発だろうが何だろうがあっという間に「権力からの捕獲装置によって利権化され」(文藝2013年春号p.239)てしまう、だいにっほん。そこにひょうすべが、ISD条項に守られて、もちろん誰も責任をとらないまま、広まったようです。

 「この粉は安いおいしいお菓子には普段でもよく入っているそうです。(中略)このひみつの粉を食べると女の子の中の二万人に五人がひょうすべを産みます。産む年齢は普通十二歳です」(文藝2013年春号p.236)

 そんなだいにっほんに生きる11歳の火星人少女(埴輪詩歌)は、夜の学校にネット友達と集まって怪談話をすることになります。怪談話はいつしかひょうすべ話になってゆき、しかも集まった友達の中に誰も知らない娘が混じっていて・・・。

 「本当にぞーんとする百パーセントのぞーん、それはもうホラーとも怪談とも言っていられない。トイレに駆け込んで便座の蓋を開けて囁くだけです。「怖かった、怖かった、なんで見たのやろう、助けて、助けて、・・・・・・」(文藝2013年春号p.244)

 というわけで、三部作完結から五年を経て、ますますだいにっほん化してゆくこの国の今をぐりぐりえぐる。本当に、ぞーん、となる学校の怪談。助けて、助けて。

 「しりながら、ひょうすべのかし、やかされて、わがみひとりが、わがみひとりで」
 「ぞーん、ぞーん、ぞーん」(文藝2013年春号p.251)


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2012年を振り返る(6) [教養・ノンフィクション] [年頭回顧]

2012年を振り返る(6) [教養・ノンフィクション]

 2012年に読んだノンフィクションのうち、印象に残ったものについてまとめてみます。なお、あくまで「2012年に私が読んだ」という意味であって、出版時期とは必ずしも関係ありません。

 まずは東日本大震災と原発事故に関する本として、あの渾身のドキュメンタリー番組『ネットワークでつくる放射能汚染地図』の制作過程を追った『ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』(NHK ETV特集取材班)を挙げたいと思います。

 原子炉建屋で爆発と火災が起きていたとき、南下しつつあるプルーム(放射性雲)とすれ違うように福島へ向かってひた走り、原発から2Km(20Kmじゃなくて)地点まで突入したNHK取材班。彼らの驚くべき決意と行動の背景には何があったのか。 今、改めて読み直したい好著です。

 NHK取材班が原発事故現場に駆けつけたのと同時期、地震と津波の被害が最も大きかった石巻地区で繰り広げられていた医療従事者たちの戦いをえがいた『東日本大震災 石巻災害医療の全記録  「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7カ月』(石井正)と合わせて読むことで、信念を持って仕事をなし遂げることの大切さを学ぶことが出来ました。

 『怖い俳句』(倉阪鬼一郎)は、古典から現代までタイトル通り「怖い」俳句を集めて解説。その想像力を刺激してくる説明困難な怖さが素晴らしい。怖いといえば、『戦場の都市伝説』(石井光太)も相当に怖い一冊。大量虐殺などの非道が行われた地域で流布するおぞましい都市伝説の数々。現実の方がむしろ救いがない。

 『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』(デヴィッド・ハジュー)は、丁寧な取材により50年代の米国におけるコミック弾圧の実態を明らかにした労作。漫画表現規制問題に関心がある方は一読しておいた方がいいでしょう。

 『サイコパスを探せ!』(ジョン・ロンソン)は、良心や他者への共感が欠如した、いわゆるサイコパスに取材してまわり、政治家、企業経営者、高級官僚、軍上層部など、社会を動かしている人々の多くがサイコパスだという説の信憑性を探る一冊。取材を進めるうちに著者自身が自分の正気に自信が持てなくなり、精神の迷宮に踏み込んでゆくのが印象的。

 同じく精神の死角にうっかり踏み込んでしまい、帰れないままどっかに行ってしまった人々について精神科医が語る『精神のけもの道 つい、おかしなことをやってしまう人たちの話』(著:春日武彦、漫画:吉野朔実)も興味深いものがありました。

 哲学まわりでは、『100の思考実験 あなたはどこまで考えられるか』(ジュリアン・バジーニ)が哲学の基本問題を分かりやすく紹介してくれて印象に残りました。ただし、個人的には、「何を信じて生きればいいのか分からない」といった、より切実な問いかけに答えようとする『哲学の練習問題』(西研)にさらに強い感銘を受けました。

 もっと世俗的な悩みについては、『生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント』(西原理恵子)や『人生相談 比呂美の万事OK』(伊藤比呂美)が多大なインパクトと共に教えてくれます。

 翻訳まわりでは、子供たちへの授業という形で、翻訳という営みの深層を探求してゆく『翻訳教室』(鴻巣友季子)が素晴らしい。

 一方、日本の漫画やラノベに登場する様々な文化依存ネタを台湾の翻訳家がどのような工夫により中国語に翻訳したのかを研究した『オタク的翻訳論 日本漫画の中国語訳に見る翻訳の面白さ 巻九「ケロロ軍曹」』(明木茂夫)と『オタク的翻訳論 日本漫画の中国語訳に見る翻訳の面白さ 巻十「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」』(明木茂夫)が面白い。このシリーズ、今後も楽しみ。

 なお、台湾といえば、JR時刻表に慣れた日本人のための「日式」台湾鉄道時刻表である『台湾時刻表 2012.1』(日本鉄道研究団体連合会)には感心しました。

 社会派では、人気ブロガー「ちきりん」さんが世界のあちこちを旅して考えたことを書いた『社会派ちきりんの 世界を歩いて考えよう!』(ちきりん)、ネットにより自分にとって心地よい情報しか目に入らないようになってゆく社会に警鐘を鳴らす『閉じこもるインターネット グーグル・パーソナライズ・民主主義』(イーライ・パリサー)、SNSの実態を暴き、真面目に仕事をすることの大切さを見直す『ソーシャルもうええねん』(村上福之)、などが印象的でした。

 『心にトゲ刺す200の花束 究極のペシミズム箴言集』(エリック・マーカス)は人生の真実についての思わずニヤリとするような皮肉な言葉を集めた一冊。『象は世界最大の昆虫である ガレッティ先生失言録』(池内紀:編集、翻訳)は実在した名物教師の抱腹絶倒のいい間違い語録。『ふしぎな110番 警察本部の通信指令課に「本当に」寄せられた110番通報」(橘哲雄)は、意味不明だったり可笑しかったりする警察への通報を集めたもの。まとめて読むと、人間は愚かで意味不明なことばかりやってるけど、そこがいい、という人生観に癒されます。

 『氷上の舞 煌めくアイスダンサーたち』(田村明子)は、フィギュアスケートの華、アイスダンスの歴史と名選手たちについて、初心者にも分かるよう基礎的なことを教えてくれる一冊。

 『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』(著:福田里香、絵:オノ・ナツメ)、『ランキングの罠』(田村秀)、『ネトゲ廃人』(芦崎治)、『痕跡本のすすめ』(古沢和宏)は、それぞれ、漫画などでキャラクターを「立てる」ために食事がどのように使われているか、新聞や雑誌などでよく見かけるライキングがどのようにして作られているか、オンラインゲームにどっぷりハマって生活破綻した人々、古書への書き込み、といったものの研究本で、どれも興味深く読めました。

 猫まわりでは、『のせ猫 かご猫シロと3匹の仲間たち』(SHIRONEKO)とその続編『のせ猫 かご猫ファミリーと新入りみみちゃん』(SHIRONEKO)、『choo choo 日和2 色つきの猫でいて。』(イラスト:Jetoy、文:こやま淳子)がもう大好き。

 オカルト関連ですが、まずは『エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実』(アニー・ジェイコブセン)が素晴らしい。UFOや異星人の話はほとんど出てきません。現実のエリア51で冷戦当時に何が行われていたのかを明らかにした本です。偽史や歴史修正主義に関する『捏造される歴史』(ロナルド・H・フリッツェ)と共に、読みごたえたっぷり。

 『世界の心霊写真 カメラがとらえた幽霊たち、その歴史と真偽』(メルヴィン・ウィリン、木原浩勝)は古典的な心霊写真、ネットで話題となった有名な心霊写真などを集めた心霊写真集。『増補版 未確認動物UMA大全』(並木伸一郎)はネッシーから妖精まで何でも収録したUMA百科事典。基本をおさえておきたい方に。

 『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』(森達也)、『超心理学 封印された超常現象の科学』(石川幹人)、『量子の宇宙でからみあう心たち 超能力研究最前線』(ディーン・ラディン、石川幹人訳)は、いずれもオカルト現象の「とてつもないことがあっさり起きるのに、記録しようとすると決して起きない、探求すればするほど逃げてゆく、それなのに統計的にはその存在が示されてしまう」というたちの悪い本質に踏み込んでゆく本。あるとは言えないが、ないと断言することも出来ない、その狭間に興味がある方に。

 もっと気楽に楽しめるオカルト本としては、ユリゲラー・ノストラダムス・ツチノコの時代に少年少女だった方々のための『ぼくらの昭和オカルト大百科 70年代オカルトブーム再考』(初見健一)や、通俗オカルトの基礎知識をまとめた『オカルト「超」入門 』(原田実)がお気に入り。

 最後にオカルト検証本ですが、2012年はマヤ暦の予言でフォトンベルトがアセンションでどうのこうのということで、予言まわりの検証本がたて続けに出ました。『検証 予言はどこまで当たるのか』(ASIOS、菊池聡、山津寿丸)、『謎解き超常現象III』(ASIOS)、『トンデモ本の新世界 世界滅亡編』(と学会)などが楽しめました。この次の世界滅亡が待ち遠しい限りです。


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2012年を振り返る(5) [サイエンス・テクノロジー] [年頭回顧]

2012年を振り返る(5) [サイエンス・テクノロジー]

 2012年に読んだポピュラーサイエンス本のうち、印象に残ったものについてまとめてみます。なお、あくまで「2012年に私が読んだ」という意味であって、出版時期とは必ずしも関係ありません。

 まず生物学、生命科学まわりですが、何といってもインパクトが大きかったのが『バイオパンク DIY科学者たちのDNAハック!』(マーカス・ウォールセン)です。オープンソースを駆使しキッチンや私設ラボでDNAを操作して世界を変えようとしている若者たち。その姿は、かつてガレージでパソコンを組み立てていた若者たちに重なってゆく。バイオテクノロジー革命の最前線について、生き生きとしたイメージを得ることが出来ました。

 『見せびらかすイルカ、おいしそうなアリ 動物たちの生殖行為と奇妙な生態についての69話』(パット・センソン)は、とにかく面白いエピソード満載の読み物。進化によって生み出された数々の奇天烈な生殖戦略が、私たちの常識をあっさりと覆してゆく様にはもう大興奮。

 『捕食者なき世界』(ウィリアム・ソウルゼンバーグ)は、ごく少数の捕食者が滅びたことで生態系全体が崩落していった事例の数々を紹介してくれる衝撃的な一冊。生態系や生物多様性についていかに自分が理解してないか痛感させられます。

 『進化の運命 孤独な宇宙の必然としての人間』(サイモン・コンウェイ=モリス)は、「進化史のテープを巻き戻して再生したとしても、人類が再び登場する可能性はないだろう」という、『ワンダフルライフ』でグールドが展開した主張に真っ向から反論する一冊。論拠として持ち出される並行進化(進化の収斂現象)の豊富な事例が素晴らしい。あまりにもキリスト教よりの著者の主張には賛否あるとは思いますが、それは置いておいて、広く読まれるべき魅力的な生物学本です。

 その他、大津波で海水につかり昆虫や淡水性生物が一掃された土地で今、生態系がどうなっているのかを追った『巨大津波は生態系をどう変えたか 生きものたちの東日本大震災』(永幡嘉之)、多摩川の事例を中心に身近なところから外来種問題を考える『タマゾン川 多摩川でいのちを考える』(山崎充哲)、様々な分野の専門家が「地球外生命」をキーワードにして語る『地球外生命9の論点 存在可能性を最新研究から考える』(自然科学研究機構:編、立花隆/佐藤勝彦ほか)が印象に残りました。

 特定の生物種についての本としては、『ペンギンのしらべかた』(上田一生)と『旅するウナギ 1億年の時空をこえて』(黒木真理、塚本勝巳)が面白かった。

 医学まわりでは、最も身近な疾病である風邪について最新の知見を教えてくれる『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』(ジェニファー・アッカーマン)が印象的でした。私たちが思っているよりずっと分かってないことが多いこと、そして私たちが分かっていると思っていることの多くが間違っていること、などがよく分かりました。

 『空耳の科学 だまされる耳、聞き分ける脳』(柏野牧夫)と『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』(古屋晋一)の二冊には、人間の聴覚について驚くべき知見が次々と登場します。読んでいて夢中になりました。

 『寿命1000年 長命科学の最先端』(ジョナサン・ワイナー)は、私たちが生きているうちに人間の寿命は1000年、いや100万年を突破する、と主張する異端科学者に焦点を当てた一冊。怪しげな話が大好きな読者は、『博士たちの奇妙な研究 素晴らしき異端科学の世界』(久我羅内)と共に、気に入ることと思います。

 怪しげといえば、『超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか』(リチャード・ワイズマン)。認知科学から、私たちが超常現象を「体験してしまう」理由を明らかにしてくれます。

 物理・地学・天文学まわりでは、まずは『気象を操作したいと願った人間の歴史』(ジェイムズ・ロジャー・フレミング)が印象に残りました。雨乞い師から気象兵器まで気象制御の失敗史を振り返り、地球温暖化対策の切り札として期待されている地球工学の有効性に対して強い懐疑を表明します。説得力を感じます。

 『とてつもない宇宙 宇宙で最も大きい・熱い・重い天体とは何か?』(ブライアン・ゲンスラー)は、天文学者が発見した様々な記録保持天体について紹介してくれます。記録それ自体も興味深いのですが、それを天文学者はどうやって正確に測定したのか、という点にこそ本当の感動があります。

 『決着! 恐竜絶滅論争』(後藤和久)は、恐竜絶滅の原因として小惑星衝突説がいかに決定的であるかを解説し、様々な反論(巨大噴火説など)が消えない事情を教えてくれます。本題よりむしろ、科学者たちが見せる人間臭い一面がとても興味深い。

 その他、プレートテクトニクスや地球深部探査についての最新知見を教えてくれる『ダイヤモンドは超音速で地底を移動する』(入舩徹男)、物理の基礎について分かりやすく解説してくれる『知っておきたい物理の疑問55』(日本物理学会)と『流れのふしぎ 遊んでわかる流体力学のABC』(石綿良三、根本光正、日本機械学会編)、そしてロボット工学の基本的な考え方を分かりやすく解説する『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』(鈴森康一)などが印象的。

 数学や統計学まわりでは、まずはパズルやギャンブルなど身近な話題から数学に切り込んでゆく『素晴らしき数学世界』(アレックス・ベロス)が素晴らしい。数学には縁がないと思っている方にこそ読んでほしい好著だと思います。

 『科学は大災害を予測できるか』(フロリン・ディアク)は、現在の科学で地震予知などの災害予測が正直なところどこまで可能なのかをまとめた一冊。『バースト! 人間行動を支配するパターン』(アルバート=ラズロ・バラバシ)は、人間の行動の背後にある数学的法則について教えてくれます。

 その他、『宇宙就職案内』(林公代)は、今や成長市場となった宇宙関連の職業を紹介。宇宙に関わりたいのであれば、宇宙飛行士だけでなく、実に幅広い職が選択できるということが分かります。

 最後に、『ドーキンス博士が教える「世界の秘密」』(リチャード・ドーキンス)を紹介しておきたいと思います。生物学から天文学まで、様々な科学の知見を美しいイラストと共に表現したフルカラーの教科書で、中学生から読むことが出来ます。もちろんそこはドーキンスなので迷信やオカルトやニューエイジちゃんへの批判は忘れませんが、声高に非難するのではなく、科学的世界観の方がずっと魅力的なんだよと強調する方向なのが嬉しい。


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