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『増大派に告ぐ』(小田雅久仁) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 「どんなちっぽけな人間であれ、他人に分け与えられない自分だけの人生を持ち、自分だけの世界を持ち、それをまるごと抱えこんだまま登っていったり転げ落ちたりしながら、死の瞬間まで自分なのだ。この男はこの男のすべてを生きているのだ」(単行本p.227)

 第21回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した、著者のデビュー長編。単行本(新潮社)出版は2009年11月です。

 『本にだって雄と雌があります』に感激したので、著者のデビュー作も読んでみました。ある団地に住んでいる少年と、その近くに住み着いたホームレスとの出会いを書いた作品です。

 ホームレスの男は奇妙な妄想にとりつかれています。この世界は増大派に支配されており、彼らは減少派である彼を抹殺しようとつけ狙っているのです。

 「あいつらはもうどこにでもおるよ。世界じゅうにおる。そこらじゅうにおる。結局、世界じゅうの人間のほとんどがあいつらになりつつあるんや。もうだれにも止められん。それが増大派や」(単行本p.189)

 「増大派と減少派、そしてどちらになる覚悟も持てぬまま無自覚に増大的な流れに身を任す有象無象、それらを視覚的に判別することにこそ虫けらにも等しい彼の命運がかかっている」(単行本p.5)

 ラジオから流れてくる雑音の中に暗号情報を聞き取り、自分のことを月世界からやってきた宇宙飛行士だと信じている男。彼はしがないホームレスのふりをしつつ、頭の中にいる「船長」の指示に従って、世界を救うべく奮闘しているのです。

 「レッグウィーク船長、やはりベルリンの壁は破壊されています。これであいつらがクアトリウムの増産に踏み切ることはほぼ確実でしょう。地球の破滅です。計画を急がねばなりません」(単行本p.80)

 一方、近くの団地に住む少年は公園のそばにホームレスの小屋を見つけ、男を観察し始めます。この、あたまのおかしい浮浪者のことが気になって仕方ない少年は、ある夜、男の「秘密基地」への潜入を試みるのですが・・・。

 男はどうしてそのような妄想を抱いて流浪するに至ったのか、少年はなぜ父親を心底憎んでいるのか。二人の過去、そして彼らの悲惨な境遇、痛切な屈託が次第に明らかになってゆきます。

 「いままで真剣に想像しなかった男の過去というか、ずっと歩んできた軌跡というか、そういうものがたしかに存在するのだという当然の事実が、すとんと胸のうちに入りこんできたのだ」(単行本p.227)

 男はただの「あたまのおかしい浮浪者」という記号ではなく、取り替えのきかない過去と内面を持った一人の人間なのだと実感したとき、いわば少年は減少派になったわけです。しかし、二人の間に生じつつある友情の芽生えを見逃す増大派ではありませんでした。

 こうして、悲哀に満ちた、そして衝撃的なラストシーンへと向かい、物語は急転回してゆくのです。

 『本にだって雄と雌があります』が基本的に明るく滑稽な雰囲気だったのに対して、本作は暗く、陰鬱で、救いがありません。しかし、読んでいて、奇妙なことに、暗い高揚感のようなものに包まれます。この世の中に対する怒りや絶望に共感するからかも知れません。

 いずれにせよ、登場人物たちの過去のエピソードを時系列順でなく巧妙な配置で少しずつ明らかにしてゆくうちに、読者を異形の世界に誘い込む手際はさすが『本にだって雄と雌があります』の作者だけのことはあります。今後が楽しみです。


タグ:小田雅久仁