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『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』(監修:コンピュータ将棋協会) [読書(サイエンス)]

 「2005年に檄指がアマ竜王戦に出場した際には『惨敗しなければよいが』と心配していたのだが、現在は『人間側が惨敗しなければよいが』と心配する事態になっている。わずか数年のことであるが、まさに隔世の感がある」(単行本p.27)

 いまや現役の名人に勝つのも時間の問題とされるコンピュータ将棋ソフト。その急激な進歩の背後にあるアルゴリズムの革新について詳しく解説。単行本(技術評論社)出版は、2012年11月です。

 2007年に行われた渡辺明竜王とコンピュータ将棋ソフト「ボナンザ Bonanza」の対局は、NHKのドキュメンタリー番組として放映されました。それを見たときは、けっこう衝撃を覚えたものです。何しろボナンザの指し手が極めて自然で、背後に高度な大局観をも感じさせたのです。将棋ソフトもここまで進歩したのかと驚きました。

 しかし最も印象的だったのは、ボナンザの開発者が将棋にはさほど詳しくない、ほぼ初心者だということ。それはつまり、将棋ソフトというものが開発者の知識やノウハウの結晶ではなく、学習により自ら強くなってゆくアルゴリズム、特化型とはいえ立派な人工知能である、ということをはっきりと示していました。

 その後、2010年10月には「あから2010」が女流王将に、2012年01月には「ボンクラーズ」が元名人に勝利し、もはや現役の名人が将棋ソフトに負ける日が遠くないことは確実な状況になっています。

 本書は、この急激な進歩の背後にあるアルゴリズムの革新について解説したもの。将棋ソフトの歴史や基本概念から始まって、著名ソフトの開発者が様々な工夫について具体的に語ってくれます。

 全体は11章から構成されています。まずは、「第一章 負け続けた35年の歴史」と「第二章 コンピュータ将棋のアルゴリズム」で、これまでの歴史と基礎知識をまとめてくれます。αβ木探索、反復深化、トランスポジションテーブル、全幅探索、実現確率探索、評価関数、自動学習、といった将棋ソフト界の基礎を学びます。

 第三章から第八章までは、著名な将棋ソフトとして、檄指、YSS、GPS将棋、Bonanza、あから2010、習甦を取り上げて、それぞれ開発者自身がその特徴や工夫について語ります。

 「評価関数の自動学習を実用的な意味で初めて成功させ、プログラマ自身に深い将棋の知識がなくても、また、手作業によるチューニングに多大な時間をかけなくとも、優れた評価関数を自動的に作れることを示した」(単行本p.87、88)

 「当然のことであるが、最適に学習されたBonanzaの評価関数に乱数を加えれば、プログラムは弱くなる。しかし、面白いことにそれを多数決合議させると単体のBonanzaよりも強くなったのだ」(単行本p.155、156)

 インターネットから大量の棋譜を吸い上げ、評価関数を自動的に進化させてゆく。複数のソフトを合議させることで、単体のアルゴリズムを超えた強さを持たせる。将棋ソフトの急激な発展の背後には、こうした工夫と革新があるのです。

 技術面だけでなく、開発者の苦労話や所感も読みごたえがあります。また、今年中に名人を倒すぞ、などと気負っている開発者は一人もいません。というか、それはもう終わっている感が強く、皆が感じ考えているのは、目標を達成してしまった一抹の寂しさであり、新たに何を目標とするかの模索なのです。

 「檄指が弱かったころは、檄指の指す一手一手に一喜一憂し、悪手を指さないことを手に汗握って祈ったものだった。(中略)そこには、手作りの楽しさが存在した。今の檄指が指す将棋には、筆者が見ていて気が付くような悪手はほとんど存在しない。(中略)以前のように、改良の効果をダイレクトに感じられることはもうないだろう」(単行本p.93)

 「実力が向上した現在はそのような指摘は少ないが、もし神の視点から見れば欠点は依然として存在するはずであり、人間が現在までに名前をつけた欠点に該当しないので指摘を受けないというだけであろう。もし未来の技術で棋譜を分析すれば、まだ知られていない改善の余地がコンピュータと人間の双方にあって、それぞれ徐々に克服されてゆく過程を分析したり、微妙に形勢が揺れ動く名局を適切に言語化したりできるようになるのではないかと期待している」(単行本p.131)

 「第九章 プログラムの主戦場Floodgateの切磋琢磨」では、テストや改良のために将棋ソフトを互いに戦わせるためのインターネット上の対局場、Floodgateが紹介されます。

 「第十章 コンピュータ将棋の弱点を探る」では、現在の将棋ソフトが一般的に抱えている弱点を整理し、そこを突く人間側の戦略について考察。「第十一章 女流王将戦一番勝負」では、清水女流王将vsあから2010の激闘を解説します。

 面白いのは、開発チームが清水女流王将の対戦棋譜をすべて分析して、コンピュータ側の戦法を決める過程。あえて「コンピュータが苦手な作戦として関係者の間では有名であった」(単行本p.262)という戦法を選び、コンピュータ将棋について徹底的に勉強している相手の裏をかこうという、何だかめちゃくちゃ人間くさい番外戦があったのですね。

 コンピュータ側が指した、誰もが予想外だった一手。それを予想していたという清水女流王将の「だって、どれだけ対コンピュータ研究したと思ってるんですか? この日のために」(単行本p.285)という言葉。

 「6六金打ちは本局で一番驚き、また時間が経つにつれ感動が深まった一手である。数々の修羅場をくぐり抜けてきた清水女流王将の将棋観を表した手である。清水女流王将の胸中を思い、心が熱くなった」(単行本p.277)という、佐藤九段の言葉。

 というわけで、将棋ソフトが人間を超えても、将棋そのものの価値が失われるわけではない、いやむしろ新しい魅力を見い出せるかも知れない、という気持ちになる一冊です。個人的には、次の一節が心に残りました。

 「人間は既成の定跡や手筋に捉われ過ぎて、本来持っている将棋の世界のほんの一部しか垣間見ていないのかもしれない。(中略)「人間に勝つコンピュータ」が作られることで、人間の戦術や将棋の理解度がより一層高まることを信じている」(単行本p.212)


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