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『ゴロツキはいつも食卓を襲う  フード理論とステレオタイプフード50』(著:福田里香、絵:オノ・ナツメ) [読書(教養)]

 ヤクザ者が乱入してくるとき、一般家庭は常に食事中。逃走シーンは必ず厨房を通り抜ける。漫画や映画におけるステレオタイプ化した食事シーン、食品を用いた演出の定型を50個も取り上げて分析。全ての項目にオノ・ナツメさんのイラストが付いています。単行本(太田出版)出版は、2012年04月です。

 「ゴロツキが食卓を襲っている。どうだろう、明確には思い出せないが、しかし、確かに過去に何回もこの場面を観たという記憶がないだろうか?」(単行本p.7)

 ・マヌケはフードを喉に詰まらせてあせる
 ・食いしん坊の寝言はいつも「うーん、もう食べられない」
 ・絶世の美女は何も食べない
 ・煙草を手放さないひとは、心に秘密を抱える傍観者

 ・動揺は、お茶の入ったカップ&ソーサーをカタカタ震わせることで表現される
 ・驚きは、液体をブッと吹き出すことで表現される
 ・マグカップを真顔でかかえたら、心に不安があるか、打ち明け話がはじまる
 ・男前が水道の蛇口から直接水を飲んでいると、かわいこちゃんが話しかけてくる

 ・スーパーの棚の前でふたりが同じ食品に同時に手をのばすと、恋が生まれる
 ・カーチェイスではね飛ばされるのは、いつも果物屋
 ・逃走劇は厨房を駆け抜ける

 あー、あるある、と思いませんか。

 こういう風に、漫画やアニメや映画に登場する食品や食事のシーンがどのような演出に使われているのか、その類型を集めたのが本書です。著者はこの定型的な演出のパターンを「フード理論」と呼び、さらに最も基本となる法則を次の「フード三原則」にまとめています。

  第一原則 : 善人は、フードをおいしそうに食べる
  第二原則 : 正体不明者は、フードを食べない
  第三原則 : 悪人は、フードを粗末に扱う

 つまり、登場人物の性格や位置づけを短時間にはっきり表したいとき、最も便利なのが「彼または彼女がどのようにフードを扱うか」というシーンを入れることだ、というわけです。

 上記の原則を元に、個別の演出パターン(ステレオタイプフード)が50個も取り上げられています。

 「バナナの皮で滑って転ぶ」、「酔っぱらい親父が十字に紐掛けした折り詰めをさげてふらふら歩く」、「遅刻、遅刻と呟きながら少女が食パンをくわえて走ると、曲がり角で転校生とぶつかる」など、あまりにステレオタイプ化が激しいため今やギャグとしてしか使えないようなパターンから、「家族会議が終わるきっかけは台所から漂ってくる焦げ臭いにおい」といった、言われてみればなるほどと思えるものまで、よくまあこれだけ集めたものだと感心させられます。

 単に集めただけではなく、なぜその演出が効果を発揮するのか、についての考察も鋭い。「カーチェイスではね飛ばされるのは、いつも果物屋」なのはなぜか。「絶世の美女は何も食べない」という演出の背景にはどういう意図があるのか。納得のゆく説明がつけられています。

 「繰り返し登場するようになるには、なるだけの意味がある。わたしたちにある種の真実を端的に突き付けてくるからだ。ゴロツキが食卓を襲うには、もちろんちゃんとした理由があるのだ」(単行本p.8)

 宮崎アニメにおけるフード演出の細やかさについての分析。定型的演出は容易に思い浮かぶのに具体的にそのシーンが登場する作品がぱっと思いつかないのはどうして。最初にこの演出を発明したのはどの作品か。さまざまな興味深い話題が繰り広げられます。

 そして、全ての項目に人気漫画家オノ・ナツメさんのイラスト(いかにも定型的なシーン)が付いているのが素晴らしい。

 時代劇なら登場人物たちが小料理屋に集まり、警察ものなら警官たちがカフェに立ち寄り、大名は好物を列挙し、親子はワイングラスをぶつけ、旧友とはたき火をはさんでウイスキーを飲み交わす。なるほど、オノ・ナツメさんの作品は確かにステレオタイプフードの宝庫です。改めて読み返してみたくなってきます。

 というわけで、まずオノ・ナツメさんのファンなら50枚を超えるイラスト目当てに購入しても問題ないでしょう。作品を創る人にとっては、演出のヒント集として実用的価値がありそう。もちろん単に「あるある、この演出」と思って読むだけでも充分楽しめます。一読すれば、この先、観たり読んだりした作品すべてが「ステレオタイプフード探し」の対象になってしまうかも知れません。


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