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『居心地の悪い部屋』(岸本佐知子 編訳) [読書(小説・詩)]

 頭の孔からこぼれ落ちては喰われゆく夢。電話の向こうで起きているらしい惨劇。眠っている間に室内で録音された男女のささやき声。ひたすらファウルを打ち続ける打者・・・。

 不条理な暴力、理解不能な事態、謎めいた記憶、収まりの悪い幻想。不安、かすかな恐怖、そして妙なユーモアが渾然一体となって、もやもやした読後感を残す作品を集めたアンソロジー。

 収録された短篇はどれも個性的な傑作ぞろい。単純なホラー小説ではなく、いずれも奇想とユーモアが含まれているのが何ともいえず嬉しい。二冊の『変愛小説集』で読者を魅了した岸本佐知子さん編訳による珠玉の「嫌小説集」。単行本(角川書店)出版は、2012年03月です。

 『ヘベはジャリを殺す』(ブライアン・エヴンソン)は、まぶたを糸で縫い合わせるというショッキングなシーンで始まる、殺人者と被害者の奇妙なやりとりを書いた作品。二人は旧友らしく口調も親しげ。それなのに唐突かつ理不尽に暴力が振るわれ、しかも一方はこれから殺されるらしい。

 例えば「被害者は犯罪組織の裏切り者で、処刑人としてその親友が指名された」とかいった分かりやすい背景事情があればそれなりに安心できるのに、そういうものがなく、ただ理不尽な暴力の感触「まぶたの裏を通る糸にこすれて、眼球を痛めた」(単行本p.8)ばかりが残る、冒頭から嫌な作品。

 『チャメトラ』(ルイス・アルベルト・ウレア)は、頭に開いた孔から記憶や夢がぼろぼろこぼれ落ちるという話。それだけならまだしも、こぼれた夢は、犬に、さらには友人に喰われてしまう。何だか切ない。

 『あざ』(アンナ・カヴァン)は、古城の地下牢にいた謎の囚人をちらりと見て、学生時代の知人を思い出す話。二人ははたして同一人物なのか。そうだとしてもなぜ地下牢にいるのか。今にして思えば、彼女の言動には不可解なものがあった。奇怪な状況に、何の説明もされないまま置き去りにされる読者。色々と想像をめぐらせては不安な気分になってゆきます。

 『来訪者』(ジュディ・バドニッツ)は、実家から車でやってくる両親と電話で会話する娘の話。車を止めては公衆電話から「もうすぐ着くから大丈夫」と繰り返す母親だが、案の定、道に迷ってしまう。連絡が入るたびに事態は悪化するばかり。やがては不条理な状況に陥ってゆき、何らかの惨劇が起こったらしいのだが、結局はよく分からないまま。

 電話の向こうだけでなく、語り手の側も次第に現実感覚が狂ってゆくあたりが読み所で、日常がぐずぐずと崩れてゆく感覚が素晴らしい。手垢がついた題材をこう料理してくるとは。お気に入り。

 『どう眠った?』(ポール・グレノン)は、二人の男が自分がみた夢について会話する話。夢の「内容」ではなく、夢を建造物に見立ててそのアーキテクチャ(建築様式)を自慢したり批評したりするというのがおかしい。

 「スコットランドの狩猟小屋のように眠った」(単行本p.69)というのが比喩ではなく、本当に「スコットランドの狩猟小屋」のデザインになっている、そういう「眠り」を眠った、というのです。しまいには「その眠りはデザインが狂ってるからリニューアルした方がいい」とか、「きみはメートル法で眠るのか」などと、ギークな会話に。何とも言えず奇妙でユーモラスな作品。

 『父、まばたきもせず』(ブライアン・エヴンソン)は、娘を殺した(らしい)父親が、死体を埋めるという、ただそれだけの話。やたら細かい描写が続くにも関わらず、殺人に至る事情や何かは何も語られず、父の内面描写も一切ない。そのアンバランスさ、異常さが、不安を引き起こします。

 『分身』(リッキー・デュコーネイ)は、ある朝、目を覚ましたら、足が取れてしまっていることに気づく話。暴力でも病気でもなく、ただ取れてしまった足。しかし、転がった足から次第に腰、胸、首と自分の身体が生えてゆき・・・。起こっている事態は(現代小説としては)さほど突飛ではないものの、それに対する語り手の反応の方が読者の違和感を引き起こします。

 『潜水夫』(ルイス・ロビンソン)は、故障した小型船を修理するために、たまたま近くの浜辺にいた潜水夫を雇う話。大柄な潜水夫はどうも油断ならない雰囲気の男で、しかも大型ナイフまで持っている。逃げ場のない船には、自分と妻(セクシー美人)、そして赤ん坊が乗っているだけ。もし、この男が変な気を起こしたら・・・。

 緊迫感、そして暴力の予感に満ちた作品です。妙に馴れ馴れしい潜水夫は、ただの素朴な田舎者なのか、それとも悪意を秘めているのか。最後までスリルが続く作品。

 『やあ!やってるかい!』(ジョイス・キャロル・オーツ)は、ジョギング中に誰彼かまわず声をかけてくるマッチョな男の話。声をかけられた側からの視点で書かれており、男が誰でどんな人物なのかはよく分かりません。

 小出しにされる伏線のおかげで、最後に彼の身に何が起きるのかは想像できるのですが、そこに至る経緯がよく分からない。にも関わらず、胸の中にたまってゆくもやもやしたものによって、読者は理不尽な事態をごく自然に受け入れてしまいます。怖いのはそこんとこ。

 『ささやき』(レイ・ヴクサヴィッチ)は、夜中に自分がいびきをかいてないか確かめるために、就眠中に録音テープを回してみた男の話。後になって再生してみると、男女のささやき声が入っている。自分は独り暮らしで、寝室には誰も入れないはずなのに・・・。

 思わず引き込まれる謎めいた導入部。ミステリなのか、ホラーなのか、どちらに転ぶか分からないスリリングな展開。そして、電撃のようなラスト一行。短篇小説のお手本のような素晴らしい作品で、ロアルド・ダールの切れ味鋭い短篇を思い出させます。個人的には、本書で最も気に入った作品。

 『ケーキ』(ステイシー・レヴィーン)は、部屋の四方の壁をぐるりと棚にして、そこに買ってきたケーキを並べてゆく女の話。彼女の夢は、部屋中を取り囲んだケーキを片端から食べて丸々と太ること。しかし、窓の外に「頭がまん丸で薄べったい」犬と猫の二人がいるため、ケーキを食べることが出来ない。

 奇怪な文体で奇態な情念が語られ、まるで精神疾患の心象風景に閉じ込められたような心細さを覚える作品。

 『喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ』(ケン・カルファス)は、野球に関するトリビアとその解説、という体裁で書かれたショートショート集。「連続してストライクゾーンをはずした最多記録は?」「ワンシーズンで最多のセーフティ・バントを決めた選手は?」といった野球トリビアが出題され、続いて回答とその解説が続く。しかし内容は嘘八百。

 27球連続でボールを出した投手がゲシュタルト崩壊を起こす話。一打席で56本のファウルを打ち続けた打者が自分が何をしているのか分からなくなる話。ライバル球団同士が全メンバー(監督やコーチまで含めて)をトレードした結果、「地元球団」というアイデンティティを喪失してしまう話。野球を題材にしたホラ話というか奇譚ですが、その途方に暮れるようなユーモアが素敵。これもお気に入り。

 というわけで、どれも読みごたえのある作品ばかり。誰が読んでもきっと好み直撃の作品が見つかるはずです。個人的には、『来訪者』(ジュディ・バドニッツ)、『ささやき』(レイ・ヴクサヴィッチ)、『喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ』(ケン・カルファス)が大好き。

[収録作]

『ヘベはジャリを殺す』(ブライアン・エヴンソン)
『チャメトラ』(ルイス・アルベルト・ウレア)
『あざ』(アンナ・カヴァン)
『来訪者』(ジュディ・バドニッツ)
『どう眠った?』(ポール・グレノン)
『父、まばたきもせず』(ブライアン・エヴンソン)
『分身』(リッキー・デュコーネイ)
『潜水夫』(ルイス・ロビンソン)
『やあ!やってるかい!』(ジョイス・キャロル・オーツ)
『ささやき』(レイ・ヴクサヴィッチ)
『ケーキ』(ステイシー・レヴィーン)
『喜びと哀愁の野球トリビア・クイズ』(ケン・カルファス)


タグ:岸本佐知子
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