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『この女』(森絵都) [読書(小説・詩)]

 妻の人生を小説にしてほしい。大阪・釜ヶ崎地区(あいりん地区)のドヤ街で日雇い労働をしていた青年に、そんな奇妙な依頼が舞い込む。謎めいた人妻に翻弄される青年は、やがて大きな政治構想に巻き込まれてゆく・・・。震災前夜の釜ヶ崎を舞台とした冒険と恋愛。単行本(筑摩書房)出版は、2011年05月です。

 『ラン』から三年、著者の新境地を切り拓いた長篇です。ストレートに展開した前作とは打って変わって、謎めいた雰囲気のなか、錯綜した物語が少しずつほどけるように加速してゆく仕掛けの妙にまず感心させられます。

 ドヤ街と寄せ場が集積し、日雇い労働者と路上生活者が吹きだまる大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)。そこで働いていた語り手は、あるホテルチェーンの経営者から奇妙な依頼を受ける。自分の妻をヒロインとする小説を書いてほしい、報酬はたっぷりはずむ、というのだ。

 さっそく取材を開始した語り手だが、ヒロインとなる人妻はとらえどころがない女で、何を尋ねても嘘とはぐらかしばかり。自分の過去を決して明かそうとしない彼女に翻弄されるうち、いつしか二人は抜き差しならない関係に。

 冒頭100ページ、謎めいた展開で読者を引き込んでゆきます。

 まず、語り手である若い青年。明らかに教養も知能も高く、健康で、文学的素養もあるのに、なぜ日雇い労働などしているのか。どうして、ここから出て行くことが出来ないのか。

 次に、雇い主。なぜ妻をヒロインとする小説を書く、などという依頼に気前よく大金を払うというのか。明らかに何かを隠している様子からも、裏にヤバイ話が転がっていることは明らか。それを薄々承知しながらも、小説執筆にのめり込んでゆく語り手。

 そして、ヒロイン。語られる過去は嘘ばかりで、どうにもとらえどころのない女。いったい彼女は何を考えているのか。最初は奇矯に思える彼女、しかしその特異な存在感には不思議な魅力があり、語り手とともに、読者も彼女のことをもっと知りたくなってきます。

 「この女は壊れているけれど空っぽではない。乱れているけれど汚れてはいない」(単行本p.189)

 「同じ男とはうち、一度しか寝えへん」(単行本p.187)

 何といっても一番の魅力は、タイトルからも分かる通り、このヒロインの人物造形でしょう。なぜか気にかかって仕方ない女。その過去に何があったのか。彼女の謎が解き明かされ、それに伴って雇い主の目論見が明らかになり、最後に語り手の秘密が明かされる。

 冒頭で仕掛けられた謎が、次々とほどける、その勢いで先へ先へとひっぱってゆく構成となっており、これが見事に成功しています。

 他に行き場のない最低辺の人々が「使い捨ての紙コップみたいに路上に転がっとる」(単行本p.108)無法地帯、釜ヶ崎。その「浄化」計画を進める府行政。日雇い労働者の暴動や行き倒れ、未成年者がレイプされそうになる場面、絶望の果てにオウム真理教の終末思想に帰依する者、障害者に対する社会の冷酷さなど、出来れば目を背けておきたいシーンが頻出しますが、それらが並々ならぬ迫力で作品のリアリティを支えています。

 明るく健全な物語ではなく、めでたく大団円を迎えるような小説でもありませんが、ヒロインの一種独特なたくましさのおかげで、読後感は決して悪くありません。読み終えてから、ふと気になって、最初の3ページを読み返してみたところ、ある登場人物の後日談がそこにさりげなく書かれていて、そこでまたじわりと感動が。

 というわけで、森絵都といえば児童文学、ヤングアダルト小説、というイメージを打ち破った、地味ながらきらりと光る大人向け恋愛小説です。これまで著者の作品は数冊読みましたが、そのなかでは本作が最もお気に入り。


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