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『詩はあなたの隣にいる』(井坂洋子) [読書(随筆)]

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 電車の中で、スマホの小さな画面に没頭する(高齢者以外の)ほとんどの人たちの顔を眺めていると、詩は人の生活に、というか、人の生涯にかすりもしないのだと思って暗い気持になる。(中略)
 人はそれほど詩とは無縁のものだろうか。ことばのゲイジュツとしての詩は素通りしてしまうかもしれない。けれども、皆そのおおもとの詩なるものを呼吸して生きている。
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単行本p.231、232

 詩を書くとき、詩人は何を考えているのか。詩を読むとき、読者はどのように読めばいいのか。詩を身近に感じるためのエッセイ集。単行本(筑摩書房)出版は2015年1月です。


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最初はみな、空を見上げて詩を書き始めるものだ。私自身小学生のときは上空にあるもの、そこから降りてくるものばかり詩のモチーフにしていたが、詩人になるということは、低い視線で世間を見るのを決意することだと、いまの私は思っている。
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単行本p.93


 詩についてのエッセイ集。内容は大きく分けて、「詩を書くこと」に関する話題が前半、「詩を読むこと」に関する話題が後半、という構成になっているようです。

 前半では、詩を生み出すのはどんな種類の感情なのか、何が詩の題材となるのか、どんな言葉を選べばいいのか、といった話題が中心となります。


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詩は、自在に言えてしまう器でもある。また、それぞれの書き手が自分なりの語り口や形式を獲得しなければならないため、自分と創作物の間に隙がある。その隙を埋めるために、もっとことばを費やさなければならないような強迫観念にかられる。どこまで言うか、どこで打ち切れば詩が生きるか、書き手は常に頭を悩ませる。短歌の瞬間把握のあり方をうらやましく感じることさえある。
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単行本p.40

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 シニファインやロゴス、形象、変容、遡行といった語をつかう人もいれば、死ね、やだやだ、ごめん、超かわいーと書く人もいる。ひとつの詩を構築する上で、操作する立場にたてば、ことばの火花や千変万化を助長させたり引き締めたりに気を遣うのであって、どんなことばでもよくて、一般的な線引きなど無効だ。とはいっても語に対する好悪の感情は微妙についてまわる。要するに詩語とは、個々の詩人にとっての採択の基準値をあらわすものだと思う。
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単行本p.60

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日常生活を送っている生身のレベルで考えれば、自分一個の身に降りかかった事柄を、世の中のありふれた問題にすりかえる方が手っ取り早い。しかしそこから余ってしまうものがある。そういうことではないのだ、と言っている自分もいる。モヤモヤの詩は、余ってしまう感情や無用な感覚をそっくり受け止めてくれるところがある。
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単行本p.75


 詩人が詩を書くときに、いったい何に悩んだり迷ったり工夫したりしているのか。けっこう意外な発見があります。

 後半は、何人かの高名な詩人の作品を紹介しながら、読者として詩にどのように向きあえばいいのか、という観点で書かれたエッセイが並びます。

 個々の作品紹介も充実しているのですが、個人的に感心したのはむしろ詩人の紹介の巧みさ。


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清子が現代詩の母なら、喜代子は現代詩のおふくろといったところかもしれない。
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単行本p.150

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思うに、光太郎は俗世と厳しく距離をとり、道造は俗世とうまくすれ違ったのではないだろうか。
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単行本p.179


 こんな感じで詩人のイメージを鮮やかに示してくれます。個々の作品をどう読むかという具体的な問題を扱いながら、次第に、そういった詩を読むことで私たちは何に気づくのか、という話題へとシフトしてゆく展開は実にスリリング。


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ボートに乗った「あなた」は、気軽な気持で漕いでいる。次の瞬間、ボートは転覆するかもしれない。助かるかもしれない。天は「あなた」を救うほうへ、湖は「あなた」を襲うほうへ引っ張っている。せめぎ合いの刹那。運命の綱引きだ。その連続体に上に私たちの生活はある。
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単行本p.177

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 日常は常識を強いてくるが、常識まみれになると途端に色褪せる。じつに厄介なしろものである。詩はどっぷり浸かった日常の息苦しさから、少しだけヒトを解き放ってくれる。
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単行本p.187

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自然は常にとどまらず、変化の妙を見せて、存在のからっぽ性をうまくごまかす。生きているこの空間は、ただ物が投げだされているだけのしらけた場ではないとでもいうように、一日は変化し、一年ごとに季節がめぐる。考えてみれば、それはふしぎなからくりだ。
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単行本p.230


 というわけで、読み進むにつれて、詩人や詩作品が身近に感じられるようになる好著。詩作に関するエッセイ集としても、詩の入門書としても、非常に分かりやすく書かれています。国語の教科書を別にすれば詩なんて読んだことがない、という方でも、きっと詩に興味がわいてくることでしょう。


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『ファイン/キュート 素敵かわいい作品選』(高原英理:編) [読書(小説・詩)]

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ただキュートなだけではない。私がこれ、と思う文学作品は、そのキュートさが必ず何かの素敵さとともにあった。(中略)文学に見つかる心打つ可愛さは、キュートなだけでなくファインでもある。逆に、言葉でキュートを伝える文学作品はいつもファインです。
 それで、今回、私の心に残った「素敵かわいい」文学作品を集めて、ファインでキュートな作品のアンソロジーをお届けすることになりました。
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文庫版p.8

 海外と日本の絵本、小説、詩、短歌、俳句、随筆、日記、さらには怪談実話まで。ファインでキュート、素敵かわいい、そんな文学作品を集めに集めた素敵なアンソロジー。文庫版(筑摩書房)出版は2015年5月です。

 目次を見るだけでファインな気持ちになる凄いアンソロジーです。古典から新作まで、動物、子供、老人、シチュエーションそのものに至るまで、とにかくキュートなことを書いた文学を集めてくれました。


[目次]

『プラテーロ』(フワン・ラモン・ヒメーネス、長南実:訳)
『手袋を買いに』(新美南吉)
『ちびへび』(工藤直子)
『雀と人間との相似関係』(北原白秋)
『誕生日』(クリスティナ・ロセッティ、羽矢謙一:訳)
『「日記」から』(知里幸恵)
『蝉を憎む記』(泉鏡花)
『悼詩』(室生犀星)
『聖家族』(小山清)
『永井陽子十三首』(永井陽子)
『スイッチョねこ』(大佛次郎)
『小猫』(幸田文)
『ピヨのこと』(金井美恵子)
『私の秋、ポチの秋』(町田康)
『おかあさんいるかな』(伊藤比呂美)
『アリクについて』(カレル・チャペック、伴田良輔:訳)
『銀の匙(抄)』(中勘助)
『少女と海鬼灯』(野口雨情)
『ぞうり』(山川彌千枝)
『夕方の三十分』(黒田三郎)
『杉崎恒夫十三首』(杉崎恒夫)
『月夜と眼鏡』(小川未明)
『マッサージ』(東直子)
『あけがたにくる人よ』(永瀬清子)
『妻が椎茸だったころ』(中島京子)
『雑種』(フランツ・カフカ、池内紀:訳)
『二つの月が出る山』(木原浩勝・中山市朗)
『一対の手』(アーサー・キラ=クーチ、平井呈一:訳)
『鳥』(安房直子)
『チェロキー』(斉藤倫)
『マイ富士』(岸本佐知子)
『池田澄子十三句』(池田澄子)
『電』(雪舟えま)
『水泳チーム』(ミランダ・ジュライ、岸本佐知子:訳)
『うさと私(抄)』(高原英理)


 個人的には、どうしても「動物」のキュートさにやられてしまいます。同時に、そんなことをわざわざ書いてしまう著者の心根にも素敵なものを感じます。また、それを見逃さずにアンソロジーに収録してしまった編者の心意気にも。

 いくつか引用しておきます。猫、犬、蛍、ウサギの順番に。


『雑種』(フランツ・カフカ、池内紀:訳)より
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 半分は猫、半分は羊という変なやつだ。父からゆずられた。変な具合になりだしたのはゆずり受けてからのことであって、以前は猫というよりもむしろ羊だった。今はちょうど半分半分といったところだ。頭と爪は猫、胴と大きさは羊である。(中略)
いくらなんでも二匹分は多すぎる----かたわらの肘掛椅子にとびのると、私の肩に前足をのせ、耳もとに鼻づらをすりよせてくる。そっと打ち明けている具合であって、実際そのつもりらしく、つづいて私の顔をのぞきこみ、こちらの反応をたしかめようとする。よろこばしてやりたいものだから、私がわかった、わかったというふうにうなずくと----すると床にとび下りて、小おどりしはじめるのだ。
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『ピヨのこと』(金井美恵子)より
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その後飼った多くの猫たちに、わたしたちは二度とピヨという名前はつけなかった。ピヨ以外の多くの猫たちもそれぞれ可愛いところはあったけれど、ピヨに比べれば、まあ、残酷なようだけれども、白痴みたいに自分勝手にふるまう猫ばかりで、同じ猫とも思われないのである。
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『おかあさんいるかな』(伊藤比呂美)より
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 そういえばタケには、私が日本から帰ってきた夜にもその次の夜にも、危険を冒して二階に上がってくる習性、ないしは癖がある。そして私は、ひんぱんに日本に行ってしばらく戻ってこない習性というか、暮らし方をしている。日本から帰ってきた直後、私は時差ボケで眠りが浅くなっているから、タケの爪音ですぐ起きる。ところが、下まで降りてドアを開けてやっても、タケは出ていかない。
 おしっこしたいんじゃないのだ。ただ、「おかあさん、いるかな、かえってきたのはほんとかな」と確認したいだけなのだ。
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『私の秋、ポチの秋』(町田康)より
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みんなが嫌がるので私はドッグランなどで他の犬にマウントをすることはありません。私がマウントするのは主人だけです。なぜかというと、まあこいつだったら大丈夫だろう、と思うからなのですが、ポチはそのマウントを嫌がります。肩に爪が刺さって痛いからだそうです。ポチは叫び声を上げました。
「スピンク、痛い、スピンク、痛い」
「ワンワンワンワンワンワン(うるさい、黙れ)」
「痛い、痛い、マジ痛い、やめろ」
「ワンワンワン(じゃかましいんじゃ)」
 そんなことをやるうちポチは小癪な小技を繰り出してきました。肩にかかった私の前脚の肉球を指でブシュッと押しやがるのです。これをやられるとひとたまりもありません。
「あひゃーん」
 私は半笑いで逃げました。
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『チェロキー』(斉藤倫)より
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「おのれ目にモノ見せてくれるわー」
「歯にキヌ着せてくれるわー」
「手に職つけてくれるわー」
って、いたれりつくせりじゃないですか
不景気だなんだっていったってやっぱり豊かな時代なのですね
と捨て犬チェロキーは公園の水飲み場の前にうずくまったままいった
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『池田澄子十三句』(池田澄子)より
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じゃんけんで負けて蛍に生まれたの
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『永井陽子十三首』(永井陽子)より
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こころねのわろきうさぎは母うさぎの戒名などを考へてをり
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『うさと私(抄)』(高原英理)より
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「地味な兎ですが、ずっとつきあってください」
 誕生日に貰ったポストカードにはこう書かれていた。私は決意した。
 半月後、兎は私の右側に座っている。兎はよく寝る。ときどき起き出してはよく笑いよく泣く。

「何て呼べばいい?」
兎はひどく考え込む。私は言う。
「『うさ』はどう?」
「うれし」

 夜中に目が醒めると、隣に兎が寝ていた。嬉しかったが、眠いのでそのまま寝てしまった。

 夜中に目が醒めると、隣に兎がいなかった。悲しかったが、眠いのでそのまま寝てしまった。

 うさは「愛してる」と言わない。そのかわり、私の手をとって、「なかよし」と言う。

「うさ、もう、ダンゴムシ!」
 うさベッドに転がり込み、丸くなる。とても恥ずかしいことを思い出したとき。

 とても悲しそうにうさが泣いている
 理由はわからないが隣にいてあげる
 随分長い間泣いていたが
 ふと顔をあげてうさが言う
「うさぎはね」
「うん」
「ロバが好き」
「うん」

 いっぱいのうさうさ
 いっぱいのうさうさ
 いっぱいのうさうさ
 いっぱいのうさうさ
 いっぱいのうさうさ
 いっぱいのうさうさ
 いっぱいのうさうさ
 みきみきもいるよお
 いっぱいのうさうさ

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『〈この街から〉』(本谷有希子) [読書(小説・詩)]

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私は長い時間をかけて、たった一人の人間もいない街をうろついた。ガソリンスタンドの壁に、大きくスプレーで殴り書きされた〈この街から〉というメッセージを見つけた。----〈この街から〉。食料品と燃料を持てるだけ持つと、背後を何度も振り返りながら、白い犬たちと山小屋に帰った。
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Kindle版No.252

 一冬を山小屋で過ごすことにした孤独癖のある女性が、いつしか何十匹もの白犬に囲まれて生活している。他人となるべく関わらず、白犬たちと静かに過ごす満ち足りた生活。しかし、どうも何かがおかしい。他の人間は、この街から、いったいどこに消えてしまったのだろう。奇妙な余韻を残す犬愛小説。Kindle版配信は2015年4月です。


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 その昔、たくさんの犬を飼っていたことがある。
 不思議なことに種類は思い出せない。あんなに仲良く、いつも一緒に暮らしていたのに。私はその犬たちを愛し、その犬たちも私を愛していた。犬たちは何十匹もいた。そしてどの犬たちもみんな、降ったばかりの雪のように真っ白だった。
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Kindle版No.2


 人づきあいが極端に苦手な女性が、冬の間、知人から借りた山小屋で独り暮らしをしています。彼女の周囲にはいつしか何十匹もの白犬がいて、いっしょに静かに生活しているのでした。


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犬たちと暮らし始めてからは、彼らがまるでコートのように私の周りに寄り添ってくれた。私の体の中で露出しているのは、口と目の周りだけだった。犬たちの中に埋め込まれていくような恍惚とした気分を味わいながら、暖炉を眺めてうとうとと眠りに落ちるのが好きだった。
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Kindle版No.9


 孤独癖のある犬好きにとって、何という理想的な生活でしょうか。それだけではありません。さらに夢のようなことに、白犬たちは、糞便をしないし、散歩は自分たちで勝手にするし、まれに人語をしゃべります。給餌も不要です。なぜなら自分たちで漁をするからです。


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一匹の犬が氷の穴から頭を出し、そして鋭く短い声で鳴いた。別のところからもう一匹の犬の頭が現れて、同じように鳥に似た声をあげた。別の犬たちも氷の裂け目から次々と顔を突き出し、その鳴き声を繰り返している。じっと観察していると何が起こっているのか、段々と理解することができた。彼らは水中を泳ぎながら集団で大きな円を描いているのだ。そして、その円を掛け声によって、少しずつ中央に向かって狭めている。
(中略)
彼らより先に山小屋へと戻る途中、透き通った水の中で優雅に魚を追っている犬たちの姿を、何度も思い浮かべた。
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Kindle版No.121


 それは本当に犬なのか?

 やがて、食糧や燃料を購入するためにときどき訪れる麓の街の様子が何やら変であることに気づきます。誰もが「犬」を恐れ、じわじわとパニックが拡がっているようです。しかし、語り手は他人に興味がなく、面倒なので関わりを避けているうちに、やがて街は無人となり、電話はどこにも通じなくなります。


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山小屋に人がやって来る気配はなかった。彼からの電話が掛かってくることもなかった。次の日も、次の日も、私は誰にも邪魔されず、変わらぬ時間を過ごした。氷の下を優雅に泳ぐ白い犬たちの猟りは、何時間でも飽きずに見ていられた。やがて、食料がなくなれば街へ下りていき、欲しいものを無人の店から調達するようになった。私は段々と薄汚れていったが、犬たちは、いつまで経っても降ったばかりの雪のように真っ白だった。
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Kindle版No.256


 というわけで、J.G.バラードの初期作品を思わせるような、静かな終末感ただよう作品。暗い印象や怖い印象は控えめで、むしろ犬好き高じて、それ以外の何もかも(特に他人)がすべて消滅してしまえばいいのに、という願望を充足させる犬愛小説。ちらとでもそう願ったことがある犬好き読者にお勧めします。


タグ:本谷有希子
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『パイオニア・アノマリー 惑星探査機の謎に迫る』(コンスタンティン・カカエス、翻訳:中村融) [読書(サイエンス)]

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打ち上げから31年後の2003年には、パイオニア10号は、あらゆる計算がそこにいるべきだと告げる場所より20万マイルも手前にいた。“パイオニア変則事象”と呼ばれるようになったこの現象は、その探査機が当時旅した総距離のわずか0.002パーセントにすぎなかったが、いっぽうでは地球の赤道を8周する距離でもあり、地球から月までの距離にほぼ等しくもあった。予測と観測とのこれほど甚だしい不一致は、宇宙についてわれわれが知っている、あるいは知っていると思いこんでいるものを造りなおすポテンシャルを秘めている。
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Kindle版No.58

 深宇宙に向かって飛び続けている探査機パイオニア10号と11号。その両方について観測された変則事象(アノマリー)。探査機に未知の力が働いているのか、それとも私たちが知っている重力理論に何らかの欠陥があるのか。科学界を騒然とさせた「パイオニア・アノマリー」の発見からその解明に至る苦難の道のりを描いたサイエンスノンフィクション。Kindle版配信は2015年4月です。


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太陽に近かったときには、どちらの宇宙機からのデータにも加速は見られなかったが、地球から木星までの距離の2倍前後で現れはじめ、徐々に大きくなって、地球から木星までの距離の3倍----15天文単位(1天文単位、略称AUは地球から太陽までの平均距離)----前後で安定したように思われた。
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Kindle版No.432


 深宇宙に向かって飛び続けているパイオニア探査機が、謎めいた減速(物理的に言うと太陽方向への加速)をしている。しかも両探査機は互いに遠く離れた場所にいて、異なる方向に運動しているにも関わらず、アノマリーは同じ傾向を示している。この報告によって科学界は騒然となりました。これが名高い「パイオニア・アノマリー」です。

 単純な力学に従って運動しているはずの物体が、ごくわずかとは言え、観測誤差を超えた挙動をしている。それはつまり、私たちが理解している重力理論には「太陽系レベルの大きな距離で精密測定して初めて検出されるような」欠陥があるのではないか。多くの理論家が奮い立って、これを説明するような一般相対性理論の「拡張」を提案したのです。


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 アノマリーが現実であってほしいという欲望が高まっていた。「超新星のデータ、銀河の回転曲線など、宇宙全体の変則的な加速が発見されつつある環境では、なおさらだった」とトートはいう。「その環境では、じっさいに太陽系内、つまり手の届く範囲内で、ニュートン的重力からの逸脱を探知できる可能性があるんだ。それはとてつもなく強力な動機だよ」と。
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Kindle版No.941


 もしも一般相対性理論を拡張することで、宇宙の加速膨張や銀河の回転異常、そしてパイオニア・アノマリーを統一的に説明できるなら、そうすれば、あの「ダークエネルギー」やら「ダークマター」やらを、すべて「エーテル」と同じゴミ箱に捨ててしまうことが出来るのではないか。否が応にも期待が高まります。


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もっとデータが必要だった。そして賭け金は大きくなるはずだった。シェファーがわたしにいったように、「きみならどっちがいい----新しい理論を打ち立ててノーベル賞をとり、すべての教科書に名前が載るようになるか、エンジニアリング分析で見過ごされたおかしなものを発見して終わるのとでは?」という賭けなのだ。
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Kindle版No.614


 議論に決着をつけるためには、探査機のデータを精査することが必要ですが、それは一般に思われるほど簡単な仕事ではありませんでした。科学者として業績を積み上げるべき貴重な歳月を、どぶさらいのような地味でしんどく評価されない作業、しかも結局は無駄になるかも知れない作業に費やさなければならないのです。あまりにも過酷な賭けでした。


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実験的な証拠が明瞭なことはめったにない。計器の目盛りは適切に定められているだろうか? データは正しい方法で補正されているだろうか? 観測していると思っているものを本当に観測しているだろうか?
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Kindle版No.226

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データはそう思われているほど確固たるものではない。腐食と損失の危険は絶えずのしかかってくる。テープはもろく、磁気は変わりやすく、フォーマットは忘れられる。
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Kindle版No.1050

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 彼はJPLの自分のオフィスがあるビル内で、頻繁に通りかかる階段の下に放置された大量の磁気テープを見つけた。「わたしはすこしずつ理解していった、これらの箱にはパイオニアに関する興味深い情報がたくさん詰まっていることを」と彼はいう。だが、「データを修復するのに3年以上かかったり、遅々として進まず、苦労の連続になったりする」とは夢にも思わなかった。
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Kindle版No.718


 ダンボール箱に詰め込まれた古いぼろぼろの磁気テープ、古いコンピュータが使っていた誰も覚えていないファイルフォーマット、データ復元作業だけでも困難を極めたのです。


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 文字どおり1ビットまた1ビットと、トゥルィシェフとトートは、できるかぎり完全なドップラー・データのセットを組みあげた。ついに、1979年2月14日から2002年3月3日にいたるパイオニア10号の記録から3万5248のデータ・ポイント、さらにそれ以前、パイオニア10号が木星をスイングバイしたときからのデータ・セットを作りあげた。1980年1月12日から1990年10月1日にいたる丸10年分のパイオニア11号のデータもあり、それには木星と土星への最接近もふくまれていた。当時としてはもっとも徹底的な研究であった2001年の論文とくらべれば、パイオニア10号の場合は2倍近く、パイオニア11号の場合は3倍以上のデータ量だった。
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Kindle版No.789


 復元された個々のデータについて、それぞれ地球の正確な位置と動き、アンテナの角度、太陽風の影響、大気の影響、探査機からの熱放射、そしてソフトのバグなど、徹底的な分析が行われました。「ここには何か未知の現象が起きている」ということを証明するために、その他の可能性を一つ一つ潰してゆく気の遠くなるような検証作業。その粘りと根気には感服する他はありません。しかし、彼らは最後までやり遂げました。それが「科学」という営みなのです。


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「われわれが見つけたのは、われわれをふくめた何人かが期待したよりはるかに平凡なものだ」とトートはいう。「それをだいなしにしたくはない……だが、するしかない。なぜなら、それが----けっきょくは、それが数値の教えるものなのだから」
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Kindle版No.1031


 というわけで、よく語られる大発見のサクセスストーリーとは違って、科学者が日々行っている地道な検証作業に光を当てた好著。これこそが科学、これこそが科学者、という気がします。

 科学者がどれほど「超常現象(アノマリー)」好きか、そして同時に「超常現象かどうか」を突き詰めるために、どれほど努力を惜しまないのか。本書を読めば、「傲慢で独善的な科学者たちは、超常現象を頭から無視する」というオカルト界隈の決まり文句に安易に頷くことは出来なくなるでしょう。


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はじめて会ったとき、わたしはトゥルィシェフのなかに、それ以外にも気高さを見てとっていた。(中略)それはアノマリーという考えをいだき、心のなかで持ちあげ、あらゆる角度から見て……それから元にもどせるトゥルィシェフの能力だった。最後にトゥルィシェフと会ったとき、アノマリーに捧げた歳月を悔いたようすもなく、彼はいった。「それが発見の性質というものだ。だれもがなにかを発見できるわけじゃない」
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Kindle版No.1140


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『第43回ローザンヌ国際バレエコンクール』 [ダンス]

 2015年5月9日(土)15:00-17:00、NHK ETVにて、第43回ローザンヌ国際バレエコンクール決勝の様子が放映されました。昨年と同じく、解説はスターダンサーズ・バレエ団代表、小山久美さんです。

 第43回ローザンヌ国際バレエコンクールは、2015年2月2日から2月7日まで開催されました。コンクールに出場したのは67名(18カ国)。そのうち日本人は10名(女子7名、男子3名)でした。

 2015年2月6日の準決勝で選出された20名が決勝に進みました。そのうち、日本人は女子1名、男子2名でした。以下の方々です。

 日本人の決勝進出者一覧

  金原里奈さん(17歳)
  伊藤充さん(18歳)
  速水渉悟さん(18歳)

 2015年2月7日の決勝では、入賞者のうち日本人が3位、5位を占めました。

 入賞者一覧

   1位: ハリソン・リー(オーストラリア)(15歳)
   2位: パク・ジス(韓国)(17歳)
   3位: 伊藤充(日本)(18歳)
   4位: ミゲル・ピニェイロ(ポルトガル)(17歳)
   5位: 金原里奈(日本)(17歳)
   6位: ジュリアン・マッケイ(米国)(17歳)

  コンテンポラリーダンス賞: ミゲル・ピニェイロ(ポルトガル)(17歳)

  観客賞: ルー・シュピヒティク(スイス)(17歳)


 なお、今年のコンテンポラリー部門の課題は、以下の3名のコレオグラファーの作品から選ばれました。作品名は決勝で踊られたものです。

  ゴヨ・モンテロ
    「デスデ・オテロ」からソロ
    「バソス・コムニカンテス」からサラバンド

  リチャード・ウェアロック
    「ディエゴのためのソロ」
    「春の祭典」

  ルイーズ・ドゥラー
    「アウト・オブ・ブレス」
    「タッチ・フィール・センス」

 ゴヨ・モンテロ、リチャード・ウェアロックの作品は昨年と同じで、今年はヨルマ・エロに代わってルイーズ・ドゥラーの作品が加わりました。「タッチ・フィール・センス」は、劇的でかっこいいと思います。

 入賞した6名について、コンテンポラリー部門のパフォーマンスを観たときの個人的印象を書いておきます。


ハリソン・リー(オーストラリア)(15歳)
  「ディエゴのためのソロ」(リチャード・ウェアロック振付)

 確信ありげなしっかりとした動き、溌剌としたチャーミングさ、弾けるような心地よいダンスでした。


パク・ジス(韓国)(17歳)
  「春の祭典」(リチャード・ウェアロック振付)

 手足の長さを存分に活かしたスケールの大きい、緊迫感に満ちたダンス。迫力がありました。


伊藤充(日本)(18歳)
  「デスデ・オテロ」からソロ(ゴヨ・モンテロ振付)

 エネルギッシュで力強く重々しい動きが個性的で、パワーを感じさせました。


ミゲル・ピニェイロ(ポルトガル)(17歳)
  「デスデ・オテロ」からソロ(ゴヨ・モンテロ振付)

 躍動感あふれる大きな動きが非常にかっこいい。渋いアクション映画みたいな雰囲気。


金原里奈(日本)(17歳)
  「バソス・コムニカンテス」からサラバンド(ゴヨ・モンテロ振付)

 力強さとしなやかさを感じさせる確かな動き、表現された深い情感、感動的なダンスでした。


ジュリアン・マッケイ(米国)(17歳)
  「ディエゴのためのソロ」(リチャード・ウェアロック振付)

 軽やかなダンス。楽しく、おしゃれな感じが良く出ていました。


タグ:ローザンヌ
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