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『ことばの古里、ふるさと福生』(吉増剛造) [読書(随筆)]

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 ここまでお話ししてきまして、もういちど「福生」という地名をみますと、本当につくづくとなんとも奇妙な含みを持った名だとわたしは感じます。それは、いったんFUSSAを通り越したことによるのでしょうか。「福生」という地名が持つに至った重みに対して、大層過敏になっている人間がいますということを、お分かりいただけるとよいのですが、……ここまで一廻りお話ししてやっとそこにその重荷や重みに辿り着いた気がいたします。
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単行本p.48

 ことばと命、その源はどこにあるのか。吉増剛造さんの講演を二つ、口語体というか、おそらく話したそのまま記録した講演録。単行本(矢立出版)出版は2000年11月です。


「ことばの古里」
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これから、いろんな例をあげて、私たちが話す、話してます、言葉の持っている、とてもその微妙な命のふるさと、それをお話していこうと思います。
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単行本p.8

 1990年5月15日、球磨農業高校における講演です。ことばに宿っている命について、平易な言葉で語りかけてくれます。

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自分の中の呼吸で、自分の中の、自分の中の、なんて言ったらいいだろうなあ、一番いい包装紙みたいなものでね、それで外国語を包んであげるようにして、話す、訓練をした方がいいですね。あのう、上手な向こうの人の真似をするよりも、そこに、こういう魅力的な、ええ、魅力的な、そのかわいらしい言葉が出て来るのです。おそらくそこが、歌とか、芸術とか、音楽とか、美術とかいわれているものの秘密みたいなもの。多分そうだと思います。
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単行本p.20

 繰り返しの呼吸や、ふと言葉に詰まったりする瞬間まで含めて、今そこで話しているというライブ感がありながら、まるで詩の技法として計算され尽くしているような完成度もまた感じられ、ちょっとびっくりしてしまいます。こういう話し言葉をしゃべることが出来るのか、と。

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こういうふうにして、いろんな言葉が、柔らかく、小さな手を差し伸べあって、さわりあって、いたわりあうような、そして、胸の中に別世界を作っていくような、時代がこれから来るはずです。で、それを作るのは、皆さんですからね。それは学校の勉強とはずいぶん違います。むしろ、ぼーっと山を見ていたり、あるいは、ふっと何かに気がついたりね。そういう人間の別の能力によって、何かに気がついて、命の、甘さみたいなもの、を、ふくらましていくものですからね。それも耕すことと似てるかもしれないね。別の耕しかただけどね。
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単行本p.23

 語尾ね四回繰り返しの効果すごい。高校生のときに、こういう話を直に聞くことが出来るというのは実に羨ましい。このとき聴衆だった高校生で、後に詩を書いた人はいるのでしょうか。


「ふるさと福生」
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時代が変わっていきますと極端にいいますと「福生」や「横田」も個人の記憶のなかの小さな場所に次第に追い込まれていってしまうのですね。ある人からは忘れられていくようにもなるし、またある人たちからは、あそこに何か国籍不明のおかしな街があるね、知っている、……というようなことにもなってしまうこともあるのです。ことに後者は親しくしていましたアメリカの詩人からいわれたことで、親しいだけに、「福生」が彼の眼にそう映ったことにとても驚いて、わたしはその街に育ったのだと結局いいそびれてしまいました。
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単行本p.47

 1980年11月1日、福生図書館における講演です。吉増剛造さんの故郷である福生(東京都福生市)という街について、その歴史や思い出が語られます。

 個人的な事情で恐縮ですが、私も福生に住んで二十年以上になりますし、ここが自分の属する土地だと、心が根付いていますので、思い入れが強くて冷静には読めません。

 講演の途中で朗読される自作詩「織物」の一部を引用するにとどめておきます。

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武蔵野に風吹き、電灯がゆれている。もう、彼岸(あっち)だろうかと耳をすますよ。寧楽(なら)時代には古名麻(ふさ)。やがて福生(ふっさ)とよばれるようになったところにある、秘密の織物工場。
宇宙的な名の
加美(かみ)や志茂(しも)。
風が吹く。
織目の
筬(おさ)。
秘密の織物工場でわたしは筬(おさ)に糸をとおしていた。左の親指の爪をさしこんで、母から経(たて)糸を引いていた、軍需工場あとの織物工場。
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単行本p.37


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