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『〈この街から〉』(本谷有希子) [読書(小説・詩)]

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私は長い時間をかけて、たった一人の人間もいない街をうろついた。ガソリンスタンドの壁に、大きくスプレーで殴り書きされた〈この街から〉というメッセージを見つけた。----〈この街から〉。食料品と燃料を持てるだけ持つと、背後を何度も振り返りながら、白い犬たちと山小屋に帰った。
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Kindle版No.252

 一冬を山小屋で過ごすことにした孤独癖のある女性が、いつしか何十匹もの白犬に囲まれて生活している。他人となるべく関わらず、白犬たちと静かに過ごす満ち足りた生活。しかし、どうも何かがおかしい。他の人間は、この街から、いったいどこに消えてしまったのだろう。奇妙な余韻を残す犬愛小説。Kindle版配信は2015年4月です。


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 その昔、たくさんの犬を飼っていたことがある。
 不思議なことに種類は思い出せない。あんなに仲良く、いつも一緒に暮らしていたのに。私はその犬たちを愛し、その犬たちも私を愛していた。犬たちは何十匹もいた。そしてどの犬たちもみんな、降ったばかりの雪のように真っ白だった。
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Kindle版No.2


 人づきあいが極端に苦手な女性が、冬の間、知人から借りた山小屋で独り暮らしをしています。彼女の周囲にはいつしか何十匹もの白犬がいて、いっしょに静かに生活しているのでした。


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犬たちと暮らし始めてからは、彼らがまるでコートのように私の周りに寄り添ってくれた。私の体の中で露出しているのは、口と目の周りだけだった。犬たちの中に埋め込まれていくような恍惚とした気分を味わいながら、暖炉を眺めてうとうとと眠りに落ちるのが好きだった。
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Kindle版No.9


 孤独癖のある犬好きにとって、何という理想的な生活でしょうか。それだけではありません。さらに夢のようなことに、白犬たちは、糞便をしないし、散歩は自分たちで勝手にするし、まれに人語をしゃべります。給餌も不要です。なぜなら自分たちで漁をするからです。


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一匹の犬が氷の穴から頭を出し、そして鋭く短い声で鳴いた。別のところからもう一匹の犬の頭が現れて、同じように鳥に似た声をあげた。別の犬たちも氷の裂け目から次々と顔を突き出し、その鳴き声を繰り返している。じっと観察していると何が起こっているのか、段々と理解することができた。彼らは水中を泳ぎながら集団で大きな円を描いているのだ。そして、その円を掛け声によって、少しずつ中央に向かって狭めている。
(中略)
彼らより先に山小屋へと戻る途中、透き通った水の中で優雅に魚を追っている犬たちの姿を、何度も思い浮かべた。
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Kindle版No.121


 それは本当に犬なのか?

 やがて、食糧や燃料を購入するためにときどき訪れる麓の街の様子が何やら変であることに気づきます。誰もが「犬」を恐れ、じわじわとパニックが拡がっているようです。しかし、語り手は他人に興味がなく、面倒なので関わりを避けているうちに、やがて街は無人となり、電話はどこにも通じなくなります。


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山小屋に人がやって来る気配はなかった。彼からの電話が掛かってくることもなかった。次の日も、次の日も、私は誰にも邪魔されず、変わらぬ時間を過ごした。氷の下を優雅に泳ぐ白い犬たちの猟りは、何時間でも飽きずに見ていられた。やがて、食料がなくなれば街へ下りていき、欲しいものを無人の店から調達するようになった。私は段々と薄汚れていったが、犬たちは、いつまで経っても降ったばかりの雪のように真っ白だった。
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Kindle版No.256


 というわけで、J.G.バラードの初期作品を思わせるような、静かな終末感ただよう作品。暗い印象や怖い印象は控えめで、むしろ犬好き高じて、それ以外の何もかも(特に他人)がすべて消滅してしまえばいいのに、という願望を充足させる犬愛小説。ちらとでもそう願ったことがある犬好き読者にお勧めします。


タグ:本谷有希子
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